庭にいます。  -ときどき街中にも-

旧タイトル「街中の案山子」です。
庭にいる時間がめっきり増えたことから、タイトル変更しました。

司馬遼太郎「夏草の賦」を読んでいます。追加あり。

2010-02-02 07:24:04 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
文庫本で上下2冊の1冊目を読み終わったところ。
ブログつながりさんのご紹介で読み始めた。
考えてみれば、司馬遼太郎氏の歴史もの、時代小説は読んでいない。竜馬がゆくを途中まで読んだぐらいかな?
で、それ以来の司馬遼太郎の歴史小説。
感想。うーん、これは司馬さんの想像力で人物に血肉を与えているのだという印象が強い。だから、彼はその時代の資料として、軽四トラックいっぱい程の古文書を収集して、執筆に入ると聞いたことがあるが、さもありなん、と思った。
四国土佐の長曽我部元親が近隣を征服せんと戦に明け暮れている模様を、目に浮かぶように描いている。
あの時代の武士の弁え。あの時代の武将の腹黒さ。あの時代の結婚するということ。あの時代の武将の妻であること。
司馬さんの文章に説得させられながら、16世紀の戦国時代に入り込んでしまう。

でも、実際の元親や菜々の人となりが、本に書かれているようだとの保証はない。
これは、司馬さんが書いたもの、であり、司馬さん流の人物解釈なのでしょう。
それが「司馬史観」といわれる訳なのであり、司馬さん流解釈が結構人を納得させるから、読者も多いのでしょう。

いつの間にか、戦国の武将長曽我部元親、さもあらん、その妻菜々も、そうか、そんな女性だったのか、と納得されている私。
豪族から領地を広げていって、四国の覇者たらんとする元親の考える策略のなんと底知れず黒く、かつ安らぎから遠いこと。
武将の妻の、いや、戦国のよにあっての、(武家の)女の人の置かれている立場の、役回りに、隔世の感を覚える。
下々は口を糊塗するのがやっとの時代、餓死や疫病に倒れるのも珍しくもない時代でしょうから、だから、人権も生存権もあるわけはないのだけれど、戦国、制覇、下克上の時代の策略…。
今の時代に生きて、読者として500年ほど前を鳥瞰させてもらいながら、人が歩んできた歴史を思った次第です。

以下、追記。
下巻まで読んで。
時間の旅人になったようでした。
当時の都市見物は、奈良に京都、そして商都堺。
まだ、大阪はこれから。勿論木造しかないだろうし。
秀吉が威を誇示するかのように、日本一の大阪城の築城。
配下となった土佐に材木を用命。
その他、各藩に材料調達やら人材派遣を用命すればOK。
勿論、問答無用、異を唱えるなどあり得ない。
農民をかき集めるように戦士に仕立て、四国の領土統一を企てたものの、天下をとる勢いで敵わない秀吉の配下となった元親。
村しか知らなかった農民が、隣村を侵略することにより、少し世界を広げ、隣藩を攻略することにより、また世界を広げ。
海を渡って、もっと広い世界があることを知り…。
司馬遼太郎氏の中世日本、四国高知と堺、大坂、京都あたりですが、案内で、ひととき時間旅を体験しました。
秀吉の黄金の茶室や聚落第の絢爛さ、田舎武将の度肝を抜くための策略でもあったかと、説明されると、今にも通じる人間臭さに頷かされる。
武将の結婚は、子孫を残すため。自家の安泰のため。女に感情をかけるものではない、と。
殺さねば殺される時代の、生き延びるための手段。
そして、田舎人たちは、行きずりの旅人の種を貰うことに大らかだった、と。
そうして外部の血がはいるという知恵を使っていた、と。

人権も正義もなく、強くないと生き残れない時代。
一番強くないと、心を隠して、おもねることをしないと、血がつながらない。
どれほど沢山の人が、理不尽に命を落としていったか。
今、私たちが持っている思考回路との差、相当なものだろうな、と思う。
ああ、今の時代でよかった!




