美と心と写心

≪ある写心家の独白≫・・・美と心と写心について感じたことを書き綴っていこうと思います。皆さんもご一緒に感じて下さい。

立場

2006-04-21 | 
「人類を 滅ぼす因は 人間の 立場を守る 思想にぞある」 人間は社会的動物であり、何れかの組織に属するゆえに、立場というものに縛られています。その一つの立場は必ず相対の立場への是非という問題に陥ることになります。つまり、自身の立場を守る為の是々非々の判断をせざるを得なくなるということです。 もし立場を外して「もの・こと」を客観視すれば、それは是々非々を避けられるものです。是非の判断基準は自身の . . . 本文を読む
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平和のこない理由

2006-04-19 | 
『真の平和』 平和を愛さないものはいない 戦争を憎まないものもいない 善を喜ばないものはいない 悪を哀しまないものもいない なのに平和は、ほど遠い 人類太古の昔より 善を為すべく悪をば厭い 平和を求めて戦争を憎み 為しつ求めつやってきた しかし平和は、まだ遠い 人類が平和を求めて旅立って どれほど時が経ったろう 五千年、否々もっと経つだろう だけど平和は、訪れない 思想、教育、権威や武力  . . . 本文を読む
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共生(思い遣り)

2006-04-13 | 
地球(自然)は共生で成り立っているものです。 すべてがすべてに依存し合って成り立っています。ですから、人間だけが幸せであっても成り立ちません。すべての存在がすべての為にあるという摂理や、その環境が損なわれれば人間自身も究極的に存在できなくなります。 故に、他者の幸せを考えることこそ真の正しい行為なのです。また、それは決して自己犠牲ではありません。 何故なら、それぞれが他者への幸せに徹すれば、必 . . . 本文を読む
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行雲流水

2006-04-11 | 
行く雲も 流るる水も 自在なり 我を捨てれば 迷うことなし 人間誰しも我を持っている。それを無理やり通そうとすれば、互いにぶつかり合うのが当然です。 雲や水は自然に任せて、しかも己の本質(我)を失いません。つまり我を通さずに我を活かているということです。 そんな生き方ができれば最高だと思いませんか。 . . . 本文を読む
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桜花爛漫

2006-04-08 | 
一斉に 今ぞとばかり 咲き競う この世の春を 桜花爛漫〈守道〉 . . . 本文を読む
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ひたすらに

2006-04-07 | 
ひっそりと ただひたすらに 咲く野花 人のこころは なぜに癒さる〈守道〉 花は人に媚をうらない。諂わない。まして争うこともなく、見て欲しいとさえ思わない。 ただ与えられた命を全うすべく、悪環境さえも不平を言わず、健気に精一杯咲いている。 ひたすらにただひたすらに、生き抜くことの素晴らしさを教えてくれているようだ・・・。 . . . 本文を読む
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木洩れ日

2006-04-06 | 
木洩れ陽の柔らかきその温もりは 迷うこころのひだをほぐさむ  . . . 本文を読む
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無情の雨

2006-04-05 | 
明日を待つ花びら散らす夜の雨 無常のことわりいとど哀しき . . . 本文を読む
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私は私?

2006-04-04 | 
私は私であると、そう思ってきた。 しかし、私という自己は他己に依って作られたものだと、改めて気が付いた。知識も思考も、そして価値観も判断も・・・。どれ一つとっても自分自身で創り上げたものはない。 あるとすれば、それは選択するという方向性だけである。行動さえも自分自身で行っているのではない。自分ではないものに動かされているのだ。生きていること自体も、自分で生きているのではなく、生かされているのであ . . . 本文を読む
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花と蕾

2006-04-03 | 
花と蕾、どちらがお好き・・・? 花は蕾を見て囁いた。「お前ももうすぐ一人前だね」 蕾は花に恭しく答えた。「いえいえ、私はまだまだです」 咲いた花は綺麗です。でも、もう後はありません。散るだけです。 蕾はこれからという期待と希望があります。 私は、まだまだ蕾のままでいたいと思っています。 . . . 本文を読む
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