ポトホト

我思う 故に我書く

アンルーカ  《3》

2017-06-19 13:33:08 | 創作
 真っ青な空に淡い軌跡を曳いて、霊光が一つ、また一つ、霊堂へと漂い来るのが見える。

 転寝(うたたね)から覚めて、太陽を仰ぎに中庭へ出たアンルーカの頭上を、それは真っ直ぐに霊界門の方へ向かってゆく――。

 程無くしてアンルーカはその耳に、軽やかな音色を二度聞いた。

「往ったか……」

 仄かな安堵を声に滲ませて、アンルーカが低く呟く。 

 御霊(みたま)が霊界門をくぐり抜けると、その浄化された霊波が堂内に谺する。
 霊鈴(れいりん)とも、霊人の歌とも称されるそれを、霊使達はそれぞれの感慨を以って聞く――。




 アンルーカは、中庭に置かれた腰かけ石の一つに座り、天頂から降り注ぐ光の波動を深々と吸い込んだ。

 やがてアンルーカから『内』と『外』が消え、『己』が消えて、そこにはただ光が遊ぶだけになった。

「あら?」

 アンルーカの聖域を、俄かな振鈴を思わせて、清(さや)かな波動が震わせた。
 顔を上げたアンルーカが、その視線を彷徨わせる――。

「まぁ、ごめんなさい! お邪魔してしまったようですね」

「いや、何。 君だったのだな、リゼリア」

 皺に埋もれた口角を笑みの形に持ち上げて、アンルーカが言った。

「ふと見たら、なんだかいつもより中庭が明るく感じられて……。 ようく見たらあなたの姿が見えたものですから、つい」

 屈託のない波動が、アンルーカに優しく触れる。 

「君も息抜きかね?」

「いえ、少々気になる事がありまして、これから霊界門へ参るところです」

「ほう?」

「あなたが何もお感じになっていらっしゃらないのであれば、私の杞憂なのかも知れませんが……」

「とは?」

「先程も一時(いちどき)に二つ、入堂がございましたよね?」

「ああ、確かに――」

「それだけの事であれば別に懸念は無いかと。 ですが、このところ何か連れ立つように入堂する御霊が増えている感じがして――」

「ふむ。 言われてみれば、先の御霊も夫婦か親子か……縁者同士のような波動を有しておる気はしたが、正直、私はさほど、意には留めずにおったよ」

 リゼリアが、憂いを帯びた曖昧な微笑を浮かべた。
 アンルーカの目には、その波動が面映(おもは)ゆく映った。




 霊堂の最奥部――そこに築かれた霊祀檀を、霊使達は『霊界門』と呼び習わしている。

 それは、まさにその外観が門扉を模したものである事に由来する。

 檀の内部には、霊光綾なす巨大な輝石が存すると言われ、その波動によって、御霊の浄化がなされると信じられている。

「どうだね? 何か感じるものがあるかね?」

「いいえ、特には何も。 ここに違和感の手懸かりを求めたのは、浅薄に過ぎたかも知れませんね」

「さて、それはどうかな。 人は御霊となったその時に、生者としての記憶を凡て失うとされておるが、君も私も、あえかながら、先の二つの御霊に『絆』ともいえる波動を感じ取っておる。 或いは、御霊の霊波の欠片のようなもの――謂わば人間だった時の記憶が弾かれて、どこかに落ちていないとも限らないのではないかね」

 アンルーカは、既にここにはいない生者の波動を探るかのように、その顔を、そこかしこに向けて動かした。




「もし、どうしても気に掛かるなら、一度、他の者にも尋ねてみてはどうかな? 異変の兆しというものは、往々にして見逃しがちな事柄であるものだ。 小さな変化の積み重ねが、大きな災厄に至った例は少なくない。 君にしか分からぬ何かが、或いは世界を救うきっかけになるやも知れん」

 午後の影が差し始めた中庭で、アンルーカはリゼリアに、そう結言(けつげん)した。

「ありがとう、アンルーカ。 そうしてみます」

 杖の柄に置かれたアンルーカの手に、リゼリアの霊波が温かく重なった。

「ま、異変の先触れではない事を願うがね」

 アンルーカは杖を握りなおす素振りを見せて、その温もりからそっと手を退いた。

「あ、そうだわ、アンルーカ。 この機会にもう一つだけ、あなたに伺ってもよろしいでしょうか?」

「なんだろう?」

「霊使同士の婚姻が禁忌とされているのは何故なのでしょう?」

「おいおい、これはまた――」

「霊波の相乗が、その理由だというのは本当なのですか?」

「――誰ぞ好きな者でもおるのかね?」

「……はい」

 甘やかな花の香りを思わせる波動が、リゼリアの周りでふわりと踊った。

「そうか。 では、私も正直に教えよう。 霊使間の婚姻が禁忌とされるのは、君の言うとおり、霊波の相乗――すなわち子供への霊質の遺伝が懸念されておるからだ。 今でこそ、こうして世間から重用される身分となったが、我々の霊質は、古い時代には迫害の対象とされていた。 仲間同士身を寄せ合い、息をひそめて暮らす狭い人間関係の中で、祖先の血は次第にその濃さを増していった。 やがて運命の双子と呼ばれる子供達が生まれた。 誰よりも強い霊質を持ち、誰よりも自由で、誰よりも傲岸不遜に育ち――」

「その話なら私も聞いた事があります。 彼らは、自分達を世間から追いやり、虐げてきた人間を……」

「そう。 憎み殺した。 片端からな。 だが、祖先はそれを良しとはしなかった。 苛烈な戦いの末に、手ずから双子を滅したのだ。 祖先達は、それを戒めに自らの道を糺(ただ)していった。 そしてそれは今尚固持されている」

 リゼリアが深い息を継いだ。

「まぁ、確かに禁忌ではある。 だが、考えようによっては子をもうけなければいいだけの事だ。 意志と覚悟とがあれば、そう難しくはなかろうとも思うがね……」

 アンルーカが重たい息を吐く。

「欠員は埋めればよい。 そして必ず埋まるものと決まっておる。 霊使がここを出て一介の人間となる選択肢は、実は暗に認められたものではあるんだよ」

 アンルーカのその記憶の片隅には、過去何人かの霊使達が、そうしてここを去って行った事が記されている。
 彼らのその後は知る由がなかったが、今の平穏があるのは、古い約束が履行されている証しだろうとアンルーカは付け加えた。

「ぬぁ?」

 風にさやぐ野花のような霊波を、不意にその頬に受けたアンルーカが頓狂な声をあげた。

 杖を取り落としたアンルーカをそのままに、リゼリアはその傍らを回廊の向こうへと走り抜けて行く――。

(やれやれ……思わぬ果報と言うべきか?)

 霊堂の影に沈んだ中庭に、アンルーカの枯れた笑い声が、侘しい光を散らしながら消えて行った。

 

  
ジャンル:
小説
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