桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

小学校時代の思い出<1>

2017年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム
4月8日(土)
 
<体が弱かった私> 

すっかり、暖かくなった。
朝のシャワーも厳しさを乗り越えて、温かい湯にかかりながら、まだ大丈夫と思いたくなる。

しかし、その後がよろしくない。
朝ごはんの用意でもするかと思いながら、だらだら時間を過ごすことが多い。
それは、何よりも、足の具合が一向に良くないからだ。
正座は無理。座る姿勢になると、そのまま、ひっくり返ってしまうのだから始末が悪い。

少しは身の回りを整理しようと思っても、まともな姿勢になれないから、本当に桜子ちゃんは気の毒。

と、いうわけで、まだ、あの世行きは無理というものですね~

最近になって、世間では嫌な問題が多過ぎるが、そのうちの幾つかは、過去にもあったかな?と思うようなものが多い。
何時か、この事について書いてみようかな?と考えている。
考え付く時間はいくらでもある。いささか、感情を高ぶらせて書けそうだ。

ところで、仁川という町は、とても、穏やかで、良い所だった。
何よりも、親の愛情に囲まれて幸せに暮らした町だった。

姉に言わせると「あなたは親にすごく大事にされていた」
「そう!その通り!」私は体が弱くて色々な病気をしたもの。親は大変だったと今も思う。
その結果、他の人に迷惑をかけている。
特に、弟は友達を家へ連れてくる事を遠慮させられたし、姉は体が丈夫だったから私のようにかばわれなかった。
その話は、今でも聞かされている。
聞く度に「結局、『にんじん』という(ジュール・ルナアル作)小説の主人公と同じだったのね」と二人の話題となる。

しかし、体が弱い本人にとっては、あまりに大事にされることが辛かった。
結局、1年間、留年した程だから「落第生!」と、男の子に言われるのはとても嫌だった。
それに、先生から「掃除はしなくて良い」と言われた事も、特別扱いが悔しくて仕方がなかった。
今なら、掃除免除なんて、凄く喜んだのになぁ!

小学4年生になって初めて、女子組に入って嬉しかった。それまでは男女組だったのだから、憧れのクラスだ。
私の学校、龍岡尋常小学校は隣の旭小学校が高等科もあるのと違って、のどかな学校だったし、兄も、姉も弟もこの学校へ行っている。

その後、太平洋戦争勃発で、国民学校となる。
今、騒いでいる『教育勅語』も修身の時間に、覚えたり清書するのが大変だった。

久しぶりに大阪の幼稚園の子供達が口を揃えて暗唱しているのを聞いて驚いたものだ。
何時までも、この勅語を大事にしている人がいたのだなあ!と驚き、過去の決して楽しくもない記憶を、無理矢理、押し付けられた気がした。

男女組から女子組へと憧れていたクラスだったが、そのあとの様々な出来事は未だに忘れられない。
それは私の人生観に大きく影響したもので、成人してからのあり方の決め手となっている。

この歳になっても忘れられない事があまりに多過ぎた小学校5、6年生時代の記憶は、心を落ち着かせながら、何時か、述べていく事にする。



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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
先生の子供の頃の話 (河村賢一)
2017-04-09 13:33:17
先生の子供の頃の話、とても興味あります!

>私は体が弱くて色々な病気をした

そうだったんですか…大変でしたね。
そういえば、先生が運動している姿、あまり憶えてません。近寄りがたい威圧感がものすごかったのはハッキリと憶えてますけど(笑)

でも、身体から発せられるその強烈なオーラと、頬がふっくらした可愛らしいイラストのギャップがあまりにも激しかったので、逆に親近感が湧いてしまったんですよね~(笑)

私も、未熟児 + 逆子で生まれてきたからなのか、生まれつき他の兄弟よりも身体は弱かったです。右足の向きがすこしおかしくて、かけっこではいつもビリだったし、右目が極端に悪くて変な方に向いてるし、痩せてるし、スタミナはないし。

