足立君江 写真ライフ

ー安曇野・カンボジア撮影記ー

   

大雨の中

2017年04月12日 | 日常
 今月の女性教室の撮影会は「月島」でした。

当日、皆さんは大雨ということで、荷物をビニールで包み、カッパを持参して参加・・・。
しかし、行く前から「もんじゃ焼き」の話が出て、この雰囲気だと撮影もそこそこに食べることになりそうだ。

この日は予定としては、撮影に行く日であったので、雨の為か休んだ人が二人、旅行中の人もいて人数は少なめであった。
月島につくと、雨、雨、雨・・・。
おまけに風が強い・・・。傘が持っていかれそうだ。

    

ついに撮影を一時間半で終わり、もんじゃ焼きの店に入った。

   

それにしても、大雨であった。
先ず、カメラを拭く物、レンズを拭くもの、雨をよけながら傘を手で押さえて、シャッターを切る・・・。
こんなときこそ、人が撮れない写真をものにすることができる。
以前、成人の日の浅草撮影会の時、途中から雪になり、それで素晴らしい写真を撮った話や、その写真も見たことがあった。
雨だからこそ、出かけないとね・・・。

それにしても、別の写真クラブで傘を支える道具はないものかと話に花が咲いた。
カメラを包むものはあっても、撮りにくい・・・。
背負っているリュックの中に傘の柄を入れる道具を作ったらとか、脇に傘の柄を差したらどうかと・・・。

ところが、夕方になり帰る頃の運河の桜が素晴らしかった・・・。
しまったカメラをまた取り出して撮影する。

  
どんな情景に巡り合うかはわからないから、写真は楽しくもあるのです。
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小石川植物園へ

2017年04月08日 | 日常
 フォトクラブの街歩き、4月は公園へ行くことに・・・。

小石川植物園は江戸時代(1684年)に第5代将軍、徳川綱吉が薬になる植物を育てるという目的で「小石川御薬園」を作ったのがはじまりと言われています。

そんな話をしながら行ってみると、な~んと途中の「播磨坂」の桜並木が満開です。
園内では樹齢100年は超える大木が、やはり満開の花を咲かせていました。

曇り空だったので、確かに上に受けて撮りたくなるが、空はあまり入れない。
最初に被写体はたくさんあること。一回りして、注意して観察する。
大木の根元には花びらが散っているし、鳥もいる、傘をさす姿やお花見の人もいる。
沢山の植物や花があり、結構広い場所である。

当たり前の桜ばかりのところで、何を撮るか、発見する目を育てるには良いチャンスになります。

少し雨の後のしっとり感が最高でした。

   

   

 
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先日のこと

2017年03月31日 | 日常
 家に閉じこもって、約一週間、写真とにらめっこ・・・。

次の写真展に向けて、まず写真のセレクト、これがまた楽しくもあり大変なのです。
これからの写真展で、普段思っていることを一つのシーンの中に探していく。同じ場面は2つも3つも要らない。
選んだ写真で、伝わるかどうかと、そんなことを何度も繰り返し完成させて、それから会場への申し込みをする。


頭がこんがらがった時には、ついに外に出て川沿いを歩く・・・。

お天気も良く、春と言っても桜のつぼみも若いのだけど、結構運動になった。

今年は例年になく寒い日が続いたので、私が指標としている桜の木は全く動きがない。

   
 コヒガンザクラが咲いていた・・・。
春よ来い、早く来い、
桜が咲いたらいろんなことを思い出しながら
思い切り、街を連日飛び歩きたい

そして、命の限りに咲いている一本桜に出会えるといいな。

歩きながら、大好きなパン屋さんに寄り、パンを買って反対の川沿いを見ると、なんと桜の大木が切られていた。

   
 昨年の桜です・・・。             同じ桜が今年は切られた。痛々しい。
桜が切られるということは、きっと理由があるのでしょう。
川の上に垂れ下がって伸びていた桜で、桜の幹の下を散歩の人が潜り抜けていく。
根元に大きな石もある。

