Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

ジャケ絵 3回目と4回目のラフを経て

2015-11-27 | 榊原長紀 「キミと僕」


朝6時に起きて録音
一つ仕事を納品した後
ずっとリピートして自分の音源をかけている

このところ毎日
とても長時間聴き続けている



録音する時って
自分のプレイへの駄目出しを繰り返しながら
理想形へと近づけるわけだから
終いにはもう自分の音がつくづく嫌になってしまう

レコーディング後に自分の音を聴きたがらないミュージシャンは
結構居るように思う


僕も半年前の録音し終わった直後には
自分の音などもう絶対聴きたくないと思っていたが
「自分の作品を聴く」というエネルギーが戻って来た
それは紛れも無く
小田さんの描いたジャケ絵によってもたらされたエネルギーなのだ



4回目まで修正を重ねてくださった絵と
音を合わせて聴いていると
ス~ッとイマジネーションの世界に引きずり込まれ
一日中聴いていられる


聴いていられるし
流しながら聴かないでも居られる


聴きながら入眠も出来るし
聴きながら淡い夢も観れる


何をしていても邪魔にならない


それなら無くても同じか、、と
音を止めてみると
なんだかとても寂しい気持ちになる


やっぱりこの音に居て欲しいんだと知ることになる




生活の中のどんな時にもずっと寄り添ってくれそうな作品に
少しずつ仕上がって行く




とても嬉しい


















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叱って欲しいこと

2015-11-21 | 良寛さん万歳



久しぶりに「良寛さん万歳」のカテゴリーで投稿したくなった



僕は
「自分で言うのもおこがましいのだが」
と言いながら
よく、おこがましいことを言う人間である















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あるばむのこんせぷと 覚え書き

2015-11-21 | 榊原長紀 「キミと僕」


僕がたまに使う「インナーチャイルド」というキーワードは
心理学で使われる概念なんでしょうが
きっと僕は多少自己流に解釈して使っているのだと思う


過去にそういう類いの本を拾い読みした時期はあったが
専門家になるのが目的ではなく
自分の内部の歪みの正体を知りたかっただけなので
「インナーチャイルド」という存在の概要を浅く知った時点で
そこから先は深く調べるのは止め
自分の日常で自己流な使い方をしてきた


僕の自己流な使い方はこうだ


現実にはあり得ないことなので仮定としての話になるが
人間の精神が成熟しきったなら
何に対しても不満が起こらず
依って語ることも一切無くなる

人が語りたくなるのは
満たされていないからだと考える

語るとは実際に論理立てて語ることから
憤慨して怒りを発するようなこと
偽善や独善的な言動まで
真理や摂理に背くいろいろな事全てが含まれる



語らないとは
生きながら樹のように一言も発しないことを意味する

ただそこに在って
可もなく不可もなく生きているだけだが
摂理に沿って生きているので
他者へ心地好い波動を送ることが出来ている



戻して
語らずにはいられない理由は
語っている「今」に原因がある場合はほとんど無く
原因のほとんどは過去に受けたストレスを
浄化出来ずにいる負の残り火に依る



世の中を眺めると
過去にストレスを受けた相手とは全く関係無い
今、目の前に居る相手にぶつけている茶番がほとんどに観える



ぶつける形は幾種類もあり
怒り 悲しみ 被害者意識の訴え
強い依存や共依存などいろんな形で起こる

これらを起こす自己の内部に居る者
を指して「インナーチャイルド」と僕は呼び
満足な授乳を受けられていない乳児が
空腹の枯渇と不安から泣きじゃくっているのと全く同じ仕組みが
大人である我々の精神の内に在る、という解釈をしている


大人である我々の精神の内に住む赤ん坊が満足するまで
自身か信頼出来る誰かによって精神的な授乳を施し
この先授乳は途切れることはない
枯渇を強いることはもう無いのだと
赤ん坊に覚えこませるまで根気強く習慣づける必要がある

まあ…
その重労働を可能に出来る存在は一言で言うなら
「愛」ということになるのだろう



僕の解釈はちゃんとした学術的な「インナーチャイルド」の概念と
あながち離れてもいないとは思うが
細かい部分や使い方は自己流が多分に混ざっているように思う



このインナーチャイルドが大暴れをしている親の元に生まれ育った自分は
良くも悪くもそこからの影響を沢山受け
自身の人生でどうしてもそのテーマを避けて通れない宿命を
背負ったように思っている


今、生まれて初めて自発的に作っている自分のソロアルバムに収録された曲は
このテーマから産み落とされた曲たちで構成されている

これらのうち何曲かは過去に何かのライブで奏でたこともあったが
自分の代表曲だというスタンスを高らかに唱えて宣伝したことは無い


「インナーチャイルド」をテーマに奏でて
しっくり来る場が今まで僕の周りの音楽業界には皆無だったから
場を模索していたのだと思う

そして結局今も皆無なままだから
波長が合いそうな音楽業界以外の人と関わり新たな角度から模索をしている




長い前置きになったが
こういったテーマやスタンスを以て
初めて自身のアルバムを作っている


タイトルは「キミと僕」になることがほぼ決まっているが
もしかしたら変わるかもしれない


過去の制作記録に残したが
曲の録音は僕にとって大変苦しい時間となった

「インナーチャイルド」に触れることだけをOKラインに設定し
1ヶ月間くらい奏で続けているうち
答えの得られない深い深い海の底に沈み
どちらから光が差すのかも解らなくなった


