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「豪傑」あれこれ

2009年03月19日 | Weblog
古今の豪傑、勇士、忠臣に集まってもらいました。

【二】
●筒井の右近左近(つついのうこんさこん)
大和筒井家でその知謀と武勇がいずれ劣らぬと評された二人をいいます。
島左近清興(勝猛) 松蔵右近勝重(松倉重信)


●大坂の左右の大将 「大坂之左右之大将」
石山戦争では共に本願寺軍の武将として織田軍を苦しめました。
鈴木重意(孫一) 下間頼廉


●六角の両藤(ろっかくのりょうとう)
近江六角家で特にその存在が重きをなした二人の重臣をいいます。
後藤賢豊 進藤賢盛


【三】
●石田三成三将(いしだみつなりさんしょう)
石田三成の家中における豪勇の誉れ高い武将をいいます。
島左近清興(勝猛) 杉江勘兵衛 舞兵庫(前野忠康)
 

●氏康三家老
小田原北条氏 三人の宿老
大道寺政繁 遠山綱景 松田憲秀


●三山城
山城守を名乗る三人の武将
竹腰正信 直江兼続 横山長知


●筒井三家老
島勝猛(左近) 松倉重信 森好之


●宇喜多三老
岡家利(利勝) 戸川秀安 長船貞親


●西美濃三人衆(にしみのさんにんしゅう) 「美濃三人衆」とも
戦国時代、美濃斎藤氏の有力な家臣をいいます。
稲葉良通(一鉄) 安藤守就(道足) 氏家直元(卜全)
*不破光治を加えて「西美濃四人衆」という場合もあります。


●三好三人衆(みよしさんにんしゅう)
戦国時代に畿内で活躍した三人をいいます。いずれも三好氏の一族、重臣。
三好長逸 三好政康 岩成友通


●加藤家三傑(かとうけさんけつ)「加藤家三家老」とも
肥後加藤家中で秀吉からその武勇を讃えられた三人をいいます。
飯田覚(角)兵衛 庄林隼人 森本儀太夫 


●海赤雨三将(かいせきうさんしょう)「海赤雨の三士」とも
近江浅井家でその武勇を讃えられた三人をいいます。
海北綱親 赤尾清綱 雨森弥兵衛 


【四】
●浅井の四翼(あざいのしよく/よんよく)
近江浅井家の重臣四人をいいます。『近江輿地志略』中に記述があります。
磯野員昌 大野木国重 野村定元 三田村秀俊


●道長四天王 … 藤原道長に仕えた主だった家臣四人をいいます。
源頼光 源頼信 平維衡 藤原保昌


●頼光四天王 … 源頼光と共に活躍した四人の家臣をいいます。
渡辺綱(わたなべのつな) 坂田金時(さかたのきんとき)
卜部季武(うらべのすえたけ) 碓井貞光(うすいのさだみつ)
*大江山の酒呑童子を退治したことなどで知られています。


●木曽四天王 … 木曽義仲の忠臣の中で以下の四人をいいます。
今井兼平 樋口兼光 根井行親 楯親忠


●義経四天王 … 源義経の忠臣四人をいいます。
鎌田盛政 鎌田光政 佐藤継信 佐藤忠信
武蔵坊弁慶 伊勢義盛 亀井重清 常陸坊海尊の四人とも。


●新田四天王 … 新田義貞の家臣四人をいいます。
栗生顕友 篠塚重広 畑時能 由良具滋


●龍造寺四天王 … 龍造寺隆信(戦国時代における肥前の大名)の家臣四人をいいます。
成松信勝 百武賢兼 江里口信常 円城寺信胤
*円城寺信胤の代わりに木下昌直を加える場合も。


●立花四天王 … 立花道雪・立花宗茂(豊後を中心に活躍した武将)の下で働いた四人の重臣をいいます。
由布惟信 十時連貞 安東家忠 高野大膳
*安東家忠が隱居した後は安東家忠の代わりに小野鎮幸を加えます。


●蘆名四天王 … 会津蘆名氏の重臣で代々家老を務めた四家「蘆名四天の宿老」である松本氏・平田氏・富田氏・佐瀬氏の中でも家中で特に実力のあった四人をいいます。
松本氏輔 平田常範 富田隆実 佐瀬種常


