夕風桜香楼

旧『薩軍分営』。
イラスト創作記および雑記帳です。歴史ネタ中心。
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ダンケルクのススメ

2017年09月12日 21時23分20秒 | その他



 先日ついに日本でも封切られた、クリストファー・ノーラン監督最新作『ダンケルク』
 もともとノーラン監督の大ファンである筆者にとって、間違いなく今年ナンバー1の期待作だった本作、公開初日からさっそく連続で2回ほど観てきました。

 今をときめくトップクリエイターの話題作であり、絶賛の声多数ということもあって、ツイッターなどでも「あまり関心がなかったが、興味が湧いてきた」という声を見かけます。
 この記事では、そういった方に読んでいただくことを念頭に、「徹底批評!」ではなくむしろなるべく具体的なネタバレを控え、ノーラン監督自身の言葉を借りることで、この映画を自分なりに噛みくだいてご紹介してみたいと思います。
(引用文は基本的に、ネット上の記事から抜粋させていただいています)

 まあ、先に結論を言ってしまうと、「観てください!」に尽きるのですが(笑)


【「戦争映画」「歴史映画」ではない!?】

 実を申し上げますと筆者、この映画の初鑑賞時は、「あれ……?」という肩すかし感・物足りなさを感じてしまいました。なんというか、「思ってたのと違う……」と。

 ダンケルク撤退戦といえば、「奇跡の作戦」といわれた第二次大戦中の一大イベントです。

 圧倒的なナチの大攻勢に敗退を重ね、ダンケルク海岸に追い詰められた数十万の連合軍。彼らを救うべく、陸海空で繰り広げられる大決戦! ついには兵隊のみならず民間の人々までが立ち上がり、自前のボートでダンケルクに駆けつける。そして、ついに奇跡は成った……‼


 もうこの史実を見るだけで、誰が撮ってもとにかく感動的な映画となることは目に見えています。こういったエモーショナルな物語は、筆者にとっても大好物。ほぼ同じ内容の映画では、我が国にも『太平洋奇跡の作戦キスカ』(太平洋戦線における、キスカ島守備隊撤退作戦の顛末をえがいた東宝の実録戦記映画)という大傑作がありますし、何よりエモーショナルなストーリー展開に定評のあるノーラン監督ですから、『ダンケルク』も当然ながらこのような感動大作になることを確信していました。

 ところが……、実際に観てみると、『ダンケルク』は『キスカ』とは似ても似つかない作品になっていました。まず何より、ストーリーに起伏がない。とにかく兵士たちの断片的な視点のコラージュが、矢継ぎ早かつえんえんと続きます。しかも、戦況や背景の説明もほとんどない。そのため、要するに何が起こっているのかわからないのです。
 実際この作品、絶賛の声が多いのは確かですが、一方で「ノレなかった……」という声も少なくありません。筆者はそれもよく分かります。時間軸のヒネリ構造(後述)もあって、とにかく置いていかれる人は徹底的に置いていかれるという、非常に不親切な映画になっているのです。

 そもそもこの作品、ジャンル的には戦争映画、歴史映画に分類されるのでしょうが、それらの映画は、戦闘の背景作戦のプロセスを(程度の差はあれ)俯瞰的にえがくのが普通です。もちろん『キスカ』もそうです。だからこそ、ストーリーに紆余曲折が生まれ、見せ場が盛り上がるとともに、「こんな史実があったのか!」と感動するわけです。
 しかし、『ダンケルク』にはそれがありません。なぜなのでしょうか。

「この物語への取り組み方を考え、人間の戦いを描いた映画を観て、『ダンケルク』をユニークなものにするのは、戦闘ではないと思った。これは撤退の物語であり、サスペンスであり、時間との戦いだ。そこで私はサスペンスとして、サバイバルとしてアプローチすることにした。」
「当事者達の個人的な記録を読んで、砂浜にいる者達が、そこから起きていることを見て感じたことと、一方、その上空を飛ぶ者達が見て感じたこと、そして救助のためボートでやってくる者達が見て感じたことが、それぞれ非常にちがっていることに多大な衝撃を受けたんだ。これら3人は皆、出来事の中の非常に限られた不十分で不完全な光景しか見ていないのだが、観客は、それらそれぞれをすべて見て、組み合わせて、結合させた光景をつくりあげるのである。それは、難しくも、やりがいのある挑戦だと思ったし、よくある戦争映画で使われるテクニックとは非常に異なったやり方だと気づいた。よく将官達が室内で地図を囲んで何が起こっているか話し合いをするシーンがあるが、それでは、当事者達(である兵士達)が実体験していることはみえてこないんだ。」
「この映画の説明には『サスペンス』と『スリル』という言葉を使う事を選びました。」


