ポトホト

我思う 故に我書く

パラドックス

2017-06-17 22:46:58 | 雑記
前回の記事と幾分矛盾する文言になるのですが、『自分が自分である』為や、『自分の道にある』為には、実は最も重要なもの――『自分自身』と『道』を手放す必要があるように感じます。

元より『自分』に対する『自分という幻想』は手放す必要のある物です。

それに加えて『道』――つまり自分の立ち位置とでも申しましょうか、例えばつい先ごろまでの私であれば『スピリチュアリスト的』であった、その事を指します。

最も大切な筈のもの――実はそれが最大の『執着』『しがみ付き』の対象だという事です。

例えば、私は『アンルーカ』に縛られて、波動駄々下がりになっていました。(笑)

アンルーカを書く事は、別に義務ではありませんし、書かねばならないものでもない。

まして書き続けなければならないものではない。

なのに、それを『書こう』とした事、する事は『執着』を意味します。

しなくても良いものを敢えてする――そこに自身の執着があるのが見えます。

見えませんか?(笑)

スピリチュアルに生きようとする事、そうあろうとする事――それを『敢えて』行うのは恣意的で、人為的です。

そこにはエゴが働いています。

『そうある自分』『そうあろうとする自分』を、そこに生じさせるのです。

それは本当の自分ではなく、本当の自分がする事でもありません。

一旦、そのことを悟ったとき、自分の腑に落とす事が出来た時、本当の意味での自分が顕現します。

その自分が『意図する』事はもはやエゴの指令ではありません。

こうしたいという意志は、純粋な反映(奉仕)になります。


私は自分に縛られる事、自分を縛る事をやめました。

まだ完全にそう出来ているわけではありませんが、少なくともそのカラクリ(仕組み)に気付いたので、それを見抜けるようになったとは思っています。

自分が誰かの教科書(教え、導き、情報)に頼っている内は、何も分からないでしょう。

それらの教科書に書かれている事は、その人たちの真実、現実であって、自分の真実、現実とは別のものです。

あなたは、あなた自身を知る事なく、他の誰かの事を知る事が出来るだけなのです。


確かにそれらの教科書が必要な時期もあるでしょう。

でも、結局そこにはあなたが探しているものは載ってないという事を知っておいても悪くは無いと思います。

最終的に、あなたはあなたの為の手引書を、あなた自身で編纂しなくてはならない――。


それが本当の始まりなのです。



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