●二階堂四天王 … 二階堂氏の有力家臣四人をいいます。
遠藤勝重 須田盛秀 矢部義政 守屋俊重


●結城四天王 … 結城氏の有力家臣四人をいいます。
水谷正村 多賀谷政広 山川朝貞 岩上朝堅


●山名四天王 … 山名氏(山陰を中心に勢力を持った守護大名、戦国大名)の下で名を馳せた四人。領内を運営していた実質上の支配者ともいわれます。
垣屋続成 田結庄是義 八木豊信 大田垣輝信


●佐野四天王 … 佐野房綱・佐野宗綱(下野国で活躍した戦国時代の武将)のもとで働いた四人の重臣をいいます。
山上道及 大貫武重 竹沢定冬 津布久弾正


●大崎四天王 … 大崎氏の侍大将を務めた四家をいいます。
仁木氏 里見氏 渋谷氏 中目氏


●石橋四天王 … 石橋氏の有力四家をいいます。
大河内氏 大内氏 石川氏 寺坂氏


●柳生四天王 … 柳生宗矩の高弟四人をいいます。
木村助九郎 庄田喜左衛門 出淵孫兵衛 村田与三


【七】
●武蔵七党(むさししちとう)
武蔵の土豪たちによって組織された同族集団をいいます。
猪俣党 児玉党 丹党(たんのとう) 西党 野与党 村山党 横山党
※私市(きさい)党・綴(つづき)党を数える場合も。


【十】
●真田十勇士(さなだじゅうゆうし)
戦国時代末期から江戸時代冒頭にかけての武将真田幸村に仕えたとされる十人の勇士のこと。原型は江戸時代中期の小説『真田三代記』に見られますが、「真田十勇士」という表現をはじめて用いたのは大正時代に刊行された立川文庫。
猿飛佐助(さるとび さすけ) 霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)
三好清海入道(みよし せいかい にゅうどう) 三好伊三入道(みよし いさ にゅうどう)
穴山小介(小助)(あなやま こすけ) 由利鎌之助(ゆり かまのすけ)
筧十蔵(かけい じゅうぞう) 海野六郎(うんの ろくろう)
根津甚八(ねづ じんぱち) 望月六郎(もちづき ろくろう)


【十五】
●西園寺十五将(さいおんじじゅうごしょう)
戦国時代 伊予国の領主であった西園寺氏の当主西園寺公広とその家来と被官からなる代表的な武将をいいます。
西園寺公広 - 黒瀬城主 西園寺宣久 - 丸串城主
観修寺基栓 - 常盤城主 津島弥三郎通顕 - 天ヶ森城主
法華津弥八郎前延 - 法華津本城主 今城左衛門尉能定 - 金山城主
土居清良 - 大森城主 河野通賢 - 高森城主
竹林院実親 - 一之森城主 河原渕教忠 - 河後森城主
北之川通安 - 三滝城主 魚成親能 - 竜ヶ森城主
宇都宮乗綱 - 白木城主 宇都宮房綱 - 萩之森城主
南方摂津守親安 - 元城主


【十七】
●義平十七騎
源義平(悪源太義平)に付き従って平治の乱を戦った十七人をいいます。
鎌田兵衛政家 後藤兵衛実基 佐々木源三秀義
三浦荒次郎義澄 山内首藤刑部丞俊通 長井斎藤別当実盛
岡部六弥太忠澄 猪俣小平六範綱 熊谷次郎直実
波多野次郎延景 平山武者所季重 金子十郎家忠
足立右馬允遠元 上総介八郎広常 関次郎時員 
片切小八郎大夫景重 河越重頼


【二十四】
●黒田二十四騎(くろたにじゅうよんき)
戦国大名黒田孝高(如水)が「賤ヶ岳の七本槍」に倣い、自分の家臣から二十四人の精鋭を選出して呼んだもの。更に優れた人を「黒田八虎」と呼びます。
井上之房 小河伸章 菅忠利 衣笠景延 桐山信行
久野重勝 黒田一成 栗山利安 黒田利高 黒田利則
黒田直之 毛屋武久 後藤基次 竹森次真 野口一成
野村祐勝 林直利 原種良 堀正勝 益田宗清
三宅家儔 村田吉次 母里友信 吉田長利

