肥後 淳三のわらじ版 ~幸せ日記~

幸せな出来事をブログにしたためます。皆さんと一緒に幸せ気分に浸りましょう!

義父と私

2017年02月14日 | 趣味その他
 2017年2月13日午後8時30分に義父が永眠しました。
 義父と出会ったのは、妻を沖縄県の離島久米島にもらいにいったことに始まります。
 妻と結婚して間もなく30年を迎えますが、義父との思い出は、何と言っても、キビ(サトウキビ)畑にキビ倒しを手伝ったことです。サトウキビでの収穫や沖縄ならではのお墓づくりといった大工仕事で娘6人を育てた義父には、いつも頭が下がる思いでした。
 他界する間際には、育てた娘たち6人が久米島の実家に集まり、静かに息を引き取る父を看取りました。まさに85年余りの人生そのものを映し出すかのように幸せに包まれて永眠したのではと思います。
 私も知らせを受け、13日の早い便で沖縄へ義父の元に駆けつけます。
 義父と久米島の焼酎を飲みながら酔いしれた日がよみがえり、今日の酒はやはり久米仙で亡くなった父の魂と乾杯をして眠りにつこうと思います。
 お父さん。ありがとう。あなたがいたから今の私たちが存在するのです。本当にありがとうございました。
 
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還暦の歳となる

2016年12月24日 | 生活・教育
 天皇誕生日の昨日、尼崎市内の割烹料理「わりゅう」で私の還暦をお祝いするイベントがありました。
 父と兄弟姉妹、そして娘や娘婿、義姉家族ら総勢18人と孫一人が集まりました。

 兄弟たちからは、60歳まで生きてきた祝辞、そして娘からは、何処でどうやって集めたのか、沖縄の義兄弟姉妹のメッセージ、さらには妻のメッセージカードもプレゼントされました。(これには、感動しました)
 私からは、出席した皆さんへ「生まれてきた理由(さだ まさし作詞・作曲)」の歌を歌わせていただきました。
 何より、嬉しかったのは、母や父が本当に喜んでくれたこと。また今日になり尼崎市内に住む母から「昨日は本当に幸せな一日だったよ。ありがとう」と電話をくれたことでした。
 母と私は、高校卒業時点から何かしら意見の食い違いがあり、60歳を迎えるまで距離を置いて話をして気がします。しかし、昨日は母の小さくなった肩や首、背中を食事時間の合間に揉みほぐす時間がありました。母の肩を揉みほぐすのは、何十年なかったかもしれません。
 この肩たたきが、一気に私と母の心の距離を取り払っい、母からの電話につながったのかもしれません。
 父と母を市議選挙や市長選挙では、大いに心配をかけてきた私がいます。
 私自身の挑戦には、悔いが残らないにしても老いた父と母に心配をかけてしまったのは、親不幸な息子だと思います。
 
 これから先、少しでも両親に心配かけないように一生懸命、仕事に私生活に生きていきます。また、まだまだ頑張れる私がいることも再確認できた日にもなりました。頑張るぞー!
 
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12月前半の幸せ

2016年12月21日 | 走る
 12月4日は、2年ぶりのサントリー1万人の第九に妻と参加しました。児玉先生に声の出し方を教えていただいたことで、後半の高音が出せるようになったと思います。今年の第九は、気持ちよく歌えました。
 本番前に撮影が解禁されましたので、隣の方(西宮市内在住、山形県職員)に写真を撮っていただきました。
 今回で6回目の第九ですが、すっかり妻との共通のイベントになりました。


 さて、12月18日は、三田国際ハーフマラソンに初参加、21kmのランを楽しみました。
 練習は、過去のブログにも記載しましたが、水曜日、日曜日の朝に7km程の練習を10月から開始。11月に入ると体調を崩し、走れなくなった時もありましたが、18日は、4000人以上のランナーの皆さんや三田エイサー喜心伝の方々の熱い応援に支えられて完走できたような気がします。
 また、沿道で応援してくださった市民の皆さんや三田祥雲館高校の生徒、三田西陵高校の生徒の応援も随分元気を取り戻すきっかけになりました。

