富岡町観光協会ブログ「夢咲くら」

警戒区域となった福島県富岡町の現在…
東日本大震災・原発事故・避難に関する新着情報などをお伝えしています。

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ある家族のケース 3月16日(水)午前6時00分

2011-05-31 12:43:04 | 地震・津波・原発事故・避難
嵐とも思える強い風が吹き、
小雨が車の窓に横殴りに突き刺さる…そんな
不安な時間を過ごしながら横浜から来るはずの弟を待つ…

午前5時30分少し空が明るくなり始めて来た頃、
一台のバイクが通り過ぎる…新聞配達のバイクだ!
住む人がいるらしい事がここでも確認できて、
また一つ心がホッとした。が…まだ弟は来ない。
「お願い…早く来て!」
両手を胸の前で組み、心の中でひたすら祈る…

人の顔が確認出来る明るさになってきた午前6時頃、
1台の車が6号国道から駐車場に入って来るのが見えた。
弟が車を降りた。
思わず涙がこぼれた…不安が嬉しさに変わった瞬間だった。

ずーっと、両親・私たちきょうだいとも連絡が取れずに、
かなり心配していた事。18日(金)までに連絡が取れなかったら、
新潟県内で車をチャーターし郡山市経由で、
川内村に入るつもりだったらしく手配を進めていた事を聞いた。
「会えてよかった!もう大丈夫だからね…」
また涙がこぼれた。「安心」と「ありがとう」の涙だった…
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ある家族のケース 3月15日(火)午後11時30分

2011-05-30 11:15:38 | 地震・津波・原発事故・避難
6号国道バイパスを南へ進みながら妹や弟へ連絡を取りました。
勿来の手前で連絡が取れましたが、12人で避難していると伝えると、
さすがにビックリしていました…でも、
ずっとメールや電話をしていたけど、通じなくて心配していたとの事。

3台の乗用車のうち1台はガソリンが満タンに近かったけど、
残り2台は、1メモリくらい…どこまで進めるか…
妹が来るまでどこかで待っていなければならないかも…

6号国道は所々段差がありました。
また、海沿いは津波の被害を受けたらしく、
フロントが下向きになって止まっている車も…
道路脇の草が全部同じ方向を向いているのも不気味でした。

11時頃、人の気配がまったく感じられない
6号国道をひたすら進んでいると、
ハザードランプをつけた車の車列が見えました。
ガソリンスタンドに並んでいたらしく、
人がいるらしい事がわかり少し安心…

ガソリンの赤ランプがついて、しばらく走り続け、
11時30分頃に日立市内の6号行動沿い
ヨークベニマル駐車場へ停車。
横浜に住む弟と連絡が取れましたが、
これ以上走れないことを告げると
今から迎えに行くと言ってくれたので、ここで待つことに…
一人1枚ずつの毛布で体をくるみ、車中で一晩過ごしました。

小雨だったのに、強い風も吹き始めてしまい不安が募りました。
この駐車場も人気がなくとても静かです。
3時頃、救急車が1台目の前の病院へ吸い込まれ、
人が動いているのが見え、ちょっと安心…
よーく見ると右側には交番が…
いざとなったら交番へ相談しにいこうか…
などど考えながらウトウトと朝まで過ごしました。
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ある家族のケース 3月15日(火)午後10時

2011-05-29 10:53:43 | 地震・津波・原発事故・避難
小野町方面へ向かったはずが途中、迂回路となり、
いわき市川前へ向かうとんでもない林道へ…

ガードレールもなく、乗用車1台が通れるような道を進みます。
登り坂はガソリンランプが点灯し、心細くなりました。
本当にこの道を進んでいいのか迷いながら…
(カーナビがなかったら、怖くてきっと引き返していましたね…)

どこまでも登り坂が続き、1時間が何時間にも感じました。
心臓はドキドキ…分岐点では車を一時止めて皆で相談しながら避難…
山の頂上らしい所を越え、下り坂になってきた頃、
やっと携帯やメールが通じ始めました。

3月15日(火)午後10時。JRいわき駅前に到着。
このとき、いわき市内の親戚宅は全~部、
石川町や塙町、群馬県へ避難済みだったことがわかりました。

いわき駅前道路脇に車を止め、
これからどうしようかと協議していたその時!
車が大きく揺れ、ビルも大きな音を立てて…一瞬怖くなりました。
静岡県内でおきた大きな地震でした。