大体桜が切られる理由は、花びらが近所や道路に満杯になること。
電線にひっかかってしまうこと。
木の幹が腐ってしまい、いつ倒れるかわからいなどなど・・・。

  この桜は根元が踏み固められているが、まだ大丈夫なので今年の開花が楽しみです。

命一杯に咲くからに、命をかけて眺めるなりけり。誰の詩だったかなあ。
ちょっぴりさびしい春の午後でした。
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時代を耐えた人々

2017年03月29日 | カンボジア
 今回はテーマであった女性たちやお年寄りに会い、内戦時代の話を直接聞くことであった。
それはどこかに書いてあったことではなく、実際に経験したことなどを直に聞いてみたかった。
辛い時代だったと思う人は、もちろん口は重くなるし、あの時代に誰も責めることはできないが、人を告発したことがある人は当然早く忘れてしまいたいと思うだろう。
「そんなこと、聞いてどうするの」「そんなことよりお金をちょうだい」と笑いながら言われたこともあった。
今を生きるのに必死なのだと思った・・・。

しかし、大多数のお年寄りが農民であったために、現在まで生きていられるような気がする。

そんな中で、6年ほど前からホテイアオイを乾燥させて、ハンモックを作っている人を知っていたので訪ねて話を聞いてみた。
兄妹8人であったが、6人が殺され子どもも親も全員が犠牲になったと涙を流す・・・。
姉と息を殺して逃げ回っていて助かったという。
父親と殺された兄妹は、職業が公の仕事をしていた公務員だったそうです。

姉のサイソーンさんは、私の写真展の時に登場していただいた。
子どもたちと小魚の頭を取っているシーンであった。
起用に足を使いハンモックを作っていたが、今は足が痛くなり何もできないという。
その時には何も気づかなかったが、そんな悲しい過去があったのかと・・・。
   
ハス畑には蓮の花が満開であったが、ホテイアオイも最盛期を迎えていて、この湖に勝手に色々な植物は植えてはいけないそうで、自然のままにするのが規則のようです。

ホテイアオイは花は終わり、濃い緑に覆われていた。

ハンモックを一つ作るのに2日~3日かかるとのこと。
1.5キロで一つのハンモックができるが、市場で2ドルで売られている。
ホテイアオイは自分で採ることもあるが、1キロ、2000リエル(50~60円)で乾燥したものを買う。
雨期は雨が多いので乾燥したものを買っておき、風通しの良いところに置いてあるそうです。
   
  話を聞かせてくれたサイサンボー(妹)      ホテイアオイでバックも作る。
 
時間をかけて作り、わずかなお金にしかならないので生活は苦しいのですが、今は韓国のNGOが入り、支援物資が届いているとか。

  市場で買って帰る人。

そういえば、道もきれいになり、学校もできてお米をもらってくる子どもたちに会ったことがある。
カンボジアはまだまだ、NGOが必要な人たちがたくさんいるということです。

お年寄りを訪ねても一人暮らしの人が多いのですが、内戦を生き抜いた人たちは、身内がいない人が多いのだと感じています。
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プレダク村

2017年03月22日 | カンボジア
 道路をバイクで走っていると、「ジャポ~ン」と呼び止められた。
これで呼び止められたのは2度目になる。
一回は村の小さな市場で、今日はスイカ売りの家族だった。
私が写真を撮って写真集に一ページにした「リンちゃん」のご両親だった。
当時は6歳くらいでスイカの上を渡り歩いていたが、2015年に結婚して、女の子が生まれもう2歳になる・・・。

 
 

