侍・CHOP SHOP ブログ

夫 タメの話を綴ったブログです。

黄金の日々

2008年08月14日 | 黄金の日々
夫の趣味・・・と言えるかどうかわかりませんが、網とバケツを持って川や沼"ガサガサ"と澱んだ所の生き物を漁るのがすごく好きなのです。カジカ、ウグイの子供、おたまじゃくし、川海老などが網に入ると「見ろ、大漁だ」と大喜びし、(ちゃんと帰るときに川に戻します)地元の子供にも「何採れた?」と60過ぎてもやっているので、子供の頃はどうだったか想像に難くありません。

 十数年前、根津権現のつつじ祭りを見に行った際、境内に池が有るのですが「俺がガキの頃よくここに釣りしに来たよ。(もちろん禁止されてます)この池入っちゃいけないんだけど、子供がそんな事聞くわけないから勝手に入って遊んでさ、住職が来ると速攻逃げたもんだよ・・・」と言っていました。

 そんな夫が19の頃、仲間と始めたモトクロスのクラブが「東京エリートクラブ」と言う西片町周辺のやつらが集まったチームだそうで、「あ~ら、随分エラそうな名前じゃないの?」と言うと、「違うよ、ロータス・エリートから取ったのよ」当時人気の車からの命名だそうです。

(ロータス・エリートはアンソニー・コリン・ブルース・チャップマン-Anthony Colin Bruce Chapman-が作った2座席屋根付きのスポーツカー。本田宗一郎氏も乗っていた。)

写真は第4回東京オート・ショーのロータス・エリートのレポート。1963年モーターファン 3月号より

 その「東京エリートクラブ」に入会したいという青年がいました。昔はレースに出場するにはクラブに入会しなければ出られなかったそうです。彼は北関東出身で、根津権現の通りの坂の途中に在るサンヨー・マツダの修理工場勤める二級整備士でした。

 今では根津権現の通りは広い道路になっていますが、その頃は広めの道と細い路地が混在していた風情で、工場の前の少し広い道には車が止め放題でした。

 クラブに入りたいというO和田君に会いに、リーダーのカマキリ達仲間と夫はサンヨー・マツダの修理工場を尋ねました。

「O和田君、地元ではどこのクラブに居たの?」と聞くと、
「日立(ヒタツ)ハイスピードだよぅ~」一同、「おぉ!すげー」と驚きました。

 日立ハイスピードクラブは、1962年の鈴鹿サーキットが出来た時の初めてのレースのノービスで50ccと125ccの二種目制覇した名ライダー、その後城北ライダースに移籍、その後四輪にチェンジし日産のドライバーとして活躍した黒沢元春氏が所属の名門クラブです。

写真は黒沢元春選手。1962年 オートバイ 臨時増刊号より。
 
 "クラブ"とは言え、予選を通るとお祭り騒ぎといった程度の東京エリートクラブですから、こ、こいつは大物だ・・・。我がクラブの花形登場か!と期待を寄せました。

 「ところで、レーサーはどれですか?」と聞くと、
 「これだよぅ~。」とカワサキJ1Mを指します。【レーサーはマフラーが付いてなく(130デシベル位の音だそう、耳にとう痛を感じる位。)イグニッションの鍵が無いものだそうで、止める時はギアをローに入れ、エンストして止めるのだそうです。】
 
 O和田君は「絶好調だよぅ~」とエンジンをかけました。上記の通りうるさいのでエンジンを止めようとローに入れたがエンジンは止らず、レーサーは扉に激突、オートバイは横倒しになり、回るリアタイヤにO和田君の足が当り続けます。
 
 モトクロスのボコボコタイヤなのでこれはタマりません。血がダラダラ「イテテテテ・・・」「大丈夫か」というトホホな出会いでした。

写真はO和田君(ベース)。

 花形とはいかなかったもののO和田君も仲間入りとなりました。ブタ吉のトラック・ホンダのT500(スポーツカーと同じエンジンが搭載されていた)が調子が悪くなった時、音がゴボゴボ言ってフケが悪いのはキャブだろうか・・と皆で話していると、「キャブじゃないよぅ~。電気だよぅ~。」と見事当ててみせるなど、メカとしても活躍しました。

 ところで、このクラブは翌年G山のクラブ"ゼロファイター"と合体して名前が変わり、他の地域のメンバーも増えてゆきます。カマキリとハルマンが夫の2っ上、ブタ吉が1っ下、G山とカタガイ君、このO和田君が三っ上など年齢も仕事も様々でしたが、1つ年が違うと先輩だの後輩だの言う今の部活のような関係ではありませんでした。

 O和田君は地方独特の話し方で、東京出身のメンバーには聞きづらい時もありました。例えば、「エアー(空気)が抜けてよぅ~」は「イヤー(耳)が抜けてよぅ~」に聞こえるのです。夫が「そうだ、O和田君、空気の時は耳だと思って、耳の時は空気と言えばいいんじゃないの」と夫が言うとO和田君は

 「てめぇ~フザケてると、オッペするぞぅ~」
 「O和田君、俺オッペってわからないよ。わははははー」
 「なぬぉ~」O和田君の怒りは容易には解けませんでした。





最新の画像もっと見る