シリア
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代弁されず報道されず死んでいく人たちのこと
色々と情報を見るなかで見つけたIndependentのチャートに考えさせられた。2013年において、
テロで亡くなった16,245人のうち、どの人たちがいちばん亡くなったのかについて示している。
一位のイラクでは5000人以上が亡くなっている。
声の大きい人々の間で起きた悲劇が大きく伝えられる一方で、
全く代弁もされずクローズアップもされず死んでいく人(殺されていく人)たちのことを、僕はいつも考えてしまう。
もう一つ、Facebookの顔写真をフランス国旗にするのってなぜなんだろう。パリはご存知の通りの国際都市で、
そこにはたくさんの外国人が住んでいる。都市の旗であれば分かるんだけど、国旗である必要はあるのだろうか。
そして、やっぱりこのフランス国旗を顔写真カバーにした人々は、このチャートを見てイラクやアフガニスタンの国旗を掲げるんだろうか。
(2015.11.15noto Taejun)
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この「noto」を書いている方の記事は共感できないものもありますが、この記事のこの部分だけは同じ考えなので掲載させて頂きました。
フランス同時多発テロで、欧米中心の報道がされる中、日本のマスコミもそれにならって発信して、日本人も欧米中心の見方をするようになります。
その典型が、追悼の意味でFacebookの顔写真をフランス国旗にしたり、また東京スカイツリーもテロの被害者の追悼ということで
フランス国旗のライティングをしました
もちろん追悼することを否定しているわけではありません。テロは許しがたい行為です。
しかし、テロで亡くなっているのはフランスだけではなく、他の国ではもっと多くの人々が亡くなっています。
その人達への追悼は無視してフランスはする。なぜか。欧米以外は悪い国だから?
これではクローズアップされない人々からすると、日本人のやっていることは偽善そのものと言われても何も言えないのではないか。
そこがおかしいということに気付くべきだと思います。
日本人はあまりにも欧米中心の見方に慣らされてしまっているのです。
教科書もそうです。例えば教科書では世界一周のマゼランはフィリピンの原住民に殺されたと教えますが、
フィリピンの教科書では「西洋の侵略者マゼランに、勇敢に立ち向かったマクタン島の英雄ラプラプが戦って勝利した」と教えます。
日本人は欧米の見方で教えられているのです。
ここで日本人が考えるべきは「全く代弁もされずクローズアップもされず死んでいく人(殺されていく人)たち」のことです。
日本に直接影響してくるのが敵国シナです。
そのシナに資源を略奪され、民族浄化されている人達は代弁もされず
クローズアップもされずに殺されているのです。
その時、日本人はチベットやウィグルの国旗をFacebookの顔写真にしたり、スカイツリーでライティングしたことが
あるのでしょうか。よく考えるべきではないか。
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転載、させていただいた記事です
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【速報】フランス空軍がイスラム国の首都ラッカを空爆…パリ同時テロ事件以降初!
欧米メディア、仏自爆テロを「kamikaze」と表現
フランス同時多発テロで「イスラム国」が犯行声明 正しさとは何かが問われる世界
パトロールするフランスの兵士(kavalenkau / Shutterstock.com)
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パリの同時多発テロで、
128人(現時点)の方が亡くなりました。
世界はいま深い悲しみに包まれています。
一方でシリアでは、毎日のように、
数百人の方(子供を含む)が死亡しています。
なんでパリだけ悲しむんだ?
不公平じゃないか?
生命の価値は同じではないのか?
まあ、そんなふうに左巻きは主張します。
そしてそこから体制批判に持って行きます(笑)。
彼らは大いなる勘違いをしているんですよ。
国民に生命の価値や人権を付与できるのは国家だけです。
国家を離れて人権も生命の価値もへちまもありません。
失敗国家の国民は、自分たちの国家が、
自分たちに生存権や人権を与えてくれないので、
虫けらのように殺されても文句がいえない、
いや実際にそうやって殺されているんです。
間違いの元はどこにあるのか?
それは「人権」という言葉の間違った解釈です。
人権というものが、すべての人類が、
天然自然に生まれながらに与えられるものだ。
そんなふうな現実離れした解釈です。
ああ、それが事実ならどんなに素晴らしいでしょう。
でも現実はまったく違うのです。
もしもそれが現実なら、海の向こうで、
虫けらのように殺される民はいないことになります。
しかし実際に、そういう民はいます。
だから現実は違うのです。
だいたい生まれながらに与えられるなら、
誰が与えてくれるというのですか?