 コースの途中には、駒ヶ谷運動公園があり、知り合いの方々が大勢出ていていました。
 昨年、私が走ると聞いて、墨で名前を書いてくださっていたMさんは、今はすでに天国の人になってしまいましたが、「あなたに会いに駒ヶ谷までは必ず来るよ!」といった私だけの約束を果たすことができました。
 完走できたのは、練習の成果だよ!とよく言われますが、Mさんのことやそしてやはり喜心伝のメンバーまー兄さんのアドバイス、一緒に練習に付き合ってくれた國吉夫妻が私を完走させたのだと思います。
 2時間26分、本当に幸せな時間でした。喜心伝の皆さん。そしてMさんありがとう!
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三田ハーフマラソン練習開始

2016年11月09日 | 走る
今朝は、本格的な冬の到来でしょうか?結構空気が冷たかったですね。
皆様、お変わりございませんか。
さて、昨年私は三田ハーフマラソンにエントリーさせてもらいましたが、従弟の他界があり急きょ出場を取りやめました。
今回、気を改め挑戦します。(マラソンをするのは、私の辞書にはありませんでした)
今朝は、國吉夫妻の「走るよ!」の声に背中を押され、ウッディタウンのリングロードの1周(約7km)を走りました。
基本7km/hのスピードを守り、上り下りの走り方などを教えてもらいながら・・・。
昨年は、2kmも走ると息が上がっていましたが、今回は何とか最後までペースを乱さずに走ることができました。

(7km完走後、國吉夫妻と:駒ヶ谷体育館近くで)

実は、昨年のハーフマラソン当日には、ご近所のMさんが、私がエントリーしていのを聞きつけて、筆文字の看板を作成してくれていたことを後日談でお聞きしました。
従弟の死去が急だったため、Mさんには、出場中止のお知らせをすることができず、後日感謝をお伝えしましたが、いつまでも姿が見えない私を待っていてくれていたようです。
残念なことにMさんは、今年3月他界しました。
12月18日は、このMさんが応援してくれていた駒ヶ谷運動公園前までは、絶対に走り抜きたいと思います。
もしかして、Mさんの応援が聞こえ来るかもしれません。
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三田エイサー喜心伝 アメリカへ渡る

2016年08月29日 | 地域活動
 今月27日に私の所属している「三田エイサー喜心伝」が関西空港から旅立ちました。
 行先は、アメリカ国ワシントン州エレンズバーグです。
 27日以降、途中途中の画像がタイムリーに届けられ、まるで参加していない私たちも一緒に旅している気がします。

 上記の画像は、今回渡米しているメンバーたちです。2007年にリーダーの國吉夫妻がエイサーチームを地元で立ち上げ、エイサーの太鼓や三線を担当するメンバーが徐々に集まりだし、今は30人前後のメンバーにまでなりました。
 いつかは、海外で演舞をすることが夢だった國吉夫妻。結成9年目にして夢が実現しました。

 上記の画像は、先週24日水曜日、城山体育館での練習風景です。皆真剣にエイサーを伝えるために練習していました。
 残念ながら三線チームから一人も参加できず、今回はCDを持参しての演舞となりました。次回は、私たち三線チームも参加して生の音色を響かせ、演舞ができるようにしたいと思います。
 三田市の姉妹都市との国際交流に一役かって帰国されると思っています。
 頑張れ!チーム喜心伝!

 
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ゆりのき台中学校で第2回指定避難所見学会

2016年08月29日 | 防災・減災
 8月21日(日)の午前中にゆりのき台中学校(災害時一時避難所)で第2回目となる指定避難所見学会が開催されました。
 主催するのは、自治会(自主防災会)ですが、今回も地域で活動している防災リーダーの皆様の協力をお借りしての開催です。
 当日の一通りの流れを写真を添付して報告いたします。
(集合)
 スタッフである、自治会関係者と防災リーダーの皆さまは、8時にゆりのき台中学校の下駄箱付近に集合しました。
 受付の設営やAEDの訓練会場への物品の搬入、パネル展示物などの設営をスタッフで分担しました。
(受付・参加者への説明)
 受付は、丁目ごとに行い、参加人数を把握しました。三田西陵高校のスポーツクラブの生徒も駆けつけて下さり、総勢52名の参加となりました。
 8時30分からいよいよ見学会が始まります。
 最初に防火防犯部長の挨拶やAEDをご提供くださったJRあんしん財団担当者の紹介、ゆり中教頭先生の紹介があり、当日の流れの説明がありました。
 その後、三田市危機管理課長より防災に関する安全の心構えなどの説明があり、参加者は、中学校に備えてある防災倉庫へ移動しました。

