愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題35漢詩を読む ドラマの中の漢詩21 『宮廷女官―若曦』-9

2017-04-11 17:03:48 | 漢詩を読む

馬、飛燕を踏む」の話題を続けます。

中国地図の上で、西安を西へ甘粛省・蘭州を経て、やや北西に辿ると、武威に到る。武威の北門を出て北1km辺りに雷台と呼ばれている人工の高台(南北106mX東西60m、高さ8.5m)が設けられている。この高台には雷神廟が建てられてあり、道教の雷神(雨を降らせる神)が祀られているという。

中国とソ連(当時)の間が冷戦状態にあった1969年、この高台に防空壕を掘った際、その地下で大型のレンガ製の墳墓が発見された。前・中・後の3室からなり、長さ19mの後漢(25~222)末期の墓である と。

その副葬品に、軍団のミニチュアとも言える馬39頭、車14両、人物45体、牛1頭があった。いずれも小型(馬の高さ4, 50cm前後?)の銅製品であり、西安の秦時代に構築された兵馬俑とは趣を異にしている。

この副葬品の中で、特に注目されたのが一頭の奔馬の像である。右の後足で、空飛ぶツバメを捉え、他の3本脚は空を駆り、首はもたげていなないている。甘粛省博物館の同像を紹介する記事では、次のように表現されている:

「その全身から、人を圧倒する勢い、しなやかさ、力強さ、スピード感などが伝わり、造形は愛くるしく精緻で、構造は巧妙で、工芸品の域を超越した素晴らしい境地に到達している と」(下の写真参照)。(http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/kaogu/museum/200304.htm)
        雷台漢文化博物館にあるモニュメント

専門家の考証によって、この奔馬は、西域から中国に入ってきた「汗血馬」をモデルにして創作されたものであるという。この奔馬に対し、郭沫若氏(1892~1978)が「馬踏飛燕」(馬、飛燕を踏む)と命名している。実物は、甘粛省博物館に収納されている由。

かつて日、米、英、仏などで展示会が開かれ、「芸術作品の最高峰」と絶賛された由。1983年、中国・国家旅游局は、この奔馬を中国観光のシンボルマークとすることを決めている。以上、本稿の主テーマである「馬、飛燕を踏む」の由来である。

ドラマ中、第十三皇子が若蘭の乗馬術に対して「馬踏飛燕」と譬えたことは、若蘭の技倆に対して、“非常に素晴らしい”と絶賛したことを意味している。但し、その奔馬像の発見が20世紀の世においてであることを考えると、第十三皇子の発言としては、やや異な感じはある、が“まあ、好し”か。

また、ドラマ中、第四皇子が、若曦から「好きな詩人は?」と問われて、即座に「王維」と答える場面がありました。続けて、「好きな詩は?」との問いには、口を閉ざしていました。この問答は、非常に意味ありげです。この点は改めて別の機会に触れることになるでしょう。

西域の大宛国から得た「汗血馬」に「天馬」の美称を与えたのは、前漢の武帝であったことは、前回に触れた。以後、多くの漢詩で「天馬」が出てきますが、ここでは王維の詩を紹介します。

まず、王維について簡単に触れておきます。すでに当ブログで取り上げた李白、杜甫とはほぼ同時代の人で、李白、杜甫が、それぞれ、“詩仙”、“詩聖”と呼ばれているのに対して、王維は“詩仏”と呼ばれています。

王維は、699(?)年、現・山西省太原に生まれ、15歳で長安に遊学している。作詞のほか、書家であり、また音楽分野では琵琶の名手、絵画の分野では“南画の祖”とされる程に、多芸多才である。21歳で進士に及第し、非常に若くして太楽丞に任官している。

また、若い頃は非常な美男子であり、彼の秀でた才芸とあいまって、社交界で多いに持てはやされていたと言われている。蛇足ながら、王維の若い頃の石立像があるが、その顔つきは、ドラマ中第四皇子のそれと瓜二つに見えます。

さて、“天馬”を読み込んだ王維の詩は、読み下し文と現代訳を合わせて下に挙げました。王維45歳時の作とされています。

表題中の劉司直は、並みの役人であり、また、安西への赴任も左程大事な出来事ではないはずです。しかし“異邦人には懼れさせるようにし、また彼らとの和親はならず”と大仰な事態のごとく劉司直を送り出しています。

この詩が作られたのは、唐の絶頂期に当たるころでしょうか。楊貴妃が後宮に入り、世が傾き始める直前と思われ、大唐の威を感じさせます。また「天馬(汗血馬)」が同道するとなれば、威勢も上がるのでしょう。

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送劉司直赴安西  劉司直の安西に赴くを送る   王維

<原文>     <読み下し文>
絶域陽關道  絶域(ゼツイキ) 陽関の道
胡沙與塞塵  胡沙(コサ)と塞塵(サイジン)、
三春時有雁  三春(サンシュン)の時に雁(カリ)有るも、
萬里少行人  万里 行人(コウジン)少なし。
苜蓿隨天馬  苜蓿(モクシュク) 天馬(テンマ)に随(シタガ)い、
葡萄逐漢臣  葡萄(ブドウ) 漢臣(カンシン)を逐(オ)う。
當令外國懼  當(マサ)に外國をして懼(オソレ)しめ
不敢覓和親  敢えて和親を覓(モトメ)ず。

[註]
安西:敦煌の北東部の街。当時、西域の都護府が置かれていた。
三春:春の三ヶ月(初春、中春、晩春;旧1、2,3月)。
陽関:甘粛省西部、敦煌の南西に位置して、北にある玉門関とともに西域交通の要地。
苜蓿(モクシュク):ウマゴヤシの別名、牧草。
天馬:駿馬、汗馬または汗血馬の美称。
 
<現代語訳>
地果てる陽関の道、
砂漠と砂ほこりが舞う。
春には雁の飛来があるが、
見渡せば人影はごく少ない。
天馬には牧草が伴い、
役人にはブドウが伴う。
まさに異邦人には恐れを抱かせるようにすべきであり、
決して和睦の方策など採ってはならない。
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