ソールズベリーの歌舞伎愛好家としての日々

歌舞伎や読書をこよなく愛するものです。私の身の回りのできごとや興味あることについて書いていきます。

清元延寿太夫と清元梅吉

2010-09-29 11:52:59 | Weblog
昨日は午前中、英語のお勉強。
 ガーディアンとニューヨークタイムズ、ワシントンポストのコラムをチェック、それからお勉強に勤しむ。
 夕方からはのんびりしていたが、NHKのハイビジョンで、8月の清元延寿太夫と清元梅吉の演奏会のドキュメントをしていたので拝見。
 清元は現在2派に分かれていて、延寿太夫の高輪派と梅吉の梅派の分かれている。これは名コンビといわれた5世延寿と3世梅吉の仲違い、梅吉の独立が発端。芸事の世界、語り物の世界では語りと演奏の2人一組でやっている。そのためコンビのつながりが大事であり、お互いが高めあうことで相乗効果を挙げ、名コンビができていく。お互いが名人同士だと、お互いの主張を譲り合うことがないので対立、コンビ別れもないことはない。この2派が今回合同で演奏会を8月にやる。88年ぶりの和解に向けて一歩か。以前にもあったがうまくいっていない。
 今回の合同演奏会は若い、とっても50代の延寿が宗家としてより自分の芸を高めるために、名人の誉れ高い梅派の梅吉に演奏を依頼し、梅吉も、自分の芸の向上、後継者を作り出していくために延寿の三味線を勤めたといってもいいかもしれない。
 延寿が万難を排して、梅吉に教えを請うような姿勢が合同の演奏会にこぎつけたと思う。梅吉もそれを寛容に受けた。
 番組では見せてはないがそんなりとはいっていないのは感じ取れる。
 注目は梅吉の立三味線に、高輪派の立三味線の榮三が脇に回るが、なかなかうまく三味線をひけていないところ。なれない部分が強いが、梅吉への葛藤、相手の流儀、梅吉にあわせていくことへのためらいが充分感じた。これからも合同演奏会をつづけていくらしいが、これが和解への道筋を作れればいいが。
 アマゾンで梅吉をしらべるとCDが出ていて、隅田川が収録されていたものがありこれは買わねばと感じた。じっくりと聞いてみたい。

オペラのテレビ放送

2010-09-26 22:37:14 | Weblog
10月1日にNHKの芸術劇場でベルリーニのオペラ「夢遊病の女」が放送されます。これは19世紀の前半ころのオペラで古いオペラです。俗にベルカント・オペラと言われるもので歌手の技巧を競うもので、ストーリーは気にせずに歌声を楽しみましょう。
 ナタリー・デッセーが主演とのことではなるがどうなるとこか。

特捜の存在意義は

2010-09-26 22:19:15 | Weblog
今日は朝から数学の勉強に勤しむ。といいつつも学校とは関係ない範囲の勉強。高校の数学、学校は中学の数学。
 昼寝して、買い物してをこなして、竜馬伝とNHKのスペシャルを見ていく。龍馬伝はいよいよ最終章に入る。弥太郎がますますおしゃれになっていく。龍馬の暗殺までをどう描いていくのかが楽しみ。
 NHKのスペシャルは特捜の検事の資料改竄の件についての検証、討論番組。内容的にはいままでの報道の内容をまとめた程度で目新しいものはなし。驚くのは立花隆が出てきてコメントをするのであるが、見て直感的に体力、知力の衰えがはっきりとわかった。体がぼろぼろなのはしっていたが、かなり衰えているのはわかる。出演しかかったのはそのためかもしれない。コメントもわざわざ出てきてはなくことではなく、NHKの立花隆というブランドを利用したかった意図がはっきりしている。討論では江川詔子、元特捜検事の熊崎さん、弁護士の方とでていたが、熊崎さんの検察の組織防衛にはしるのはいやいやであった。江川詔子が、特捜の存在意義と取調べの可視化を投げかけたのはこの番組の唯一の評価できる点であった。番組を見ていて、これで村木さんのことはこれまでとメディアが宣言しているようにも感じた。
 今回の事件で特捜の存在意義がどこにあるのかが問われたことかもしれない。証拠の裏づけがなく、証言と自分たちの描くストーリーだけで進めていくことに強大な権限を与えることの恐ろしさを教えてくれた。

