熊澤尚人監督作品、岡田准一主演の、
映画 「おと・な・り」を観た。
初めて好きになったのは、あなたが生きている音でした。
感想。
①壁、薄過ぎ。
②彼女、ウザーッ!(家事やるだけマシだが・・)
③お騒がせシンゴ、出番少なッ!(写真で終わるかと思った・・)
見所。(聞き所)
①音。
②擦れ違い。
③「風をあつめて」
「お隣」と「音鳴り」をかけてもいるので、“音”に拘っているかと思いきや、
BGMが意外と多いのに驚き。
別に五月蠅い程ではないのだが、どうせならもっと絞っても良かった気が。
ブレる映像にも、ちょっと気持ちが悪くなったので、
どうせならもう目ェ瞑っちゃおっかな~、みたいな。
絶妙なまでの擦れ違いっぷりにはヤキモキするし、
2人にまさか、あんな繋がりがあったとは思わなんだが、
作品としては結構好き。
★★★★☆
作品の中で、
とある人が、フラワーデザイナー志望の七緒に向かって、
「フラワーデザイナーになる為に、一体何本花を犠牲にしてきた?」
みたいな台詞を浴びせるシーンがある。
これはキツイ。
他人から言われるのなら尚更。
そんなこと、言われなくても解っている。
私も学生時代、花を勉強していて、フラワーデザインに力を入れてきた。
幸運なことに、全国大会にも出場することが出来た。
何であれ、大会や試験の為には練習が必要で、
私もその為に、授業中も休み時間も放課後も休日も、
毎日毎日花と向かい合っていた。
正直、特別花が好きだという訳ではなかったが、アレンジメントは楽しかった。
デザインを考え、花を選び、土台やラッピングにも拘り、
贈った(買って貰った)相手に喜ばれるのが好きだった。
作品を認められるのが嬉しかった。
だけど、徐々に浮かび上がるどす黒い疑惑。
私は一体何をしているのだろう??
そして、気付く。
これは、人間のエゴだと。
生き物の命を戴いて食べるのは、人間が生きる為。
木々を切り倒して加工するのは、人間が生活する為。
では、花は?
ただ愛でるだけではないのか??
愛でることはいい。
愛でるだけでいいのならば、地に根付く花を存分に愛でればいい。
懸命に生きている花を、わざわざ絶つ必要性は??
それからというもの、私の中で罪悪感がどんどん膨れ上がり、
大会に勝ち進む度、嬉しい反面、申し訳ない気持ちもいっぱいになった。
素直にアレンジメントを楽しむことが出来なくなった。
何度も練習から、花から逃れたくなった。
無駄だとは思っていないし、思いたくもない。
だから、決して“犠牲”なのではない。
だけども、やっぱり釈然としない自分がいた。
担当教師に、この道に進むよう薦められるも、(学校や留学なども)
勿論、それだけの理由ではないけれど、キッパリと断った。
普通に就職することを決め、普通の会社に入社し、普通に働いている今だけど、
全く後悔はしていない。
それは、第二の假屋崎省吾と呼ばれる才能があったとしても、同じこと。
ちなみに。
学校を卒業してから、一度もアレンジメントをしていない。
他の作品を見て、
「綺麗」「可愛い」「懐かしい」「自分もしたい」とは思うけれど、
すぐに気持ちが萎え、踏み止まってしまう。
フラワーデザイナー志望の人や、趣味でアレンジメントを楽しんでいる人に、
どうこう言うつもりはないけれど、
私にはその壁を乗り越えることが出来なかった。
ただ、それだけ。
とまぁ、そんな過去があった訳なので、
あの台詞に、それを浴びせられた七緒に、涙が出た。
私は、「花を大事に」出来たのだろうかと。
そういう意味でも、人よりもちょっと印象に残った作品。
映画 「おと・な・り」を観た。
初めて好きになったのは、あなたが生きている音でした。
感想。
①壁、薄過ぎ。
②彼女、ウザーッ!(家事やるだけマシだが・・)
③お騒がせシンゴ、出番少なッ!(写真で終わるかと思った・・)