精神のギリギリ限界辺りで予定していた全曲を録り終え
しばらくして突発性難聴を発症した

幸い数ヶ月でほぼ治ったが
自分で言うのもなんだが
突発性難聴はレコーディングの重労働を物語るバロメーターだったのだなと思った


そして曲を録音したのはもう半年くらい過去の出来事になる

壊れかけた耳や精神を修復しながらゆっくり時を経て
今やっとジャケットの絵を発注しやり取りをしているわけだ


ここで話が戻るのだが
当然自分のテーマである「インナーチャイルド」を
発注した画家である小田さんにも投げ掛けた
「インナーチャイルドを描いて欲しい」と


「インナーチャイルド」の存在は男女問わず当てはまると考えていたし
アルバムタイトルにしようとしている「キミと僕」は
「僕」という自分と
「キミ」という不特定多数の全ての命ある者
を表しているつもりだったので

小田さんから上がってきたジャケ絵には
実は男の子が描かれているのだが

「インナーチャイルド」をテーマの中心に置いてるのに
「男の子」で良いのだろうか...
と少し考え込んだ


「女の子」にした方が良いのか

いや
一人だけ描くならなんとなく直感的に「男の子」だろうと思う


じゃ二人描く?
「男の子と女の子」

いやいや、これはテーマが変わってしまう
「インナーチャイルド」ではなく
「恋愛」「初恋」のようなニュアンスが出てしまうから違う


じゃ
「男の子でも女の子でもない中性的な存在」にしたらどうかと考えたが
それも理由はボンヤリしているが何処か違う感じがした


そして最後に1つの考えに行き着いた

描くのは「男の子1人」で良いのかも、と


「インナーチャイルド」は男女問わず
人間の成長過程で精神への授乳が足りていない部分に対して
万人の精神内に生まれる

生まれる理由は男女問わないわけだが
「生まれてからその後」では男女で変わってくるのかもしれない

子供を産まない宿命の「男の子」は生物学上の性質から
その後暴れるインナーチャイルドに苦労しながらも
見知らぬフィールドも開拓すべく旅を続けて行くことになる

子供を産む宿命の「女の子」は
その後暴れるインナーチャイルドに苦労しながらも
子を産み育てる安住の地を探し求めることに意識が向くのだろう
(女じゃないから想像で言ってるけど)
 
「男の子」はずっと不安定な中を旅し続け
「女の子」は安心出来る場所を探しそして得る

男女それぞれに求める場の種類は違っていて
それぞれ場に於いて
それぞれの抱えるインナーチャイルドと対話しながら人生は流れて行く



画家小田さんから2回目のラフを頂き
3つのラフ絵の中から選んだものには
男の子が描かれており
女の子がしないであろうことをしている


これを見て男性は共感し
これを見て女性は自分とは違う性質の存在に愛しさを感じれば
僕のテーマも或る面では具現化されたと言える


僕の音楽に何かしら興味を抱いてくださる方は
ジャケ絵に何が描かれているか
出来上がってのお楽しみにして頂きたい


そしてこれだけ長い文章を書き連ねる自分は
やはり相当に授乳が足りていない暴れるインナーチャイルドを
抱えた人生だと言えるだろう


僕が発するものが暑苦しく感じる方は
なるべく僕から距離を取られるようお勧めしたい

僕の発する言葉や音が
何らか共鳴する方にとっては
僕の長たらしい文章も音楽も
少しは何かのお役に立てるかもしれない















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2回目のラフに伴うこと 覚え書き

2015-11-20 | 榊原長紀 「キミと僕」


小田さんから送られた2回目のラフは
相当描き込まれた豊かな世界観の下絵3つだった

3つとも素敵な絵だった

菊地さんは僕と小田さんのやり取りを自由にしてくれるために
今は口を出さず黙ってくださっているようだ


今回僕には小田さんとのやり取りに
直接は持ち出せない類いの悩みが生まれてしまった

この悩みに突入したことで僕の脳はオーバーヒートし続け
今日は諸事を済ませるために外出した先では
認知症になったかと思うほど忘れ物や失敗ばかりだった


この悩みの事を自分記録として残しておきたいと思う

自分の人生でこんな悩みを得たことは
幸せなことだということを書き残しておきたいのだ




。。。




小田さんから頂いた「絵」という
2次元世界にパッケージされたものを
音に重ねて眺めることで今回気付かされたことがある

自分が普段音から得ているイマジネーションは
何となく一枚の絵を見ているように思っていたが
もっと多次元的なものに触れていたのだ、ということだ


曲が進むにつれイマジネーションの風景は移り変わるわけだし
曲の同じ場所でも聴く時の心理状態でいくらでも観える風景は変わる


上空を見上げたまま同時に下界を見下ろすような
複眼的な見え方も当たり前のようにするし
今目の前の人の表情を眺めながら同時に遠い過去の記憶に浸るような
時間も自由に行き来する