○黒田八虎
井上之房 栗山利安 黒田一成 黒田利高
黒田利則 黒田直之 後藤基次 母里友信


【武田家】
●三弾正(さんだんしょう)「戦国の三弾正」とも
武田信玄の配下で弾正忠を名乗った者をいいます。
逃げ弾正…高坂昌信 槍弾正…保科正俊 攻め弾正…真田幸隆


●武田四天王 … 武田信玄・武田勝頼を支えた四人をいいます。
馬場信春 内藤昌豊 山県昌景 高坂昌信


●武田の五名臣 「甲陽の五名臣」とも
甲斐の戦国大名・武田信虎、晴信父子に仕えた五人の足軽大将をいいます。
原美濃守 小幡山城守 横田備中守 多田淡路守 山本勘助


●奥近習六人衆(おくきんじゅうろくにんしゅう)
甲斐の戦国大名・武田信玄の側近中の側近であり、将来の幹部候補となるべき人材として活動した六名の武将をいいます。

土屋右衛門尉 三枝勘解由 曽根内匠
武藤喜兵衛(真田昌幸) 甘利左衛門尉 長坂源五郎


●使番十二人衆(百足衆 大百足の差物衆)
武田信玄の側近 御使番

山県昌景 春日虎綱(高坂昌信) 初鹿野昌次 今井信俊 小宮山友晴 ほか


●武田二十四将
武田信玄に仕えた武将のうち、特に評価の高いと位置付けられている武将達をさします。信玄を一将として数えているため、武将の数は二十三名。

秋山信友 穴山信君 甘利虎泰 板垣信方 一条信龍
小幡虎盛(小畠虎盛) 小幡昌盛 飯富虎昌 小山田信茂
高坂昌信(春日虎綱) 三枝守友 真田信綱 真田幸隆
武田信繁 武田信廉 多田満頼 土屋昌次 内藤昌豊
馬場信春 原虎胤 原昌胤 山県昌景 山本勘助
横田高松
※小山田信茂の代わりに、武田勝頼が入る場合もあります。



【上杉家】
●上杉四天王 … 上杉謙信の下で特に功労があった武将四人をいいます
直江景綱 甘粕景持 宇佐美定満 柿崎景家


●越後十七将(えちごじゅうしちしょう)
戦国時代越後の上杉家(上杉謙信の家臣)の猛将達をさします。

荒川伊豆守 飯盛摂津守 宇佐美定行 鬼小島弥太郎 柿崎景家
甘糟景持 唐崎左馬之介 斎藤朝信 鴫山周防守 神藤出羽守
高梨政頼 直江兼続 直江景綱 永井丹波守 本庄繁長
毛利上総介 桃井讃岐守


●上杉二十五将
上杉謙信に仕えた武将のうち、特に評価の高い25名を選出したもの。
寛文9(1669)年、幕府に提出された『上杉将士書上』に表記されています。

長尾政景 長尾景秋 宇佐美定滿(定行) 新津勝資(義門) 金津義舊
北条景広(長国) 色部長真(長実) 本庄慶秀(実乃) 本庄繁長
甘糟景継(清長) 杉原親憲(水原親憲) 斎藤朝信 安田能元(順易)
高梨頼包 柿崎景家 千坂景親(清風) 直江景綱(実綱) 竹股慶綱(朝綱)
岩井信能(経駿) 中条藤資 山本寺孝長


【徳川家】
●徳川三人衆(もしくは徳川三傑)
本多忠勝 榊原康政 井伊直政


●三河三奉行
高力清長 本多重次 天野康景


●徳川四天王 … 徳川家康の功臣四人をいいます。
酒井忠次 本多忠勝 榊原康政 井伊直政
*筆頭は酒井忠次 本多忠勝または井伊直政を筆頭と唱える説も。


●蟹江七本槍(かにえしちほんやり)
1555年の蟹江城攻めの際に活躍した、松平広忠(家康の父)の家臣であった七人をいいます。

大久保忠員 大久保忠俊 大久保忠世 大久保忠佐
阿部忠政 杉浦鎮貞(吉貞) 杉浦鎮栄(勝吉)


