おそらく,2008年最後の記事。
このブログを始めたときに,テーマの背景に「社会の急速な変化」があることを挙げた。
今回は,自分が4つ下の世代と接する機会があったときに感じた変化について書きたい。
まず,下の簡単な図はある地域におけるある建物の立地を表している。
・思いつくものを挙げたので,漏れがあるかもしれない。
・道は主なものだけ。
・位置は大体の位置。
何の立地か分かるだろうか?
もともと多かったものが,県外資本の会社が入ってくるなどして最近急に多くなったものだ。
正解は,塾の立地。
周辺に中学校が2つあるこの地区は激戦区となっている。
鹿児島の中学生の塾通い率の高さの表れかもしれない。
高校になると補習を学校がするせいかその割合は中学の時ほどはない。
自分自身も中学校のとき塾に通っていた。
そのときは授業開始時刻が学校の終業後1時間程度だったということもあるが,「直(ちょく)塾」などといって,学校帰りに家に帰らず,そのまま塾に行ったこともよくあった。これは自分の通っていた塾だけの風潮かもしれないが,特に夏は体操服で塾に行くこともあった。塾に行く格好は,制服で行くか,体操服で行くかぐらいで他はほとんど気にしたことはなかった。
大学生になったばかりの4年前。
信号待ちなどで,塾通いの中学生の姿を見ることがあった。
始めは何とも思っていなかったが,そのようなことが何度か続くうちに,自分の頃の塾通いとはどうも違うところがあるのに気付いた。
どうやら塾に通うのに,3種の神器ともいえそうなアイテムがあるように思えてきた。もちろん,全員がそうというわけではない。だが,大多数に当てはまりそうだ。
その「3種の神器」だが・・・
・靴
・靴下
・バッグ
この3つは,どの中学生を見てもみんな同じで,そうでなければ「お前だけ違う」と馬鹿にされている場面も見たことがある。
もちろん,全て学校指定のものではない。
靴は,メーカのものなど,学校の指定靴でないもの。
靴下はスニーカーソックス(くるぶし程度までの短いもの。)
バッグはエナメルバッグ。
3つともそんなに高いものでもないし(種類にもよるが),学校以外の日常で使うものだ。
しかも,世間で流行しているものだ。
特に上二つは自分自身も現に使っている。(エナメルバッグについては,自転車に積むのも不便だし,場所も取るので便利だと思えないため,自分は持っていない。塾にとってもせまい机と机の間の通路にあの場所をとるかばんがおいてあれば,机間巡視も大変だろう。)
学校により,雰囲気が変わることから自分の学校だけだったかもしれない。
もしかしたら,鈍感な自分が気付かなかっただけかもしれない。
だが,学校から着の身着のまま,まして足元がはっきり見える体操服で塾に行っても,周りが気になることもなかったのだから,自分に出身中学ではその傾向はなかったのではないかと思う。
4年間の内に,塾は服装を整えて行く場所になったようだ。
その後,数年間の変化はあまりない。
このような状況下においても,最近よく見かける郵便局のバイトの高校生と思われる集団はほとんど白一色の靴を履いている。郵便局が指定を出しているのだろう。流石に制服でとまでは行かないようだ。生徒手帳に「外出する時は制服で」と書かれている学校が多いのを考えると,制服にこだわらず,靴にこだわっているのは意外だ。
最近の小学校では,制服着用のところでも,靴や靴下は自由となっているところも見られる。日本のこれまでの常識とは逆のことだが,子どもの権利条約(日本は部分的に留保)の内容やそれに対する勧告を考えると全員の服装などを同じにする管理主義教育は見直すべきとの指摘もある。
全員の服装を同じにすることには,良い点もあれば,悪い点もある。
良い点としては,よく言われることに「学校は勉強する場だから,勉強以外のものに興味を払う必要はない」というのがある。本業の勉強に集中できなくなるのは困りものだが,勉強ができないほど時間を奪われるものだろうか?
他に「非行に走らない」というものもある。極端に目立つ格好をすれば,不良グループに絡まれることもあろうが,少し(ド派手でない靴や靴下程度)ならそんなこともないだろう。
あまり注目されていない視点ではあるが,この立場を肯定できる理由として,「経済的視点」があるように思う。指定のものであれば,各家庭の経済負担は一緒になる。(もう少し安価にすべき気もするが・・・)いくら日本が豊かになったとはいえ,格差社会であり,低所得者は存在する。自分が持っていないものやいろんなものを買ってもらえる環境へのうらやましさなどから起こる盗難なども防げるだろう。(盗難などは学校や家庭で教育すべきことかもしれないが…)
結局,この辺の問題はどちらがいいとも言いにくいグレーな問題だと思う。
もう少し柔軟性があってもいいとは思うが・・・
どちらにせよ,中途半端で止めておくのだけは避けるべきと感じる。
一部の先生は禁止といっていても,他の先生が(あまり分からずに)普段から見過ごしていた場合,禁止だと思っている生徒とそうだとは思っていない生徒の間で感覚のずれが生じるからだ。
4年間という短い期間の社会の変化とそこから派生した学校における問題についての記事ではっきりとしない記事で最後にふさわしかったかどうかは分からない。それだけ考えなければならないことでもあるが・・・
―――――
とりあえず,今年最後の記事でした。来年も閲覧よろしくお願いします。それでは,良いお年をお迎え下さい!