アルバムに収録する自分の音からインスパイアされることで
観えている一枚の絵に近い風景を
小田さんお伝えし描いて頂けば良いと思っていたが
改めて自分がこんなに多次元的な風景を観ていたことを認識すると
小田さんから頂いた絵を自分の引き出しの中の
どの絵と並べて是非をつければ良いのか解らなくなってしまったのだ


ここ数日前から来ている毎月の宅録仕事をしながら
ちょっとした用事で外出もするが
その他の時間はずっとアルバム収録曲を聴きながら
ずっと小田さんの絵を眺め続けている


頭の中のイマジネーションをあちこちに行き来させながら
心が動く部分を突っつき続けていると
終いにはもうくたくたで身体が動けなくなってしまう
そして動けないことを楽しんでいる


視覚から入って来る芸術と聴覚から入って来る芸術の
寄り良い重なり合わせ方はきっとまだまだ未開発分野であり
芸術方面への多くの可能性を含み
脳のトレーニングとしても大変良い気がする

身体が動かない間に
脳が管理出来るイマジネーション領域が広がって行く


(一般的な尺度で言うところの)社会不適合者となって
暖かい日のアザラシのようにゴロゴロしながら
このところ苦しくも幸せな日々を過ごしている自分なのだ















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1+1+1>3

2015-11-18 | 榊原長紀 「キミと僕」


芸術を職業にすることで背負う迷いとか苦痛のような感覚は
クライアントからの要求に応えるために
論理脳である左脳を使って理屈と隣り合わせの制作になるからだと
僕は思っている


芸術脳である右脳は処理スピードが早く
それを制作者が主観的な表現をすると
「一瞬の閃きでこの作品は生まれた」
などということになる


悩み葛藤することなく
一瞬の閃きで産み落とされた作品には
書道で言うなら掠れるほどに鋭い筆勢で描かれた墨の軌跡や
目にも止まらない居合いの刀捌きが美しいように
絵でも音でも美しさや凄みが宿る

それは左脳で解析出来る領域外のスピードを持っているから
その美しさと凄みが生まれ
何故この作品が素晴らしいのかをいくら考え抜いても
左脳ではその仕組みは永遠に解明出来ない

だから右脳作品は
何度聴いても
何十年眺めても飽きない


僕も小田さんも職業音楽家であり
職業イラストレーターという面を持っている

それと平行して
収益をいったん切り離したところで
強くこだわりを反映させたアーティスト面を持っている

それは左脳作品と右脳作品の両刀使いという言い方も出来る
(真性芸術で収益を得るのはいつの時代もどんな場所でも大変なことだから
こういう両刀スタンスの芸術家は多いでしょうが)



今回ジャケット絵をお願いした僕のアルバムは
僕にとって勿論後者に当たる

当然こだわりも強く
その辺りのことは小田さんに発注する以前から
プロデューサーの菊地さんとの間でも沢山メール交換し合った


そのこだわりを
伝え洩らしが無いように丁寧かつ熱く小田さんに伝えた結果
初回ラフが僕が求めていたものとは
面白いことに見事に違うものが上がって来たのだった


そこからのコミュニケートで判ったことは
小田さんはこちらからのこだわりに
出来る限り応えるスタンスで
ラフ絵の構成を考えてくださったことが判った

それは職業アーティストとして
こちらからの要求に正確に応えるスタンスを取られた
左脳作品であった
ということになる


そして
左脳スタンスから生まれたものは
右脳スタンスから生まれたものと調和しないことを感じ
その旨を僕の下手糞な説明でなんとかお伝えしたのだった


初回ラフを使っての一度のやり取りを経て
音も絵も右脳作品を持ち寄り合体させる
という共有スタンスに擦り合わせが出来たようだ


強いエゴとエゴが美しく調和出来るのは
きっと芸術の世界だけだろう

もしくは
人生を芸術的に生きることである




2回目のラフ絵が上がってくるのがとても楽しみだ



















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コミニュケート

2015-11-17 | 榊原長紀 「キミと僕」


僕のソロアルバム「キミと僕」のジャケット絵の
具体的なコミニュケーションが
画家、小田さんとの間に始まりまりました


まずは頂いたラフ絵に対して
僕からの意見を二日かけてお返ししたところです


アルバムの制作記録に手記を残したいと思います



。。。



音楽も絵もそれぞれ一つの独立した伝達ツールであり
言語とは全く違う伝達形態ですから
音も絵も完璧に言語化することは不可能です


そこを重々知りつつ
自分の音楽を言語化して説明したり
小田さんからのサンプル絵を言語化して
自分の求めている方向へ導こうとするコミニュケート作業は
何とも心もとない気持ちになります


