比良探検隊閑話

琵琶湖をのぞむ比良山系の主峰 武奈ヶ岳を中心とした山行記録「比良探検隊」番外編。

大宮氷川神社:大湯祭 十日市(とおかまち)に行く!

2006-12-10 | よもやま話
昨日は冷たい雨であったが、今日は朝から晴れている。

12月10日は、旧大宮市のビッグイベント、氷川神社の大湯祭、十日市(とおかまち)の日だ。私が子供のころは学校も半休になるくらいの大宮の重要行事。
子供ながらに、年の瀬を感じる楽しいイベントであった。

日曜ということもあり、久しぶりに昼からチャリと電車で出かけることにした。
生まれ育った実家からは歩いて行けたのに。。。

相変らず、氷川参道には屋台が立ち並び人でいっぱいである。


【氷川神社について】
-------------------------------------------------------------------------
氷川神社は、社記によると代五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。

当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。

古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~四九年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。

 このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。

 その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。

 祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
 例大祭は八月一日。そのほか神事の中で特に有名なのが十二月十日の大湯祭である。
-------------------------------------------------------------------------



【十日市といえば熊手・奥に見えるのが氷川神社 楼門】



【熊手:こんなところでしか見かけなくなってしまった】



【いくらするのか、巨大熊手】



【景気よく、いくつかの熊手には売約済の札も貼られていた】



【氷川神社 楼門:ここまで来ると混雑も緩和される。七五三のお参りをしている家族もいた。】



【もちろん、昔はなかった、二之鳥居近くの大宮アルディージャ:オレンジスクエア】
※昔はこのあたりに「氷川だんご」屋があった。ここの「酒まんじゅう」もうまい!
 今は、二之鳥居と三之鳥居の間に移転している。