道端でスイカを食べろと、わざわざ皮を剝いてくれたので、遠慮なくいただくことにした。
乾いた喉に甘くて甘くて、最高の味だが、雨期の時もスイカを売っていたので、一年中収穫できるようです。
ガイドがそばで、「一切れにしておいた方がいいよ」と言ったが、私は思わず2切れも食べてしまった。
埃になることもあり、そばに浄水器ほどの大きさの水のボトルがあって、ひねると水が出ていたのがわかった。
村で水の大型ボトルを置くことができると思うと、どんどん改善されてお腹を壊すようなことは無くなっているのか。

うれしかった・・・。

左に行くとリンちゃんの家で、車にスイカが積んであり、小さいのやら大きいのやら、楕円形で不揃いな形だが自分の畑で採れたのだという。
 

右に曲がると一ノ瀬泰造の墓の方になる。
リンちゃんの家によってから右に曲がり、泰造をよく知るナレンさん(69歳)を訪ねることにした。
会えるかどうかとわからなかったが、行ってみると、結婚式に行っているとの事。
もう結婚式は終わり、親戚の人とおしゃべりをしていたところであった。

よく来てくれたと、私のバイクにちょこっと横座りして、私は狭い後ろに両足を広げてまたいで乗ることにして、3人乗りで100メートル先のナレンさんの家まで行くことにした。

結婚式の引き出物のお菓子やちまき、ココナツの入ったもち米の食べ物をいただきながら、泰造の話になった。
25歳のころに、ポルポトによって殺されたという。
モアンさんにあったのは3回目になるが、色々な話が飛び出す。
若いころはフランスの植民地だったから、中学の時にはフランス語を習った。
農家だったから昔からプレダック村に住んでいたが、1973年に村が軍のものになったから(クメールルージュに支配された)、村のはずれの今の場所に移ってきた。
子どもは6人いるが、夫は内戦時代に病気でなくなった。
一番下の子どもが33歳だという。
長男が2歳のころ泰造に抱いてもらったことがあるが、泰造は川のそばに茣蓙を敷いて寝かされていた。
周りはまだジャングルで、チョークというオオカミのような野犬がいた。

私も1982年にお母さまが関係者の方々と現地を訪れたことは知っていたし、本や映画も見てきた。
2007年の残されたフィルムによるお母さまがプリントした遺作写真展にも拝見してきた。
使用カメラもニコンFであったと・・・。
   
 モアンさんの家から1キロあたりを左に曲がり土手の道を行くと泰造の墓がある。

しかし、今は村の人によって建てられたという墓も、観光の収入源になっているかと思うと悔しい気もしてくる。
泰造さんばかりではなく、カンボジアで亡くなったフォトジャーナリストは7人か8人はいたと思う。
真実を伝えることは難しいが、私も少しでもカンボジアの人々の暮らしを伝えたいと思う。
なぜなら、自分もカンボジアの人々によって、写真家として生かされてきた気がするから・・・。

今はプレダックのはずれまで、「アプサラオーソリティ」によって管理され、暮らしている人のお墓は作れない。
しかし、内戦の時に、ここで亡くなった人の墓塔が立っている。

今生きている人は、全員がお寺の墓地に行くことになっているそうだ。

ここでもそうだったが、カンボジアの人々とお寺との関係は深く、内戦時代から僧侶の関与があり一緒に戦っていたようだ。

聞けば聞くほど、混とんとした戦いの歴史の中で、誰もが実際には誰によって殺されたかはわからなくなる。

1970年以来、ロンノル外相によるクーデター以来、4派が入り乱れて、最終的にはベトナムの「K5プラン」(ポルポト兵掃討作戦)、カンボジアの「コープラン」など、多くの犠牲者を出した内戦の中で、農民で病気で亡くなった人も、地雷で亡くなった人も、犠牲者のすべてがポルポトという一人の人物に集約されてきたような気もしてきた。

