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“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「不戦の誓い」を捨てるのか

2014-02-05 | Weblog
自民党は2014年運動方針で、靖国神社参拝に関し、原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との文言を削除し、「(戦没者に対する)尊崇の念を高め」との文言を追加。「日本の歴史、伝統、文化を尊重し、靖国神社への参拝を受け継ぎ、国の礎となられた方々に対する尊崇の念を高め、感謝の誠を捧げ、恒久平和への決意を新たにする」との文言に落ち着いた。「尊崇の念」は安倍晋三首相が参拝理由として繰り返し強調する言葉で、「安倍カラー」を強めたものだとされている。
「不戦の誓い」を削除した理由について、原案に対し「靖国神社は犠牲になった方に尊崇の念をささげるために作られた。不戦の誓いと混ぜないほうがいい」との意見が出たからという。党の総務会で「靖国神社は不戦の誓いや国家の平和を祈るところではない」などの異論が出て、一方で「自衛隊員にもしものことがあった場合、靖国神社に奉る覚悟を示すべきだ」と表現を強めるよう求める声も出たため、最終的に石破茂幹事長に一任され、決まったらしい。「前文に入れた」という言い訳も聞こえてくるが、前文は「平和の維持こそわが国の繁栄の基礎」との表現で、「不戦の誓い」という言葉はない。都合良く翻訳して理解しろということか。
「時代に即した現実的な改正」というが、安倍首相は昨年末の参拝後に「不戦の誓いをした」「二度と戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代をつくる。その決意を込めて不戦の誓いをした」と記者団に語っており、「不戦の誓い」を削除したことは、首相発言とは食い違う。靖国参拝を非難されて「いいえあれは不戦の誓いです」と、さんざん言い訳に使ってきたが、そろそろ削除しても平気だろうと高をくくったということだろうか。

私は先日、戦場で多くの戦友の死を見て生き残った元兵士の方に取材した。彼は東京に行くたび、靖国神社で戦友のために手を合わせる。彼は戦友たちのことを「かわいそうでしかたがない」と言う。「命令に従わねばならないことは残酷なこと」「二度と戦争はあってはならない」とも言った。
「不戦の誓い」そのものは、そのように成立する。靖国神社に「A級戦犯」がいなければそのことはより明確になる。

「不戦」といっても、日本が振り返るべきその戦争は、ただの戦争ではない。「侵略戦争」ということである。
中国では靖国神社は「東方ナチス」と呼ばれている「A級戦犯」を祀っている場所である。そこを参拝することは「ナチス」「ファシスト」による「侵略戦争」、「人類の暗黒史」を、肯定することになるとされている。
先月8日、国連の安全保障理事会中、中国の劉結一国連大使が「戦争犯罪人(A級戦犯)が合祀された靖国神社に参拝することは、第2次世界大戦後に戦争と決別し平和を掲げて創設された国連の理念にも反する」と批判、「安倍氏はいったい日本をどこに導こうとしているのか。国際社会は協力して一国が再び危険な道へと向かうのを防ぐべきだ」と訴え、国際社会に中国の立場を理解し歩調を合わせるよう要請し続けている。
対する日本の吉川元偉国連大使の「安倍総理大臣の靖国神社参拝は、戦争の犠牲者を敬い、日本が二度と戦争をしないと誓うためのもので、決して軍国主義をたたえるものではない。安倍総理大臣は、中国とお互いに尊重し合い、友情を築くことを望んでいる」と返答した。
これがいったいどのくらい受け入れられるものだろうか。
「A級戦犯合祀」の問題を避けていては、日本の立場は悪くなる一方だ。
「侵略」の問題については、岸田外務大臣は安倍総理の靖国神社参拝が諸外国から「軍国主義と侵略の歴史を美化している」と批判され続けていることに関連して、「いわゆる村山談話や河野談話を含め、歴代の内閣の歴史認識を引き継いでいる」としている。ならば「侵略」の事実を率直に認め、「戦犯」がいることを認めなければおかしい。
なにしろ、満州国の建設者にしてA級戦犯の罪に問われた安倍の祖父・岸信介も、インタビューなどで「侵略であった」とはっきり認めているのだ。
安倍総理は今後の靖国神社参拝について、「国のために戦ったご英霊に対して尊崇の念を表し、一国のリーダーとして手を合わせ、ご冥福をお祈りする。この気持ちは持ち続けていきたい」「参拝自体が、残念ながら外交問題、政治問題化されており、その観点から、今の時点で今後、参拝するかしないか申し上げるつもりはない」と言う。
公明党の山口代表らが検討を求める「新たな国立の追悼施設」の設置については、消極的な姿勢を崩さない。