●上田七本槍(うえだしちほんやり)
慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの前哨戦において、徳川秀忠が真田昌幸の上田城を攻めた際(上田合戦)に活躍した七人の徳川家臣をいいます。実際には軍令違反の抜け駆けで敗北に終わりました。

中山照守 小野忠明(御子神典膳) 辻久吉 鎮目惟明
戸田光正(光政、戸田重利、半平) 斎藤信吉(久右衛門) 朝倉宣正
*槍脇として弓矢で敵を射倒していった大田甚四郎吉正も並び賞されました。


●徳川十六神将
徳川家康の家臣。江戸幕府の創業に功績を立てた十六人の武将をいいます。

酒井忠次 本多忠勝 榊原康政 井伊直政(以上 徳川四天王)
松平康忠(または松平家忠) 平岩親吉 鳥居元忠 鳥居忠広
大久保忠世 大久保忠佐 内藤正成 服部正成
高木清秀 米津常春 渡辺守綱 蜂屋貞次(または植村家政)


●徳川二十将に入る武将
大須賀康高 板倉勝重 戸田忠次 水野忠重 渥美勝吉 
安藤直次 酒井重忠 松平定勝 本多俊正


【織田家】
●清洲三奉行(きよすさんぶぎょう)
尾張下四郡の守護代織田大和守(清洲織田氏)の下で実力を持った三人の奉行衆をいいます。
織田因幡守 織田藤左衛門(信秀の伯父) 織田信秀


●信長四天王 … 織田信長の重臣の中でも特に活躍した家臣四人をいいます。
明智光秀 柴田勝家 滝川一益 丹羽長秀


●織田五大将
明智光秀 柴田勝家 滝川一益 丹羽長秀 羽柴秀吉


●信長の四長(おとな)
織田信長が幼少の頃、傅(守り役)として付けられた四人の宿老をいいます。
林秀貞(林佐渡守) 平手政秀 青山与三右衛門 内藤勝介


●織田家奉行五人衆
これは天下統一を進める織田家中にあって、行政・財政・民治の中枢を担った代表吏僚をいいます。
菅谷(屋)長頼 長谷川秀一 福富秀勝(貞次) 堀秀政 矢部家定


●小豆坂七本槍(あずきざかしちほんやり)
1542年 小豆坂の戦いの際、活躍した織田信秀(信長の父)の家臣七人をいいます。

織田信光 織田信房 岡田重能(重善) 佐々政次(勝通) 
佐々孫介(勝重) 中野重吉(一安) 下方匡範(貞清)


●黒母衣衆 赤母衣衆
織田信長が馬廻から選抜して使番として用いました。定数は黒赤共に十名。欠員は補充されました。

・信長黒ほろ之衆
よき者とゑらひ出
河尻与兵衛 後中川八郎右衛門ト云織田駿河守
後陸奥守ト云佐々内蔵助 後津田隼人正ト云織田左馬允
毛利新助 平出久左衛門 伊藤武兵衛
水野帯刀 松岡九郎次郎 生駒正ノ助
後に入ル衆
蜂屋兵庫 野々村三十郎

・同赤武羅之衆
後羽柴筑前其後加賀大納言ト云前田又左衛門 浅井新八
津田隼人正弟後木下雅楽助ト云織田薩摩守 武兵衛弟
伊藤清蔵 岩室長門守
山口飛騨守 加賀大納言舎弟後藤右衛門と云佐脇藤八
毛利河内守 飯尾茂助 長谷川橋助
赤ほろ衆かけて後ニ入る衆
福富平左衛門 後原田備中守ト云塙九郎左衛門 渥美刑部丞
後刑部卿法印と云金森五郎八 猪子次左衛門 織田越前守
加藤弥三郎 右渥美刑部丞入道會干出之也


【豊臣家】
●二兵衛、両兵衛
黒田官兵衛(孝高) 竹中半兵衛(重治)