コミニュケートしようとすればするほど
本質から離れてしまうような不安感に襲われ
ちょっとでも気を抜けば虚しさに陥りそうになります


そこをなんとかクリアーし
絵と音がしっかり合体出来た暁には
それぞれが単体の時に放っていたパワーより
ずっと大きなパワーになることを感じます

その完成形が僕には見え隠れしているのですが
それを伝えることが本当に難しいようです



知恵熱が出そうで
メールを送った後に動けなくなり横になっていました


僕は徹底的にこだわった録音や練習をした後にも
こんな風に身体が動けなくなって横になることがよくあります

このコミニュケートにはその時と同じ脳を使ってるのだろうと思います



横になり
無音が嫌だったのでyoutubeを流しました

ほとんど無意識に選んだのが
何故なのか解りませんがアインシュタインロマンという動画でした


ぼんやり聞きながらいつの間にか寝入ってしまったようで
聞こえて来る動画の音が反映したような妙な夢を見て
ふと目が覚めた時には1時間半の動画の最後のくだりだったようです


睡眠をとったことで少し冷却された頭に
こんな語りが耳から入っていました


「長い人生の中で私は一つのことを学びました
私たちが携わっている科学というものは
宇宙全体に比べれば全て子供じみて単純なものに過ぎないことです
だが同時にそれこそが最も素晴らしいものでもあるのです
何故なら私たちが観察する時と理解する時に味わう喜びこそ
自然からの最高の贈り物なのですから」






今自分が行っている作業の不安定の中で
観察と理解から得られる喜びを感じながら進めば良いと
諭された気がしました


締め切りの仕事を昨日のうちに済ませてしまっておいて良かった...

今日はもう出涸らし
使い物にならない自分です

抜け殻のような状態の中
外がゆっくり暮れて来てる…
























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大地 穂ワンマンLive ~神楽月の恩返し~

2015-11-16 | SUI(大地穂)


今日は大地 穂ちゃんのソロライブにて
久しぶりに両国black Aさんにやって来ました

かつて一年数ヵ月の期間
ここで毎月1回自分のソロライブをやらせていただいた場所なので懐かしい

早く着いたので車中待機
日曜の昼過ぎの街は長閑で
空気も乾燥して空が気持ち良く青かった












今日は出し物がいっぱいなので
多分RHは十分には出来なさそうなので要集中です



サウンドチェック

Ag:佐藤竜市くん


Cello:佐野まゆみさん


Pf:岸 淑香さん


Ag:榊原長紀くん

(後ろ髪の裾がなんでサザエさんみたいになってるの…?)


朗読「花咲山」のRH

語りの浦のりこさんと大地穂ちゃん





「花咲山」という短いお話
この話、今回初めて知りましたが
読み終った後に感じる余韻が
日本特有の叙情感を感じられとても好きでした

この話を選んだ心の中に
穂ちゃんの原風景に近いものがあるのを想いながら
聞いていました



mcで彼女が言ってましたが
僕が大地穂ちゃんと演奏するようになったのは
ついこないだのような感覚でしたが
もう7年も経ったのだそうです


当時のことを思い出すと
その頃の自分の周りの環境も一緒に思い出します

改めて思い返すとこの7年
結構、僕の人生は変動したのかもしれない

環境の変動と共に人生の価値観も変わって行き今は
ただ誠実に奏でられれば他に何も要らないと本当に思います

世間の雑音に揺さぶられず
ストレスを追ってもそれを毒にして吐くことをせず
ただ一生懸命音を紡いでると
ゆっくりではありますが人間関係さえ心地良く育って行くことも
学習しました


この7年で大地穂ちゃんも
人生を豊かにするいろんな知恵を身につけたのでしょうね

そしてその集大成をこのライブに織り込み
聴いてくださる方々へ届けようとしてることを感じました

(演奏者側が言うのもなんですが…)
良いライブでした


穂ちゃんのこのライブで
素敵な音楽家さんたちと初めて合奏する機会を頂いたことも
嬉しいことでした


未来は明るいものだと感じさせてくれる力が
彼女の中に定着して来てるのをはっきり感じたライブでした

















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3人の「キミと僕」

2015-11-14 | 榊原長紀 「キミと僕」


3人の「キミと僕」が今日、始まったことを

大切に記録に残しておこうと思う

















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その後の朝顔23

2015-11-10 | ギターの栄養



冬の入口まで咲き続けた朝顔

種を収穫しそびれたところは弾けてこんな感じになって
蕾も見当たらないようだったし
先日の花でもうホントに今年最後だと思ってました







それがすっかり油断してたら今朝また咲いてた

今年は朝顔の花と共に冬を迎える

















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RH for black A

2015-11-09 | SUI(大地穂)