今回の取材で、お年寄りの多くは農民であったため生き残り、今は戦争がないから元気だと腕を持ち上げて見せる村人に出会うと、カンボジアに流れる時代を感じている。



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新たな出会い

2017年03月20日 | カンボジア
 カンボジアの女性たちは、いつも元気だ。
きっと病気をしている間もないのだと思う。

   
 市場は仏教行事に使う花であふれていた。

クロバイリエルのリ・ワンさんの家族に会いに行ったとき、結婚した娘夫婦が帰っていて、5年ぶりの再会になった。

リ・ワンさんの旦那さんとも久しぶりに会うことができた。
リ・ワンさんは赤ちゃんが生まれるそうで、10人目の子どもになる。
自分の子どものほかに娘が働き出た間、ずっと孫の面倒も見て育てている。

私と出会ったときに生まれた子は、14歳で年下の孫と一緒に学校に行くことになり、新しい自転車に乗っていた。
少しづつだけど、確実に前に進んでいることがわかる。
自転車は私が周りの皆さんに寄付をお願いして、50ドルを渡したのだが、55ドルで買えたとお母さんが報告して喜んでくれた。

ロングハウン村では、マイムさんは留守でお寺に行っていた。
ご主人のチョームさんは、一時期体調をくずしていたが、元気になって喜んで出迎えてくれた。
やがて娘さんも孫たちも集まり、マイムさんも帰ってきた。
チョームさんは内戦時代どのように生きてきたかを聞いてみた・・・。
私も長いこと家に伺いながら、そんな話は一度も聞いてなかったので、チョームさんの口からはほとばしるように様々な話が飛び出した。
農民であったために遠くの村まで行かされた。
一つの田んぼが終わると、次の田んぼへ集団で移動した話や、民家に逃げ込んだポルポトの民兵をベトナム兵が探して殺しあいが続いた。
マイムさん家族や村の人たちは、戦いが終わるまで防空壕のような洞穴に隠れていたそうです。
 
   
行く先々で、お年寄りに出会い、たくさんの話を聞き、写真も撮らせていただいた。
3月は特に法事や多く、結婚式もあちこちで行われている。
大音響の音楽が村中に流れていて、「あれは何?」葬式だ・・・結婚式だ・・・と言っているが、どうも音楽がちがうらしい・・・。
村での戒律の日の行事は、仏教とヒンドウ教が混ざっていて、両方の信じられることを心の糧にしているようだ。

   
 お祝いをしたあと、車が満員でドアが閉まらなく空いたままで走っていった。 危ない危ない。
 しかし、60歳代の女性はバイクに乗るし、バイクの後ろに横座りが上手いです。

97歳のお婆ちゃんに会った時、そのお婆ちゃんのこれからの健康を願い、60歳以上のお年寄りは、あやかって長生きができるように集まってきていた。
ミエイッチさんと言って、二人の娘が病気になったが、今は玄孫(やしゃご)までいるという。
ご主人は軍人だったので52歳で亡くなったそうです。
「昔のことはところどころ覚えているが・・・」と口ごもる。色んなことがあったのでしょう。
ポルポト時代が終わってから、ここに暮らしていると言っていた。

何事も自然の植物を活かして健康を維持しているようだ。
私たちのように何かあるとすぐ薬に頼ってしまうが、本来人間は薬などなかった時代を生きてきたはず・・・。
カンボジアのお年寄りは、ムルウという葉と石灰の粉をよく使う。
スラーの実も健康には必要な実だという・・・。
沢山の木の実と、薬草を使って無農薬の果物や野菜を食べて生きられる幸せを羨ましいと思った。

また、お会いしたいことを告げて、帰路についた。
帰りの夕日が、今日は特に大きく真っ赤であった。
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踊りの練習場のある村

2017年03月17日 | カンボジア
 コントローク村は今でも懐かしく思い出す出来事がある。

   
 街の市場から品物を買ってきて、村で売る。 村の市場で野菜を売っていた、笑顔が素敵!

