さくら便り from Uganda

ウガンダ生活も残りわずか。
世界って広い。違いすぎる!
けど、やっぱり離れがたくなる。
世界のどこへいっても。

名前

2016-12-15 | 文化
成績処理をしていると面白いのが
日本では聞きなれない子どもの名前。

まず日本の○○子ちゃんみたいに、
ウガンダの女の子はナ○○が多いです。
わたしの名前であるナンスブガ、然り。
ナンチャ、ナルベガ、ナムテビ、
ナチムリ、ナチガンダ、ナカレンベ、
ナミレンベ、ナニョンジョ、ナチワラ。
名簿の9割はナ○○なので、その中から
また1人のナ○○を探すのでさえ大変。
その後にクリスチャンネームが続き、
例えば、ナカレンベ・エスターとか、
ナンサンバ・グレースなどとなります。
中にはナカイマとかナカガワなんていう
日本の名字みたいな名前もあります。

一方、男の子はKやSから始まる名前が
半分以上を占めます。例えば、
カトンゴレ、カイタジ、カコーゼ、
セモゲレレ、センタム、セノガ。
セガワさんやカトーさんもいます。笑
また、女の子のナ○○からナをとった
ンスブガ、ムテビ、チムリといった名も
よく聞かれます。

これまで出会った名前の中で、
思わず笑ってしまうほどヒットしたのが
日本でもいそうな、カトー・ジョン。
そして、びっくりなシリキレ・ベティ。

人の名前を笑うなんて、いけないけど、
でも、所変わればいろいろあるんだな
と、つい面白がってしまうのでした。


写真は全然関係ないけど、
他隊員の任地近くの村の子たち。
シールあげたらとても喜んで、
おでことかに貼っててかわいかったです。


ちなみに、今回紹介した名前は全て
私の任地の中心部族であるガンダ族
での例で、部族によって名前の傾向は
いろいろ違ってくるようです。
例えば、大家さんたちのルウォ族は
男の子だとオで始まるオケロ、オピオ、
女の子だとアで始まるアチン、アピオ、
などが多かったりして、また面白いです。

年度末

2016-12-11 | 文化
12月9日、三学期が終わりました。
学校によって多少の差はあるけれど、
公立の小学校は原則この日が最終日。
うちの学校のスケジュールはというと、
学年末試験が始まったのが11月25日。
金曜日に各学年、1教科だけやって、
授業料未納の児童に注意喚起をして、
月曜と火曜で終わらせるというもの。
この3日間で、1〜3年生は
英語、算数、リテラシーⅠ、リテラシーⅡ、
宗教、リーディング、ルガンダの7教科、
4〜6年生は
英語、算数、理科、社会の4教科を
試験しました。
足りない教室を順番交代に使って、
追い出されたクラスは校庭で放置。
私はその子らと学習クラブしてました。

試験が終わってからは採点期間となり、
子どもたちは学校には来ません。
先生たちがひたすら大量のペーパーの
丸付けに取り掛かります。
いつもイマイチ採点基準がわからない
、というか理解納得できない、ので、
私は点数を名簿に書き込んでいく作業を
ひたすらお手伝いしていました。

その名簿も、各教科の先生がランダムに
つまり好き勝手に並べた表を作成し、
各個人の成績表を作る段階になって
各学年200人近くの児童名をそこから
探していくという、途方もなく非効率な
やり方をしていたので、全然終わらず。
とうとう前学期末、私は発狂しまして、
アルファベット順の名簿を作成して、
「ちょっと一度試しに使ってみて!」
と口うるさいくらいに営業しまくって、
やっと使ってもらって、効果を実感して
感謝すらしてもらえたという裏話つき。
なかなか文句は言っても新しいことに
取り組む意欲のないここの先生たちに、
少しの工夫で改善されることもあること
を感じてもらえれば、と自己満足です。

そして8日の学年末職員会議では、
試験結果を持ち寄って進級基準を決める
という作業が行われました。
思い返せば去年のこの時期、耳を疑う
せり市場のような状況がありました。
例えば低学年の例(数値はだいたい)。
「200点未満の子は何人?」
「100人です。」
「100人落第は多い。150点未満は⁇」
「50人です。」
「よし、では150点で切りましょう!」
そんな決め方⁈さらにやるせないのが、
これが700点満点での話だったりする…
のでもう唖然と聞いていることしか
できなかった昨年の学年末職員会議。

今年は私の慣れもあったと思うし、
ボーダーラインを決める先生たちから、
「100点で切るとして110点代の児童は
次の学年の授業が分かるだろうか⁇
例えば誰がこのラインにいる?」
といった会話が聞かれたのが
せめてもの救いだったように思います。

