足立君江 写真ライフ

ー安曇野・カンボジア撮影記ー

   

クロバイリエル村

2016年07月12日 | 日常
 コントローク村を10キロほど行ったところにクロバイリエルがある。

  途中で大きなベットを運ぶ車に会う。

道がだんだん細くなって、あちこちに水たまりが出来ている。
お父さんが地雷の被害者だったが、2007年に亡くなり、その後6人の子どもを連れて越してきたリ・ワンさんの家族がいる。
私が初めて会ったときに生まれたパンニャーは、学校に行くようになった。
昨年は竜巻に家と大事な自転車までどこかに飛ばされてしまったとか・・・。
自転車は少し離れた田んぼに中に落ちていたが、壊れて使い物にならなかった。

今回、行ってみると、パンニャーは学校だったが、弟たち3人と長女の息子1人、リ・ワンさんにとっては孫になるが元気に暮らしていた。

いつも頼みごとをしたことがないお母さんが、今回はじめて私に「自転車がなくて困っている」と言った。
パンニャーは学校までかなりの距離を歩いているという。
相棒のサン君に、値段はどのくらいするものか聞いてみると新品だと50$だという・・・。考えた・・・。

次回に皆に事情を話して、カンパを集めてくることを約束して帰ることにした。

   

四つ辻になっている村の真ん中に市場があって、そこに私立の子ども病院が出来ていた。
30歳代でご夫婦だという医者が開業していた。
これは画期的なことで、今まで保険所のようなものはあっても、病院は無い。
村の人は子どもが病気になると、乗り合いのトラックに乗せたり、誰かのバイクで町まで運んでくる。
道の途中で、点滴を打ちながらバイクで走って町の病院まで行くと言う姿を良く見かけた。
お金がない家族は大事な農耕用の牛を売って運賃にしたり、病院の費用にする。

聞いてみると、この医師夫婦は8年間、医師の勉強をして資格を取ったのだという。
ベットが5つほどあって、そのひとつに熱があるという子どもが寝ていて、点滴を受けていた。

クロバイリエルから小学校がある方へ進むと、ブレークロングハウン村に出る。

   
前回も撮影ツアーで訪れた村だが、チョームさん、マイムさん夫婦を訪ねた。
平均して100家族1000人が暮らす村。
具合が悪かったチョームさんは、少し元気になっていて、10歳の孫が手をそえて支えているので、立ち上がることもできるようになっていた。
マイムさんはちょうど牛を連れて帰ってきたところで、元気な姿を見ることができた。
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コントローク村

2016年07月10日 | カンボジア
 コントローク村の踊りの練習場オンナルットさんご夫妻を訪ね、撮影ツアーの予約を入れてきた。

この村は156所帯の村だが、途中にワッチョー寺というきれいな派手な寺があって、横道に入ると田んぼが多く、人々の暮らしが見える。
村の中心に小さな市場があって、多少ひろくなった道を1キロ行くと別の村になる。

いつもの可愛い息子が真っ先に飛び出してきて、この頃はすっかりお友達になってしまった。

   
奥さんのバン・チョーンさんは年齢も重ねて、すっかり体型も変わってしまったが、昔はきれいな踊り子であった。(失礼)
伝統舞踊を守る芸術学校は、内戦時代に踊り子の大多数が犠牲になり、踊りの文化そのものが否定された。
奥さんの父親は連れて行かれて殺されることになった。
この話をしてくれる時に、今でも涙ぐみながら話す・・・。
声を出して泣けなかった。声を出すととがめられ処刑の対象になったとのこと。
声を殺して毎日泣いた・・・。「なぜ父が連れて行かれなければならなかったか今もわからない」という。

村のお年寄りに内戦時代の事を聞くと、とにかく毎日、仕事仕事で飛び回った。
コントローク村の田んぼの田植えや収穫が終わると、次々と村を変えて移動して、そこが終わるとまた次の村へと集団で移動したという。

あの時代から良く現在まで歳を重ねて、今、踊りの練習場を作ったことは夢のように出来事だったことでしょう。
踊り子の洋服は何もかもチョーンさんの手作り、洗濯も修理も全部やっている。
子どもたちも成長し、ホテルやレストランで踊れるように成長している。
しかし、誰もが忘れられない内戦の傷跡をかかえながら生きているのでしょう。

  
市場の裏で79歳の一人暮らしのお婆ちゃん、Monhoyさんに会った。  村の子ども。
ポルポト時代に夫は亡くなった。6人の子どもがいたが、2人が内戦時代に、2人は病気で亡くなった。
「ただただ生きてきた・・・」
言葉に重みを感じて、私も辛かった・・・。

村に行く楽しさはこんなことばかりではない。
今回は15歳で6年生と言う男の子に会った。ガーチャェットという水草を揃えて市場にもって行く。

   

さらに奥に入るとお酒作りの家でしたが、水牛の頭を料理していた。

   