この村は伝統舞踊の練習場のある村で、今回も撮影ツアーの予約も兼ねながら立ち寄ることにした。
ご主人のオンナルットさんの話によると、156所帯くらいの村で、ほとんどが農家でメイン道路の奥には田んぼが広がっている。
村の中心に小さな市場があって、私はそこに一時間ほど立ち止まって、行き来する人たちの撮影をする。
奥さんのバンチョンさんは踊り子であったが、父親は理由もなく連れていかれて殺された話を良くしてくれた。
伝統舞踊「アプサラ」も1000年もの歴史があって、遺跡のレリーフにも彫られているように、古代の王様の時代に、様々な行事の中で踊り子がその重要な役割を果たしていたのだと思う。
アンコールワット王朝の衰退とともに、一旦は衰退したものの17世紀には再び復活してきた。
その時期に多くの踊り子はタイ国へ渡ったと言われ、同じような踊りがタイでも行われている。
バンチョンさんはタイのアプサラはテンポが非常に早く、カンボジアは発祥の地であり、テンポはゆっくりで優雅であると自慢していた。

オンナルットさんは末の息子と庭に車を隠すシートを張っていた。
こう暑くては、中まで火のようになってしまう・・・。
一番の踊り手である娘のソピア・タラちゃんが、今月、13、14日に結婚式だと喜んでいた。
出席したかったが、その頃は日本で仕事が待っている。

2004年ごろ、コントローク村の道路は2メートルの泥道であったが、今は5メートル幅の道になっている。
狭かった道端で4,5歳の子どもたちが、ネズミの子(全長7センチほど)を一匹づつ手にぶら下げて、遊んでいた。
最初の写真集で「カンボジア はらたく子どもたち」の中の一ページとなった。

現在は開発が進み、ワッチョー寺というきれいな寺があり、雨に降られたときは雨宿りをした。
僧侶の一番偉い人に挨拶をするのだが、床に膝まづいて頭の上で手を合わせ、床に手をついて礼をすることを3回繰り返して、2000リエルのお金を奉納する。いくらでもよいのだが礼儀のようです。
13歳の坊さんや賄の女性や奉公に来た人たちと話をしたことがあった。

その前に建て替え中の学校があったが、今はきれいな校舎に仕上がっている。

舗装されていない道路はマスクとカメラを覆う簡単なコンビニの袋がないと大変なことになる。

韓国の援助で電信柱は立っているが、各家庭には一部しか電気は引かれていない。
お父さんたちはちょっとした電力はバッテリーで動かしていることがある。

土埃の道をコントローク村からサボイ地区に入り、さらにクロバイリエルの家族に会い、ブレークロングハウン村へと続けていってきた。
ここも、いつも行く家であり、いつも行く村だが、紹介していただきながら、お年寄りから沢山の面白い話を聞くことができた。
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カンボジアの3月

2017年03月15日 | カンボジア
 カンボジアの3月は乾季の最中、温度は連日33度の暑さ。

シェムリアップは観光の街で、世界遺産の遺跡群が多く点在し観光客は多いのはわかっているものの、空港に着くと驚いたのは、中国、韓国からの団体客でごった返し、なかなか前に進むことができない。

遺跡の本当の魅力は、観光客がほとんど来なく村の中にある小さな寺院ではないだろうか。
これらはほとんどが樹木が絡みついて、崩壊寸前のものが多く、やがて忘れ去られる運命にあるのではと思う。

今回の目的は、今までの視点を変えて、元気なお年寄りとの交流にあった。
今までは、多くの子どもたちに会い、子どもたちの境遇を知り、母たちの気持ちに寄り添い、そのことでカンボジアの歴史や、人々の生活を伝えることであった。
バイクで村を回りながら、お年寄りの数がだんだん少なくなり、今どんな気持ちで歴史と生活に向き合っているのか興味があった。
今しかできないことかもしれないと思ったのです。
村に入ると、最高齢のお年寄りや、ポルポト時代を経験して語れる人がたった一人しか残っていない村もあった。

