Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

捕鯨村、再々々々訪

2017-01-04 | Weblog
今年3月に『くじらの墓標』を23年ぶりに再演することもあって、日本の代表的な捕鯨村の一つ、宮城県牡鹿半島の鮎川を訪問。
執筆したのは1992年なので、初めて取材したときからは、かれこれ四半世紀経っている。
十五年前か、アメリカの演出家リアン・イングルスルードに『白鯨』を演出してもらったときにも、リアン夫妻と一緒に行き、鯨の解体を見てもらったりしたものだ。あの頃、私も彼に捕鯨の伝統の残るアラスカに連れて行ってもらった。

もちろん震災後に訪れるのは初めてである。
もともとあった、あの捕鯨の町が、平地部の建物はいったんまるごと根こそぎ流されて、その後、少しずつ再建が果たされてきている様子の、途中経過だ。
東日本大震災の震源地に、ほぼ一番近い陸地である。
津波の脅威を改めてまざまざと感じる。
震災直後、牡鹿半島の幹線道路が分断され、孤立したことも知っている。
陸の果ての町だけに、復興にはとくに時間がかかるはずだ。

「クジラ捕りたちはみんな無事だ」ということは、震災後すぐに聞いていた。
捕鯨に携わる仕事は存続していて、四半世紀前に「クジラ捕りの平均年齢は五十歳近い」ということで悩ましいことになっていたのだが、二つの捕鯨会社は施設を建て直し、操業は継続、確実に世代交代も果たせているようだ。
それは本当によかった。

復興にはいろいろ問題がある。
だが、とにかく捕鯨村としての観光をも含めた再興がのぞまれるところだ。
観光のメッカだった「ホエールランド」は来年に再建される予定となっているが、防潮堤の高さをやり直すということになっているらしく、そちらを優先するべきだろうから、もっと先になるような気がする。

写真の、街道沿いのバス停が、もともとのこの町のど真ん中、なのである。
津波が来て、港のモニュメントの青い二本柱(津波後にこれだけかろうじて残った)が最高部のみを露出する水位まで水位が上がってしまったというのも、現地で見ると、本当に驚かされる水位の高さだ。
スナックなどの店は、なくなっている。『くじらの墓標』に登場する「タツエおばさん」の店も同様であっただろう。
幾つかの店が「おしかのれん街」として、店の再建を睨みながら仮設で営業はしているが。
「捕鯨の衰退」よりも、震災による打撃の大きさが、人々の暮らしをすっかり変えたのだ。
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