大きな地震があったにしても…
人の気配が全くと言っていいほどなく、静か…
タクシーが1台も走っていない…
異様な静かさ…まるでゴーストタウン…
仕方なく、茨城県内に住む妹夫婦宅へ向かうことに…
でも、その妹にもまだ連絡はとれていませんでした。



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ある家族のケース 3月15日(火)午後9時

2011-05-28 10:37:32 | 地震・津波・原発事故・避難
ある家族のケース

翌日16日には富岡町・川内村合同災害対策本部が主導で、
川内村から避難することは決定していましたが、
車のガソリンが少なく、渋滞に巻き込まれれば、
遠方の親戚宅までは難しい為、川内小学校の避難所を、
乗用車3台に5世帯12人が分乗し、退所することに。

3月15日(火)午後9時、小雨が降る中、小野町方面へ。
親戚の多くはいわき市内に5~6件あり、そこを目指して出発。

富岡町から乗ってきた乗用車は4台でしたが、
ガソリンが少ない事、11日の地震で屋根の瓦の直撃を受け、
フロントガラス・ドアミラーなど、
左半分の破損がひどかった1台はあきらめ、
積み込めない布団類を乗せたまま小学校脇の道路沿いに置いてきました。
1年3ヶ月前に買ったばかりの新車、ローンも6年残っていましたが、
仕方がありません…

しかしながら、この時点で親戚の誰とも連絡がとれていませんでした。


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3月15日(火)避難所内の生活

2011-05-27 10:11:25 | 地震・津波・原発事故・避難
電気、水道、ガス(プロパン)は、
一応大丈夫だった川内村内での避難生活。
12日から4日目となった15日には、屋内待避指示。

テレビやラジオのニュースでは、
1号機から4号機までの現状が終始流れ、15日朝食時は約650名、
夕方までに結構な人数が避難所を退所していきましたが、
川内村内の他の小さい避難所から、床暖房もある川内小学校へ
移動してきた人々もあり、15日(火)の夕食時の人数に
変化はありませんでした。

川内村の標高は高く、まだまだ寒かったですよ。
毛布を床に敷き、ダウンなどのコートを着たまま、
毛布を掛けて寝ていましたから…

小学校の体育館内の人数も減ったので、校舎側へ移動して頂き、
体育館で使用していたストーブが、夕方に昇降口前へ設置されました。
洗面所で洗った下着や靴下・タオルなどを持ち寄り、
乾かしている避難者の方もいました。
着のみ着のまま、4日目ともなると本当に困っていました。
大人はなんとかなりましたが、小さい子どもさんは汚れも激しく大変…
役場担当者の方の配慮に、感謝していました。

(本日、27日は関東地方が梅雨入りしました。
 まもなく東北地方も梅雨入りします。
 一時帰宅のスケジュールに影響が出なければいいですね…)
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富岡町民一時帰宅

2011-05-25 11:41:00 | 一時帰宅
5月25日(水)
富岡町民、25世帯45人が一時帰宅しました。

24日前日の新聞には、福島第一原子力発電所の2号機3号機でも
メルトダウンしていたとの発表が…
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3月15日(火)夕食

2011-05-23 10:33:31 | 地震・津波・原発事故・避難
3月15日(火)の夕食は、
おにぎりとゆで卵、チョコ菓子1個
いつもより少し早めの夕方6時頃、配布となりました。

お昼過ぎからは避難者のボランティアの皆さんが
おにぎりを握って、明日の朝食分のおにぎりは確保。
(ご飯は、屋内待避にもかかわらず、
 川内村婦人会メンバーの皆さんが、
給食用の炊飯器で炊いて下さいました。
 今日からは、屋外テントでの消防団の炊き出しは
出来なくなりました…)
明日の昼食分のおにぎりは調達出来るかどうかは不明との談話も…
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3月15日(火)屋内待避

2011-05-22 10:33:31 | 地震・津波・原発事故・避難
屋内待避指示により、一日中、校内で過ごしました。

子ども達は今日も中高生のお兄さんお姉さんのところで遊び、
大人達は廊下のテレビから流れるニュースや
手持ちのラジオから情報を得て、屋内待避にもかかわらず,
荷物をまとめ避難所を退所していく家族もありました。
それでもパニックという感じはなく落ち着いていましたよ。