  只、生きてきた・・・。

仏教が93%というカンボジアで、お年寄りの人たちは60歳を過ぎるとお寺に通うようになる。
プレダック村のヤシ砂糖を作るヨームさんの両親に会った時、「今までさんざん悪いことをしてきたので、天国に行くために」と2人の僧侶を呼び寄せて、お祓いをしてもらっていたことがあった。
今、考えるとお年寄りがお寺に奉公して「死ぬときに自分の魂がくるくると迷わないように」ということが納得できる気がする。
アメリカの後押しによるロンノルの軍事クーデター、ポルポト時代から、その後のベトナム軍の「Kプラン」と言われる作戦のなかで、奔走され続けてきたカンボジアの人々であった。
誰でも、その渦中にいる可能性もあるなか、いまだに誰も赤裸々に語る人はいない。

昨年、村一番のお年寄りに会った。
「ポルポト時代のことは忘れられない」といった。
私は「忘れられないことは、どんなことですか?・・・」
と聞いてみた。
その人はしばらく考えて
「・・・忘れた・・・。」といった。

生きていくために、とてつもない多くの障害を乗り越えてきたことを想像できるような一言であった。

街は変化を遂げ、多少村の様子も変わる中で、今しか聞けないことがあるかもしれない。

さあ、明日から土埃の道をバイクで走り回ろう。
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もう3月

2017年03月01日 | 日常
 月日の経つのは早いですね。

2月には街歩きは、新宿御苑、靖国神社、有楽町と別々のメンバーで撮影。

久しぶりの靖国神社も面白かった・・・。
なぜか、ある団体が国旗をかかげて、神社にお参りするところで、一般の参拝者もびっくりです。
30名ほどいたでしょうか、カーキ色の上下の服に群靴を履いて、闊歩していました。

有楽町は先日の写真を見る会では、女性教室でしたが、皆さん「おもしろい、おもしろい」と感激していました。
さて、どんな被写体にであったのでしょうか・・・。
ようするに街を歩けば、さまざまな出会いがあるということです。

先日、暖かくなったので久しぶりに川沿いを歩きました。
夏みかんが鈴なりで、ほっとしました。
   

それから、カンボジア撮影ツアーもPITの佐々木さんと打ち合わせが終わり、今年も11月に催行をします。
チラシが出来ましたら、掲載したいと思います。

常日頃、ご無沙汰続きの皆様、申し訳ありません。

明日からカンボジアです。

帰ったら更新しますね。
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一足早い春

2017年02月07日 | 日常
 2月のブログを下書きのまま更新するのを忘れていました。

今月のフォトクラブの撮影会は何年振りかで「新宿御苑」へと足を運ぶ。

「早春」をテーマに、3枚組の組み写真を作ることを目指して写真を撮ることにした。
今回は風邪で休みの人や仕事が入った人がいて、参加者は少なく8名となった。
当日の天気は最高で、日差しが強くコントラストも付きやすいので、露出に注意しながら春を探す。
みんなが知っている新宿御苑、しかし、いつもと同じ撮り方ではなくて、地面を狙ってみよう。
そんなテーマを決めながらの撮影会となった。

公園の中に入ると、カンザクラが満開で、梅が面白い影を作っていた。
大きなカメラを持ったカメラマンが沢山いて、みんな桜の花を目がけて上の方を狙っている。
できれば木の根や、メジロや影を狙っても面白いかも・・・。
しかし、「花の人気はとどまるところを知らず」という感じです。