でも、兄弟が多いせいか、あまり親に大事にされた記憶はありません(笑)
子供の頃 (明日)
2017-04-09 14:17:55
ケンちゃん、お久しぶり!嬉しいです。

さて、私は病気の塊だったみたいです。
この子は長生きはしないと思ったのでしょう。医師にも言われたらしいです。
両親はそれは熱心に看護をしてくれました。他の兄弟や姉たちに迷惑をかけるほどです。

何か、良い薬や食べ物があると、私だけのために彼方此方求めてくれたのですから、今でも、感謝でいっぱいです。その為に姉や弟には迷惑をかけたのですね。

もっとも、兄たちに対する親の期待は大きかったですよ、なにしろ、男性『一番』の時代ですし、優秀な学生だったですから。

私はわがままで、身勝手になったのは何故でしょう?負けず嫌いは子供の時からです。
そのうちに、いっぱい書きます。
最近は、教育の問題が多過ぎますからね。
お花見あれこれのコメント (明日)
2017-04-09 22:58:13
『お花見あれこれ』を読んでください。
子供の頃の私も少しはわかりますよ。

私って、冷たいんだなぁ!
と、言うより、私の年代は人の事なんか、かまっていられない大変な時代だったんです。

終戦・敗戦後の日本では受けた傷はみ〜んな育ち盛りの我々にきました。
でも、食糧難の時代に何とか食べられて、学校へ行けるだけで幸せな時代でしたからね。

それだけで、感謝です。

お花見あれこれのコメント (明日)
2017-04-09 22:58:58
『お花見あれこれ』を読んでください。
子供の頃の私も少しはわかりますよ。

私って、冷たいんだなぁ!
と、言うより、私の年代は人の事なんか、かまっていられない大変な時代だったんです。

終戦・敗戦後の日本では受けた傷はみ〜んな育ち盛りの我々にきました。
でも、食糧難の時代に何とか食べられて、学校へ行けるだけで幸せな時代でしたからね。

それだけで、感謝です。

Unknown (河村賢一)
2017-04-10 19:07:41
「お花見あれこれ」読みました!インチョンにおられたんですね!

戦中・敗戦直後の悲惨さは、父からも聞かされておりました。彼も相当苦労したそうです。

だんだん世の中がきな臭くなってきているような気がしますが、あの不幸を決して繰り返してはならないと思います。
Unknown (佐代子)
2017-04-24 12:28:30
少し間があいてしまいました。

先生の子どもの頃の思い出、とても興味があります。お体が弱かったのですね。それなのに、いまこうして、多少痛いところがあっても、お姉さまと2人で人の手を借りずに過ごせていらっしゃって、よかったですね。(でも、本当にきつくなったら、遠慮せずに人に頼ってくださいね)

私、背が高いので信じてもらえませんが、やはり未熟児でした。両親がアメリカに住んでいた時だったので、運が良かったそうです(当時の日本だったら、心配な状況だったそうです)。

小学生のときは風邪ばかり引いていて、1週間休むのがザラでしたが、マニラに行って初めて、1学期休まずに登校できました。学校を除いては、治安のせいで外で遊ぶことは少なかったのですが、あの強い太陽が良かったのかもしれません。感謝しています。

今は特に身体が弱いという意識もなく、ムリな生活を続けています・・この体力を忙しい仕事にだけ使っているのは、ちょっともったいないのですが。

また、気が向いたら子ども時代のお話をお書きください。私の父も先生と同い年で、出かけることは減りましたが、まあまあ問題なく過ごしています。
なつかしむ (明日)
2017-04-29 14:27:24
佐代子様

久しぶりですね。嬉しいです。

私の子供時代は、なんと!『闘争記』みたいになりそうです。

きっと、呆れるわ!
でも、今になると、懐かしいような記憶です。

もう、しばらくお待ちください。

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