今現在、福島第一原子力発電所の中で働く父をあんじ、
原発事故の収束を願い…
そしてその成功を信じる家族もまたいました。
「お父さんが、絶対やってくれるよ!がんばってくれるよ!」
そういう親子の心を思いやる優しい地元の方々が
避難所にはたくさん…

今でもきっと、地元下請け企業で働く方々が
原発内にはいらっしゃいます…
この二ヶ月間、必死に頑張っていると思うと
「頑張って下さい」とはこれ以上言えません。
祈るだけです…感謝するだけです。
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3月15日(火)朝食

2011-05-20 20:48:30 | 地震・津波・原発事故・避難
14日(月)の昨夜、夕食時に確認した避難者とスタッフ数は
約950名でした。

15日(火)の朝食は、
ゆで卵とおにぎり、果物1/6(ミカンかリンゴ)

やはり、ゆで卵の数で避難者数をカウントしました。
その数、約600名…
早朝にかけて約350名が避難所を退所して行ったことになります。
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3月15日(火)ペットたち…

2011-05-19 20:25:19 | 地震・津波・原発事故・避難
富岡町からの避難者の皆さんの中には、
家族ともいえる犬や猫などのペットと一緒に避難をしている方がいました。

14日(月)までは、自家用車の中に入れて
散歩や食事の時にお世話されていましたが、
15日(火)よりは屋内待避の指示が出てしまい、
散歩も出来なくなった他、食事を与える為に
建物の外に行くことも不可となってしまいました。

避難所の責任者の方が、そうした皆さんに配慮し、
川内小学校の北側校舎の一番端の教室を
ペットと過ごせるような専用部屋にしました。

早朝にかけて退所する人々が多く、
各教室の人口密度も低くなっていましたので、
精密機器がある特殊教室を使用せず過ごせるよう組み替えを行ったようです。

ペットと家族の部屋の他、
トイレに近く床暖房がある部屋は、体に不自由がある方とそのご家族、
図書室は授乳が必要な乳幼児の親子専用の部屋とし、
屋内待避となっても絵本などが読めるようにしてくださいました。

これまで朝に行っていた、
各自の清掃を兼ねていた一斉換気も出来なくなりましたが、
心細い状況の中、家族同様のペットたちと過ごす事が出来るようになった事、
そして、退屈気味だった子ども達は、そんなペットたちとふれあい、
ひとときの間、心癒される時間を頂いた事は、よかったと思います。
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3月15日(火)町長さんより

2011-05-16 19:55:18 | 地震・津波・原発事故・避難
平成23年3月15日(火)午前5時20分
富岡町の遠藤町長さんが、川内小学校にいらっしゃいました。

これまでも毎日、議長さん・教育長さんなどが必ず一日1回、
各避難所を訪問し、状況説明の為に訪れていましたが、
この日の朝は大事なお話があるとのことで、
自ら出向かれたそうです。

「富岡町と川内村は合同災害対策本部を設置し、
富岡町民5200名と、川内村民3000名の
避難をすることになりました。
現在、避難先と移動のバスを手配しているところです。
どうか皆さん、落ち着いて行動してくださるようお願いいたします。」

以上のような内容のお話がありました。

町長さんのこの言葉を聞き、一時積み込んだ荷物を自家用車からおろし、
朝食ボランティアのお手伝いをすることに…

ただ、前日まで可能だった屋外に出ることなどは禁じられ、
屋内待避指示となってしまいました。
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3月15日(火)校内放送

2011-05-15 19:46:47 | 地震・津波・原発事故・避難
2ヶ月前の、平成23年3月15日(火)午前2時、
川内小学校の校内放送で目が覚めました。

「ご自分の目でご覧になって、ご自分で判断して下さい」とのこと。
校内に設置してあるテレビのスイッチがつけられ、
原発事故に関する政府の会見が放送されていました。

14日に、3号機の建屋が水蒸気爆発し、
2号機4号機も火災が起きたとのことでした。

早々に荷物をまとめ、車に積み込み、避難所を後にする家族が大勢いました。
パニックにはならなかったけれど、不安いっぱい…
テレビニュースを食い入るように見つめながら、そのまま朝まで過ごしました。
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メルトダウン…

2011-05-13 19:33:31 | 震災日記
昨日、平成23年5月12日(木)
福島第一原子力発電所の1号機内で、メルトダウンしていることが判明。
一番安定していて収束の為の作業が進んでいると言われていたのに…

