街中の案山子

ひとり思うこと、考えることを、文字としてこのブログに

映画「トゥヤーの結婚」を観る

2012-02-16 07:02:15 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
実は、ブログに足跡を残すのも手間と思えるほど、連日のようにサクサクと映画三昧なのだけれど、この作品は書いておきたくなった。
中国映画「トゥヤーの結婚」。いつものように事前の内容も知らないでの行き当たりばったりの映画鑑賞。
今のワタシは、もっと娯楽作品、「目を楽しませてくれるもの求む」の状態なのだけれど、これはいささか、ココロをわしづかみにされた。

−以下ネタバレあり−

モンゴル草原のパオに事故で働けなくなった夫と二人のこどもと暮らすトゥヤーの話。
10歳にも満たない息子に羊飼いを手伝わせながら、生活するのに精一杯。車の下敷きになった隣人を救おうとして、トゥヤーも腰を痛める。
さて、夫と子供を養っていけない。どうするか。働けない夫と子供連れ、という条件で結婚相手を探し始める、のである。
トゥヤーは多くは語らない。だけれど、「まだ若い彼女のこれから」には、働けない夫(元夫になる)を当然のように、自分のそばで養っていくことが組み込まれている。彼女はなにも疑わない。元夫も多くを語らず、彼女の選択を受入れている。生きていく術、なのだろう。
求婚者の中に、石油財閥になった幼馴染がやってきた。介護付き施設に元夫を入所させ、物質的にも満ち足りた結婚生活を語る幼馴染み。施設においてきた元夫を思うのかトゥヤーは笑顔を見せない。その夜、元夫は自殺を図る。事態を知って駆けつけたトゥヤーが元夫に言った台詞がいい。
シビアである。
そして、またもや、「元夫と子供二人付きの結婚相手募集」となる。
結婚にこぎつけるのは、浮気性の妻に逃げられた隣人の男。
結婚式の酒席で、元夫と花婿(隣人の男)が取っ組み合いの光景で幕となる。お互い気心は知れたなか。
それでも男二人は、この場で取っ組み合いをしないと、取っ組み合いをしないと、そうしないと、あまりにも切ないではないか。外では「二人の父ちゃんっておかしいじゃないか!」と喚かれて、息子もケンカしている。
主役の花嫁は酒席を離れて一人涙する。

「生きる」という副題をつけたくなった。
有名な黒澤明監督の「生きる」という志村喬主演の映画を観たことがある。内容は朧だ。この映画のエンディングの文字を眺めながら、私は、「生きる」というタイトルを勝手につけていた。
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