Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「夢に所有格はない」

2014-03-23 | Weblog
『現代能楽集 初めてなのに知っている』、開幕からもう一週間となる。
3月いっぱいの公演です。
ぜひぜひお見逃しなく。
真面目に生きているとやることが多すぎるのも当たり前の話だが、ばたばたしている。


パンフレット掲載の文章を公開いたします。

…………………………

「夢に所有格はない」 


あらためて思うのは、「夢に所有格はない」ということだ。
もちろん、夢を見るのは当事者のその人であろう、と考えられるのかもしれない。しかし、多くの人は、見ようと思って夢を見るのではない。眠りについた後、強引に見させられているのである。
「見る」とはいっても、自分で選んでそれを見ようとしたわけではない。夢はその人の主体性の産物ではなく、どこか彼方から、「来る」のである。そう聞くと、いや、しかしその夢は、その人の脳みそ、本人の無意識がうみだすものだから、やはりその人のものなのだ、という考えも出てくるかもしれない。
しかし、「無意識」は、その人の「所有物」だろうか。
私たちは生まれてくる時代も場所も選べない。成長過程に影響を与えてくれる情報や環境も、望んで得たわけではない。対人関係も、思索も、長じての生活も、その時代、場所の中に生まれた故のものであり、「自分の肉体」を通して感じていると思っている事象や感覚は、それぞれの時代の「集合的無意識」の反映であるにすぎないかもしれないのだ。
「あなた独自の夢」は、同じ時、同じ場所を生きる者の「共有物」、そのバリエーションである可能性を否定できない。
だからこそ、多くの夢を、私たちは目覚めると共に忘れているし、その符合や意味するところの内実を、本気で追いかけようともしないのである。眠ったと信じてその時間に一本かそれ未満の映画のようなものを観させられていただけだとしても、きっと気づかない。
話がそれるようだが、映画は、写真は、そして絵画は、「視線」の持ち主を求めているようだが、決してそれを特定しない。それは誰のものでもない夢だ。小説を読んだ人も、それをある種の身体的時間的な体験を獲得すれば、同様に感じることだろう。誰のものでもないからこそ、受容者たりうる。「作者不詳」と記してある場合を考えるとわかりやすいだろう。
そして私たちは私たち自身を所有しているわけではない。つまり夢とは、仮に私の脳裏で展開されている(考えてみればその保証すらない)としても、誰のものもでないと考えられる。
付け加えておけば、これらは、言語を発見してしまった者だけが陥る状態である。絵画を見て、「現実によく似た何か」だと感じる者は、言語による置き換え作用を自分自身の基盤として通過させ消化している。
つまり、夢について意識し、創作物を受容する者たちは、自ら積極的に幻影を見ようとしている。
能とは、〈複式夢幻能〉とは、世阿弥とその近くの人々によって、「創作物をもっとも夢に近づけた形式」の一つである。
それは、誰にも所有できないはずの夢を、一つの創作物として裏返し展開させようという、野心ある試みである。
夢であるということは、現実を消すことである。にも関わらず夢であるということは、より徹底して現実に存在しようとすることを必要とする。
〈いま、ここ〉にあるということを確実に無化しようと思ったら、〈いま、ここ〉を確実に意識するしかない。〈身体〉を消してみようと思ったら、〈身体〉を通して感じるしかない。
「夢に所有格はない」。
だからこそ、私たちは夢で繋がっていて、現世まるごとを生きている。



……………………

現代能楽集 初めてなのに知っていた
作・演出○坂手洋二

3月16日(日)~31日(月)
下北沢ザ・スズナリ

円城寺あや 岡本舞 美香 大島葉子
鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋
杉山英之 松岡洋子 樋尾麻衣子 鈴木陽介 武山尚史
田中結佳 宗像祥子 長谷川千紗 秋定史枝 川崎理沙
右手愛美 櫻井麻樹 山村秀勝 立本夏山 峯岸のり子