   
 いつもは枝垂れサクラが咲く場所に水仙が早々と満開でした。

   
 梅は木の枝が面白く、ごつごつとした感じが地面に面白い影を作っている。

   
 のんびりとした日だまりの光景です。

さて、私も3枚の組み写真を作らねば・・・。 
こんな感じにしてみましたが、撮り足りないですね。みんなはどうしたでしょう。次回が楽しみです。
 



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あれこれ

2017年02月02日 | 日常
 1月はインフルエンザ香港A型にかかり、なんとなく出足が鈍ってとうとう2月になってしまった。

毎度のことながら「時間を無駄にしている」と反省・・・。
今年はどうにかして写真展をしたいと、2Lの写真を並べて検討すること暫し・・・。

コンセプトにそって、横写真を40枚、盾を40枚選ぶことができた。
ここから、更に同じ内容のものは避けなければならない。
そういう写真も離して展示することで、思いを伝えることができるかもしれない。
更にどんな写真が無駄かを考え、出したりひっこめたりしながら50点を揃えて申し込みをしたい。
毎日、写真をひろげてあれこれ研究していると、最初に選んだ写真とまた違ってくる。
何度かそんなことを繰り返して、また点検する。

1点豪華な素晴らしい写真よりも、どちらかというと被写体が横にはみ出ていても伝わる写真にしたい。見たこともない写真を並べていきたくなる。
前回、子どもたちを中心に何回か写真展をした。
今度は同じタッチで同じような写真展では、また同じことをしていると皆さんがあきれることでしょう。
ではどうするか。

先日、写真教室の講師が集う会議があった。
その中で、先輩の先生方から様々な意見が出た。
「だれでも自分が撮ってきた写真はどうなんだろうか?」という評価を求めている。
「つまらないのか面白いのか。撮った写真のどこがいいのか。どこがいけないのか」
「しゃしんの読み解き方」が出来ていないのでは・・・。

私自身も人の写真は、そこを訓練しなければならない。
今度は自分自身の写真展なので、コンセプトに沿った展示をしなければなるまい・・・。

そういう意味で、写真の見せ方をあれこれ・・・。
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浅草寺へ

2017年01月21日 | 日常
 「フォトクラブみずほ」の、新春街歩き撮影会は今年も浅草へ。

浅草寺、観音堂は関東大震災の時に多くの人が逃げ込んだ場所でもあったし、川のそばの墨田公園も避難した人であふれたらしい。
あの辺一帯はすべて焼けて仲見世通りも焼け方は激しかったらしいが、戦後72年を経て、2017年の新春の混雑はすごいものだ。
私たちは仲見世の裏通りを歩いたが、赤いコンクリートの建物で造られていて、防火も完備された消火栓が整っていた。

   
 その後の戦災の時に、焼けたご神木の銀杏の木は、今でも割れた幹の上部に焦げた跡を残し、歴史の事実を物語っている。
銀杏の木の下に、人々が輪になって座っている姿をみると、そんな事は気付かないだろうと思う。
歴史の流れと、いくつもの偶然が重なり、守ってきた人々の心も繋がってきているのだろう。

混雑のすごさには、毎年驚かされるが、人が多いということは出会いが多いし、面白い光景にもぶつかる。
   
 公会堂の前でみんなと待ち合わせ、その周りをウロウロしていると、芝居を終えたファンの役者を待つ「出待ち」の少女に出会った。
 以前、写真が好きでカメラも持っているとの事。「土門拳さんが好きです」と話してくれた。
  
 温かそうな帽子をがぶった子どもたちとすれ違う。 
 
中心部から少し離れた路地裏の光景もおもしろい・・・。
古い建物の間をぬうように入っていくと、昔懐かしい街並みの間を着物を着た女性たちが通っていく。

   
 ふとみると振袖の下に、一眼レフを下げているカメ女の姿もちらほら・・・。夕方近く。

この賑わいは、これから行われる三社祭りやほうずき市にもつながっていくことだろう。
被写体としてはそれもいいが、もう一歩前に進んで、普段撮っていない方向へ足を延ばすことをお勧めしたい。