偶然出会った光景でしたが、焼いてレモングラスと塩で洗い、パパイヤや香草、野菜と一緒にスープにするとのこと。
身体の部分は市場に売りに出したのだそうだ。

まだまだ続く村巡りの楽しさ・・・・。

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ボー村の市場を過ぎて

2016年07月09日 | カンボジア
 ここ数年、雨季を選んでカンボジアの村々を回るようになった。

シェムリアップの街も隣接する村々も、大きく変革の時期をむかえている。
村人は自分の田んぼを売って、お金をつくりある程度裕福な暮らしが戻ってきた家が多くなった。
道路とともに突然、高床の家のそばに別荘のような建物が出来て、村の名前も変わっていた。

今回も暮らしを中心に、ポルポト時代を生き抜いてきた人々が、今どんな思いで、どんな生活をしているのか聞きたいという思いがあった。
お年寄りの人口が少なくなり、今カンボジアを支えて活躍しているのは40歳代の人たちで、ある村では35歳の村長さんが自分で村の地図を手書きで作っていた。

   

ボー村の市場で、雨季を迎えるためのハスの蕾が5本の束になって、2000リエルで売られていた。
お寺の戒律の日にささげられるこの時期の花もハスの蕾なので、今はトンレサップ方面のハス畑は満開の時期かと期待したが、すでに盛りの時は過ぎて、緑のハスの実の時期になっていた。
いつもより、雨季の雨が早くふりだし、いつもより花も早くなってきたと感じるのは私だけだろうか・・・。

   

アラン村では赤ちゃんの時、30$で買われて親戚をたらい回しにされて、今62歳のお年寄り夫婦によって育てられているアローン君に会うことが出来た。
元気に暮らしていて、4年生になり育ての親のお婆ちゃんにもお会いすることができた。

   真っ黒に日焼けした顔が、振り向いたときには思わず抱きしめたくなった。

先ず「ソク・サバ~イ」元気!と声をかける・・・。
人の人生も運命もお金で変えようとする習慣には、納得できないが、格差が激しくなる中で貧しい人たちの心に土足で入り込み、納得させられる助言が、個人的にできるとは思えない。

アラン村の小学校、中学校、高校と一か所にあったので立ち寄ると、すでに二十歳を過ぎているよな子どもたち、18歳くらいに見える子どもたちもいて、学校教育の遅れを感じている。
そもそも、一年生になったのは12歳とか15歳とかの子どもたちもいるから・・・。

プノンクロム村は韓国のNGOが入り、道がきれいになり申告することによってお米が供給されるということで子どもたちが自転車に積んで走ってくる。
行ってみようと配っているところに行くと、韓国の若者が沢山いて、村の子どもたちと遊んでいた。
この村では、昔から水草でバックを作り、ハンモックを作る文化があって8年前から写真を撮影、手間がかかり、大変な仕事ですが、日本から買いに来る人も増えて、安価で買いたたかれることに不安はあった。

   

   

ハス畑で暮らしている家族に出会い、お母さんが魚と一緒にカエルを焼いていて、傍らで女の子が食器の洗い物をしていた。
美味しそうな魚醤の匂いが、風と共に漂ってくる。
そうだ、これがカンボジアのにおい・・・。

   
 

この日は雲が多いものの晴れ間が多い一日で終わった。
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帰国

2016年07月07日 | 日常
 雨季のカンボジア、いつものように無事に帰国しました。

5月に大雨の情報があり、今年の雨季は波乱万丈かと期待しての旅でしたが、その通りでした。

初日から2日は晴れで暑い太陽に、日焼けしてはと用心して、バイクに乗りましたが、それ以降、毎日曇り、時々大雨・・・。
雨具の装着が間に合わないくらいの土砂降りが2時間ほど続き、日が射してくると蒸し風呂のような状態です。
 
  
途中で修行中の坊さんに。おもわずヘルメットを付けたままシャッターをきる。

それでも、風を切ってバイクで走ると、緑が多く風景が素晴らしいので気持ち良いくらいでした。
それにしても、6月から連日の大雨にカンボジアも地球規模の温暖化の影響を感じないわけにはいきません。

帰って玄関に入るとすぐに、出がけに切ろうと思っていた紫陽花の花がもう終焉の時を過ぎて、かわいそうなくらい。
カラカラな植木にたっぷり水をあげて、「ただいま」と声をかけたが、留守のようだ。
家の鍵を持って行って良かった と、変なところで安心したりしています。
テーブルになにやら書置きがあって、娘は仕事でオリンパスの上野の撮影会、夫君は初台オペラシティでの音楽会・・・。
どおりで空港から「いつのもコール」を入れたが、電源OF、あ~あ お互いに自由でいいなと感謝しつつ、妙な物足りなさを感じてしまった・・・。

