少しづつ、自分のための備忘録としようと思う。
今日は、月曜日朝。
出来ごとは、夜に。
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
子供にではなく、己に言い聞かせます。
・・・・・・・・・
この時期に、子供を関東に送り出すことになった事情を恨んでいた自分を恥じます。
なんと言う視野の狭さ
なんという自己中
器の小さい 小物であることか。
我々及び、これから社会に巣立つ日本人は、険しい復興の道を切り開かなければならなくなったのだということを認識しました。
「思い出に沈殿するな」
「愛する存在にかわれ」
「くそまじめになれ」
「貧しさをおそれるな」
ニコニコ動画で東高の動画を見つけました。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6892173
校舎の中が懐かしいです。
「色んな事があったよね、主役のいない映画のようさ日々さ」
30年後 今を振り返って同じフレーズで 思い出したいもんです。
「まだまだ 青春」 ってまでは言えないけど、 前向いて生きたいもんですね。
この土日は、久しぶりに自転車の休日。
今の体力から言えば、自転車三昧の2日間だった。
土曜日 9時半頃から始動。
行合野から南波多のふるさと村、大川野に出て、相知を通って帰宅。
相知からは、松浦川の河畔の道。
ダートが舗装道路になって、ロードのための道のよう。
春の花が咲きかける堤防
水面を渡る早春の冷たい風が心地よい、自転車乗りの至福の時。
10km弱の距離だけれど、良い路が出来てました。
これからは、最後に相知に帰るルートが多くなるでしょう。
日曜日は、走行会。
行先は、長崎県 松浦市 福島町
7名で出発。
福島 土谷(どや)の棚田
田植え終わりに頃が見ごろかな。
前半ちょとオーバーペースだったので、最後はゆっくりになってしまったけれど自分的には満足。
左腰のだるさも出そうで出なかったので回復基調なんだろう。
土日で128km。
1週間で270km。
走行会の後は、やる気アップするっすね。
来週も頑張ろう。