(防災倉庫の見学)
 防災倉庫では、危機管理課長より防災倉庫の役割の説明がありました。防災倉庫では、最低限の物品しか置いていないことや食料と飲料水は最低3日分を各自確保していただく必要があること。三田市の組織では、大災害時には市民の命を救えない、ご近所の助け合いが必要なこと。などの説明があり、参加者は、防災倉庫の備品をのぞき込んでいました。
 参加者は、食料や水も中学校で備蓄しているものと思っていた様子でした。「日ごろの備えが大切ですね。」の声も・・。

(一時避難所・体育館の見学)
 ゆりのき台中学校の教頭先生の案内で体育館を見学させていただきました。ちょうど、クラブのやっていない時間帯でしたので、体育館の広さが実感できました。
 この体育館は、収容人数が450人となっています。大きな災害の時は、写真では床に段ボールが敷いてありますが、1畳分の広さで過ごしてもらう必要があります。
 450人の収容と言うけれど、通路の確保、真夏や真冬は大変だ!との声も聞かれました。

(非常食説明)
 体育館から非常食の説明会場へ移動し、アルファー化米の仕込み方などを教わりました。
 お湯で作る時約60分かかるため、この間に通報訓練やAEDの扱い訓練を行います。


 写真は、50人分のアルファー化米をつくっている様子です。
 また、AEDの提供やアルファー化米を提供していただいたコスモ食品さんに敬意を表してパネルにさせていただきました。
 
(通報訓練)
 今回初の試みとして119番通報の訓練を行いました。参加者から5名を選出し、消防署へ実際に事故・ケガが発生したものとと想定して携帯電話を活用して、消防本部指令室へかけさせていただきました。
 本部から場所の確認、けがをしたあるいは、病気の様子を的確に聞かれていることが、手に取るようにわかります。
 日ごろ救急通報を経験していない参加者が多いようでした。この訓練は、消防署の協力をお借りして実施したものですが、もちろん他の実際の通報や非常事態にはかけられないこと。をあらかじめ事前打ち合わせして実施したものです。

(AED訓練)
 ゆりのき台所有のAED2体、そして消防本部からAED2体をお借りしAEDの訓練を4班に分けて実施しました。
 消防本部の担当者と防災リーダーが各班に入り訓練開始です。今回は、心肺蘇生法全般を学びましたが、肺に空気を送り込むマウスツーマウスは、1回の訓練では難しい様子でした。

(非常食の試食)
 ここまで来るともう時間は、11時20分を回っています。
 AED訓練を終えた参加者にアルファー化米の試食をしていただきました。今回は、炊き込みご飯でしたので、味もついており、西陵高校の皆さんは、試食を楽しんでいる様子でした。
 帰りにアンケーをしていただき、企業提供のスープを参加記念に持って帰っていただきました。

 地域に存在する指定避難所を知っていることは、有事の時の動きが違うのではないかと思います。
 また、何でも行政がしてくれるのではなく、まずは、自助があり、次にご近所の助け合い、そして公助が最後になることを地域の皆様が知ることが大切です。
 地域の方々が過ごすには、広いようで狭い体育館も参加者には参考になったのではないかと思います。
 「三田は、大きな災害がない」と安心せずに災害に遭遇したことを想定して動く必要があるのではないでしょうか。
 ゆりのき台防災会・自治会・ゆりのき台中学校、三田消防本部、協賛企業、地域防災リーダーの皆さま。暑い一日でしたが、準備から片付けまでご協力くださり、ありがとうございました。
 

