Sandy Cowgirl

植田昌宏。在阪奄美人。座右の銘は、「死ぬまで生きる。」

死の棘

2017-06-09 21:30:47 | 書評


その時、少女は川辺にいた。
その妹と父親と連れ立って。
目的は家に仕掛けたネズミ捕りにかかったネズミを川に水没させて殺すことだ。
熱心にその作業に集中していたところ、川の土手から声が聞こえた。

「○○先生!」

少女の父親を呼んだことらしい、ということが、少女には分かった。
先生、と呼ばれる職業なのか、少女には分からなかったが、
大島紬の染色の技師をしていた少女の父だから、島の人間からは、そのように呼ばれたのだろう、と思った。
ただ、その呼びかけは、そのように呼びかければ悪い気がしないオトコはいない、という打算が感じられた、という。

声の主は、島尾ミホ、という女性だ。
少女の父は、まんざらでも無い様子で世間話をする。
島尾ミホの横には、ほっそりとした背の高い、寡黙で優しそうな笑みをたたえている男がいた、という、
その名は、島尾敏雄、という。
少女は、子供ながらに、かっこいい男性、というのは、こういうのをいうんだろうな、と思った。

やがて、少女は歳をとり、結婚して子供を産む、そこで産まれた子供が、私だ。
すべて、その時の少女であり、私にとっての母親から聞いた話だ。



島尾敏雄 の 死の棘 は、長編だ。
ただ、細切れになっていて、短編の寄せ集めの形になっている。
今の感覚からすれば、とにかく、文字がとてつもなく連なっていて、1つの文がとてつもなく長い、いかにも文学的な文章のように思える。
言葉というものを巧みにあやつり、叙事、叙景、叙情を、これでもか、と、言わんばかりに克明に表現しているので、感服しきりだ。
あまりにも生々しく、あざやかで、残酷なまでに汚くて美しい。
陳腐な表現だが、あたかも、戦後の小岩、佐倉が今そこに存在しているかのように思える。

ただ、この小説の表面的な事象は、徹底して暗い。

実際、そうなのだろう。

終わりのない絶望

貧困への恐怖

特攻隊の出身なのに死ぬ勇気さえなく、止められる打算でその場をとりつくろうとする醜い己

残酷なまでに妻や子供を他人ごとにみる瞬間のあと、

それでも、できずにおられない、わき上がる愛。


この物語は、奈落の果てに突き落とされる状況で、
じわじわと身ぐるみをはがされて、何もかも失って情けない姿になる主人公が、
その状況ではじめて妻の美しさ、強さ、正しさに目覚め、
あきらめているのだけれど、死ぬこともできず、必死にもがく姿が延々とループするものである。


いろんな視点で語ることができる作品だ。
読者によって、何を感ずるかは、人それぞれだろう。
例えば、

これは、何も変わらない時間を様々に書き分ける試作品集なのだ、という理解

これは、私小説という名のドキュメンタリーなのだ、という理解

これは、家族の愛なのだ、という理解

これは、カトリックの告解なのだ、という理解


答えがあるわけではない。

読者を苦痛にさせる作品ではあるのは間違いないが、そこに何かがあるのだと思う。


私は、人の肌が、心が、触れ合う、その時に感ずる、少し、ほんの少しの体温の変化、
という繊細なことを思い起こさせてくれるところが好きだ。
それは、時間も季節も、関係するし、
場所や風景、関係する登場人物達の言動によっても変化する。
人って、傷つきやすく、びくびくして、居心地悪く、居直ったり、変にテンションあがったり、
全然、かっこよくなくて、情けない存在だ、と再認識させられる。

もしかしたら、超然としていて、最も美しいのは、
一見すると,諸悪の根源のような妻の、その真っすぐな生命なのかもしれない、

と感じました。




ちょっと、軽々しくは読めないと思います、精神的に辛いときとかはやめた方がいいです。
本気で、追いつめられた人間に向き合ってみたらどうか、と思えるなら、
ぜひ、読んでみてください。
今年は、島尾敏雄先生の生誕100年にあたる年だそうです。
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