 要するにノーラン監督は、意図的に、この映画を戦争映画・歴史映画として撮っていないのです。(ノーラン監督は、『ダンケルク』を作るに当たって最も参考にしたのはヒッチコック(いわずと知れたサスペンス映画の巨匠)の映画だとも言っています。)まさしく、つねに新しいやり方に挑戦し、観客を驚かせてくれるクリエイターならではのアプローチといえましょう。
 よって、この映画をご覧になる際はまず、ジャンル的な先入観を排除する必要があります。ミリタリ的なものだけを期待していくと、筆者のように肩すかしをくい、消化不良感が強くなってしまいますので。


【いや、そもそも「普通の映画」ではない!】

 さて、「戦争映画ではない」ということをまず申し上げましたが、それ以前にこの映画、そもそも根本的に「普通の映画ではない」ところがあります。
 これは、実際にご覧になっていただければイヤでも分かります。端的にいうと、最初から最後までずっとクライマックス。観客に息をつかせるヒマもなく、ひたすらスリルまたスリルで、ジェットコースターのように物語が展開していくのです。

「我々が興味を感じたのは、観客に当事者達がその現場で感じているのと同じ主観的な経験をさせることだった。」

 美しい大迫力の映像と、耳を貫く大音響は、否が応でも観客に戦場をバーチャル体験させます。いうなれば『ダンケルク』は戦争版『ゼロ・グラビティ』(ノーラン監督も、同作の影響を明言しています)なのであって、物語ではなく「体験」で楽しませる、遊園地のアトラクションのような映画なのです。この映画をおうちのテレビモニターではなく、絶対に映画館で観ておくべき最大の理由もそこにあります。

 しかし一方、バーチャルなスリル体験に特化した構成にすると、物語的な抑揚はほとんどなくなってしまいます。結果としてこの作品も、盛り上がりどころのほとんどない、全体としてはむしろ単調な映画になっている感は否めません。これははっきり言って、映画のつくりとしては失敗です。
 ところが、実のところノーラン監督、これもあえて意図的にやっていました。

「僕は、この映画を大作映画の第三幕がずっと続くような作品にしたかったんです」

 映画の基本理論に、「三幕構造」というものがあります。これは、「起承転結」「序破急」的な構造といえばわかりやすいでしょう。要するに映画を全体として3つに分けて構成し、物語に緩急をつけて展開させる仕組みです。三幕構造は、観客に映画を面白いと感じさせるための基本中の基本となる手法で、いわゆる娯楽映画などではほぼ必ず採用されています。
 そして「第三幕」とは、当然ながら最後の幕。いやでも物語を盛り上げ、ラストにもっていくキモとなる部分です。しかしそもそも、第三幕は第一幕・二幕の展開があってこそ盛り上がるのであって、それだけ取り出して引き延ばしたところで、本末転倒の観は否めません。
 これについて、ノーラン監督はこう語っています。

「一切緩急をつけず、お客さんを休ませないという容赦ない映画にしたかった。」
「長い映画にはある種のリズムがあり、そのリズムが緊迫を加速させていきます。しかし、その継続的に加速する緊迫というのはあまりに強烈なので、観客が耐えられる時間の長さには限界があるのです。 対話でそれを語ろうとすると長くなってしまうので、私は視覚的に物語を語っていきたいと考えました。そして観客には強烈な経験をして欲しいと思っているので、いろんなものをそぎ落とし、短く、無駄のないものにしていきました。」


 ノーラン監督はこの難題に対し、尺を切り詰めるという方法に出て、「緊張を維持できるか」「飽きが来るか来ないか」というバランスをとろうと試みていたわけです。本作は封切り前、尺が長い映画の多いノーラン監督としては異例の短さである点が話題となりましたが、要するにすべて計算されていたということでしょう。筆者もたしかに、物語の抑揚のなさに不満こそあれ、少なくとも緊張感は最後までとだえることがありませんでしたので、そういう意味ではうまく乗せられていたということになります。