見所。(聞き所)
①音。
②擦れ違い。
③「風をあつめて」
「お隣」と「音鳴り」をかけてもいるので、“音”に拘っているかと思いきや、
BGMが意外と多いのに驚き。
別に五月蠅い程ではないのだが、どうせならもっと絞っても良かった気が。
ブレる映像にも、ちょっと気持ちが悪くなったので、
どうせならもう目ェ瞑っちゃおっかな~、みたいな。
絶妙なまでの擦れ違いっぷりにはヤキモキするし、
2人にまさか、あんな繋がりがあったとは思わなんだが、
作品としては結構好き。
★★★★☆
作品の中で、
とある人が、フラワーデザイナー志望の七緒に向かって、
「フラワーデザイナーになる為に、一体何本花を犠牲にしてきた?」
みたいな台詞を浴びせるシーンがある。
これはキツイ。
他人から言われるのなら尚更。
そんなこと、言われなくても解っている。
私も学生時代、花を勉強していて、フラワーデザインに力を入れてきた。
幸運なことに、全国大会にも出場することが出来た。
何であれ、大会や試験の為には練習が必要で、
私もその為に、授業中も休み時間も放課後も休日も、
毎日毎日花と向かい合っていた。
正直、特別花が好きだという訳ではなかったが、アレンジメントは楽しかった。
デザインを考え、花を選び、土台やラッピングにも拘り、
贈った(買って貰った)相手に喜ばれるのが好きだった。
作品を認められるのが嬉しかった。
だけど、徐々に浮かび上がるどす黒い疑惑。
私は一体何をしているのだろう??
そして、気付く。
これは、人間のエゴだと。
生き物の命を戴いて食べるのは、人間が生きる為。
木々を切り倒して加工するのは、人間が生活する為。
では、花は?
ただ愛でるだけではないのか??
愛でることはいい。
愛でるだけでいいのならば、地に根付く花を存分に愛でればいい。
懸命に生きている花を、わざわざ絶つ必要性は??
それからというもの、私の中で罪悪感がどんどん膨れ上がり、
大会に勝ち進む度、嬉しい反面、申し訳ない気持ちもいっぱいになった。
素直にアレンジメントを楽しむことが出来なくなった。
何度も練習から、花から逃れたくなった。
無駄だとは思っていないし、思いたくもない。
だから、決して“犠牲”なのではない。
だけども、やっぱり釈然としない自分がいた。
担当教師に、この道に進むよう薦められるも、(学校や留学なども)
勿論、それだけの理由ではないけれど、キッパリと断った。
普通に就職することを決め、普通の会社に入社し、普通に働いている今だけど、
全く後悔はしていない。
それは、第二の假屋崎省吾と呼ばれる才能があったとしても、同じこと。
ちなみに。
学校を卒業してから、一度もアレンジメントをしていない。
他の作品を見て、
「綺麗」「可愛い」「懐かしい」「自分もしたい」とは思うけれど、
すぐに気持ちが萎え、踏み止まってしまう。
フラワーデザイナー志望の人や、趣味でアレンジメントを楽しんでいる人に、
どうこう言うつもりはないけれど、
私にはその壁を乗り越えることが出来なかった。
ただ、それだけ。
とまぁ、そんな過去があった訳なので、
あの台詞に、それを浴びせられた七緒に、涙が出た。
私は、「花を大事に」出来たのだろうかと。
そういう意味でも、人よりもちょっと印象に残った作品。
サナダさんの意外(?)な過去。
チラチラ話はしていたのですけどね。
ここまで深く話したことは初です。
とにかく、同じ作品を何日も何日も作ったりとか、本当にゲンナリでしたね。
練習しないとアレなのですが、勿体無くて勿体無くて。
仕入れてくるのは先生でしたが、総額を知るのがコワイ・・。
生花だから、取り置き・作り置きが利かないし、朝も早いんスよ・・。
でも、凄く面白かったのです。
いい経験でした。一生分楽しみました。