さり~♪の気まぐれ日記

ウルトラマラソン、ジャニーラン(走り旅)など、
気まぐれに書き連ねたいと思っています。

カワセミ

2009-07-10 09:06:52 | 日記
自宅近くに境川という小さな川が流れています。
この川は八王子市と町田市の境界地域を源流とし、湘南江の島に注ぐ全長52kmの川です。
境川の名前の由来は相模国と武蔵国の境界を流れるからだそうです。

この地に引っ越してきた四半世紀以上前の境川は悪臭漂う家庭排水などで汚染された酷い川で魚も昆虫も見かけたことがありませんでした。

その後、下水道設備の整備が進み、鯉や鮒の放流が進み、カルガモ、マガモ、コガモ、ウミウ、オナガ、ユリカモメ等々が飛来するようになりました。

それとともに、カワセミも時折見かけるようになりましたが、今では毎日のようにお決まりのポイントに飛来し、素人カメラマンの格好の標的になっています。

この写真は2日前に撮ったものですが、この日は雨が時折ぱらつく天気で、バズーカー砲のようなカメラで狙っている者も1人もいませんでした。
カワセミもいつものようにポーズをとったり、お愛想を振りまく必要もありませんので、一家団欒を楽しんでいるようでした。
それも5羽とは、初めて見ました。

「剱岳」と香川照之

2009-07-08 07:48:20 | 日記
映画「剱岳」を観てきました。
山の映像、四季の映像と自然の映像を見るだけでも素晴しかった。

あらすじは
 明治39年、参謀本部陸地測量部の測量手柴崎芳太郎は五万分の一の地形図作成のため三等三角点網を完成するため、当時信仰の山で前人未到の北アルプス剱岳への一番乗りと三角点埋設の命令を受けました。
 ほぼ同時期には民間の山岳会が結成され、剱岳初登頂をねらっていました。
 柴崎は案内人として地元の宇治長次郎らとともに登頂路を探しますが困難を極めなかなか見つかりません。
 そして苦労の末に初登頂に成功し、頂上で見たものはナント・・・

 私はこの案内人宇治長次郎の役の香川照之の演技力に、かねてから注目していました。
 緒形拳を最初に観た時も衝撃を受けましたが、彼の場合も「北の零年」の演技が秀逸でした。
 「剱岳」を見る時は、その辺りも見て頂ければと思います。
 なお、香川照之は女優浜木綿子の息子です。

 頂上で見たものはナント・・・は錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖で奈良時代後半から平安時代初期のものだそうで、今から1000年以上も前のものです。
 ある程度近代的装備をした測量隊でも困難を極めた剱岳登頂を1000年以上も前の修験者が登頂していたとは、まさに驚きです。
 この発見物は重要文化財として立山博物館に展示されているそうです。
 http://www.pref.toyama.jp/branches/3043/3043.htm

サントリー武蔵野工場

2009-07-06 11:45:22 | 日記
走友が呼びかけて、新宿から府中にあるサントリー武蔵野工場まで、名所旧跡を訪ねながら走って行き、無料のビールを呑もうという催しがありました。

朝の6時30分、新宿駅南口に集まった精鋭たちは、先ず新宿の末広亭や街中の神社仏閣を訪ね、玉川上水に沿って府中に向かいました。

途中、武者小路実篤の旧居や芦花公園、所々の神社や寺に寄りながら、喉が渇いたといってはコンビニでビール、腹が減ったといってはまたコンビニでビールという具合で、丁度アルコールも醒めてきた頃武蔵野工場に着きました。

30分間ほどの工場見学の後、お待ちかねの出来立てビールの試飲です。

いやあ~~~美味いですなぁ!
3杯までOKということで、全てプレミアムビールを頂きました。
やはり、発泡酒や第3ジャンルとは違いますし、なにせ産地そのもののビールですから味も香り大変宜しゅうおました。

次の予定はキリン生麦工場です。
ぜひとも参加しなくては・・・・・

写真は途中の公園に咲いていた蓮の花。

平塚七夕祭り

2009-07-04 20:40:27 | 日記
7月2日(木)から5日(日)の4日間、平塚の七夕祭りが開かれています。
厚木に本拠を置く走友会では毎年この時期に厚木~平塚往復ランを行っており、今回初めて参加しました。

大通りを埋め尽くす七夕飾りに感嘆しましたが、それでも毎年数が少なくなっており、今年も昨年より少なくなったとの声がありました。
これもサブプライムに端を発した不景気のせいかもしれません。

しかし、沿道には見物人で溢れ、人気屋台や食べ物屋の店には長蛇の列が出来ていました。

私たちは歩道の一角で七夕飾りを見ながら、屋台やコンビニで買ってきたたこ焼き等をつまみにビールで乾杯しました。

この後、梅雨の合間の暑い中厚木まで15kmを戻って行きました。


水舟

2009-06-27 10:59:11 | 日記
中山道を木曽福島から妻籠に入る前に、ふりそでの松という名所があります。
かって木曾義仲が弓を引こうとしたときに、その松が邪魔になり巴御前が袖を振るい松を倒したという謂れがあります。

しかし、巨木な筈のその松が見当たりません。
良く観ると最近切り取ったばかりのようで幹の根元部分が残っていました。
松くい虫に侵され倒木の恐れがあり、通行者の安全のためについ最近伐採したとのことでした。

仕方なく、その場を過ぎようとしましたら、松の木があった対面で地元の方が大きな丸太にノミを振るっていました。
気になって尋ねて見ますと、伐採したふりそで松を燃やす予定であったが、由緒あるものなので忍びないということで巨大な水舟を作っているところでした。
完成の暁はテレビ局の取材もあり報道される予定だと嬉しそうに話をしてくれました。

水舟は中山道では良く見かけます。
山が深いため、湧水をあちらこちらでみかけ、それを木の箱に受け地元の人や旅人の喉を潤してくれます。
普通は1段か2段で箱型のものや舟型のものを見かけますが、長さ8m、3段のふりそで松の水受けはなかなか見事なものです。