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一票の格差。

2017-07-16 | 日記
 7月16日 日曜日

 こんにちは。 酒好きの思想家です。


一票の格差をあえて違う角度から考えてみると、

60歳以上の国民には一人一票で良いとして、

60歳以下の国民には一人二票にしてみてはどうだろうか?

なぜなら、60歳以上と以下では起こりうる社会現象が違うからだ。

分かり易く示せば、

もし仮に、東日本に60歳以上、西日本に60歳以下に分けたのなら、

当然、違った政治が行われるからである。

例えば、60歳以下の若い世代ならば、愛を歌い、恋をして、子供を産み、消費を促すが、

60以上の落ち着いた世代ならば、節約をし、ごみの分別をし、貯金をするといった、現象学である。

これらの現象をごちゃ混ぜにしているのが現代で、過去の政治理論自体になんの説得力もない。

そうなると、政治とは誰のものであり、なんの為に行うのかが重要だ。

実際、老人大国においては老人の意見に逆らえないのが政治家の悲しい現状である。

もちろん、老人と若者が共に暮らしやすい社会を創り出すことが理想だが、

そんな甘い考えでは選挙に勝てないもの承知している。

だから、あえて一票の格差を最大化してみるのも想起になると考える。

正直言って60歳以上の人たちには改革は望めない。今のままが一番である。

だからと言ってこのままではお互いの首を絞めあう政策しか思いつかず、

若者たちの一票の格差がポピュリズムを刺激してゆく。


また、もう一つ違った角度から考えてみると、

政治というものは、過去があって、現代があり、そして未来へ繋がる、大いなる連鎖にあるのだが、

日本人というアイデンティティが薄れると、「現代が良ければそれでいい!」と言うのもうなずける。

言い方を変えれば、我々現代人は過去から未来への「つなぎ役」でもあるのだから、政治の二面性である。

つまり、現代の政治の問題点は、「今さえ良ければ、それでいい!」ここが問題なのだ。

確かに、最大多数の最大幸福論ならば老人優先であって然るべきだが、

それは所詮、過去と未来を切り離した最大多数の幸福論でしかなく、

国家運営と言うよりかは、小さな社会運営だと見て取れる。

どちらも大切なのは分かっているのだが、どちらに偏っているのかも分かっているはず。

そうなると自ずと答えは「ウィン・ウィン」の出番となる。

老人が喜び、若者も喜ぶその一点にこそ我々の生きる道があるという例の「あれ」が必要だ。


ヒントは江戸時代の中に隠されているように、祭りは若者が主体であるのが例の「あれ」だ。

一度、過去から未来への「つなぎ役」として歴史を振り返れば見えてくる、例の「あれ」が。







  つづく。