中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

ベトナム支援を思い出させたホー一家との交流会

2016年11月24日 06時12分03秒 | 活動日誌

おはようございます。現在こちら4時。今朝は6時出発なので早起きしました。

夕べはホーチミンにもどり、ガイドのホーさん宅にお招きいただき、学生さんと交流しながら楽しいひとときをすごしました。

 

ホーさんのお父さん、お母さんは、ベトナム戦争のときハノイにいて2人とも共産党のジャーナリストとして活躍した方でした。

 

1975年の勝利のあとホーチミンに移り、南の建て直しの仕事に就いたそうです。

ホーさんのお連れ合いは大変な美人、たくさんのベトナム料理をご馳走してくださいました。

 

またもや夫の似顔絵が、私たちの心をつないでくれました。

ご家族全員の似顔絵を描き、お父さんは「ちゃんとかざっておく」と喜んでくださった。似顔絵をもったお父さん、おかあさんと、ホーさんご夫婦です。

 

私たちをご招待してくださったお礼に、また臨時合唱団で「青い空」を歌いました。

ホーさんのお父さんが大変感動して、返礼に「ホーおじさん」の歌をホーさん一家で歌ってくださった。

 

それで私たちは懐かしい「若いベトナム兵士」を歌った。

ホーさんのお父さんは「私たちがよく歌った歌です!」と感激。

 

「私たちの青春は、ベトナム戦争支援で過ごしました」との言葉に、「昔の人形があります」と出してきたのは、なんと、当時、ベトナムの母と子を救おうと、日本で使った募金を集めた人形でした。

 

歓声が上がりました。きっと、最後の人形だとおもいます。もう、日本でもないですよね。

 

お母さんから「ほんとうにありがとう」とお礼の言葉に、当時のたたかいが浮かび、連帯とうれしさがこみ上げました。

 

日本政府は日本の基地からベトナムへ、ベトナムの人を殺す飛行機を飛ばした。戦車を送った。だけど、我々国民はあげてベトナム人民を支援したのです。

 

興奮は続きしまいは「インターナショナル」まで歌ったのです。

 

お父さんが「皆さん、今度来た時は、歌う時間をもっととりましょう!!」と、喜んでくださって、堅い握手をかわしました。すばらしい時間をすごさせていただきました。

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