相変わらず、表面だけを取り繕っている。この言語感覚で「改憲の実現に向けて党全体として取り組む」と掲げられてはたまらない。
安倍自民党は、憲法96条を変える話をまた持ち出し、集団的自衛権を容認し、国家安全保障法制を整備し、「積極的平和主義」によって、中国の尖閣諸島上空への防空識別圏設定などを受け、国家安全保障会議(NSC)を司令塔として「領土・領空・領海を守り抜く」との決意も打ち出した、としている。
しかし国内での「主観」の対立ではなく、もはや外交問題としての靖国問題である。「不戦の誓い」ではなくなった靖国参拝とは、何か。「侵略」の歴史を直視することを避け、「戦争のできる国」にしようとしながら、「不戦の誓い」を捨てることが、何を意味するか。

2月3日の衆議院予算委員会でも、安倍首相は、靖国参拝を高く評価すると言う、元杉並区長である維新の会・山田宏議員の質問に答え、「二度と人々が戦禍に苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて不戦の誓いをした。私の姿を見て頭を垂れた方もいた。一国のリーダーが自分の愛する人のために手を合わせている姿を認めることで、気持ちに癒やしがあったと推測する。中国や韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは全くない。礼儀正しく誠意をもって説明を続けていきたい。誤解を与えることのないようしっかり説明をすることで、日米の絆を揺るぎないものにしたい」と答えた。
自分の姿、行為が、「癒やし」を与えた、というのは、なかなか常人が口に出せる感覚の言葉ではない。
また、生活の党・畑浩治氏の「憲法の性格をどう考えるか?」という質問に対して首相は、「国家権力を縛るものだという考え方があるが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と返答した。
これは憲法の精神というより、その意義と仕組みをまるごと否定するものだ。国民主権下の憲法が国家を縛るのが間違っているなら、国はやりたい放題ではないか。

同日、昨年11月、「安倍カラー人事」になったとされる「NHK経営委員会」の一員である作家・百田尚樹氏が、東京都知事選の田母神俊雄候補の応援演説に立った。
特定候補の応援をすることについて百田氏は「思想信条の自由。NHK経営委員はあくまで放送法によって縛られています。つまり放送に関しては徹底して不偏不党、あるいは中立。僕のプライベートな行動まで縛る法律ではないですよね」とした。
彼は米軍による東京大空襲や原爆投下を「悲惨な大虐殺」とし、東京裁判のことを「これをごまかすための裁判だった」と断じた。
また「1938年に蒋介石が日本が南京大虐殺をしたとやたら宣伝したが、世界の国は無視した。なぜか。そんなことはなかったからです」「極東軍事裁判で亡霊のごとく南京大虐殺が出て来たのはアメリカ軍が自分たちの罪を相殺するため」と、「南京大虐殺」をまるごと否定した。
第2次世界大戦での日本の真珠湾攻撃について、「宣戦布告なしに戦争したと日本は責められますが、20世紀においての戦争で、宣戦布告があってなされた戦争はほとんどない」「(米軍による)ベトナム戦争の時も湾岸戦争の時もイラク戦争もそうです。一つも宣戦布告なしに戦争が行われた」「第2次世界大戦でイギリス軍とフランス軍がドイツに宣戦布告しましたが形だけのもんで宣戦布告しながら半年間まったく戦争しなかった」と、「宣戦布告」を否定し軽く見せようと躍起になった。
「憲法改正派」だというが、「今の憲法は戦争は起こってほしくないなあと願っているだけの憲法」と言い、「絶対に戦争を起こさせない。そういう憲法に変えるべきだと僕は思っています」と言う。この「絶対に戦争を起こさせない」という言葉が彼の中では「積極的平和主義」にすり替わっているらしいのだから、不気味だ。
「戦争では恐らく一部軍人で残虐行為がありました。でもそれは日本人だけじゃない。アメリカ軍もやったし、中国軍もやったし、ソ連軍もありました。でもそれは歴史の裏面です。こういうことを義務教育の子どもたち、少年少女に教える理由はどこにもない。それはもっと大きくなってから教えれば良い。子どもたちにはまず日本人に生まれたこと、日本は素晴らしい誇り高い国家であること、これを教えたい。何も知らない子どもたちに自虐史観を与える必要はどこにもない」と、「子どもの純粋さ」を利用して持論を展開した。
「何も知らない子どもたち」=「自然と自分の国を愛する子どもたち」だとしたら、子どもたちを信じていないにも程がある。意識がかたまる前に子どもたちは洗脳してしまえ、と言っているのは百田のほうだ。
私はネットの映像で見たのだが、その後は被災地の救援物資を受け取る人々や、閉店せず人々に物資を渡したコンビニなどを賞賛、他の国なら人間が殺到してたいへんなことになるはずだがそうではなかった……、云々、被災地のこともダシに使っているとしか思えない自分本位の話が続いた。
「震災津波の後の本当の恐怖が「暴動」であるというが、日本では起きない。仮に中国で大津波、大震災があった後どういうことになるか、想像するだけでおそろしいことになる、地獄絵図が繰り広げられると思います」と、あからさまに中国の人たちに対して差別発言をした。この件については、毎日や朝日も触れていない。なぜだ?
NHK経営委員について放送法には「政党の役員は経営委員になれない」「委員12人のうち5人以上が同じ政党に属してはいけない」といった規定があるという。けれど党員でも委員になれるし政治献金も政治活動も制限されていないという。
経営委員会事務局は「個々の委員がどんな信条を持っていたとしても、経営委員会全体が偏らない判断をするならば問題ない」「ほとんどの経営委員は兼職が認められており、個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられない」と話しているというが、現実に経営委員会の圧倒的多数が偏った考えの持ち主ではないか。
菅義偉官房長官は4日の記者会見で「放送法に違反するものではない。個人的な発言で、政府としてのコメントは控える」と述べ、問題視しない考えを示している。
百田氏は演説の中で自らが政治的発言をすることについて「プライベートで誰を応援しようが自由。もしこれで『経営委員にふさわしくない』と言われたら、いつクビになってもいい」と言う。
NHKの籾井勝人会長は、就任会見での政治的中立性が疑われる発言について国会で陳謝したが、百田氏は「思想信条の自由。NHK経営委員はあくまで放送法によって縛られています。つまり放送に関しては徹底して不偏不党、あるいは中立。僕のプライベートな行動まで縛る法律ではないですよね」とも言っている。