けど、現在最高学年の6年生の最高点が
400点満点中284点だったことには、
さすがの先生たちも頭を抱えてました。
さらに200点以上だったのは14人。
5年生に至っては200点以上は3人…。
「どういう教え方をしたんですか⁇」
て高学年の先生たちを責める校長たち。
黙っていようと思ってはいたけど、
この雰囲気に「ちょっと待って!」と
突っ込んでしまいました。

私が授業していても、高学年の中には
英語のわからない子はたくさんいます。
点数悪いのは内容もさることながら、
問題すら読めないという現状があって、
そこはこれまで「この辺で切らなきゃ
人数的に無理」て切り上げてきたことの
しわ寄せ。高学年だけの責任じゃない。

その通りだ。て他の先生もわかってる。
だけど、あまり何度も落とすと今度は、
学校に来なくなってしまうという
困った状況になるのも事実です。
かれこれ4回目の3年生なんていう子も
いるらしく。難しい。そんなこんなで、
うちの学校は驚くほど学力が低いです。

授業料も低いので、お金のない家庭の
最後の砦みたいなうちの学校。なので、
うちの学校でやっていけない子が行ける
そんな学校はこの辺りにはなく、
結果、その子はどの学校にも行かずに、
大人になっていくということなのです。

だからと言って、進級させればいい
というわけでもありません。
そこをわかるように教えてあげるのが
先生の役目だ、それは間違いない。けど
やる気の問題、カリキュラムの問題、
多すぎる児童数の問題、問題山積みで
さらにその根はとても深いと感じます。

9日。子どもたちが成績表を取りに
わらわらと学校にやって来ました。
先生の準備が整うまで、文句も言わずに
無邪気に遊んで待つ子どもたち。
進級できた子、できなかった子、
高学年児童の中には
結構深刻な顔の子もいたけれど、
来年また元気に皆戻ってきてほしい!
そう願ってさようならをしました。

成績表をもらうと長い休みの始まりです。
各学校の寮生たちが一斉に家に帰り、
町は送迎のタクシーで溢れていました。

時間の感覚

2016-11-24 | 文化
例えば今、私はすごく後悔しています。
なんで、今朝、家を出てくるときに
本を持ってこなかったのか。
予測できたのになぁ、こうなることは。

今日はPTA会議の日なのです。
かれこれもう、することもなく
3時間以上もぽけーとしているのです。
会場は保護者でいっぱいなので、
他の先生たちも、木陰でぽけー、と。
少なくともスピーカーから流れてくる
ガンダ語がわかればまだよいのですが。


ちなみにプログラムはこんな感じ。

開始時刻が遅れたのは想定内です。
むしろ11時前に始まったことに驚き。

プログラム6番目のPTA会長の話が
20分とられていることからも
わかりますが、ウガンダ人の話は長い。
そして時間が過ぎても構わず続けます。
文句も言わず聞く皆、えらいと思う。

合間のエンターテインメントとしての
歌やダンスだって5分では終わらない。
2〜3日しか練習してないけど、
形になってる子どもたちに感心しつつも
どんどん遅れていくスケジュール。

何時に終わるのかねー?
て話してたら、5時じゃないか?て
いう先生がいて、冗談じゃない!と。
けど、冗談じゃなく本当にあり得るのが
TIU。そうなんですよね。今、3時。

13番のダンスを飛ばして、
14番のゲストスピーカー、市長の講話。

あまりに暇すぎて、やけになって、
もう子どもたちと一緒に踊ってやろう
と思って、ゴメス着て、腰にアカリバ
(踊り子が腰につける飾り)までつけて、
飛ばされた13番を待っています。



で、考える。ウガンダでの時間の感覚。
感覚には当然個人差があるものですが、
概して、ウガンダの人たちはのんびり。
私は日本人にしたってせっかちな方で、
意図的に時間を設けてのんびりするのは
好きだけれども、そうではなくて、
何かを待つとか、予定が伸びるとか、
そういうのには苛立ってしまいます。
時間がもったいない!て思ってしまう。
だから、こうして、何もすることなく、
そして終わりが予測できないものを
ただただ待つというのは大の苦手です。

ウガンダ人は得意か苦手か知らんけど、
待ちます。とても辛抱強い。すごい。
待つことが苦痛ではないんだろうか?
今だって、お腹すいた。とはいうけど、
あの市長、まだしゃべってるよ、
もう30分になるっていうのに!
なんて、誰も言いません。
ただ、ぽけーと、本当にただただ
ぽけーとして、待ってるんです。
家で子どもがお腹空かせて待ってるわ、
という同僚も、苛立ってはいません。
なんでしょう、諦めてる感じ?
うん、そうかも。諦めの境地なのか。

