中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

子どもたちも初めて、受け入れの私たちも初めてのホームステイでした。

2017年07月17日 14時46分47秒 | 活動日誌

1週間は早いもので、ベトナムの子たち、今朝帰ってしまいました。淋しくなりました。

このステイの基本には横井久美子さんも関わっているスカラシップ制度があります。毎年4人だけ選抜される難関を突破した子がやってきていました。

スカラシップを構成するスポンサーが亡くなるなどして2人しか送れなくなり、7年目の今年は、ほとんど自費で来ているとのこと。自費なので選抜はある程度ゆるくはなっているが、それでも優秀な子たちです。今まではお寺での日本語や日本文化の学習だけでしたが、今回、初めてホームスティに取り組んだそうです。

我が家にスティした子たちと、いろんな話をしました。

ベトナムには銭湯はないので、「初めはすっぽんぽんは恥ずかしかったけど、銭湯、大好き。最高!」

「食べ物もみんなおいしい、でも日本のお米はねばねば、さっぱりしていた方が好き」なるほど。「日本のカレーよりベトナムのカレーは辛い。ごはんじゃなくて麺でたべる」

「太鼓、面白かった。でも、手がしびれた」「病院、きれいだった」

 

「ベトナムの学校は大きい。高校は1学年30クラス。クラスには40人」「学校は2部制。ご前は7時から授業が始まる。午後は1時から。午前中行った人は午後はいかない」どうもところにより学校が少なくて2部制をとっている都市があるとのこと。

 

7時に授業が始まるので、ラッシュを避け朝食は取らずにとにかく学校のそばまで行って、屋台でたべて登校するそうです。

ベトナムでは学校は親が送迎します。とても危険で通えるような道路事情ではないこと、もう一つは、資本主義経済の導入と共に学校間格差がおおきくなって、より高いレベルを目指して選択するので、学区制が崩れていることがあるようです

 

ベトナムでも裕福な家はメイドを雇っているそうです。日本ではずいぶん裕福でないとそれは不可能ですね。

 

「中野さんは戦争の経験したのですか」などの質問もありました。

 

そして未来への夢も語ってくれました。

「アメリカへ留学して英語を勉強し、日本で英語の教師になりたい」

「私は獣医になりたい」「大阪で通訳の仕事をしたい」「帰ったららイギリスへ留学します」

「アメリカの大学に留学中だけど、卒業しても仕事でベトナムには帰らないと思う」「医師になりたい」という子が二人。

 

日本は人気があるようで、日本語を勉強する子が多いとのこと。学校でも教えるが、塾へ通っているそうです。日本本企業がベトナムにたくさん進出しているので、仕事を求めやすいことがあるようですね。

 

そしてこの子らは一定の経済力のある家庭の子で、希望を切り開く可能性のある環境にいるのですね。それを生かしてがんばって世界を舞台に羽ばたいてほしいなと思いました。

 

一方では、先日も街頭で「ぼくは署名できない。ベトナム人」と言った、青年労働者を思いました。

 

また、フエで、小山さんの施設であった「夜は寝るものだ、と教えることから始まる」という劣悪な環境に置かれたこたちが、見事に成長し画家や医師、縫子、調理師として働くまじめな労働者になっている姿も見てきました。

どの子にも、初めから絶望や諦めではなく、希望をもって道を切り開く勇気が湧くような環境を与えてあげたい。政治の力が必要ですね。日本も同じこと、世界中、子どもには最善ものもを!

 

ほんとに楽しい1週間でした。

計画は大変だったけれど、そんなこと吹き飛びましたね。たくさんの方が力を合わせて実現した13人のホームスティ、誰もが「大変さを超えて楽しかった」と言っています。

 

初めはどうしようかと思いましたが、「ヘルプ」と声をかけた党の仲間、新婦人の仲間、サークルや旅の仲間が、即答で気持ちよくボランティアを引き受けてくれたことに、私は感動しています。

 

また、スカラシップがなくなっても、日ベㇳの友好のために事業を続けていこうとしているホーさんご夫妻にもすごい人だなと、感心しています

ベトナムの夏休みは3か月、その半分を毎年、こうして日本にやってきているのです。こどもたちは伊勢に1か月、長野で1週間のホームスティ、東京で1週間いて7月22日に帰国する予定だそうです。

ホーさんご夫妻

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