かつて前田武彦氏が「共産党バンザイ!」とやってテレビから干されたのは、番組中であり民放だったからということか? 考えてみれば昔はのどかだった、と言っていいのか? 日本では人権や自由への感覚は、現在よりも自明のものとしてあった。そのことが諸外国の信頼を得ていた。

フランスのル・モンド紙は早速、百田発言を記事にした。タイトルは「憎悪を保つ技術について」だそうだ。国営公共放送上層部の人物が南京虐殺を全面的に否定したこと、昨年の終戦記念日に「民族主義的な安倍晋三首相」が、通例となっていたはずの「日本がアジアにもたらした苦難についての悔悟の言葉」を口にしなかったことにも言及している。
この件は英BBCも報道し、シンガポールでも記事になっている。世界的に、批判的視点から注目されている。
言うまでもなく彼らは、この国が「不戦の誓い」を捨てようとしていることを、問題視しているのだ。

毎日新聞の報道によれば、1993年に抗議先の朝日新聞東京本社15階応接室で拳銃自殺を図り、死亡した新右翼「大悲会」の野村秋介・元会長について、NHK経営委員の長谷川三千子埼玉大学名誉教授が昨年10月、元幹部の没後20年を機に発行された追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛したという。
長谷川氏は野村氏の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と憲法が定める象徴天皇制を否定するような記載をしていた。
また、朝日新聞について「彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない」と不信感をつづっている。つまりメディアへの暴力による圧力を肯定しているのだ。
長谷川氏はNHK経営委員としての資質を問う毎日新聞の取材に「非常勤のNHK経営委員には自らの思想信条を表現する自由が認められている。自らの仕事として精神思想史の研究を行ったり、民族主義者の追悼文を書いたりすることは、経営委員としての資格とはまったく無関係のこと。経営委員には番組作りに関与する権限はなく、追悼文を書いたからといって意図的な特集番組を放送することはありえない。経営委員は常にルールに従って行動している」としている。
こういう人もいたのだ。
「NHK経営委員会」は、安倍首相陣営によって、そうとう「厳選」されていたのだなあと思う。

私は野村元会長自決の数ヶ月前、出演したテレビのモーニングショーで同席する予定があったが、結局、その日は野村元会長が現れなかった。確か、彼が製作に関わった映画が公開される前の頃で、その関連での出席だったのだと思う。実現していれば、どういう話になっていただろう、と、時々思い返すことがある。

身辺のことも少し。

芸能事務所であり制作プロダクション「アトリエ・ダンカン」が、1日付で事業を停止し、自己破産申請の準備に入ったという。私も昔お世話になっただけに、衝撃を受ける。

風邪がひどく、寝つけず、午前からの夕方までの会議には出かけたものの、睡魔とたたかって無理矢理テンション上げ、なんだか毒舌癖も出て、いささか反省。会議中に窓外を見ると、雪。
ほうほうのていで帰宅。
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