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「夏休みラジオ体操」から見た地域

2016年08月06日 | 生活・教育
 7月下旬から小学校や中学校の夏休みが始まった。
 これまでは、夏休みに入ったばかりの1週間。そして学校が始まる前の1週間。自治会やPTAの方々の力を借りて、丁目ごとにある公園で「ラジオ体操」が開催されていました。
 ところが、今年蓋を開けてみると開催期間は、夏休みに入った1週間となり、それも土曜日と日曜日は開催しないことになり、さらに丁目ごとの公園で開催していたのが、大きな公園(ゆりのき台公園と駒ヶ谷運動公園)の2か所になっていました。
 これを見て、地域の皆さまはどのように感じますか?
 地域の力量が落ちてきた(高齢者ばかりになってきた)のだから仕方ない。と思いますか?
 土曜日、日曜日は、大人も休みたいねん!だからラジオ体操も休憩でいいのでしょうか。
 なんだか、釈然としないのは、私だけですか?
 地域で頑張っている皆様に感謝こそすれ、小言を言うつもりはありません。これに決まった何かがあったのだろうと思います。
 しかし、私は次の点で疑問に感じて仕方がないのです。
 1点目・・・せっかくある近くの公園が生かされていません。わざわざ遠方の公園まで行くことは、早朝とは言え児童の安全を考えると得策ではないからです。
 2点目・・・ラジオ体操は誰のためにするのか?を考えると大人のためでもなく、児童らの規則正しい生活習慣をつけるために学校がない期間に地域があみ出した知恵なのではないでしょか。
 でも現実は、大人の理論ばかりが先行していませんか。
 土曜日、日曜日だからこそ仕事で忙しいお父さんやお母さんとのコミュニケーションの場にもなっているはずです。
 
 地域の中の夏休み期間中のラジオ体操に地域の思いが出ているような気がします。
 確かに物理的にできない地域もあると思います。本当にお世話する方が少ない。あるいは、子供がいないとか。
 でも、子供は、親の背中、地域の皆様の背中を見て育っていると思うのです。背中を見せてあげないと、今の地域の子供たちが大人になっても背中を見せようとはしないのではないでしょうか。
 そんな地域が、少し心配です。
 
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チャペルコンサート~夢を追いかけよう~

2016年07月18日 | 趣味その他
 7月6日(水)に三田ホテルのチャペルでミニコンサートがありました。
 三田エイサーの三線チームのHさんの知人が出演するということでお誘いを受け、チケットを購入し参加させていただきました。
 会場は、チャペルですので、50人ほどで満席になります。来られている方々も皆さんお知り合いやファンの方ばかりという感じでアットホームな雰囲気の中で始まりました。
 
 歌い手は、お二人。数年前に知り合いになり、意気投合、一緒にミニコンサートで歌を披露しているとのことでした。
 糸、私が生まれてきた理由などどれも心に響く歌声をOさんが披露。
 聴いているうちに涙がこぼれてきます。いつも、どこかでか聞いている歌なのにこんなに心に響くのは、きっとOさんの心から出てくる波長がそうさせているのだと思います。


 聞けば、Oさんは、歌が大好きで、「いつかは、歌を歌う」と心に誓っていたそうです。年齢的には、50代でしょうか?
 歌の合間のメッセージでも「私は歌手になりたいと昔から思っていました。」「子供を育て、いろいろなことに追われてきましたが、歌を歌うぞと思いこうして歌い始めて10年たちます。みなさん。夢は叶います」
 この言葉には、私が三線を引き歌い始めてかれこれ5年ほど経過すると思いますが、いまだに上達しない腕前は、自分で夢を追いかけないからなのかもしれないとOさんのお話を聞いて猛反省しきりです。
 三線チームの皆さんとも「自分たちのミニコンサートができるくらいに目標を立てよう!」と約束した一日となりました。
 Oさんの生き方に惚れたコンサートになりました。「
 今年中のミニコンサート開催に向け頑張ろうと思います。

 
 
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認知症と闘う

2016年06月22日 | 研修報告
 ブログをしたためるのは、何日ぶりでしょうか。
 先日参加した、三田市で活動しているぼちぼち野郎主催の認知症セミナーについて書いてみたいと思います。
 開催日は、19日(日)午後2時からでした。
 講師は、仙台市在住の丹野智文氏。
 丹野氏は、39歳(現在42歳)の若さでアルツハイマー型認知症を発症していますが、自動車のセールスマンを現役でこなしながら地方へ赴き講演をされている方です。
 