   
 建物の1メートル程の隙間に飛び込んできた観覧車と飛行機、偶然の一枚。   馬券売り場近く。2016年撮影。

案外珍しい光景に出会えるかもしれません。
撮り方も変えて、思い切り下から狙ってみたり、ビルの上から覗いてみたらどうだろうか・・・。

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写真展巡り、そして新年会

2017年01月06日 | 日常
 銀座EIZOガレリアの写真展、JPS写真家5人展に行ってきた。
同じカメラ「SIGMA」を使って、5人の写真家がテーマを決めて撮っている。
そう思ってみると、なかなか面白いし見ごたえがある。
 
   山口さんと。
 
それから久しぶりにコニカミノルタへ。

そのまま、(公)写真家協会、写真協会へ挨拶、新年会へ参加。
2017年が始動した。

明日は担当するフォトクラブの「街歩き」、新春の浅草界隈の撮影会。
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大吉が出た

2017年01月06日 | 日常
 いつものように古いお札をもって近くの白山神社へ初詣する。
行列に少し並んだけど、いつものように神妙に昨年のお礼を言ってから、娘たちを含めて家族全員の無事をお祈りした。

   
なんとなく「おみくじ」を引いたところ、なんと「大吉」がでた。

よく見ると、ふ~んなるほどねと納得したが、一か所だけ妙に引っかかったところがあった。
「心中常に不満を持っている人である」 へ~!自分でも言われなければわからない。
確かにそういうところもある。

今年はなるべく不満を言わないことにした。
周りに迷惑だから・・・。

そして、もうひとつ決意した。
人生もここまできたら、あとは突っ走っていく以外にない。

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2017年は

2017年01月03日 | 日常
 新年明けましておめでとうございます。

 
    カンボジアの伝統舞踊アプサラと共に、民衆の間に伝えられた「魚取り」の踊り。

正月は、普段別々に暮らす家族が集まるので、3日も経つと汚れてくる。掃除をさらっと済ませて料理を並べて・・・。
お年玉も用意しなければならないし、この頃は1万円を小学生の孫が狙っているし・・・。

それより、みんな元気でいるこの時が幸せであるとつくづく思わされる。
そんな時にこともあろうに、一緒に暮らして亡くなったお婆ちゃんを思い出したり、カンボジアの孤児院や村の子どもたちのことをふっと思ったりしている。

今年はどんな年にしていこうか。
流されるのは止めよう。ひとりでも多くの人と知り合い何かを得ていきたいと願っている。
フォトクラブでは組み写真に挑戦していくし、女性教室では継続の人もいるので、熱意に答えられるように写真展も企画している。

3月にはぶらりと乾季のカンボジア取材の予定で、テーマを決めているので、もっと突っ込んだ撮影をしていきたい。

6月には「ラオス撮影ツアー」を個人企画ですが8名程度で予定している。
もちろん添乗員はピ-スインツアーの佐々木さんです。
アンコール小児病院をカンボジア人の手に渡し、今度ラオスに子ども病院を作ったのは、NPO法人、フレンズウイズアウト・ア・ボーダーという団体。
アメリカ在住の写真家、井津建郎さんが中心ですが、カンボジアの取材時には赤尾和美さんにお世話になった。
今 思い起こせばあの頃に何冊もの本を読んで、一番勉強した気がする。
あのややこしいクメール語以外は、村の中に入って話を聞いて、あまりしゃべりたがらない人は過去に何かを抱えていると理解した。
しかし、カンボジアもすでにポルポト時代からその後の内戦時代を経て43年の歳月が流れた。
今は若い人が活躍する時代になり、さらに発展していくだろう。

一時代を見てきた気がしていて、私の写真家としての原点がここにある気がしている。と言うよりきっかけになった。

これから何をするかといえば、写真展、写真集でカンボジアの変化してきた今を伝えていきたいと願っている。
そして、いまだに続く陰に隠れて見逃しそうな恵まれない人々の暮らしにも、子どもや働き者の女性たちに焦点を当てながら伝えていきたい。

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