今日は大地穂ちゃんのRH

いつものように早く着いたのだが
町中下水管工事で近隣のコインパは業者の車で全滅っぽい

ぐるぐる走りまわって
離れた場所にやっと1台分見付け駐車

停めたコインパの目の前も下水管工事をしている

水を吹き付け高圧洗浄してるのだろうか
ずっとシャ~~~~~~~ッという音が鳴り続けている


RHまでまだ大分時間があったので
いつものように車中仮眠しようとウトウトした寝入りばなに夢を見た


鉄板でシャ~~~~ッと言う音で美味しそうに焼き上がった
あんかけ焼きそばが登場し
「わぁっ!美味そうっ」と一口食べようとしたところで目が覚めた

きっと高圧洗浄がシャ~シャ~言うから
焼きそばを焼いてる連想したのだ


くそ~っ、、それにしても美味そうだった
もう一度寝て夢の続きを見て今度はきっと食べてやろうとしたが
残念なことにもう眠れなかった



ギター1本担いで
2本目とエフェクトと小型アンプを静かキャリーに乗せて
カタカタ押しながらRH場所へ向かった

どなたかのプライベートスタジオをお借りしてるらしい



今日のRHは穂ちゃんがよく一緒に演っている
ピアノとチェロの奏者の方達と初音出しになる

ピアニストの方は僕が穂ちゃんと演るようになるずっと以前から
穂ちゃんとユニットを組んでらした岸 淑香さんという方
Celloは佐野まゆみさんという方
お二人はかなり一緒に活動をなさっているようで
息が良く合ってらした


穂ちゃんと演るようになった当初は
この岸さんと穂ちゃんのユニットの音源を参考にしながら
ギターアレンジを考えたりしていた

岸さんのコード付けとダイナミズムで描かれた曲のストーリーや
色彩感が好きだった僕は
今日自分が一緒に演ったらどんな色合いになるか楽しみにしていたのだ



挨拶をして演奏が始まる


淑香さんのピアノは
ベーシックをキープするプレイから
揺らぎのあるものまで使い分けている

アコギが比較的ストイックなアルペをすると
即座にその上で揺らぐものを乗せて来る

アコギが揺らぎ出すとピアノをキープのポジションに戻す

互いにキープしてる場面もあるし互いに揺らぐときもある

とにかく今リアルタイムに
何を描こうとしているのか全てが伝わって来る

こちらが何をしようとしているかも伝わっている
伝わっている証拠に必ず何らかの返事(音の)が返って来る

その上でお互いそれぞれ歌の邪魔にもならないところで
好きなように表情を操りながら絡ませるのだ

この醍醐味は
楽器を始めて10年や20年そこらじゃきっと出来ない

どんなに指が早く動いてもこの音風景はそう簡単には描けない


初顔合わせのRHなわけだから
どう弾こうか探っていた場面も多々あるが
探っている間もアンサンブルの妙は生まれ続けていた


こういった音の間合いの絡みが出来る奏者と全く出来ない奏者が居る

出来ない相手にいくら言葉で説明しても結局出来ないままなのだ

だから出来る相手とのアンサンブルに巡り会えたなら
感謝して味わい尽くすだけ


本番までまだ日数がある

本番日を味わい尽くすために更にたっぷり仕込んでおこう










あ…

そういえば思い出した

今日も4KでRH録ってたな















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2015/11/7//船堀映画祭イベント(そうとう調子に乗った後記)

2015-11-07 | SUI(大地穂)


船堀映画祭イベント/ほっこり2015で演奏してきました


出番が2回あって、1stが午前なのでかなり早く家を出た


そして大体いつもの事だが
かなり早く着く


そして
いつものようにコインパに停めて
いつものように車中で居眠りをする





1時間ちょっと爆睡して
いつものように携帯の目覚ましで起きて

いつものように起きたての脳味噌からは涎が垂れたような状態で
フラフラ楽器を持って現場に歩いてく

寝起きで歩くのが怠いので気難しい顔で歩く事になる


だいぶ白くなった髭など生やした気難しい顔をした熟年男が
(起きたばかりで早く歩けないので)ゆっくり歩いて現場に向かう

そんな態で歩いていると
だいぶ貫禄ある余裕かました強者ギタリストのような佇まいにも見えてくる



いやいやいやいやっ
いつまでたっても未熟な青瓢箪
本当の貫禄などこれっぽっちも持っていやしませんですぜ旦那ぁ、、、
などと心中一人芝居をしながら現場に到着する




イベンターさんが小走りに駆け寄って来られて
物凄く低姿勢な挨拶をしてくださったので
これはヤバい
ホントに取っ付きづらい顔して現場入りしてたかも、と
瞬時に機転を利かせ心の中で
「いや旦那、、寝起きでちょっくら身体が怠かっただけなんでさぁ
勘弁しておくんなさい」
と言いながら急激に笑顔を作りご挨拶を返したが
失礼は無かっただろうか…
笑顔は間に合っただろうか…

それはイベンターさんのみぞ知ること...