神様とかですか?それはどこにもいない。
国民に人権を与えてくれるものは、
その国家以外にはいないのです。
国連は1948年に「世界人権宣言」を採択しました。
そして法的拘束力を持たせるために、
「国際人権規約」という国際規約を作りました。
なぜそんなものが必要だったのか?
人権が天然に与えられるものなら、
国際規約など不要です。
天然に与えられるものでないからこそ、
国際規約の縛りが必要だったんですよ。
「国際人権規約」を批准している国家において、
おおむね人権は守られることになっています。
しかし世界には、そんなもの関係なし、
批准するどころか、人権を保証するどころか、
国民の生存権さえ保証できない国家があるんです。
そういう国の国民と、
日本や欧米先進国の国民とでは、
生命の価値に歴然とした差があります。
生物学的には同じ生命です。
しかし社会的価値がまったく違うのです。
私の言っていることはシビアですか?冷たいですか?
シリアという国を作り出しているのはシリアの民です。
誰が強制したわけでもありません。
彼らが彼らの生命の価値を決めたのです。
日本という国は、国民が虫けらのように殺される、
その事態を避けるために必死に近代化をしたのです。
古い不合理な蛮習を捨て、富国強兵をはかったのです。
「坂の上の雲」をめざして頑張ったのです。
その結果として今の日本があります。
私は日本国民に生まれたことを感謝しています。
そして日本国といえども、外部の侵略を許せば、
日本人の生命の価値も紙くずになることを知っています。
いつまでも近代化ができず、
国民の生命さえ保証できない失敗国家の、
その民に同情している場合ではないんですよ。
私たちが間違いを犯せば、日本人の子供だって、
虫けらのように殺される時がやってくるのです。
安全で便利な日本に住み、シリアの子供に同情する、
左巻きの偽善は度し難いものです。
それはシリアの人たちからも憎まれるものでしょう。
を手に入れて、「宗教こそが民主主義を発展させる 立木秀学著」を読んでいる途中なのを忘れてましたね^^;
なぜか、組織と言うのは安定を望んでかピラミッド型になりますし、頂点に君臨するものにより左右されてしまいます。
この世とあの世をつなぐ人間なのか、それともこの世だけの人間かで違いますね。
確かに、直接関係なければ近隣の家の葬式だって行かないし、お参りもしません。
仕事上、生活している付き合いの範囲内の関係者の結婚式や通夜、葬式に行く事はあっても、呼ばれなかったら行かないでしょう。
万人に対して、片寄ってはいけないというのは建前上理解します。しかし、個人の思いの度合いによって偏ってしまうのは仕方ないでしょう。
国旗に対して使用を良くないと思う、片寄った支持だというなら、追悼、哀悼の意を表す形として、アイコンを黒く半透明にしたモノを被せればいいと思います。
やり方は簡単です。エクセル等で元の画像に半透明の黒の画像を被せて、グループ化してしまい。それをSNS等のアイコンに使用すれば、哀悼の意を表すのに、明確な国や地域を画像では表していないので、問題視されることはないです。それに、システムで個人情報が抜かれるだの噂が立つこともありません。もし、個人情報等が抜かれる等の被害があった場合は、「はつみリスト」と同じで、悪意ある情報収集によってリスト化され公表されたに過ぎないからです。SNS等が提供したアプリ等で自分のアイコンを変更してしまったらそれは自己責任ですが、自分が加工した写真をアップしたモノがリスト化される、または、風評被害に遭うなどあった場合は、そのSNS自体が信用できないものと成ってしまいます。だって、普通の写真加工と同じなのですから。
万人の不幸をリアルタイムで知るすべは有りませんし、仮に知り得たとしても、すべての人に対しアイコンを随時替えるなどの対応は出来ません。
それが偽善と言われても、仕方ありませんが、ここ最近始まったアイコンによる意思表示の仕方を完全否定する方が偽善と思えるのは、なぜでしょうか?
自分の意思表示なので、第三者がどうの云う事ではないと思っています。何らかの意思を表したい。
それは、色々な手法があっていいと思いますが、反社会的、かつ攻撃性の高いモノはやめた方が良いと思います。
近隣国の内紛にまで興味を注ぐことは出来ませんが、一方的な大虐殺や人権無視は近隣諸国に住んでる者とすれば、早くやめて欲しいな。それだけです。無条件に抵抗してない人々への哀悼の意は示しますが。