知っていたことは、ハネケ作品だと言うことだけ。ポスターの何かを秘めたような男の子の印象が刻み込まれている。
ドイツの小さな村のように見える。詳しくはわからない。そこを支配しているのは男爵。前近代的な領主制度が存在し、小作人たちは土地に縛りつけられ、上面だけ頭を下げている。男爵の次にえらそうであろうドクターの事故から、村の不穏な空気が始まる。ドクターが通ることを知っていながら張られた線。大けがをしたドクターを見つけたのは、隣家の助産婦だった。
助産婦には、知恵遅れの子供がいて、てんてこ舞いの毎日だ。ドクターの家の面倒も見ている。
村の牧師は、厳格な男で、子供たちに厳しいしつけをしている。何人もの子供がいるが、ある日帰宅が遅かった長姉と長兄に厳しい罰を与える。牧師は父であり、神であり、ルールだ。子供は絶対的に自分に従い、支配しなければならない。自由意思を持った子供はありえない。子供は無垢でなければならない。子供の自我を認めず、自由な行動をとってはならない。子供の意志がわからないことをつゆほども感じない牧師は、子供たちにかつて外した白いリボンを結ぶ。これこそが無垢の証。
ドクターの事故は不幸の始まりだった。次々と起こる村での不可解な事件。小作人の妻が事故死をしたり、領主の畑が荒らされたり、その領主の息子がひどいいたずらをされたり・・・。犯人が分かっているものもあれば、わからないものもある。犯人が分かれば解決するかと言えば、さらに悲劇が広がるだけ。
村中に疑心暗鬼が広がり、空気が重い。男爵家の双子の乳母として雇われた若い女性は、村の教師と仲良くなり、わずかな明るい世界が見えるが、それも束の間。男爵家の息子がいたずらをされた責任を取らされて、乳母は解雇を言い渡される。
息子を連れてこの村を出た男爵の妻のように、出ていければいい。でも、村の貧しい農民たちはわずかな土地に縛られ、寒い冬を耐え、狭い中でかごの鳥のように暮らしている。助産婦の息子が襲われ、瀕死の重傷を得るに至って、村のなんとか保たれていた均衡は破れる。秩序が保たれているように見えたのは、上辺だけ。しかし、そこにもっと決定的なことが起こる。サラエボで、大公が暗殺される。それは大いなるうねりが始まることを意味していた。
いつの時代かも、どのあたりのことなのかも、想像するだけでとにかくたくさんの登場人物が次々と出てきて、何が何やらわからないまま、話はどんどんと進んでいく。どこのウチもやたら子供が多いのもますますこんがらがる。だがどの子も皆一様に暗い。子供らしい溌剌としたところもないし、何か腹に一物抱えているよう・・・。
でも、それがおかしいか?というと、そんなことはない。子供が無垢で、けがれなく、善の塊りかなどと言うと、決してそんなことはない。嘘がうまく、常にいたずらを考え、他人を追い落とそうとし、したたかに生きている。そんな姿を淡々と描く。じゃあ、子供がみんなそうかと言うと、良心の象徴の子供もいる。ドクターの長姉。しかし、弟思いの健気な姉は、彼女の聖母のような佇まいとは真逆な扱いを父に受ける。が
見えるのは小さな小さな世界。牧師が飼う鳥かごの中の入った鳥みたいなものか。牧師の小さな息子が、けがをした野性の鳥を見つけ、世話をするから飼ってもいいかと父に尋ねる。厳格で受け入れそうにない牧師は、息子に「追う責任は大きい」と厳命して、飼うことを許す。鳥にとって、どう生きることが一番いいのか。
何も答えはない。数々の事件も犯人はわからないまま、見る者に投げたまま。いろんなものが中途半端になっている。ひどいどんな日常であろうと、続いていた日々。それが皆無残に断ち切れたしまったのが戦争であったということもある。でも、結局情けない日々は、なにがあろうと切れない鎖のように延々と繋がっている。。。そんな見たくない世界を突き付けられた感じ。
映画に求めるものはいろいろとある。自分が求めるものはやはりカタルシスだ。人間の何のことない日常も大事だし、前近代的な不条理を見るのも大好きだ。でもその先にあるカタルシスを見て、精神に灯を一つともしたい。この映画、好きか嫌いかと問われれば、好きじゃない。でも目が離せないのは確か。
◎◎◎○
「白いリボン」
監督・脚本 ミヒャエル・ハネケ
出演 クリスティアン・フリーデル エルンスト・ヤコビ レオニー・ベネシュ ウルリッヒ・トゥクール ウルシナ・ラルディ フィオン・ムーテルト ミヒャエル・クランツ
ドイツの小さな村のように見える。詳しくはわからない。そこを支配しているのは男爵。前近代的な領主制度が存在し、小作人たちは土地に縛りつけられ、上面だけ頭を下げている。男爵の次にえらそうであろうドクターの事故から、村の不穏な空気が始まる。ドクターが通ることを知っていながら張られた線。大けがをしたドクターを見つけたのは、隣家の助産婦だった。
助産婦には、知恵遅れの子供がいて、てんてこ舞いの毎日だ。ドクターの家の面倒も見ている。
村の牧師は、厳格な男で、子供たちに厳しいしつけをしている。何人もの子供がいるが、ある日帰宅が遅かった長姉と長兄に厳しい罰を与える。牧師は父であり、神であり、ルールだ。子供は絶対的に自分に従い、支配しなければならない。自由意思を持った子供はありえない。子供は無垢でなければならない。子供の自我を認めず、自由な行動をとってはならない。子供の意志がわからないことをつゆほども感じない牧師は、子供たちにかつて外した白いリボンを結ぶ。これこそが無垢の証。