。。。




キテル女、大地穂 
司会の方と打ち合わせ
 (なんじゃ?その手つきは、、柳の下の幽霊か)




早く着いた者順みたいで
一番にRHを終え
やりやすい環境を得た




そう
数日前のRHでは
スタジオに4Kのビデオカメラを設置された途端に
凡ミスを多発した苦い体験がある

今日は4Kが来ようが3Kが来ようが何があってもぶれないプレイをしてやろうと
心に固く誓って家を出て来たのだ


やってやる…


今日こそ




。。。




僕らの1stは2番目ということで
近くのミスドで時間を潰した

テーブルの上に置いてあった広告の
ポンデリングとシュークリームが合体した
ポンデシューとかなんとか(違ったかな…)が美味しそうで
食べようか食べまいかずっと迷ってるうちに
あっという間に本番の時間となる


本番 1st


これがね
だいぶ良かったんですよ
自分の感触としてはね


街のざわめきや車の音なんかもあるのに
ガッチリと食い込んだ位置に一音一音置いて行けた

歌ともグルーブとダイナミズムががっちりリンクしてた


こないだのスタジオでのRHで
4Kにプレッシャーかけられながらやった甲斐があった

4Kありがとう

大リーグボール養成ギブスを外した星飛雄馬のように
4Kに録られてなきゃもうこっちのもんだぜ花形君



。。



本番後にインタビュー受けるキテル女





そして2ndまでに相当時間が空いたのでファミレスで時間を潰す


すると、、、
今日も4Kで録られていたことが判明


録ってたのかよ~

録ってる事知らなくて良かった



これが4K



録られた画像がこれ



僕?

ちゃんと写ってますよ




ほら





年々上がって行く額の広さを4Kに録られる事も物ともせず
1stは本当に集中した演奏になった


これ
通りすがりの少年が30秒立ち止って聴いて
またスッと行ってしまったとしても

その少年がお年玉でギター買えるくらいのお金を手にした時
潜在意識に刻まれた今日の僕らの音が内なる声となり
「アコギを買え~アコギを買え~」と呼びかけて来て
その子はきっとアコギを買ってしまう
しかも今日聴いた僕の音色に似たギターを

っていうくらい
聴き手の奥深くまで突っ込んだ
と僕は思っているが

放たれた音はもう受け手の自由な持ち物

誰かの右の耳から左の耳へ抜け
空に儚く消えていっただけかもしれない







2ndの頃は雨がぱらつき
一時は中止か、となりかけたが
空模様がなんとか持ち堪える中演奏した


さっきファミレスでスイスイにこういう話しをした

「僕さ、結構そこここで北大路欣也に似てるって言われるじゃん
だからメンバー紹介の時
『ギター界の北大路欣也こと○○~』とかやったら
知らない人にウケるかも
ウケれば掴みもオッケーかもよ」


しかしそれは今後そのうちやってみたら?
っていうつもりで軽い気持ちで言ったのだ

それが今日の2ndでいきなりやられるとは思わなかったのだ

2ndの中で少なくても確か2度はやられたような記憶がある

自分で提案しておいてなんだが
やられてみると実際かなり恥ずかしい

2ndが始まり「ギター界の~っ北大路欣也こと~っ」ってやられて
「あっ今日もうやっちゃうの…」とたじろぎながら
その恥ずかしさを知ってしまった後に
さらに2回目「ギター界の~っ」とやられると
もう指先のコントロールはおぼつかなくなり
1stの、針穴に糸を通すような繊細な爪弾きは泡と消え
ざっくりとした(ある意味では男っぽいとも言える)演奏になった


でもライブだから良いのだ

こういうのもアリだとギター界の北大路は思うのである




僕らの後のユニットさんは
電源が落ちて
1曲、生音で繋ぐ、という頑張りを見せていた

こういうのも野外イベントならではでアッパレな光景だったと
ギター界の北の大路の欣さんは思うのだ





大地穂ちゃんが最近、引き寄せ力がキテルので
今日の僕も波動を受けてキテル感じの仲間入りをしたように思う

キテルのが二人なので2Kということになるだろうか

4K持参で2Kが
調子良く日本全国の温泉ランドなどをドサ周りとかしたら
さぞや面白いだろうと思ったのだった
















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大地穂//RH

2015-11-05 | SUI(大地穂)


今日は大地穂ちゃんと船堀のイベントのRHでスタジオへ

最近、彼女は、引き寄せ運が抜群らしい



キテルらしい




だからだろうか
今日の1曲目、演り始めた途端
歌の表情、声の張り
とても良く

「なんか、歌、いいんじゃない?」と言って歌い手を調子に乗らせる僕
調子に乗らせて更にもっと良い歌を歌わせる作戦




今日のRHの動画を録りたい
というので

全~然かまへんかまへんよ
と余裕をかましていました


ビデオカメラをスマホでリモコンするとか
僕には何の事かさっぱり分からない事を言い出し
本当にリモコンになってしまう
(進化についていけないガラ系の僕)