尖閣諸島は波高し

2010-09-25 21:09:45 | Weblog
今日はぼんやりと過ごしているが尖閣諸島での船長開放が話題である。新聞やネット、ツイッターを見ていると、日本政府の対応に腰抜けと批判の記事が目立つ。昨日あたりにレアアースの輸出禁止、フジタの社員の拘束で事態が動き出して、船長の解放となった。
 中国の相次ぐ外交カードの前に日本が切るべきカードがないのが、今回の船長開放に導いたのかもしれない。突っ張って見たところで、中国の市場を前に大使の召還、国交の断行をやるだけの度胸も覚悟もあるわけではない。中国への対抗策というものが見えてこないのも現状。背後にアメリカの影が見え隠れしていることから米中のパワーゲームの前に翻弄されたのが事の本質かもしれない。
 ツイッターではフリーのジャーナリスト、政治家ののコメントが出てくるが、ナショナリズムをやたらと振りかざす。これこそ恐ろしい事態であって、このあたりへのコメントはほとんどなかった。
 中国国内の権力闘争、これはポスト胡を巡る争い、台湾との正統性を巡る争いなど、さまざまな利害が絡み合っているので短絡的に物事を見極めるわけにはいかない。
 領土問題では中国はあちこちで問題を抱え、紛争している。
 日本に対してエキセントリックになるのは何かあるのか。
 しばらくは目を離せそうになさそうである。

これも政権交代の現われか。

2010-09-24 22:55:18 | Weblog
学校に通いつつ勉強に励む日々であるが、あまり学校に行かずに独学で中学、高校の数学をメインに取り組んでいる。数学は数1の因数分解や式を展開しているが、これが計算が面倒で思うように進まない。あせらずに進めていきたい。数Ⅱは図形と方程式をもうすぐ終える。昔は、かりにくかったが今はやりやすくなっている。年内には高校の文系の数学の範囲は終えたいがどうなるかである。英語、その他含め、高校の科目の勉強である。こつこつと気長に取り組んでいこう。
 ここんとこ、検察の不祥事、中国との外交問題と、かつてはなかったことが取り出されている。これを政権交代の象徴といえばそれまでであるが、当たり前となっていたものが当たり前ではなくなっている。
 検察の証拠の改竄はあったにせよ、これまで表にでる話ではなくなっている。村木さんの件は逮捕されたときのことは週刊誌でさんざんかかれていたのを覚えているので、無罪になってからのマスコミの騒ぎようは、変である。いまだにまともな検証はなされていない。村木さんは本来なら事務次官としてもおかしくないない人材だけに、いま局長級のポストを与えられたにせよ、次官へのチャンスはあるのであろうか。
 村木さんが次官となれば女性、地方国立大ということで、ひとつの歴史を作り上げることになっていたと思う。
 因みに官庁の局長、次官クラスはほとんど東大、京大、旧帝大でかためられている。なんとなく組織ぐるみの陰謀が今回なにかあったのかと疑いたくなる。検察の証拠改竄のお粗末さは、検察のレベルも地に落ちたなと感じる。
 中国の領土問題は、新聞の情報からは、ナショナリズムをあおる趣が強い。ツイッターで情報を見てみると、中国は冷静であり、日本の器を探っている。どう出るかで動きを変えている。中国の動きというのは国内の権力闘争などどつながっているので、ややこしく注意深くみていかなくてはならない。日本の短絡的な動きというものに驚き、あきれている。レアアースで屈したのかもしれない。