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我思う 故に我書く

受け皿

2017-07-14 16:25:38 | 雑記
いつも気になる事なのですが、いわゆる『目が覚めちゃった人』の、その後についてのフォロー、受け皿って案外ないように感じます。

私もあれこれ偉そうに言ってますが、現在もベストな状態を模索中だというのが本当のところです。

社会的価値観や、システムのまやかし、自分の真正に気付いてしまうと、その後の在り方は、正直言えば見本が無いですし。

特に、一度社会的価値観から外れた段階で、自分が何も持たないものであるという感覚を得た時、今度はそこに囚われてしまうという、その価値観が自分を縛るという二次災害的な状況が生まれてしまう事もあります。

社会的価値観から外れた枠組みの中にあるだけで、実はちゃんと能力は持ってるんですが、それが分からなかったり、見えなくなったり――。

時にはそれが嵩じて、自分が『目覚めた人である事』とか、『スピリチュアルな人間である事』とかにこだわってしまう人もいる。

そこにしか自分の価値を見い出せなくなるからなのでしょう。

でもって、セミナーだとか主催しちゃったりするんでしょうね。

人助け、目覚めのサポート――そんな事を理由にしているわけですが、実際は自分の価値観をそこに見い出したいだけ、確かめたいだけ、確立させたいだけという。
結構そんな人が多いように感じるのは私だけですかね?
その事自体は、若干ネガティブな気はしますが、別に悪い事じゃないんじゃないかと思います。

が、中には自分を超えて目覚める人を好まない、許さないリーダーさんなんかもいたりして、『一緒に』とか言いながら、常に自分が先頭に立って、人の上に立って、目覚めた人を務めていたりする。
そういう自分でなければ自分の価値が認められないんでしょうね。

私は、そういう受け皿は嫌だなと思います。

全ての目覚めた人たちが、まっとうに自分の価値を認め、築き、高めていける場所――そういう世の中にするには何が必要でしょうね?

若い人たちの間では、既にそれに類した在り方が出来る場が設けられていたりして、社会的にも認知されていたりする。
そういうところのリーダーさんは、やはり目覚めてる人ですが、それが生まれつきというか、いわゆるクリスタルやレインボーチルドレンの系統のようで、スピリチュアル?何それ?っていうくらい、当たり前にその状態で生きている。

羨ましい(笑)

そういう人たちの時代がこれからやってくるわけですから、私が言いたいような『受け皿』も、いずれは充実してくるのかも知れません。
ベーシックインカムが普通になって、今よりずっと自由に仕事の出来る時代も来るかも知れない――。

ただ、今の私のような時代の人間はね、生きて来た場所も、生きている場所も、彼らとは違っているのが現実。

既に新しい時代の新しい生き方を始めている若者たちとは、一線が画されてしまっている状態――。

旧い時代からは飛び出したものの、新しい時代にはついてゆけず……みたいなね。

なんとも中途半端な時代に目覚めてしまったものだと。


だからこそ、受け皿は自分で作ってゆかねばならんのだろうなと思うのですが……。

その一歩が踏み出せずに居るのです。(すいません)

自分に『出来る方法』を模索しています。

『可能な方法』なら沢山あるように思いますが……。

大きな冒険ですがね(笑)

何でも一人でやろうとするのが私の悪い所なので、誰かとつるめばいいんでしょうかねー。


正直言っちゃえば、それが自分のするべき事なのかどうかも思案中です。

人にはそれなりの役目と、向き不向きがありますから。

無理しても自分が苦しい。

ただ、そういうのを言い訳にしちゃいかんよなとも思ってはいます。


受け皿……か。

そんなものが必要な時代も、直ぐに過ぎ去ってゆきそうな気もしますが――。


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