徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

嵐になるまで待って2016(後編)

2016年11月29日 | 舞台

キャラメルボックス 
グリーティングシアター2016
『嵐になるまで待って』(後編)
 


公式HP
http://www.caramelbox.com/stage/arashi2016/


前回のブログを書いたのが、大阪公演が終わった直後(10月18日深夜)だった。
その後、19日姫路公演・22日広島公演は観なかったものの、自分の中で「もう一度あの舞台を観たい」「もう一度あの座組みでの『嵐』が観たい」という想いが日に日に強くなり、ついに予定外の遠征を決意したのであった!(苦笑)
背中を押したのは、大阪でお会いした仲村Pの「りゅーとぴあには来たことありませんか?とても良い劇場ですよ」の一言。
東京にいた頃は、新潟は新幹線で2時間弱、日帰り圏内と考えていたものの、大阪からは流石になぁ・・・と思っていたら、なんと!偶然にも前から2列目センター超良席!のチケットが手に入ることに。

「これは、新潟に行けと言う天の声だ!」← お前、波多野に操られてい(ry

A○Aのマイルもあったことだし、美味しいお米と、お魚と、お酒を楽しむ「日帰り新潟」も悪くはない?!
10月29日(土)かくして晴れ渡る秋空のもと、私は伊丹から新潟に飛んだ。
あの美しく哀しい2016年版・波多野姉弟に、もう一度会うために。



「誰が一番私の心を惹きつけたか」=「自分にとっての物語の主人公」
これは、どんな演劇や映画、本であっても私にとっては動かしがたい事実である。設定上の主人公の存在、群像劇におけるプリンシパル的存在はもちろん理解するが、受け取り手の心をもっとも揺さぶるキャラクターこそが、私の一番愛する「物語の主人
公」たりうる、と本気で思っている。
今回、10人のキャストが演じるキャラクター全てが愛おしく感じるほどに濃密な作品世界を楽しんだものの、やはり、三重公演で最初に出会った瞬間から、私はこの二人に魅入られてしまったとしか思えなかった。

波多野祥也(弟)と、波多野雪絵(姉)。

新潟公演で2週間ぶりに間近から観た二人は、さらに強く、深く、その役の生き様を私の眼と心に刻み込んできて「ツアーで各地を回った蓄積が、そのまま強く深く役に滲みいっている」と、震えるような思いがした。正直に言うと、各地で1回(あるいは2回)公演を繰り返す中で、2~3週間連続公演のような「熟成」ができるのだろうか、と思っていた。一発勝負のパワー芝居に偏らないか、あるいは悪い意味での「こなれ感」がでてくるのではないか、あるいは、スピード感は大事だけど、あえて「矯めてほしいところ」を飛ばしていってしまうことはないか、などとも思っていた。(大変失礼ながら・・・)

しかし、新潟での『嵐~』は違った。全てが「これまでのベスト」を突き詰めて作られている、作ろうとしている、そんな空気感がザワザワと舞台から伝わってきた。それは波多野姉弟だけでなく、全キャスト、スタッフの方々に言えると断言しても良かった。

ここまで観に来て、本当に良かった。
後は所沢大楽で「観届ける」のみ。

その夜、新潟空港に向かう前に入った居酒屋で、大好物♪の栃尾の油揚と鮭酒びたしをアテに「景虎純米」を飲んでいた私は、心からそう思った。← 結局酒も飲めて幸せだったのねw



≪所沢千秋楽を終えて≫
キャスト一言挨拶は、劇団公演ではなかったのでいつもの形ではありませんでしたが、こんな感じ。(別項)
http://blog.goo.ne.jp/sally_annex/e/c5d16916967539ee628159965cee05b6



≪波多野姉弟への感想&考察≫
実は、当たり前のようでいて、当たり前ではない、一番大事なことに、私は最初に気づいた気がする。
「この二人が、本当の姉弟に見える」
大阪で2度目を観た終演後、仲村Pにご挨拶をさせていただいたときの言葉は今も良く覚えている。

「(祥也@かじもんと、雪絵@岡内さんが)本当のきょうだいに見えるでしょう?」

今まで(1993、2002、2008)のキャスティングはそうじゃなかったのか!?と全力でツッコミたいところであったが、まったくもって私は「オカタツ兄貴と忍足さんが姉弟とか、有り得ないし、そもそも全然見えない(もっと言っていいなら、2002の達也さんは全く音楽家に見えなかったwww←失礼だろうお前)」と感じていたので「うわ、関係者からこの発言、良いんですか?!」と思いつつも、物凄く腑に落ちた気がしていた。



本当の姉弟に見える。
まさにその通りなのだ。

これまで観た作品で、鍛治本さんと岡内さんの直接に関わる役回りはいくつかあったが、私は「とても相性のいい」キャラクター造形&お芝居だなあ、と感じていた。
『TRUTH』の、虎太郎とふじ。
『太陽の棘』の、亮二と明音。
何と言うか、お芝居をするときの「匂い」が似ている。なぜだろう。育った環境だろうか。あるいは芝居のアプローチだろうか。身体つき、面差しだろうか。お芝居の上手・下手ではなく、DNA的に何か共通項を持っているのではないかとすら思う「匂い」が、今回の「濃密過ぎるほどの波多野姉弟の造形」に集約されたのではないだろうか。そう感じた。

