おはようございます。現在こちら4時。今朝は6時出発なので早起きしました。
夕べはホーチミンにもどり、ガイドのホーさん宅にお招きいただき、学生さんと交流しながら楽しいひとときをすごしました。
ホーさんのお父さん、お母さんは、ベトナム戦争のときハノイにいて2人とも共産党のジャーナリストとして活躍した方でした。
1975年の勝利のあとホーチミンに移り、南の建て直しの仕事に就いたそうです。
ホーさんのお連れ合いは大変な美人、たくさんのベトナム料理をご馳走してくださいました。
またもや夫の似顔絵が、私たちの心をつないでくれました。
ご家族全員の似顔絵を描き、お父さんは「ちゃんとかざっておく」と喜んでくださった。似顔絵をもったお父さん、おかあさんと、ホーさんご夫婦です。
私たちをご招待してくださったお礼に、また臨時合唱団で「青い空」を歌いました。
ホーさんのお父さんが大変感動して、返礼に「ホーおじさん」の歌をホーさん一家で歌ってくださった。
それで私たちは懐かしい「若いベトナム兵士」を歌った。
ホーさんのお父さんは「私たちがよく歌った歌です!」と感激。
「私たちの青春は、ベトナム戦争支援で過ごしました」との言葉に、「昔の人形があります」と出してきたのは、なんと、当時、ベトナムの母と子を救おうと、日本で使った募金を集めた人形でした。
歓声が上がりました。きっと、最後の人形だとおもいます。もう、日本でもないですよね。
お母さんから「ほんとうにありがとう」とお礼の言葉に、当時のたたかいが浮かび、連帯とうれしさがこみ上げました。
日本政府は日本の基地からベトナムへ、ベトナムの人を殺す飛行機を飛ばした。戦車を送った。だけど、我々国民はあげてベトナム人民を支援したのです。
興奮は続きしまいは「インターナショナル」まで歌ったのです。
お父さんが「皆さん、今度来た時は、歌う時間をもっととりましょう!!」と、喜んでくださって、堅い握手をかわしました。すばらしい時間をすごさせていただきました。