 ぼちぼち野郎の副代表である北村吉次氏との出会いもあり、京都市での講演後に三田市まで足を運んでくださったようです。
 丹野氏の生き方が素晴らしい。丹野氏が語る一言一言が胸に突き刺ささってきました。
 以下、丹野氏の語ったことを箇条書きで羅列します。
 ・会社で得意先の顧客の顔と名前が一致しないことが頻繁に発生
 ・同僚の名前が出てこなくなった
 ・おかしいと感じ病院へ。結果アルツハイマーと判明(若年性認知症)
 ・精神的に参った時期を乗り越え、病気と共に生きる決心をする
 ・役所に行き相談するも30代後半では、介護保険も使えない。また認知症患者に対する制度そのものが日本では未熟。
 ・認知症は、外見は健常者そのものであるが、そのギャップに悩んだ末、妻や子供と相談して認知症であることをオープンにすることに・・・。
 ・当初オープンにできなかった理由は、他人からどうみられるのだろうかというある種の「おそれ」だった。
 ・オープンにするとこれは考え過ぎだと分かった。
 ・友達の自分の病気を打ち明ける「次に会うときには、皆さんのこと忘れているかも・・・」と。友達は「丹野が忘れて  も僕たちは丹野を忘れていない」と・・・。(泣ける話・ひご)
 ・会社へは、電車通勤。降りる駅名を忘れることも・・・。でもHELPをすると皆さん親切に教えてくれる。
 ・認知症患者には、環境づくりが大切。
 ・認知症になると話ができないと思い込んでいる人が多いが、言葉を出すのが遅いだけであり、話したい人ばかり。
 ・仕事をしていても忘れることが多いので、ノートにこまめに記入することで、仕事をおろそかにしない。
 ・認知症を発症しても一気に進行するのは希である。環境をつくることで、社会人として立派に過ごせる。
 ・認知症の方が、周囲のサポートで当たり前に過ごせる社会にしなければならない。
 (まだまだ、いろんなことを話されていました)
  私たちは、何気なくこれまでの経験や記憶を頼りに仕事をしていますが、丹野さんの場合は、これが全くあてはまりません。今日の出来事、朝の食事、先ほど出会った人の顔を忘れています。
  しかし、丹野さんの工夫がそこには光っています。「丹野ノート」の始まりです。日々のささいな行動をノートに書き記します。自分の日々の行動や記憶(記録)がそこにはあります。
  丹野さんは、日々刻々と生まれ変わる自分に挑戦し続けています。だから、脳がつかれるのではないかと思ってしまいます。発症するまで、トップセールスマンだった丹野さん。
  認知症を発症しても認知症の中のトップを走り、世の中の認識を変えようようとさえしているのではないかと思います。
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感謝の休日

2016年05月06日 | 生活・教育
 3日から5日まで休日をいただきました。
 3日は、曇り空でしたが、ご近所の皆さんと恒例となった六甲ハイキング。
 有馬温泉の魚屋道(ととやみち)を使い931mの山頂を6名で目指しました。
 
 登山中、風が強く特に山頂付近では、時折強風が吹く中で、一軒茶屋付近の広場で昼食をとりました。
 有馬温泉へ下山し、かんぽの宿で一汗流し、今年は、三田市内の沖縄料理店「ハイサイ」で打ち上げとなりました。
 相変わらずのおやじだけの登頂でしたが、今年も六甲山頂まで行くことができた健康に感謝したいです。

 4日の日は、三田エイサー喜心伝チームでフラワータウン武庫が丘にある「三田屋」さんでの公演に地方(じかた)で出させていただきました。
 本格的な能の公演もある舞台で日ごろの練習の成果を披露させていただきました。

 この日は、エイサーチームで足の故障を抱えながら踊っていたMさんが引退宣言をした日で、4姉妹とご家族の方々も引退の日をどこからか聞きつけて観に来ていたようです。
 踊れなくなることは、実に寂しいようです。妻も引退する際には、寂しかったと言っていました。

 さらに、この日は私の母や妹夫婦が妻と一緒に駆けつけてくれました。妹に誘われた母は、最初は、体調がすぐれないとの理由で来ることを拒んでいたようですが元気な踊りを見て、「来てよかった」と話していました。
 また、少し早いけれど妻が準備した母の日のお花のプレゼントも手渡しました。
 
 5日は、丹波市白毫寺へ義姉、父と妻と一緒に出掛けました。
 
 ご覧のようにこの寺には、九尺ふじが有名なところです。駐車場まで1時間ほど並びましたが、あまり出掛けたがらない父とは、久しぶりの外出でした。
 地域で出会った仲間、そして私を育ててくれた父母、妻、そして兄弟姉妹に感謝する3日間でした。
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