ところで、ひとつ、気になって仕方がないことがある。
鍛治本さんのtwitter@10/17で、こんな投稿があった。(以下引用)

『嵐になるまで待って』
波多野の設定というか、台本を初読時にそう思ったから、そうしてるだけの裏設定があるんだけど、たぶん誰にも気付かれてない。
それを一緒にツアーをまわっている照明スタッフさんに「波多野って○○○○○(文字数関係無)ですよね?」とズバリ当てられてびっくりした。(引用終わり)

これ。私の記憶が確かならば、まだ正解を教えていただいていない。

波多野って・・・
シスコンですよね?
むしろ近親愛ですよね?
不眠症ですよね?
潔癖症ですよね?
ちょっとDVですよね?
パワハラ系ですよね?
ひょっとしたらお姉さん以外の女性が嫌いですよね?
二重人格ですよね? ←もういいw

もし、またサンシャイン劇場のロビーにいらっしゃる鍛治本さんに会う機会があれば、お聞きしてみたいな・・・と思っている。



≪2016年版・波多野祥也について あれこれ思い出し語り≫
話は変わって。今回の再演に当たって、鍛治本さんが「あの」波多野を演じることが決まった。その時から、おそらく演じる側は押し寄せる巨大な期待と言う名のプレッシャーと、過去にその役を演じた先輩たちの評判の前に、立ちすくむ気がしたのではないか、私はそう思っていた。

私が鍛治本さんのお芝居を観たのは、2013年の『ヒトミ』から。ヒトミの入院する病院の若い医師・大友先生。決して目立つ役ではなかったが、お芝居から滲む、キラキラした心惹かれる繊細さがとても印象的だった。
それから3年。多くの作品で、多くの役を何度も観てきて、その上での「波多野か…!」という衝撃!(笑)正直、発表の前の冬公演『BREATH』で演じた役は、私の物凄く好きな設定&キャラクター…だったはずなのに、友人たちとは何故か「かじもん、惜しい!惜しすぎる!!いい役だしもうちょっと頑張れ…!」などと辛口のコメントしか出てこなかった(泣)のを、よく覚えているがゆえの「これは、ハードル高いよ!?」なのである。

ただ、秋公演の直前の『彼は波の音がする』『彼女は雨の音がする』2連作を観て「これは…行けるかもしれない!」とドキドキが期待に変わったのも、事実である。あの役は、なかなか屈折していて好きだった。そして、屈折した中にも素直で真面目で真っ直ぐな、中の人の魅力も良く出ていた。少なくとも「かろうじて大学生には見える」「月代似合い過ぎだから江戸末期の武士にちゃんと見える」「アメリカ帰りの大学助手にはとても見えない」「新進気鋭の演出家には全然見えない」という心配をしないでよかったのは確か。(苦笑。ごめんなさい!でも本当なんだもーん!)

「ハードルは好きなだけ上げといて下さい。軽々と飛び越えるのか、横をすり抜けるのか、とにもかくにも驚かしますから。」(ご本人より)

ええ、驚きましたとも!!!(叫)
三重公演。私はセンターブロックのほぼ中央、4列目にいた。オープニングの『The Riddle』が流れ、暗闇からキャストのシルエットが次々に浮かび上がっていく…言葉はない、ただ、手話での会話が万感の思いをこめて紡がれる。目の前にいる岡内さん演じる雪絵に「どこか次元を超えた存在感」を感じながら、その前で全てをコンダクトする絶対者の威厳を見せる西川さん@広瀬教授に「やっぱり、この方しかいない」と思いつつ…上手の波多野を見た瞬間、理屈ではない何かが、私の五感を走り抜けた。擬音化すると、まさしく「ゾワァーーーッ!」である。

(想像していたイメージと)全然違う。

波多野のトレードマーク?とも言える「白いスーツ」…今回はスーツではない。色も、白ではなく、照明のせいかアイスブルーに近い色合い。柔らかな風合いのジャケットに、クレリックのシャツ(グレーの身頃に白い襟)、黒い細身のパンツを合わせている。胸には臙脂色のチーフ。程よくこなれたビジネスカジュアルと言って良い、それらの衣装と小道具が、なかなか良く似合っている。(中の人が『衣装担当泣かせ』だというのは、また別のお話)



色合わせがとても繊細で美しい。波多野の持つ「純粋さ=白」と「闇=黒」を、見事にグラデーションで表していた。そして、鍛治本さん演じる波多野は、その衣装以上に、これまでのどの波多野ともおそらく違うであろう、「少年の心のまま大人になってしまった、純粋な愛情と狂気」を、余すところなく私たちにぶつけてきた。