ドクターの事故は不幸の始まりだった。次々と起こる村での不可解な事件。小作人の妻が事故死をしたり、領主の畑が荒らされたり、その領主の息子がひどいいたずらをされたり・・・。犯人が分かっているものもあれば、わからないものもある。犯人が分かれば解決するかと言えば、さらに悲劇が広がるだけ。
村中に疑心暗鬼が広がり、空気が重い。男爵家の双子の乳母として雇われた若い女性は、村の教師と仲良くなり、わずかな明るい世界が見えるが、それも束の間。男爵家の息子がいたずらをされた責任を取らされて、乳母は解雇を言い渡される。
息子を連れてこの村を出た男爵の妻のように、出ていければいい。でも、村の貧しい農民たちはわずかな土地に縛られ、寒い冬を耐え、狭い中でかごの鳥のように暮らしている。助産婦の息子が襲われ、瀕死の重傷を得るに至って、村のなんとか保たれていた均衡は破れる。秩序が保たれているように見えたのは、上辺だけ。しかし、そこにもっと決定的なことが起こる。サラエボで、大公が暗殺される。それは大いなるうねりが始まることを意味していた。
いつの時代かも、どのあたりのことなのかも、想像するだけでとにかくたくさんの登場人物が次々と出てきて、何が何やらわからないまま、話はどんどんと進んでいく。どこのウチもやたら子供が多いのもますますこんがらがる。だがどの子も皆一様に暗い。子供らしい溌剌としたところもないし、何か腹に一物抱えているよう・・・。
でも、それがおかしいか?というと、そんなことはない。子供が無垢で、けがれなく、善の塊りかなどと言うと、決してそんなことはない。嘘がうまく、常にいたずらを考え、他人を追い落とそうとし、したたかに生きている。そんな姿を淡々と描く。じゃあ、子供がみんなそうかと言うと、良心の象徴の子供もいる。ドクターの長姉。しかし、弟思いの健気な姉は、彼女の聖母のような佇まいとは真逆な扱いを父に受ける。が
見えるのは小さな小さな世界。牧師が飼う鳥かごの中の入った鳥みたいなものか。牧師の小さな息子が、けがをした野性の鳥を見つけ、世話をするから飼ってもいいかと父に尋ねる。厳格で受け入れそうにない牧師は、息子に「追う責任は大きい」と厳命して、飼うことを許す。鳥にとって、どう生きることが一番いいのか。
何も答えはない。数々の事件も犯人はわからないまま、見る者に投げたまま。いろんなものが中途半端になっている。ひどいどんな日常であろうと、続いていた日々。それが皆無残に断ち切れたしまったのが戦争であったということもある。でも、結局情けない日々は、なにがあろうと切れない鎖のように延々と繋がっている。。。そんな見たくない世界を突き付けられた感じ。
映画に求めるものはいろいろとある。自分が求めるものはやはりカタルシスだ。人間の何のことない日常も大事だし、前近代的な不条理を見るのも大好きだ。でもその先にあるカタルシスを見て、精神に灯を一つともしたい。この映画、好きか嫌いかと問われれば、好きじゃない。でも目が離せないのは確か。
◎◎◎○
「白いリボン」
監督・脚本 ミヒャエル・ハネケ
出演 クリスティアン・フリーデル エルンスト・ヤコビ レオニー・ベネシュ ウルリッヒ・トゥクール ウルシナ・ラルディ フィオン・ムーテルト ミヒャエル・クランツ
まあ、どの監督も寡作なんで、避けるまでもないかもですね。
ギドク先生とは、また違った作風だと思います。
ギドク先生は、まだ見てる人に迎合してる気がする。
ラース・フォン・トリヤーやレオス・カラックスと共に避ける監督になりそうです。カラックスとは作風が違いますけど。
変な映画では、キム・ギドクは大丈夫なんですけどね。(一本しか見ていない・・・。)
「シャッターアイランド」みたく、本質がどっかに行ってしまう見方はなんか違うと思いますわ。
でも、監督が探せ!と言うんなら、探さないとならないんでしょうか。。。
私も映画の雰囲気を楽しんだ口です。
時代や、誰の中にでもある邪悪なもんや、前近代的な田舎の風景など。
こういう事を言いたかったの?それとも、、?
なんて考える事が好きなら楽しいのでしょうが。答えを見つけろというのは、ちょっと
意地悪なのかな(笑)まあ色々想像したりする
のも楽しいといえば楽しいんですけどね。
私は静かなこの雰囲気の中にある邪悪的な
ものに何故か惹かれたような感じです。
まあそれはそれで良しとしたいなんて(笑)
と言いながら分かっていないのかもしれません。まあ観方は色々あって良いのではなんて
。。。
また他のシアターで再上映されるようなので、
観てみようかな?なんてちょっと思って
おります。
でも、この地味な話で、4回はすごいです。
わからなくはないのですが、犯人がこの人だ!というのが大事なのではなく、悪意の積み重ね、欺瞞の村、わずかな良心・・でも、報われない。
積み重なった澱が戦争でまた更によどんで行った・・ということで納得させてます。
そんなこといわれちゃ絶対解き明かしてやる!っと、
私にしては珍しく4回も観に行ってしまいました。
が、解らんものは解らん。(笑)
この時ハネケの撮影の様子をドキュメンタリーで観ました。
彼ほどの巨匠でも、実はやっていることは私たちと
そう変わるものじゃないということがわかり、
彼に親近感が湧きました。
出来るだけ彼の作品に触れて、何とかいずれまた
この作品を見直して、ハネケに勝ちたいです。
勝ち負けじゃないけど。(苦笑)
ところでツイッターフォローがはずされてしまったんですが、、、、