ここでは「既視感」さえも管理されるのか?
現代能楽集なのに「冒険譚」!
現在という荒野を生きるための、「旅」の物語。

次にあなたが何を言うのか、
わたしのどこに触れるのか、知っている

ちゃんと迷ってください
ほんとうにご自分を見失ってみないと
私を見つけることはできません


<開演時間>
24(月)7時★/25(火)7時★/26(水)7時★/27(木)2時と7時/28(金)7時/29(土)2時と7時/30(日)2時/31(月)2時
★は以下のゲストと坂手洋二とのアフタートークあり。

映画・舞台芸術の第一線で活躍中の魅力的なゲストと坂手洋二によるアフタートークもございます。どうかご期待下さい。

24日(月) 中島那奈子(踊りと老いの研究・ダンスドラマトゥルク)
25日(火) 岡田利規(劇作家・小説家 チェルフィッチュ主宰)
26日(水) 藤井ごう(演出家 R-vive主宰)

全席指定 一般料金3600円
(また大学・専門学校生2500円・高校生以下1500円もあります。劇団にご連絡ください)


■ 20年を越える、燐光群『現代能楽集』シリーズ 
これまで燐光群は〈現代能楽集〉と銘打って、1993年の『現代能楽集』以来、『現代能楽集 アクバルの姫君』(1995年)、『現代能楽集 三人姉妹』(2007年)、『現代能楽集 イプセン』(2009年)、『現代能楽集 チェーホフ』(2010年)を上演してきました。
坂手洋二は新国立劇場公演『現代能楽集 鵺』(演出=鵜山仁・出演=坂東三津五郎・田中裕子 他)を書き下ろしています。
また、坂手は「現代能」についてのワークショップも実施しており、海外でも、2005年カリフォルニア州立ノースリッジ大学の他、イタリア・ウンブリアでのラ・ママ劇場主催の国際演出家ワークショップに講師として招かれ、世界の演出家たちを指導するなど、実践による研磨と国際交流も継続してきました。本公演は、そうした燐光群・坂手洋二の「現代能」×「現代演劇」についてのアプローチを更に進めるものです。

■ 作品について 
初めてなのに知っていた、既視感を越えた、「存在」への視座。それは現在という荒野を生きていく者たちの「旅」の物語です。ある架空の「島」を舞台に、「現代能楽集」でありながら「冒険譚(アドベンチャー)」でもある、ダイナミックで幻想的な、しかしリアルな側面を持つ物語が展開します。
観阿彌・世阿彌はどのようにして「能」というシステムを発見したかという過程を追体験するように、自分たちに必要な表現の発見と確立を、追体験してゆく構成を取ります。

本公演では、魅力的な俳優陣をゲストに迎えます。
「夢の遊眠社」で活動後、舞台のみならず映画・ドラマと幅広く活躍、2010年の『現代能楽集 チェーホフ』より燐光群の舞台に数多く出演している円城寺あや。無名塾所属で舞台を中心に活動、無名塾稽古場公演などで脚本、演出も手がける岡本舞。二人は前作『ここには映画館があった』に続いての出演となります。
また、カンヌ国際映画祭正式招待作品『朱花の月』(監督 河瀬直美)に主演するなど、数々の映画に出演してきた大島葉子(おおしまはこ)が、舞台に初めて出演します。
さらに、燐光群の創生期のメンバーであり、現在はフリーで活躍する美香が15年ぶりに出演。
昨年3月にオーディション合格者が多数参加、高い評価を得た『カウラの班長会議』と同様、今回もオーディションによって選抜された出演者を交え、その成果が期待されています。

さらに、音楽家・太田惠資の参加によって、「音楽劇」としての「能」を検証し、「現代能」を新たな段階に向かわせることを考えています。振付を担当する矢内原美邦と坂手洋二は、既に五度の共同作業を行っており、最近では2012年の『荷』、野外劇『内海のクジラ』で、そのパートナーシップが高い評価を得ました。身体表現とテキストの交錯は、常に新しい方法論を求めています。『だるまさんがころんだ』『カウラの班長会議』等に出演、十数年来の劇団のパートナーであるジョン・オグルビーはTheatre Nohgakuに所属、「能」「狂言」の英語による普及に勤しんでおり、本公演ではアドバイザーとして参加、ワークショップも行っています。
このように、「能」についての様々なアプローチを試み、実験性と成熟した表現とを両立させた、豊かな劇空間が表出されることでしょう。
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