他のことにもそうです。
物を貸して返ってこないとか、
隣のスピーカーから流れる大音響とか、
店に売ってる不良品とか、とかとか。
日本だったら間違いなく問題になる
そんな状況がたくさん溢れてるのに、
ふだん、ウガンダ人が相手に苦情を
言うところをほとんど見たことがない。

ぼやきはします。けど、他人に対して
どうにかして!とは言わないのは、
相手が聞いてくれないと思ってるから?
けど、言わなきゃ伝わらないじゃない。
よくなるものもよくならないじゃない。

相手に苦情を訴えないのは、
自分も同じことするのでおあいこだ、
と言うのを聞いたことがあります。
もちろん、一方で他人の過ちに寛大
という良いところもあるのだけれど。
なんでもクレイムし過ぎるのは窮屈
という点もあるのだけれど。でもでも。

空気を読むなんて当然しないから、
言わない限り人々は好き勝手します。
で、勝手されて、ぼやきはする。
だから、変わらないんだーー!て、
思う時がたくさんありますが、彼らは
変わらなくていいのでしょうか。TIU?
ぼやくのもお愛想なのかもしれません。

1年以上ウガンダにいるけど、
やっぱりわからなくていつも悩む点。
諦めることと寛大になることは違う。
そうは思っても境目がわならない。
変えられることを変える勇気と
変わらないものを受け入れる落ち着き、
そしてその二つを見極める賢さ。
むむむむーーー。賢くなりたい。



そうこうしてる間に、ついに、やっと
市長の話が終わって、踊ってきました。
私のダンス、めっちゃウケました。
こんなに時間遅れて、さっきまで、
討論で、授業料なんでとるんだ!とか
言い争ってた人達が、めちゃ喜んで、
たくさんお金握らせてくれました。
(ウガンダでは客がパフォーマーに
感謝の意を表してお金を握らせる)
この切り替えの早さもすごいなと感心。

そして15番の役員選出。4時過ぎ閉会。
からの、昼ごはん。冷めたポショ豆。

みんな、長かったね。とは言うけれど、
特に不満そうでもなく、帰宅しました。
先生たちの中には、なんなら、
今日はいつもより早く帰れるわ、と
うれしそうに言っている人もいて、
そうゆう寛大さ、本当にすごいと感心。
なかなか真似できません。慣れません。

彼らには彼らの感覚があって、
私がここにいるのは、
彼らの感覚を変えるためではなくて、
彼らが本当はどうしたいのかを
一緒に考えるためなんだと思うけど、
歩み寄ることに失敗してばかりの日々。

けど。イライラしたって仕方ない。
そう思って、やけになって踊ることに
決めた私は少し成長したと思います。


カバカ

2016-11-05 | 文化
暑さ厳しい11月の週末、近所の広場に
カバカ(王様)がやってきました。

カバカは部族ごとにいるそうですが、
今回来たのはガンダ族のカバカ。
王制ではない今でも、各部族の王は
文化的リーダーとして人々から
敬われ、崇められています。

この日のために、一部の子どもたちは
授業にも出ずにマンゴーの木の下で
ひたすら踊りの練習をしていました。
ルウェロにカバカが来るのは
何年ぶりかのことだそうで、
みんなお祭りムードでした。

土曜日、広場の入り口には
セキュリティのためのゲートが設けられ
いつも以上の露店が並んで、
カバカの写真バッジやカバカ!とか
ブガンダ!(ガンダ王国)とか書かれた
帽子やらなんやらが売られていました。

人混みと騒々しい狂気が怖くて、
通りすがりに撮った入口の写真のみ。

前の晩からお祭り騒ぎは始まっていて
土曜の夜まで続きていたけれど、
カバカの滞在時間はほんの数時間。
まだ来ないーてお昼前に言ってたのに、
お昼過ぎにはもう帰ったーてな感じ。
後はお付きの人とか政治家とかが
演説をしていたようです。

それにしてもそんな短時間のために、
あそこまで盛り上がれるってすごい。

同僚もゴメスやカンズといった民族衣装
を着込んで会場に参列したようです。
そのうちの一人のおじいちゃん先生に
いろいろ教えてもらいました。

内戦時代はイギリスに亡命していた
カバカを今の大統領が呼び戻して、
手厚く保護してくれていること。
(だから国民は大統領が好きなんだと)
一夫多妻のガンダ族なので、
カバカの妻の数は誰もわからないこと。
子どもの数も誰もわからないこと。
これは一般人でも程度の差こそあれ、
よく聞く話なので、文化の違いを
感じずにはいられません。そもそも
昔はガンダ族の女性たちはみんな
カバカに属するものとみなされていて、
カバカに指名されたならば
例え自分の妻であっても
黙って差し出さなければならない。
むしろそれは喜ばしいことなのだとか。
何より、女性側の権利なんて
そこに存在すらしていない…。
今でも、近いものを感じることが
よくあり、むむーとなるところです。