そして
目の前にこういう奴がこっちを向いて置かれる


「4Kの貸してくださった人が居るんですよ~」
と嬉しそうな大地女史


?4K ? 3Kなら知ってますけど…

きつい、汚い、危険
そして
キテル
ってこと?4Kって





全然平気平気
と言いながらも
スタジオの鏡壁で自分が怖じ気づいてないことをこっそり確認する
マーシャルを背負ったアコギ弾き




ビデオ録画スイッチをONして演り始めたら
急に二人ともカメラを意識して何度もミスしまくり



未熟であった…

やはり平常心にはまだ程遠かった

僕という男は
ポーカーフェイスの仮面の下は
ええかっこしぃのオッチョコチョイのすっとこどっこいのポンポコピーであった




ビデオカメラの視線と戦いながらの数時間
やっと終わって解散




でも今、大地穂女史は事実キテるので
足が向いたら船堀にでも散歩がてら聴きに来てみてください

でも見られてる聴かれてる
と意識すると
ポンポコピーになるかもしれませんが…



。。。




カメラ録られながらRH
鍛えられるけど
しんどいわ~


家帰ったら飲んでやる















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その後の朝顔22

2015-11-04 | ギターの栄養


今日は少し暖かいようだ

幾つ目の花だったか
また一つ咲いてくれた














コメント (1)
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魂の年表

2015-11-03 | ギターの栄養


肉体が疲れているようだった

それが単純に肉体だけの事なのか精神から来てるものなのか
解らないまままだ早い時間に眠ってしまった

ふと目が覚めるとまだ午前2時だった

そこからは眠れなくなり
今、心中に起こっているシクシク痛む原因を考え始めた


昨夜の疲労は精神から来てる部分もあったのかもな…

直接的な原因が判らぬまま僕を覆って来る疲労感は
日常にいくらでも転がってるが
今夜のは思い当たる節があった

ただ、原因の表層が判ったところで
それだけでは自分の未来を切り開く力にはならないことも知っていた

もっと根本的な原因が知りたかった


暗い部屋の中でしばらく考えていると
朧気に自分の痛みの年表やカテゴリー分けが成されて行った

多分あの痛みはいつくらいの時期に植え付けられ
この痛みはあの痛みにより二次的に生まれたものであろう
とか…



昨夜、中学時代によく遊んだ親しい友人がメッセージをくれた

彼の記憶にあった当時の僕の家の中の印象は
僕の記憶にあるものとは違うものだった

自分の中で肯定したいという願いから肯定してしまったまま
それが正義ではないことに気付けぬまま
現在自分が生きるための価値観に食い込んでしまっているもの


ここが痛みを司る鍵だと感じた


誰に何を教わらなくても
産まれたことだけで人間は生きる最善の方法を知っている

それは子供にとって直接的な死活問題に関わる意味で一番には親
という存在から受ける理不尽な価値観擦り込みであるとか
副次的には、宛がわれる教育だとか縛りを強いる因習だとか
そういったものからの非普遍的なルールを与えられなくても
何万か何百万か何千万か解らないくらい沢山の世代を重ねて来た
自分の先祖からのDNA情報がある


もっと言うなら遡るDNA体験値も
その時代時代の環境に左右されており
常識も正義も多様に変化して来たのだから
全く当てにならない


内観を重ねて根源的に心が求める声を聞き
擦り込まれて来た固定観念を脱ぎ捨てた真理を一つでも見付け
それを今の時代の価値観に当てはめ応用するしかない




自分が引き寄せる人の事を考えることからも
紐解くヒントは得られる

現在僕にとって安心を得られる相手と
そうでない相手を思い浮かべながら考えを進めて行った




思春期前までの自分は
自分の魂が元々向かいたい方向を
世間の常識やら親からの押さえつけなどで
制約を強いられていることに気付ず生きていた


その押さえつけが僕の場合強力だったたため
思春期を境に大きな爆発をすることになる
(こんな人間は無数に居るだろうが)


思春期に起こる爆発は常識などでは当てはめられない
もっと根元的な命からの大切なメッセージが具現化されたものなのだと感じる

だからその時期に受けた強力な押さえつけに
何らかの理由で屈せざるを得なかった子供は
その先の人生で迷路に迷い込む

そして押さえつけに抗った子供にも多くの混沌が残る


思春期手前までに愛情や教育という偽りの名の元に
強い押さえつけを受けた僕は
爆発と後悔の混沌の中に落ちることになった



現在、人間関係を出来るだけ削ぎ落とした僕の近くに引き寄せられる人は
僕と似た体験を持っている人がほとんどだと思われ
そして皆迷路の中で苦しんでいるように観える



自分の命が求める根元的な望みを曲げ
身近な大人や当時の常識に迎合し
世間からは優しい子、優しい人だと評されて魂は迷子になる

もしくは
壁に正面から当たらず
抜け道を見つける狡猾さが身に付いてしまえば
それはそれでジリジリとその人間を苦しめる



それらの苦痛は全て
親からの価値観擦り込みや常識などを捨てられないところから発生している

捨てれば
今度は肉親への情の部分が傷みを訴え
常識を手放した人間が群れから追放される恐れを抱くからだ


肉親や常識の存在自体を否定するのではなく
時代時代の価値観というものの非普遍性に
踊らされている部分にだけ気付けば良いのだろう




人間文明が作り上げたこの世界の仕組みは
狡猾さを駆使しなければ
精神を維持する事が出来ないくらい歪んでいる


嘘をつく大人を蔑み
狡猾な言動を発する友人を蔑んだ昔もあったが
結局誰もが非普遍的な常識論に踊らされているだけだろう

そして普遍を見付けようとするための教育を
人間文明はまだまだ未開発なだけなのだろう



僕の近くには病んでいる人が多い
それは
抜け道を見つけ狡猾に要領よく生きる道を
受け入れることが出来なかった愛すべき正直者だからだと
僕は考えている






自分が引き寄せる縁を大切にし
その関係性を育てながら病みを転じ光にする道が
僕の前に与えられているように感じ
ここまで考え
今夜のシクシクする痛みはほぼ消えたのだった











