このブログ2番目の記事で取り上げた旧短大のキャンパス。
紫原陸橋の辺りから見ると…
(2009年2月16日撮影)
下の方に志学館の中・高等部がその上に女子短期大学があった。これらを設置している学園は全て同じ学園になっている。以前の記事でも取り上げた通り,この女子短大は高麗町の学芸高校跡に移転になった。
場所は少し下った場所になるが,先日見たほぼ同じ風景。
(2011年3月20日撮影)
景色として大きな変化はないが,短大の跡地に隼人から大学が移転してきている。大学名が学園名そのままなので志学館の中学から大学までがほぼ同じ場所に集まったことになる。住所上は,中高が南郡元町,大学が紫原一丁目と異なっている。
2年ぐらい前の校門。
(2008年10月26日撮影)
向かって左側に女子短期大学の名前が書かれていた。
門全体を撮影したのは夜のものしかないが,先日の写真。
(2011年3月19日撮影)
門の形状が変わっている。向かって右手に…
(2011年3月20日撮影)
大学名が書かれている。奥の建物も形は変わらないが,色が塗り直されているような印象を受けた。
かつての写真はないが,墓地への入口を挟んで学生寮と思われる建物があった。その建物も今は…
(2011年3月19日撮影)
心理の施設として使われていた。
大学の門から坂を下ったところにバス停がある。
2年前のバス停。
(2008年11月4日撮影)
女子短大下という名前だった。
今は…
(2011年3月20日撮影)
志学館前に変わっていた。大学が入らないことで中・高等部へのアクセスバス停としての意味も含んでいそうだ。こちら側の面は新しくバス停名が書かれているが…
(2011年3月19日撮影)
他の面はシールを張って隠してあるだけだった。夜になったら明かりで透けてしまったり,シールがはがれてきて下の字がむき出しになったり,依然として女子短大前の名前はそれなりの存在感を持ちそうだ。
大学が春休みの期間に周囲を訪問したからかもしれないが,以前と大した変化は感じなかった。大学周辺がもともと住宅地でほぼ一杯になっていることもあって学生街が形成されている雰囲気でもなかった。学生の食事やコンパなどはどこで行われているのだろうか。最寄り駅の南鹿児島駅周辺も居酒屋はあっても学生が飲むような場所には思えない状態だったし。それでも,車がないとどこにも行けないと言われていた以前の立地よりは便利なのは間違いない。
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