仕事がヒートアップして噴火寸前の今日この頃。
いつもの通りブログはサボりまくっているわけですが、ちょっと前に行った学会の話を。
Special Needs - 特に自閉症・ダウン症を中心にした様々な障害のある子供の支援を考える研修会のようなものだったのだけど、私は半分くらいはmuseumのaccessibility programsの宣伝に、半分くらいは研修目的に参加しました。
その中で面白かったのが、inclusion、つまり障害のある子と所謂健常者の子を同じ教育環境に置くことについてのお話。
こういうinclusionの観念は日本よりアメリカの方が進んでると思われがちだし、確かに進んでるところは聞いててぶっ飛びそうなくらい進んでいるのだけど、実際進んでないところは本当に進んでないというピンきり状態。上から下までの差が激しい。その点日本はどこも大体同じような感じですごく良い訳でもなく悪いわけでもなく、と言う印象がある。あくまで印象なので本当にそうなのか、日本事情にはそんなに精通してないのでよくわからないけど。
とにかく、このお話はぶっ飛ぶくらい進んだところの話が主で、何が良いからその学校はそんなに進んでいるのか、という話。
とても書ききれないので出来るだけ簡潔に書くけど、要するに、障害のある子供の能力を図る際、大切なのは、”障害を問題と捉えそれを直そうとするのではなく、障害が学習に及ぼす影響をどのように軽減するか”という考えが、効果的なinclusionには必要なことらしい。
これだけ聞くと「は?」という感じだろうけど、例を挙げると、従来の聾学校の教育方針を大きく分けてると、「相手の唇を読み、自分は声を出して意思疎通をする」方式をとるイギリスと、「手話を学び手話で会話する」方式のフランスでは、フランス式で学んだ子の方が平均の学習・知能レベルが高かったらしい。つまり、聞こえない事により耳からのコミュニケーションがとれないことを問題とし、所謂”普通”に近づくことを重点に置いた方法は””障害を問題と捉えそれを直そうとする”こと。それに比べ、手話で学ぶ方法は、耳が聞こえないという”障害が学習に及ぼす影響”を手話と言う耳の聞こえない子にとってより自然なコミュニケーション方法で”軽減”するやり方。無理に聞こえる人に合わせ、所謂”普通”の方法を強要するのではなく、その子にとって一番自然なありかたに沿った学習法を促進することが、子供のうちに必要な学校で学ぶ知識をつける上でとても大切なことなのです。
とは言っても、やはり現実問題社会で生きるうえで唇を読むとかある程度発音できることは役に立つので、それを教えることを否定するわけではないのだけど、それはfunctional skillsといってまた別のこと。なので、そういうサバイバルスキル的なことと学習を混合するべきではない、ということです。
Dyslexia (読字障害というの?)でもそう。 これはText to Speech、つまりパソコン画面上で音声読み上げをすることによって、字を読むことが難しくても、耳で聞くことによって書いてある内容を普通に理解できるのに、「目が見えないんじゃないんだから、目で字を追って読めなきゃいけない!」という考えの人もまだまだいて、なかなかscreen readerのソフトが学校のパソコンに入っていたり、それを積極的に使おうという風にはならない。でもdyslexiaの子にとって字を読むことは非常に困難であるので、別に知能そのものに問題があるわけではないのに、speech to textの使用を躊躇した結果、学習に遅れがでたりする。
従来の、所謂健常者を基準にした学び方を強要することによって、障害のある子供が学ぶ機会に影響が出るのはとても残念なこと。
「自分の学校はinclusionの学校です」とは言っても、多くの場合受け入れている障害の程度が低いか、実はinclusionと見せかけて中ではgeneral educationのクラスとspecial educationのクラスを分けていたり、それでも良い例では障害のある子には一対一の補助の先生をつけていたり、色々。
でも今回の話でとても成功している例として挙げられていた学校は、まず、先生はspecial educationの先生とは限らないこと。普通教育の先生もいる、というかそれがほとんど。すべての先生は生徒の補助が出来ることが義務付けられていて、それにはトイレの補助とか、そういう他の学校だと特別なサポートの先生しかしないようなことも、この学校はどの先生も当たり前のようにする。嫌ならここで働かなくて結構、と言う方針らしい。
どの先生も生徒一人一人のニーズがわかっていて補助するための知識やトレーニングもされているため、特に医療的な補助がいるケース以外、めったに生徒に特別な一対一の先生はつかない。障害の種類や程度は本当に様々で、目の悪い子、自閉症の子、程度の軽い子から重めの子までまんべんなくいる。
それじゃあ生徒の殆どが障害のある子かと言えば全くそうではなく、健常者と障害者は大体半々くらい。学校の偏差値は平均以上。健常者の子にとって周りに障害のある生徒がいることは学習の妨げになっていないどころか、特に障害はなくても得手不得手、学習のペースには個人差があるわけで、個人個人への理解の深いこの学校では、実は生徒の学力は良く伸びている。
障害のある生徒も同じこと。他の学校に通っている障害のある子よりも平均の学力は高い。
inclusionを渋る学校では、学校としての偏差値の低下を招くのではという懸念は、大きな間違いであることがこれで証明されているのです。
とはいってもこの学校は、創設者のそういった熱意の下で成り立った本当に特殊なケース。まだまだ浸透するには長い時間がかかりそうです。
そして私も、museumという学校とはまた違った教育機関で、いかに障害のある子とない子が共存して一緒に学べるか、また色々考える良い機会になりました。