足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

ボー村の市場を過ぎて

2016年07月09日 | カンボジア
 ここ数年、雨季を選んでカンボジアの村々を回るようになった。

シェムリアップの街も隣接する村々も、大きく変革の時期をむかえている。
村人は自分の田んぼを売って、お金をつくりある程度裕福な暮らしが戻ってきた家が多くなった。
道路とともに突然、高床の家のそばに別荘のような建物が出来て、村の名前も変わっていた。

今回も暮らしを中心に、ポルポト時代を生き抜いてきた人々が、今どんな思いで、どんな生活をしているのか聞きたいという思いがあった。
お年寄りの人口が少なくなり、今カンボジアを支えて活躍しているのは40歳代の人たちで、ある村では35歳の村長さんが自分で村の地図を手書きで作っていた。

   

ボー村の市場で、雨季を迎えるためのハスの蕾が5本の束になって、2000リエルで売られていた。
お寺の戒律の日にささげられるこの時期の花もハスの蕾なので、今はトンレサップ方面のハス畑は満開の時期かと期待したが、すでに盛りの時は過ぎて、緑のハスの実の時期になっていた。
いつもより、雨季の雨が早くふりだし、いつもより花も早くなってきたと感じるのは私だけだろうか・・・。

   

アラン村では赤ちゃんの時、30$で買われて親戚をたらい回しにされて、今62歳のお年寄り夫婦によって育てられているアローン君に会うことが出来た。
元気に暮らしていて、4年生になり育ての親のお婆ちゃんにもお会いすることができた。

   真っ黒に日焼けした顔が、振り向いたときには思わず抱きしめたくなった。

先ず「ソク・サバ~イ」元気!と声をかける・・・。
人の人生も運命もお金で変えようとする習慣には、納得できないが、格差が激しくなる中で貧しい人たちの心に土足で入り込み、納得させられる助言が、個人的にできるとは思えない。

アラン村の小学校、中学校、高校と一か所にあったので立ち寄ると、すでに二十歳を過ぎているよな子どもたち、18歳くらいに見える子どもたちもいて、学校教育の遅れを感じている。
そもそも、一年生になったのは12歳とか15歳とかの子どもたちもいるから・・・。

プノンクロム村は韓国のNGOが入り、道がきれいになり申告することによってお米が供給されるということで子どもたちが自転車に積んで走ってくる。
行ってみようと配っているところに行くと、韓国の若者が沢山いて、村の子どもたちと遊んでいた。
この村では、昔から水草でバックを作り、ハンモックを作る文化があって8年前から写真を撮影、手間がかかり、大変な仕事ですが、日本から買いに来る人も増えて、安価で買いたたかれることに不安はあった。

   

   

ハス畑で暮らしている家族に出会い、お母さんが魚と一緒にカエルを焼いていて、傍らで女の子が食器の洗い物をしていた。
美味しそうな魚醤の匂いが、風と共に漂ってくる。
そうだ、これがカンボジアのにおい・・・。

   
 

この日は雲が多いものの晴れ間が多い一日で終わった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 帰国 | トップ | コントローク村 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

カンボジア」カテゴリの最新記事