このブログを始めたときに,テーマの背景に「社会の急速な変化」があることを挙げた。
今回は,自分が4つ下の世代と接する機会があったときに感じた変化について書きたい。
まず,下の簡単な図はある地域におけるある建物の立地を表している。
・思いつくものを挙げたので,漏れがあるかもしれない。
・道は主なものだけ。
・位置は大体の位置。
何の立地か分かるだろうか?
もともと多かったものが,県外資本の会社が入ってくるなどして最近急に多くなったものだ。
正解は,塾の立地。
周辺に中学校が2つあるこの地区は激戦区となっている。
鹿児島の中学生の塾通い率の高さの表れかもしれない。
高校になると補習を学校がするせいかその割合は中学の時ほどはない。
自分自身も中学校のとき塾に通っていた。
そのときは授業開始時刻が学校の終業後1時間程度だったということもあるが,「直(ちょく)塾」などといって,学校帰りに家に帰らず,そのまま塾に行ったこともよくあった。これは自分の通っていた塾だけの風潮かもしれないが,特に夏は体操服で塾に行くこともあった。塾に行く格好は,制服で行くか,体操服で行くかぐらいで他はほとんど気にしたことはなかった。
大学生になったばかりの4年前。
信号待ちなどで,塾通いの中学生の姿を見ることがあった。
始めは何とも思っていなかったが,そのようなことが何度か続くうちに,自分の頃の塾通いとはどうも違うところがあるのに気付いた。
どうやら塾に通うのに,3種の神器ともいえそうなアイテムがあるように思えてきた。もちろん,全員がそうというわけではない。だが,大多数に当てはまりそうだ。
その「3種の神器」だが・・・
・靴
・靴下
・バッグ
この3つは,どの中学生を見てもみんな同じで,そうでなければ「お前だけ違う」と馬鹿にされている場面も見たことがある。
もちろん,全て学校指定のものではない。
靴は,メーカのものなど,学校の指定靴でないもの。
靴下はスニーカーソックス(くるぶし程度までの短いもの。)
バッグはエナメルバッグ。
3つともそんなに高いものでもないし(種類にもよるが),学校以外の日常で使うものだ。
しかも,世間で流行しているものだ。
特に上二つは自分自身も現に使っている。(エナメルバッグについては,自転車に積むのも不便だし,場所も取るので便利だと思えないため,自分は持っていない。塾にとってもせまい机と机の間の通路にあの場所をとるかばんがおいてあれば,机間巡視も大変だろう。)
学校により,雰囲気が変わることから自分の学校だけだったかもしれない。
もしかしたら,鈍感な自分が気付かなかっただけかもしれない。
だが,学校から着の身着のまま,まして足元がはっきり見える体操服で塾に行っても,周りが気になることもなかったのだから,自分に出身中学ではその傾向はなかったのではないかと思う。
4年間の内に,塾は服装を整えて行く場所になったようだ。
その後,数年間の変化はあまりない。
このような状況下においても,最近よく見かける郵便局のバイトの高校生と思われる集団はほとんど白一色の靴を履いている。郵便局が指定を出しているのだろう。流石に制服でとまでは行かないようだ。生徒手帳に「外出する時は制服で」と書かれている学校が多いのを考えると,制服にこだわらず,靴にこだわっているのは意外だ。
最近の小学校では,制服着用のところでも,靴や靴下は自由となっているところも見られる。日本のこれまでの常識とは逆のことだが,子どもの権利条約(日本は部分的に留保)の内容やそれに対する勧告を考えると全員の服装などを同じにする管理主義教育は見直すべきとの指摘もある。
全員の服装を同じにすることには,良い点もあれば,悪い点もある。
良い点としては,よく言われることに「学校は勉強する場だから,勉強以外のものに興味を払う必要はない」というのがある。本業の勉強に集中できなくなるのは困りものだが,勉強ができないほど時間を奪われるものだろうか?
他に「非行に走らない」というものもある。極端に目立つ格好をすれば,不良グループに絡まれることもあろうが,少し(ド派手でない靴や靴下程度)ならそんなこともないだろう。
あまり注目されていない視点ではあるが,この立場を肯定できる理由として,「経済的視点」があるように思う。指定のものであれば,各家庭の経済負担は一緒になる。(もう少し安価にすべき気もするが・・・)いくら日本が豊かになったとはいえ,格差社会であり,低所得者は存在する。自分が持っていないものやいろんなものを買ってもらえる環境へのうらやましさなどから起こる盗難なども防げるだろう。(盗難などは学校や家庭で教育すべきことかもしれないが…)
結局,この辺の問題はどちらがいいとも言いにくいグレーな問題だと思う。
もう少し柔軟性があってもいいとは思うが・・・
どちらにせよ,中途半端で止めておくのだけは避けるべきと感じる。
一部の先生は禁止といっていても,他の先生が(あまり分からずに)普段から見過ごしていた場合,禁止だと思っている生徒とそうだとは思っていない生徒の間で感覚のずれが生じるからだ。
4年間という短い期間の社会の変化とそこから派生した学校における問題についての記事ではっきりとしない記事で最後にふさわしかったかどうかは分からない。それだけ考えなければならないことでもあるが・・・
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とりあえず,今年最後の記事でした。来年も閲覧よろしくお願いします。それでは,良いお年をお迎え下さい!
場所とるし,柔軟性がない気がするので今後も使わないだろうなって思う。
うちの大学は中学・高校と比べるとあまり浸透していない気がする・・・スーツでの実習の時にスーツにエナメルバッグの組み合わせが結構いたのに驚いたけど…