手術も終わり、自分の体からたくさん出ていた
いろんな管が無くなっていくと、ドンドン家に帰りたくのが普通。
ママも同様に、『もう帰れる。◎◎日には、もう帰れる』と、
ママからのメールが届く。
でも、私には一抹の不安が・・・。
なんていっても『悪性』とか『非常にたちの悪い』という言葉が先生から出てくるのに、
こんなに簡単に帰れるはずが無い・・・と。
ママは、『私には抗がん剤治療なんて関係ない』と、
病室の大半が抗がん剤治療で入院している方なのに、
平然と言っている。
そして、ついに『先生からの話があるから、◎日に来て』という呼び出しが・・・。
私の中では、『退院ではなくて、良くて抗がん剤治療、悪くて病院に居残り』
という気持ちなのに対して、ママは『退院♪ 退院♪』。
こんな気持ちで、先生の話を聞くことに。
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そして、病名もハッキリわかりました。“類内膜腺癌”なんだって。
案の定、『リンパには移転が無いけど、血液に移転している可能性が・・・』と。
そして、『このまま、退院をちょっと伸ばして抗がん剤治療しましょう』とのこと。
ママの半端ない凹み方を見ても、仕方ないことだと言い聞かせ、
退院を1週間伸ばして、抗がん剤治療に。
抗がん剤治療の薬も色々あるらしく、どれが体に合うのかも判らない状態。
とにかく、先生の言う『抗がん剤の横綱』という組み合わせで開始することに。
でも、どんな組み合わせでもも副作用があり、
脱毛・吐き気・免疫力の低下・赤血球白血球の現象などがあるらしい。
それを納得するまでママに説明し、治療開始。
体に異変が起こるのは、点滴をし始めてから5分以内に起きるらしいが、
ママはそれをクリア。
吐き気を具合も悪くならず、1日目が終了。
こっちが心配しているのに、1日目午前中からの治療なのに、
『お昼はカレーライス。美味しく食べた』とメールが・・・。
薬の中に少量のアルコールが入っているらしく、
『足の裏と、背中がポッポッして気持ちいい』と、にこやかに話していた。
ちょっと気が楽になった。
本当は、一度家に帰してから改めて治療したほうがいいんじゃないか・・・
と考えたりしたけど、日にちをずらすと年末年始にかかるし・・・。
退院をずらして正解でした。
今年は、兄と2人でお正月の御節・オードブル・お寿司を、
ママに内緒で注文。
みんなでゆっくりしようね。
11月26日にママの手術がありました。
時間的には約5時間。
私には短いのか長いのかわかりませんが、体感的には凄く長く感じられました。
手術後、先生に呼ばれ、摘出したものの写真を見せられました。
図鑑と同じ形のものが映っていました。
その中央には、腫瘍がハッキリと写っていてました。
ママの体から切り取られたものは、
元はといえば、私が入っていたところで、
その中で約10ヶ月間育ったところ。
なんだか、切なくなりました。
もう二度と、その中に私が入ることは無いけど、
ママの中の私の家がなくなったんだと考えると・・・なんだか寂しい。。。。。。。
その後、約1週間たって、やっとママの食事が始まりました。
最初の食事は、コーンスープらしきものと重湯。
(ママ曰く、米粒が38粒入っていたらしいです。)
術後、ママからの初めてのメールは
『抜糸した。米粒38粒より、縫い目のほうが多くて数えるのが諦めた』
でした。
そして今、体から出ていた管も無くなり、元気に歩き回っています。
年内にも、退院出来るみたいで、一安心です。
テレビを見ては
『ヤマト運輸の梅干が食べたい。二条市場の生ちらしが食べたい』と
騒いでいています。
元気になったら、いくらでもご馳走するからね。