●秀頼四天王 … 豊臣秀頼の下に集結し、大坂の陣を戦った四人をいいます。
真田幸村 後藤基次 木村重成 長宗我部盛親


●賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)
賤ヶ岳の戦い 秀吉の家臣で功名をあげた七人をいいます。

福島正則 加藤清正 加藤嘉明 脇坂安治 平野長泰 糟屋武則 片桐且元
*桜井佐吉 石川兵助一光の二人も感状をもらい、数千石の禄を得ています。


●七手組(ななてぐみ)「御馬廻七頭」とも
豊臣秀頼の旗本衆。組頭は概ね一万石程度の所領を持っていました。1615年の大坂の役では七手組組頭七人の内の四人までが落城と共に討ち死にする壮絶な最期を遂げました。

速水守久(七手組筆頭)
青木一重 伊東長実 堀田盛高 中島氏種 
真野助宗(後に子の真野頼包) 野々村吉安 松浦秀任
*郡宗保が追加される場合もあります。


●秀吉の御使番 黄母衣衆
戸田勝隆 井上道勝 ほか


【毛利家】
●毛利両川
吉川元春 小早川隆景


●毛利四人衆(もうりよにんしゅう)
元亀三年に「毛利氏掟」が出されたときの家中の最高幹部たちです。
吉川元春 口羽通良 小早川隆景 福原貞俊


●毛利五奉行
安芸国の戦国大名毛利氏の行政制度の一つをいいます。

赤川元保(筆頭)
粟屋元親 国司元相 桂元忠 児玉就忠

粟屋元信 国司元武 桂就宣 児玉元良


●毛利十八将
戦国時代 安芸国の領主であった毛利氏の当主毛利元就とその家臣と被官からなる代表的な武将をいいます。

小早川隆景 吉川元春 宍戸隆家 天野隆重 吉見正頼
児玉就忠 桂元澄 福原貞俊 口羽通良 志道広良
赤川元保 粟屋元秀 渡辺長 熊谷信直 国司元相
粟屋元親 飯田元親 井上元兼


【尼子家】
●尼子三傑(あまごさんけつ)
尼子家でその武勇を讃えられた三人をいいます。
熊谷新右衛門 立原久綱 山中鹿介


●尼子家七馬士(あまごけしちばし)
尼子家で「馬」の字を姓に持つ七人をいいます。『燕石雑誌』に見られます。
馬井汲之助 馬飼舎人 馬川渡之助 馬路走之助
馬塚登之助 馬山翔右衛門 馬木彦右衛門


●尼子家九牛党(あまごけきゅうぎゅうとう)
尼子家で「牛」の字を姓に持つ九人をいいます。『燕石雑誌』に見られます。
牛井谷右衛門 牛尾幸清 牛岡草之助 牛飼糖右衛門
牛川飛右衛門 牛田源五兵衛 牛田鋤右衛門 牛尿踏右衛門 牛引夫兵衛

 
●尼子十勇士(あまごじゅうゆうし)
戦国大名尼子氏の家臣のうち尼子勝久を擁立し再興につとめたとされる、十人の武士をいいます。

『後太平記』(延宝5(1677)年刊)
山中鹿介 秋宅庵助 寺本生死助 尤道理助 今川鮎助 藪中荊助 横道兵庫助 五月早苗助 植田稲葉助

『常山紀談』(江戸時代中期に成立した逸話集)
山中鹿介 薮原荊之介 五月早苗介 上田稲葉之介 尤道理之介 早川鮎之介 川岸柳之介 井筒女之介 阿波鳴戸之介 破骨障子之介

『立川文庫』(明治44~大正13年にかけて出版された青少年向けの文庫本)
山中鹿之助 秋宅庵之助 横道兵庫之助 寺元生死之助 皐月早苗之助 早川鮎之助 大谷古猪之助 高橋渡之助 藪中茨之助 荒波碇之助


参考にさせていただいたHP
http://www.clovernet.ne.jp/~kurohoro/his/oda/horos/
http://72.14.235.132/search?q=cache:HTNSsG5HObgJ:www.m-network.com/sengoku/senproud.html+%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E9%95%B7%E7%9F%A5&cd=7&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
ウィキペディア(Wikipedia)ほか
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