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叶家@三茶GFM 2015/11/1

2015-11-01 | 過去のライブ後記


今日は叶ありさ&叶高@三茶グレープフルーツムーン

いつも大抵ライヴ前には興奮で思考回路が活性化されて
いろいろ考えが巡るのだが
今日の僕は普段仕様のまま

勿論やる気が無いのではない

何度もステージを共にさせていただいてる叶家のお二人が
必ずステージを良い方向へ導いてくれる
という信頼しきった状態で
僕の中に何も緊張が生まれないらしい

こういうのも面白いし嬉しい



早く到着したので
車中待機で安らかに30分仮眠


知らない街に居て暮れて行く物寂しさを楽しむ(くらい余裕かまし)





。。。




会場入り

対バンの方たちが野太い音で渋い大人のブルースをリハ中


久しぶりに聴くバンドの生の音圧と
力押ししないブルースロックフィールをオーディエンスになって楽ませて頂いた




後になって気付いたが
このバックの方達はレイニーウッドの方達だと
そういえば事前に聞いてたのをすっかり忘れてた僕

どうりで隠しても隠し切れない男臭さがムンムンする音だと思った


明らかに自分より先輩のミュージシャンの音を聴きながら
気付くと、どの人が一番怖そうか無意識に観察してる僕

(ここから先は、ちょっと失礼承知で書きます^^;
今度どっかで会ったらしばかれるの覚悟で)


ドラムスの方が大工の棟梁みたいで
それはそれは厳しい職人の親方みたいな風貌で
僕の中ではこの方が一番怖い方なんだろうと思ったのです


適当に弾力のある手足さばきで
ぶっとい音を叩き出してらっしゃる
全てが貫禄


だんだん僕はこのドラムスさんばかり
気になって見るようになって行った


触れたら切れる感じなソリッドな頬
ミュージシャンなのにロンゲじゃなくて角刈り
全く動じない表情
そして口数も少ない

まぁ、今になって思えば
この時既に恋に落ちていたのだ


このドラムスの方は
リハでチェンジする時僕に
一番に優しい笑顔で挨拶してくださった

そして
バンドの中で一番、曲の細かいとこ
把握してなかった^^;


僕は今年55歳になるけど
こんな年になっても「憧れる大人像」ってのがある


緩く
動ぜず
そして誰より優しい笑顔を持ってる


僕はたかだか30分ほどで
このお名前も知らないレイニーウッドのドラムスさんのファンになったのでした




音楽は恋愛だ





。。。





主役到着

曲順考え中





そしてリハ終わってすぐ30分後に本番



。。。




本番前にはどんなにリラックスしていてもステージに上がると
結局スイッチがオンになる

スイッチオンは
どんな状況が突然襲って来ても最善の対応をするモードであり
それはやはり一種の非日常でもある

緊張しない本番をやりたいものだと思い続けて
未だにそんな本番は一度もない


リハの時には当然居なかったお客さんが会場に入って
僕らがどんな演奏をするのか
どんな愛を描くのか
まだ見切れないうちは
客席からの空気は厳しい

そこを頑張ってプッシュし続けて
やっとこっちが結構いい奴らだと客席に伝わってからは
受け入れてくれる空気になる

結局今日も緊張はしたが
終わってみれば全身がホカホカで
これは「良い『気』」を放った時にしか生まれない身体状態

きっと良かったのだと思う
ミスもしたけど



。。。



終演後
固かった、と自省するありさちゃん

僕も固いとこは固かったよ

でも自省が成長を促してくれる

死ぬまで成長しながら生きてる間
また一緒にやろう


(流石に百戦錬磨のタカシさんは本番後も淡々としてらっしゃる)


。。。



帰る前に
お店の従業員 あびこっちに挨拶

もう何度もこの店に出させて頂いて顔見知りになった彼

彼の表情、佇まいが僕は好きだ
昔から友達だったような懐かしく安心した気持ちにしてくれる

またね






帰り道
車のエアコンを冷房にするくらい体が火照っていた

何故かさっき演った「愛で殺したい」が
頭の中でずっとリピートしながら帰路についた


帰宅してビール開けて
食事を作りながら気が付くと「愛で殺したい」が頭の中で鳴っている

頭の中は「愛で殺したい
時々「ウィピニンザレイン」と
最高~にご機嫌な1日だった









P.s

今日聴きに来てくれて
声をかけてくれた僕の高校時代の後輩くん
ありがとね
















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