ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

どれだけ距離を置いて読めるか

2012年02月10日 | グレ耶蘇生活
昨夕から悪寒がして鼻がズルズル…風邪来襲。

枕元を見たら…忙しさにかまけて、聖書に埃がたまっていたよ……。( ̄Д ̄;)
やはり時々開かないとね。

桜泉は福音書とイザヤ書ファン。(なぜか時々へブル書に飛ぶことあり、詩篇、雅歌、申命記に飛ぶこともあり、パウロ真筆系にも飛ぶ。)

福音書を読むとき…。
このごろは、どれだけイエスの言動を、意味付けせずに読めるか、それを試みている。
どうしても、クリスチャンは、イエスの言動を「絶対良いものだ」と前提して読もうとするきらいがある。
でもそれって無理があると思う。
そういう無理のもとになされた説教や読み物は、どうもこちらも疲れる。
無理はしない。イエスが訳わからんことをしているなと思ったらそう思う、これっていいのか?と思ったらそう思う、そういう風に読んでいって、それでもなお自分のこととして呼びかけてくるものを待ちたい。

旧約なら、その登場人物のすること、神様のなさること、使徒書ならパウロの言っていることなどを、やはりそのまま良いものとする前提には立たず、え?おぃ?それはちょっと…、という感覚を大事にしながら、それを突き抜けて訴えてくるものが、神様からのメッセージなんじゃないかと思っている。
なかなかビシッと来ないことが多いが、神様ってそういうものらしいから(寡黙で、こちらの都合いいように愛想良くはしてくれない方)、別に嘆くことはない。

今、初めて聖書に取り組んでいるような人にも、「なんじゃこりゃ」「をぃ」「それまずくね〜?」という気持ちも大事にしながら、それでも「あ、これ、自分のためにある言葉かも」というのが見つかるのを気長に待って、取り組んでみるといいんじゃないかな…と言いたいな。うん。
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