そして本日、郵送にて
富岡町役場より警戒区域への一時立ち入り申請書が届きました。

一時帰宅の円滑な実施の為に、富岡町における希望者を把握するのだそうです。
5月下旬以降、行政区ごとに順次開始予定とのこと。

毎年この季節には、JR常磐線夜ノ森駅構内のツツジが見頃でした。
約6000株ともいわれる、ホーム両側土手のツツジが懐かしいですね…

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3月14日(月)夕食、驚き!2400個

2011-05-12 17:45:42 | 地震・津波・原発事故・避難
当初、3月14日(月)の夕食は、
川内村婦人会の方々が炊いてくれたご飯を、
避難者ボランティアが握ったおにぎりと、
支援物資として運び込まれた500ミリリットルペットボトルの水でした。

夕方4時前に消防団の皆さんが
生卵2400個を運んできてくれました。
誰からの提供はわからないけど、食べて下さいとの伝言。

まだ洗浄もしてなくて、サイズもバラバラな卵たち…
綺麗に洗ってから、料理室のコンロとありったけの鍋を使って、
ゆで卵作りを開始!!

仕事柄、ゆで卵作りは得意というボランティアの方の指導のもと、
「沸騰してから12分」のルールで、2時間かけて茹であげました…
(衛生上と保存を考え、固ゆでにしました)
避難生活3日目となると、親戚の家や家族の元へ移動されている人も出てきて、
川内小学校内の避難者数が、名簿の数と違い、
準備するおにぎりの数の把握に困っていました。

そこで、茹でた卵の数をあらかじめ確認し、
配布後の残数で滞在している人数を確認することになりました。

14日(月)夕方、川内小学校内の避難者は、約950名
内訳は以下のとおりです。
避難者915名
役場職員と川内小学校職員15名
消防団20名

ボランティアの皆さんは、割れてはみ出している形の悪い
自分の分のゆで卵をもらい、この日は解散しました…
それにしても…2400個のゆで卵を見たのは初めて! 圧巻でしたね。
ご提供して下さった方がわからず、御礼も言えませんでしたが、
この場をお借りして、心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

茹でたてのあたたかい卵は、寒い時期だった事、
そして貴重なタンパク質が摂取出来た事で、
皆さん喜んでいました。
特にご高齢の方や小さなお子さんなどにとっては
ごちそうとなりました…

ありがとうございました。



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川内村民の一時帰宅

2011-05-11 16:43:03 | 一時帰宅
平成23年5月10日(火)午前9時
あの日から2ヶ月…

福島第一原子力発電所より22㎞の川内村体育館前に
20㎞圏内警戒区域の川内村民54世帯92人が集合しました。
4月22日午前0時より警戒区域となった自宅に、一時帰宅する為です。

遠藤村長さんのあいさつ、注意事項説明などが1時間ほど行われた後、
防護服を着用、線量計・無線機も渡されました。

持ち帰る品を書いたメモ・ペット用の餌・先祖に備える花などを手に、
放射線対応の為のピンクのシートに包まれた5台のマイクロバスに分乗、
自宅へ向けて1号車・2号車・3号車が出発したのは午前11時頃。
4号車・5号車が出発したのは11時40分頃でした。
帰宅後のスクリーニング検査の混雑を避けるため、時間差で出発。

各地区ごとに分乗しましたが、川内村は広い為に、
自宅へは周回することになり、かなり時間がかかりました。

自宅にとどまる時間は2時間…
70センチ四方の透明な袋に入るだけの物が、持ち帰りを許されました。

通帳・写真・夏物の着替え・位牌・重要書類・心拍計・形見の品々などを抱えて、
1台目のバスが体育館に戻ってきたのは、2時50分頃。
スクリーニングを受けて初めての一時帰宅が終了したのは午後4時でした。

飼っていた牛の大半が死んでいたと語る人。

墓石がずれていたので直してきた。今回一時帰宅できてよかった…

掃除もできず時間が足りなかった…

嬉しさともどかしさ、複雑な想いが混在し渦巻く
村民の皆さんの長い一日が終わりました。

<川内村民である72歳の父に付き添い、当日朝4時30分に避難先を出発、
 母の待つ妹夫婦宅に到着したのは、午後8時40分でした。>

<これから富岡町民の一時帰宅が始まるとのことですが、
 いつ頃我が家に一時帰宅可能となるのでしょうか…>
 
 




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