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4 コメント

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Unknown (とと)
2010-02-03 22:54:16
やっぱり作家という人の筆力には圧倒されます.とくに司馬遼太郎という人は,まるで見てきたかのような活き活きとした人物描写で,フィクションってことを忘れてしまいそうですよね.

わたしは,あの時代の生き方,割と好きですね.個人の人権とか生存権とかの前に,家とか土地とか誇りとか,そういうものに重きを置く姿勢.それが争いの元だったりして厄介なんですけどね.

わたしも今日,図書館で『草原の記』を借りてきました.単純な歴史ものではないんですね.わたし,論説的な文章には慣れていないので,ちゃんと読破できるかちょっと不安.でもいまのところは,読めています.まだほんの触りなので感想はかけないんですけどね.
これから下を読み始めです。 (街中の案山子)
2010-02-04 07:39:44
戦国時代のよみものは始めて、といってもいいくらいだったのですが、いろいろ、「そういうものかー」という、感慨を持ちました。
たとえば、「武士は白くなくてはならない。腹黒いのは大将だ」という捕らえ方。
武士をひとくくりに捕らえていましたが、「上司に仕える」というスタンスである大将以外の武士はひたすら命令、支持を待つ。そうなのですね。女の側から見ると、食い扶持を持ってくる夫を、ご主人様と思う男女関係なのに、その夫は外では、上司に意のままに指図され仕える身。封建制度と言葉では重々知っているのですが、そういうことなんだなー、と合点しながら読んでいました。だからサラリーマンを武士に例えるってのも納得です。(サラリーマン家庭ではないので、よくわかりませんが)
「草原の記」ありましたか。
出だしの、「私の空想につきあっていただきたい」(だったかな?)の文章あるでしょう。
私って、あんな書き出しされると、ググッとくるのです。(笑)
司馬さんの文章作法は、文章を荷車に例えて、「ひとつの荷車にはひとつの荷物しか載せない」という表現がありました。引き出しがいっぱいあって、でも、一番シンプルな書き方をよしとする、そこですよね。
年末にあったドラマ「坂の上の雲」でも、ナレーションが語る司馬さんの文章にうっとりでした。アハハ。
読み終わりましたか! (とと)
2010-02-10 23:35:07
面白かったでしょう?(と,強制してみる)

昔とはもちろん違うけど,今も生き残りをかけて生存競争していると思ってます.
現代の武器は,武力ではなく知力といったところでしょうけど,それを得るための財力の差がそのまま知力に反映する面もあり,戦国時代のようなダイナミックな展開は生まれにくいですね.加えて今は,世代間の不公平感が大きかったり,戦う相手が見えなかったりで,戦う元気も消失してる感があります.

『草原の記』,ゆっくり読んでいます.これを読むと,司馬遼太郎という人の小説が生まれてくる背景がわかったような気がします.
これってほんとに才能ですよね~.

TBありがとうございます。 (街中の案山子)
2010-02-11 17:01:22
描写されている登場人物が、さもありなんという肉付けがなされているので、その時代を鳥瞰している気分でした。夫が歴史上の人物の話に詳しいのですが、その証拠は、我が家のずらりと並んだ文庫本に起因するようです。笑。
「今も生き残りをかけて生存競争している」と、ふーん、なのでしょうか。
と、こんなとぼけたことを言っている私が甘いのでしょうか。
でも、戦で血を見ることはないし、社会保障もあるし、今のほうがいいと思うけれどな。
大学を出たらこんな生活が待っている、という幻想、そこそこの生活ができるのが普通、というレベルが高くなっているのではないでしょうか。
「草原の記」はととさんの読んでこられたものと、毛色が違いますか。わたし、こっちタイプ。ツェベクマさんの名前、まだ覚えていますもの(うふふ)。そして、司馬さんの「ロシアについて」も印象に残っています。

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