ま、それでもカバカはみんなの人気者。

その週末は広場の外でも、老若男女、
カバカのバッジや帽子をつけて、
カバカムード満載でした。

オクワンジュラ②

2016-09-09 | 文化
(①からの続き)
花嫁の踊りが落ち着くと、
各部族の王様の写真が出てきました。

額縁に入れられた王様の写真と
額縁に入った証書のようなもの。
どうやら、結婚の際には王様に報告して
花婿側がお金を納める習慣らしく、
ガンダ部族の王様とニョロ部族の王様と
両方にきちんと報告しましたよ、
ということのようでした。
これらの額縁を花嫁側に納めた後は、
花婿が花嫁にお花のバスケットや
ネックレスなどをプレゼントします。
花嫁は花婿にガウンを着せてあげ、
いよいよ自分の親に花婿を紹介します。

父親は笑顔で花婿を受け入れ、
なんと自分の膝に座らせていました。
花婿のソファに移ってからの記念撮影。
主役の二人はもちろん、周りを囲む
みんながみんな、嬉しそうな笑顔。
日本でもどこでもこういう式って、
みんなを幸せな気持ちにしてくれます。

さて、花嫁がお色直しをしている間、
結納品が運ばれてきました。
女の人たちが器用に頭の上に乗せ、
カゴに入ったトマトや玉ねぎ、
バナナ皮で包装したパイナップルなど
たくさんの食べ物が運ばれてきます。

塩、砂糖、ポショ粉の入った大袋やら
石鹸などの日用品が運ばれてきたなら、
ひもで引かれてヤギが登場。牛に鶏。
さらにはスーツケースやらソファやら。
どデカイ雨水タンクには仰天しました。

せっせと一族で運んできてからは、
贈り物の説明紹介が始まりました。

それから、装い新たに花嫁が再登場。
一緒に出てきたおばあちゃんを
花婿と一緒に、贈り物の揺り椅子に
座らせてあげた場面にはほっこり。
そこから改めて花婿の親族紹介、
花嫁の親族紹介がそれに続きます。
たくさんいるから大変です。

そしてそれに続く、ケーキカット!

は花嫁とその付き人が行いました。
そしてなぜかお兄さんと食べさせ合い。
お兄さん、ここまでの進行とかして
活躍してくれていたからでしょう。
相変わらずパッサパサのTIUケーキが、
切り刻まれてゲストに振舞われました。
そして始まるダンス再び!

さぁ、やっと宴も佳境です。
ゲストの食事の準備が整いました。

給仕のテーブルにみんなが列を成し、
お皿をとって順番に食事をもらいます。
ウガンダでは会議などにもよく使われる
ケータリングサービスの給仕係が、
マトケや米、芋、ポショにスープを
ドカドカとよそってくれるのですが、
みんなこれでもかってほどよく食べる!

確かに待ち時間は長かったけれど、
小柄なおばあちゃんでもお皿に山盛り
食べるんだから驚いてしまいます。

たんと詰め込んだところで7時過ぎ。
やっぱり。時間通りのわけがない。
というのも当初の予定では、
夕方からはルウェロのお家でwedding
(披露宴)をすることになってたのです。
ここから戻るだけで2〜3時間かかる。
もはや、夕方ではありえません。

食事の後は流れ解散のようになり、
私たちはweddingに出るためにバスで
そそくさと会場を後にしました。
けどまだ主役の二人は残っているので、
急いでも意味ないんじゃ…と思いつつ。

私たちのバスがルウェロのお家に
着いたのは、夜の10時を過ぎた頃。
当然、主役の二人はまだいません。
けど、もうすでに近所の人たちは
大音響でお祭り騒ぎを始めていました。

さすがにもうだいぶ遅いし疲れたし、
主役の二人はいつ来るかわからないしで
私はそのまま失礼したのですが、
同僚たちは「食事があるらしいよ!」
と勇んでバスを降りて行きました。
来る前にあちらで食べたばかりなのに、
彼らの胃や気力には驚かされるばかり。
こうして、weddingの夜は
更けていきました。

と、まぁ、長くなりましたが、
結構何から何まで驚かされることばかり
のウガンダの結婚に関わる一連の行事。
今回のはそのほんの一例ですが、
日本と同じところや違うところが
たくさん見られて面白かったです。

やっぱり幸せそうな二人やその家族、
それを見ているこちらまで一緒に、
みんな幸せな気持ちになれるところは、
日本でもウガンダでも同じでした。
Happy wedding!!

おまけ
貸し切ったバスにあった張り紙。笑

日本で使われていた時のこうした名残
実はよく見かけます。
懐かしいよなおかしいような。