大阪公演の、あれはおそらく2日目だったか。私は「今回の波多野は、子どもがそのまま大人になってしまった悲劇性を感じる。無邪気さと、繊細さと、哀しみと、孤独と、狂気と…」と思っていた。子どもだから、ある意味後先考えずに、感情のまま他人に手を下す。
他人の精神を操る際の言葉が「死ね」ではなく「死んでしまえ」というのも、成井さんがキャラメル的に直接の悪意害意の表現を避けたのだろうとは思うものの、なぜか私には、幼い子どもの「お前なんか死んじゃえ!」という悪態にも似た呪いの言葉に思えた。そして、心から愛する姉を傷つけようとする者を、文字通り「虫でも殺すように」排除する無邪気さ、潔癖さ、可愛らしさ。
この幼児性と、一方で幼いころから周囲の大人の汚い・冷たい・意地の悪い部分をたくさん目にしてきたであろう「年齢に似合わない」大人びた部分の対照は、鍛治本さんの演技を得て、波多野というキャラをより魅力的に、かつ歪に見せていた。

ところで、キャラメルボックスの作品で、主要な登場人物が「劇中で死ぬ」のは、私が実際に観てきた中では『TRUTH』『涙を数える』『Courage of the Wind』『きみぼく』ちょっと毛色が違うものの、死ぬことには変わりないのが『カレカノ』『BREATH』・・・他にもたくさんあるかもしれない。
ただ、波多野のように衝撃的なエンディングを迎えるキャラクターはそういない。死ぬ役を演じる俳優は、毎公演ごとに「限りなくリアルに近い感情をもって役の人生を生きて、死ぬ」という。鍛治本さんも大阪4公演の間、日に日に憔悴、というか凄味のあるやつれっぷりだった(『TRUTH』の達也さんや畑中さんを彷彿とさせるような)。そして、同じことが観る側にも言えるわけで、終盤のクライマックス、私も自分がその場に居合わせていて、彼を止めたくても止められない悲痛な思いで、波多野を見ていたものだった。

「ぼくはただ・・・姉さんを守るために!」

雪絵の「あなたに守ってもらわなくても、私は大丈夫だから」という言葉が、波多野には拒絶に聞こえたのかもしれない。
あるいは、「姉を守ること」だけが、自分の行動の規範・動機であった以上、その言葉で自分の存在意義を一瞬、見失ったのかもしれない。

「さよなら、姉さん」

自らに裁きを下す寸前、波多野は雪絵を見つめ、オフマイクの声で別れを告げる。あの声が聞こえるのと、聞こえないのとでは、観客の感じ方は全く違うと私は思う。別れの声が聞こえたならば、あの悲痛なまなざしと声にならない叫びが、雪絵の顔に浮かぶ訳が分かっただろう。聞こえなければ、波多野は最愛の姉に対してすら、最後は「理解しえない」孤独の中で命を絶ったと思うかもしれない。幸いにも私はあの声を聞いた。聞いてしまったから、千秋楽から1ヶ月が経とうとする今も、あの台詞と場面が脳裏から消えない。そこに至るまでの姉弟の対話も、忘れることができない。
波多野がユーリを呼ぶ声は、時に歌うような高低の揺らめきを伴って、不思議な情感を呼び起こす。波多野は、幸吉に名前を呼ばれるユーリが羨ましかったのだろうか、とふと思ったことがある。恋愛感情とは違っても「誰かが誰かを大事に思う気持ち」をこめて名前を呼ぶことの大切さ・重さを、声を出さない姉を持つ彼には、人一倍理解できていたに違いないから。そう思考を辿っていくと、波多野の幼児じみた執着、大人げない狂気が、実は心の優しさ、情の深さの裏返しだったのだろう、とも思えてくる。



人が人を大切に想う気持ち。
陽の主人公・ユーリと、陰の主人公・波多野は、鏡に映った像のように、実は酷似した感情を抱えている。
一方は大切な存在を傷つけまいとして自分を傷つけ、一方は大切な存在を傷つけたくないがために人を傷つけた。

人の心を支配する力を持ちながら、その言葉に一番支配されていたのは波多野自身。最後は、自分が自分自身の言葉に操られ、踊らされていたのかもしれない。
同じ力を持っていると言われたユーリは、自らそれを封じた。それができなければ、いつか自分も波多野と同じ道を辿ると怖れたのかもしれない。

何とか波多野を助けてやってくれ、そう滝島が幸吉に頼むまでもなく、その思いは観客の多くが思っただろう。もちろん、観ている側には何もできない。何もできなかったからこそ、芝居の出来やエンディングはさておいても、どこか鬱屈した想いをかかえたまま、あれやこれやと登場人物の感情を推しはかっているのだろう。

想像は自由、それもまた演劇の楽しみ。上質な芝居ほど、ひとの心の水面に波紋を残していく。
さざ波であったり、激しい怒涛であったり、それもまた各々の受け止め方だ。

今回の『嵐になるまで待って』2016年版は、私の心にもいろいろな形で忘れられない波紋を投げかけてくれた。
キャスト・スタッフ・劇団の皆さんに心から感謝したい。




(了)