Sandy Cowgirl

植田昌宏。在阪奄美人。座右の銘は、「死ぬまで生きる。」

ふくわらい

2017-05-13 00:10:44 | 書評


ネタバレ注意。
といってもねぇ、という作品ではありますが。






これは、わたくしの最愛の人、西加奈子さんの作品です。
夢にもでてくるし、会いたくて会えなくて泣きたくなるほど好きです。
で、サイン会にも行ったのですが、もう、恥ずかしくて、なんにもしゃべりかけられんかった。
なんか、きぃつこたんか、おつきの人、出版社の人?が、なんか話題を振ってくれてんけど、
その返答も、おつきの人、に向かってやってしもて。
その間、西加奈子さんは、一生懸命、私の似顔絵を描いてくらはりました。
似顔絵書くからな、じーと、僕の顔、みんねん。
やー、西加奈子さんに見つめられてる、と思うと、すごい緊張しました。

あー、急に唐突やけど、疲れた、転職して最初の週末やねん、
この職場が良すぎるのか、前の職場あまりにも理不尽すぎるのか、
ようわからんけど、
もう、転職なんかしねえぞ。

で、ふくわらいの話。
本当は、舞台をとりあげようと思ってたんやけど、まだ読み終わってない、そのうち。
ふくわらいの話いくで、大丈夫? ネタバレ注意やで。












西加奈子の作品は、主人公の属性を基準に
 大人の女性 黄色いゾウ、白いしるい、ふる、うつくしい人 i など
 大人の男性 さくら、通天閣、サラバ! など
 子供の女性 円卓、漁港の肉子ちゃん、きりこについて など
 子供の男性 まく子 など
と、大別できる。
おそらく、西加奈子は、大人の男性を主人公にした作品の評価が一般的に高いと思われる。
同性の主人公を書くのは、手あかがつきすぎるので、同性も異性もついていけない仕上がりになりがちだからなのだろうか。
そんな中,ふくわらい、は、大人の女性の分類に入ることになる。

時期的には、今を基準にすると、中期の終盤という位置づけになる。
主観ではあるが、
 初期:言葉を紡いで伝える作風
 中期:言葉がふわふわと浮かんでいく作風
 後期:
このような傾向があるだろう、後期は、今からなので、空欄。iは中期の流れとは全然ちがう。

それを踏まえて、この作品をみると、
西加奈子にとっての、冒険的、実験的な作風の集大成の作品のように思える。
サラバ!を読んだ時に、
女性のヒステリックに直面しているような気分になった。
話をまともに聞かずに、まぁ、お前の言うことも分かるけどな、
というと、
絶対ウソや,私の話聞いてへんやろ!
と怒られる気がするのです。
かといって、じゃあ、もう一度、ちゃんと読もうとすると、
なんだか

文字が浮き上がってフワフワと舞っているのです、

なにがなんだかわからないのです。
でも、それらは、なにかを訴えかけようとするのです。
なんだろう?

それで、なんだろうと逡巡して、思ったのが、
あ、
もしかしたら、
西加奈子さんは、言葉を使って、いや、利用して、それとは別のことを伝えようとしているのではないか、
と。

そうだ、そうに違いない、
だって、椎名林檎が言ってた、どうして歴史の上に言葉が生まれたのだろうか、と。
そうだ、言葉というのは、概念を持っているのだ。

サイン会にいた私は、

 ファンです
  と言ったら、言葉としては、多分足りない。

 大好きです
  と言ったら、言葉としては、ちと足りんし、だいたい、あってるけど、誤解されるかも。
 
 愛してます
  と言ったら、言葉としては、んー足りてるけど、気持ち悪がられるかも。

と、考えていたのだろう、だから、なんにも、しゃべなかった、どんだけ自意識過剰やねん、て話や。

そうや、ドリカムも言っていた、ねえどうして、すごく好きなこと、ただ伝えたいだけなのに、うまくいえないんだろう、と。
好きだからやろ。

そういうことなのだ、この、ふくわらい、という作品は。

ふくわらいというのは、顔の輪郭があって、まゆげ、め、はな、くち、がある。
それを小説に当てはめると、時代、主人公の属性、ジャンル、作風、とかいろいろ。
そういうことだ、手あかがつきすぎているのが、小説であり、ふくわらいであり、それは、完全に閉じた世界なのだ。

定は、それを知らない。
だから、周りのこと、自分のことを見ているようで、見ていない。
だって、目隠ししたって、ふくわらい、できちゃうから。

はっと、するほどの素材にであう。
バイソンというプロレスラーだ。
ふくわらい、の素材には到底できないほど、顔が崩れている。
それにも関わらず、パソコンの壁紙にしてしまうほど、ひかれる定。
めざめのときだ。

そして、出会い。
目隠しして、ふくわらい、をするのが趣味の定がであったのは、
盲目のオトコ。
理性で、デジタル的に計算したら、受け付けてはいけない男性だ。
ちっとも、ひかれもしない定。

しかし、定は、匂いをかぎ、スルーしてきたものがスルーできなくなり、
気持ち悪くなり、バイソンの部屋でゲロゲロ吐く。
思い出したのだ、言葉ではない、なにかを。
バイソンは快くプロレス観戦を招待する。

プロレスを観戦する定。
表現はとにかく、稚拙だ、
どか、
ばき、
うぉー、
ばかやろうー、
はやく引退しろー、
などなど。
手にアセを握りっぱなしの定は、目覚める。
私は、言葉が、決めた、その概念で縛られるのは嫌だ、
言葉をつかってやる、とことん、使ってやるが、
言葉を越えた何か、本当に伝えたい何かを歌えてやるんだ!
と。
彼女は真っ裸になり、盲目のオトコを受け入れ、
そして、真っ裸になり、
全身入れ墨だらけの姿で、盲目のオトコと手をつなぎながら、
都会の真ん中を闊歩する、すがすかしい。




という話です。
円卓、や、ふる、でも、文字が舞い散る逸話がでてきます。
でも、それを感じたことありませんでした。
この、ふくわらい、を読んだ時に、その可能性を知りました。
というか、その野心を感じました。
バイソンが言うのです、そういってしまったら、そうなってしまう、的なことを。
たぶん、バイソンの言うとおりなのだろう、となんとなく思っていたから、この作品が面白いと思ったのだと思います。
あ、白いしるし、でも、そういう話があったかも、だから、何も言えない、みたいな。

サラバ!を読んだとき、
本当なんだったんだな、と思いました、ふくわらい、で言わんとしていたことが。
ページをめくると、
さっきまで、ききわけのよかった彼女が、突然、ヒステリックを起こして、
支離滅裂なことを言い出して、気が遠くなる気持ちになり、
 お前の言うこともわからなくはないけれど
 うそよ! あなたは、なにもわかってはいないわ!
書き直すわ。
 お前のゆうてんも、わからんではないけどな、
 うせやん、ぜったい、わかってへん! ちゃんときいて! あんな! ・・・・・
という、話や。
仕方ないから、読み直す、
すると、やっぱり、意味分からん、
すると、文字が、活字が、浮き上がってくんねん、うそやないで。
舞い上がった文字が、意味分からへんけど、何かを伝えようとしてんねん、
それが何か、わからへんけど、
いや、全然、分からへん、ということでもない、あっちも、必死やから。

で、なんやろ、なんやったんやろ、分からんけど、もしかしたら、こういうことかも知れへん、
という体験。



サラバ!で西加奈子さんは、精根尽き果てて、もう次はかけへんかも、と思ったらしいです。
その決意表明は、この、ふくわらい、という作品にあります。
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