okinawa 日記

ここokinawaで出来ること。それはお互いの違いや文化を越えて、手と手を握ること。収穫のシーズンの到来です。

オスプレイで激しく揺れる沖縄        ケツメイシ 願い(ライブ)

2012-07-05 17:00:00 | おきなわ
ケツメイシ 願い(ライブ)



昨日、オスプレイに構造的な欠陥があることを元空軍パイロットが話しているのをテレビで見ました。しかし少しわかってきたのが、アメリカ軍が大きな反対を押し切ってでも、配備したいこのオスプレイは、沖縄を中心として韓国、中国の沿岸部、台湾、フィリピンまでもその範囲に入れることが出来るということ。

アメリカはアジアが緊張してきているのを察知しているということなのかな?確かに北朝鮮は前よりも強気な行動に出ているようだし、最近、ロシアの首相が北方領土を視察した時に、自国の領土を例えそれがどんなに小さなものであったとしても、どこかの国に譲るようなことはありえない、ここはロシアの一番東の領土だと言いきっていましたね。

日本を取り巻く環境がかなり変化してきていることは感じます。

思えば、戦後の日本を分割して統治しようとする案があって、聞いた話ではマッカサー将軍が猛烈に反対したとか。そのまま日本が分割され、ソ連が東側を統治していたらと考えるとアメリカに対して感謝したい気持ちになります。

“基地はいらない”という叫びの中に、そういうデモをする自由が与えられているという感謝のこころがないのがとても残念です。日本はアメリカが統治してくれたことにより、国民一人一人が自由に声を出すことができるようになりました。しかしその与えられた自由を、しかもたくさんの血が流されたことで勝ち取られた自由を安価なものにしてしまっているような気がします。

もちろん、僕はオスプレイを配置することに一般の市民として疑問はありますが、その前に感謝することを学ばない人たちからは何も生まれない、反対するよりも協力して生み出していくことを提案していきたいです。戦争は確かにすべてをこわしてしまう。そしてその戦争は憎しみから生まれる。しかし戦争を反対している人たちの顔に、その行動に同じ憎しみが見えるのにそれに気がついていない人たち。

自分たちが幸せではないのを人のせいにするのをやめたい。本当に平和を愛する人は、まず自分のいる場所でそれを作り出す力を持っている。持っていなくてもそれを実践して生きていると僕は思います。

なんか久しぶりにこんな文章を書きたくなりました。

このケツメイシの唄を聞いていると戦争の痛みでいっぱいになりますが、それはそれでいい痛みなんでしょうね。








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1 コメント

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さくら (ぴらにあ)
2012-07-08 21:02:52
ケツメイシ…。ホントに、守備範囲が広いですね。
ラップの歌詞は聴いてても全然頭に入ってこないです。もっとゆっくり、韻を踏みすぎないで、イントネーションとかフツーだったらいいのに……って、ラップじゃないか。

沖縄問題。。。
わたしは戦争は憎しみから生まれるンじゃなくて、戦争から憎しみが生まれるンだと思います。そう思うと、人類最古の戦争っていつなンですかね…。

感謝というのも、まんが日本昔ばなしを思い出します。同じことをしても感謝される人と、されない人がいる。相手の態度にもよると思います。


ラップを聞けないわたしが思うことです。
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