クロスバイク物語

突然自転車に目覚めたビギナーライダー
いつの日か 日本中の見知らぬ土地を気ままに旅する日々を夢見てます

50歳を機に

2012-01-23 07:31:29 | Weblog
誕生日 50歳となったので、ブログ再開。
少しづつ、自分のための備忘録としようと思う。

今日は、月曜日朝。

出来ごとは、夜に。
コメント (0) | 

理由は書きにくいけど

2011-03-31 22:20:05 | Weblog
なんだか運が向いてきたような年度末。

懸案を片付けて、人生チャレンジ打ち合わせ そして週末は東京。

一気に駆け抜けるよう。

明日こそ ジテツウ。
コメント (0) | 

巣立った日

2011-03-26 10:36:30 | Weblog
東京へ。

空港へ送るって言うのも断り、駅へ送るっていうのも断り。

でっかいバックをゴロゴロと引っ張りながら歩きで駅に向かう長男。

多分 彼女が駅にいるのだろう。

大学でも せいぜい 頑張って欲しいもんです。

・・・・・・・



親っていう職業は、さびしいもんです。
コメント (4) | 

出来る範囲でしか・・・

2011-03-26 03:16:07 | Weblog
未曾有の国難

自分なりに出来る事はないかと考えていた。

ある方が考えられたチャリティーライドと言う方法の僕バージョン。

「自転車通勤した場合 車通勤した場合のガソリン代分を一月まとめて寄付する。」

僕の車は、リッター13.5kmくらいだから、往復40kmとして1日自転車通勤して約3リッター分と言うことになるのか。

他も考えたいけど、被災地の惨状に心を寄せて、とりあえず末永くやってみたい。

多額の寄付をすることは出来ないけれど、被災地に心を向けて痛みを感じる人間では、いたいと思う。

不動産業のエイブルが透析患者に住宅を無料で提供するとのこと。

企業の宣伝だと言う見方もあると思うけど、タイムリーで素晴らしいと思う。



明日(今日) 巣立つ長男がばたばたしているようだけど、気のきいた言葉がない。

「準備できたや」

「うん」

現実はそんなもんか。
コメント (0) | 

2011-03-21 14:00:43 | Weblog

「山形おばこ」という桜です。

大木にはならいと言うことなので、植えてみました。



引っ越しから2年。

長男の巣立つ春の記念木。

来年は「金木犀」を植えようかな。

コメント (0) | 

己に

2011-03-18 18:39:34 | Weblog
無断転載なのですが、多くの方と同様に感動深い言葉だったのでお許しを願いたい。

立教新座高校の校長先生の卒業生へのメッセージ。


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。
その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。
しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


・・・・・・・・・
 
この時期に、子供を関東に送り出すことになった事情を恨んでいた自分を恥じます。
 
 なんと言う視野の狭さ
 なんという自己中
 器の小さい           小物であることか。


我々及び、これから社会に巣立つ日本人は、険しい復興の道を切り開かなければならなくなったのだということを認識しました。

「思い出に沈殿するな」
「愛する存在にかわれ」
「くそまじめになれ」
「貧しさをおそれるな」
   

子供にではなく、己に言い聞かせます。

 

コメント (0) | 

未曾有

2011-03-12 15:12:00 | Weblog

とてつもない災害が発生した。

被害の全容が分かるのはもっと先か。

多くの命が救われることを祈ります。

コメント (0) | 

朝からふらふら

2011-03-05 07:59:48 | Weblog

ニコニコ動画で東高の動画を見つけました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm6892173

校舎の中が懐かしいです。

「色んな事があったよね、主役のいない映画のようさ日々さ」 

30年後 今を振り返って同じフレーズで 思い出したいもんです。

「まだまだ 青春」 ってまでは言えないけど、 前向いて生きたいもんですね。

コメント (4) | 

土日の出来事

2011-02-27 19:18:18 | Weblog

この土日は、久しぶりに自転車の休日。

今の体力から言えば、自転車三昧の2日間だった。

土曜日 9時半頃から始動。

行合野から南波多のふるさと村、大川野に出て、相知を通って帰宅。



相知からは、松浦川の河畔の道。

ダートが舗装道路になって、ロードのための道のよう。

春の花が咲きかける堤防 
水面を渡る早春の冷たい風が心地よい、自転車乗りの至福の時。
10km弱の距離だけれど、良い路が出来てました。

これからは、最後に相知に帰るルートが多くなるでしょう。


日曜日は、走行会。

行先は、長崎県 松浦市 福島町
7名で出発。


福島 土谷(どや)の棚田 
田植え終わりに頃が見ごろかな。

前半ちょとオーバーペースだったので、最後はゆっくりになってしまったけれど自分的には満足。

左腰のだるさも出そうで出なかったので回復基調なんだろう。

土日で128km。

1週間で270km。

走行会の後は、やる気アップするっすね。

来週も頑張ろう。

コメント (0) | 

衰え

2011-02-22 20:17:52 | Weblog
日曜日 40km。
月、火とジテツウ。

昨日の帰り路から、右臀部というか、右腰というか、右ふともも、というなんかその辺に疲労というか強いだるさを感じる。

痛いわけではないけど、表現しようのない疲れただるさ。

足が回らないし、回さなくても、不快感が消えない感じ。

表現力のなさを痛感するけど、「とにかく、いやっ」って感じ。

こんな事 自転車乗り始めて初めて。

未だかつてない、衰えなんだろう。

なんか 筋力のバランスが崩壊してるのだろう。

さわやかな春に向かおうとしている この季節 復活せねば。

しんどいけど、明日もジテツウ するべし。

明後日は休息しよう。
コメント (2) |