【ノーランと「時間」】

 『ダンケルク』が普通の映画とは一線を画しているさらなる理由として、この映画の独特な時間軸構成についても軽く触れておきます。これから鑑賞される方のお楽しみのため、詳細は控えますが、この映画は「時間」に関して、観客を混乱させるとともに、中盤以降になってから「そういうことだったのか!」と快感を与えてくれる、たいへん面白いカラクリが仕込まれています。

 思えばノーラン監督は、時間という概念について、非常に思い入れの強い監督でした。簡単に思いつくだけでも、

 『メメント』……時間が逆行することで物語が展開していく
 『プレステージ』……時間軸が複雑に交錯することで謎が解き明かされていく
 『インセプション』……「夢の中の夢の中の夢の中の……」という眩惑による現実感の破壊
 『インターステラー』……「空間を超越する時間」による壮大な帰結

などなど、とにかく映画の本質的構造の部分に、時間ネタを取り入れています。

 そして本作の時間ネタは、単なる謎解き的な面白さに加え、先に引用したノーラン監督の言にもあるとおり、複数の「一個人の視点」の重ね合わせによって物語の全体像を浮かび上がらせるという意図も込められています。そのため本作では、結果として「一個人の視点での戦場バーチャル体験」と「超越的な視点でのダンケルク撤退作戦像の形成」とを両立させるという、とんでもない離れ業が成功してしまっているのです。

「今まで撮ってきた作品のような個人のヒロイズムではなく、集団のヒロイズムを描きたかったのです。極限に置かれた彼らと一緒に観客が“旅”をすることで、最後は集団のヒロイズムが成し遂げられるさまを見せたかったのです。」

 これには本当に恐れ入りました。ストーリーがなくて単調……なんて生意気にも抜かしてしまいましたが、むしろ実は、それによって浮かび上がるものこそがノーラン監督がこの映画で真に表現したかったものだった、といっていいのかもしれません。


【とにかく観てください!映画館で!】

 さてさて、ちょいとまわりくどい話などもしてしまいましたが、この筆者の熱量、少しは感じていただけたかと思います。

 この映画、まだまだ語りたいところはたくさんあります。
 例えば大のCG嫌いかつデジタル嫌いなノーラン監督入魂の映像美と、実物ならではの圧倒的迫力。とにかく色彩が美しく、そしてどこか懐かしいのです。

「この映画の中では、完全にCGのみというショットは無いから、割合で言えば実写100%かな(笑) 例えば、3機の飛行機を捉えた実写のショットがあって、そこに2機の飛行機を捉えた実写の映像を組み合わせたら、例え映像は実写でも、それはCGで合成されたものになります。しかし、今回映画の中に登場する飛行機はすべて実写で、CGで作られた飛行機は出てこないですよ。」

 始めはヘンな先入観もあって、正直あまりノレませんでしたし、今でもすべてを手放し大絶賛というわけでは必ずしもない筆者ですが、こういったノーラン監督の無邪気な製作意図を知るにつけ、ますます『ダンケルク』にホレこんでしまっている今日この頃です。
 ええ、好きですこの映画(笑)
 
「映画の醍醐味とはなんなのか、それはつまり僕に言わせるなら、スペクタクルであり、またその状況に共感し、また集団で感情を揺さぶられる“体験”だと思う。映画がすべてそうである必要はないんだが、そういった作品がたまにやってくると、『ああ、映画にしかないものってこういうことだった』と思い出すんだ。テレビ番組やラジオ劇でも良い作品はもちろんあるが、やはり映画でしか語れない作品というのがあって、そういったものが大事なんだと思うよ。」

 まあ、さきにつらつら書きなぐったとおり、やや観る人を選ぶ映画であるのは否めないでしょう。しかし、「なんか、すごい映画だったな……」というインパクトのある「映画体験」という意味で、良くも悪くも損はしないことだけは保証できます。
 もしこの記事を読んで興味を高めていただけたなら、ぜひともこの映画を「体験」していただきたいと思います。

 オススメですよ!

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