さて今回のカンボジア撮影記、徐々に更新していきたいと思います。

7月の予定は 

     ① 2016年JPS新入会員写真展

       7/14日(木)~7/20日(水)まで 17-18日休館

       アイデムシリウスフォトギャラリー (新宿御苑前) AM10:00~PM6:00 最終日PM3:00

     ② カンボジア「スナーダイクマエ孤児院の絵画展&カンボジア写真展」
   
       7/14日(木)~7/17日(日) 16日休館 AM10:00~PM5:00

       日本アセアンセンター 地下鉄三田線 御成門駅A4出口

       写真と写真集の販売も予定しております。

     ③ 現代写真研究所 英 伸三先生の門下生の写真展 「とうきょう すとーりー」

       4/21日(木)~27日(水) 無休 AM10:00~PM6:00 最終日PM3:00

       ポートレートギャラリー 四谷 日本写真会館 5F

       私は13点の写真を展示する予定です。

これが終わると安曇野へ出かける予定です。

皆さま、ついでの際に是非、お立ち寄りください。


      
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カンボジアへ

2016年06月15日 | カンボジア
 6月22日からカンボジアへ行ってきます。

今回は7月に行事が立て込んでいるため、7月の初めには帰る予定です。

今回の取材は雨季のカンボジア、もうハス畑は花が満開になっていることでしょう・・・
 
   

この時期の村では、これから迎える雨の季節に備えて、雨が沢山降りますようにとバイサイ(飾りもの)を作ってお祈りする。

   
 バイサイを作る人。    ハスの実を売る姉妹 5個で1$。

長いこと付き合ってきたバイクガイドが、今回はじめて値上げを申請してきた。
そのS君と初めて会ったのは2001年、友達と2人でバイクのガイドを頼んだのですが、当時は一日10$でした。
途中で「ストップ!」と言ってバイクを止めてもらうと、彼は憮然とした表情で「帰りが遅くなる」と言った。
その頃はまだ自分がガイドになる意識がなかったのでしょう。
その後、孤児院の農園で働いていたタービエン村の青年、A君が私の日本語ガイドになった。
独学で日本語を覚えたのだという。

7年後にA君が結婚してカンボジアを離れることになり、再び最初のS君がガイドとして、私の相手をすることになった。
なんと日本語、英語、イタリア語を独学で覚えたという。
「教科書があって、時間があったら、なぜ勉強しないの」が彼の言葉・・・。

現在まで、ずいぶんと長いこと私と付き合ってくれた。
カンボジアの暮らしの事、正月の行事、お坊さんの事、最近では政治の話まで教えてくれる。
私はなぜ写真を撮るのか、そのために注意すること、聞いてほしいことを伝える・・・。
3年前に可愛いお嫁さんを探して、今は一児の父親だ。
個人契約のFreeガイドだが、この頃は仕事があるのだろうか。
時々心配するがどうすることもできないので、多少の値上げも仕方ないのかなと思う。

そんなこともありますが、今回もカンボジアへ行ってきます。
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フレンズの新事務所

2016年06月15日 | 日常
 カンボジアのアンコール小児病院は、カンボジア人の手によって経営まですることになった。

私も写真展を開催の時は、都合が良い日程であればいつもフレンズの赤尾さんが一緒にトークをしてくれた。
「NPO法人 フレンズ・ウイズアウト・ア・ボーダー」で
東京、安曇野、松本と写真展の度に一緒にトークをしながら、私も支援をしてきた。

そのフレンズJAPANが、今度はラオスに小児病院を開院して、すでに救急病棟まで造るという活動をはじめた。
私の写真ライフもそろそろカンボジアからラオスに移って行こうかと計画を練っている。
しかし、すでにラオスの小児病院は、別の写真家の方が、決まって取材を続けている。

いつも後手後手に回ってしまいますが、行動力も写真もかなわない・・・。

そして、結局、私は私でしか撮れない目線の写真があることを信じている・・・。

日本橋近くにできたフレンズの新しい事務所のお披露目会が行われた。

    
 久しぶりに会った赤尾さんもラオスのたくさんの報告をかかえてやってきた。

いつも悪条件の中、訪問看護に精を出しながら、医師や看護師の教育もする施設を考えて、実際に行っている。
いつものことながら、雨漏りのアクシデントがあったり、道がくずれて訪問先をふさがれてしまったり・・・。
ラオスの米が主食の人に、どうやって目に見えない栄養の話を伝えられるか。
問題は山積みで、目に見えない現地の人々への支援や教育が必要だと思う。

 
 始まる前に久しぶりに和美さんと。

今回はラオスの訪問ツアーを計画したピースインツアーの佐々木さんも同席しての会で、ボランティアの皆さんも集まり、入りきれないほどの人数に驚くばかりであった。
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北千住へ

2016年06月05日 | 日常
 今日も気持ち良い一日になりましたが、写真クラブの街歩きは「北千住」。

江戸時代には、日光街道の宿場町として栄えた北千住、墨田川と荒川にはさまれた町並みには、昔ながらの商店街や細かい路地が点在している。
最近になり、住みたい街のランキングに人気が上昇中だという。
心の琴線にふれる街並みや出来事に出会えるだろうか・・・。

今回も若い人が常連になりつつある街歩き。
次回は18日(土)が講評会です。

   
 看板を見てふむふむ・・・。      細くちいさな路地がたくさんある。

   
 そういえば昨日は雨でした。      猫の後ろ姿に惹かれました、むふふ・・・。

   
 古い土蔵や店、宿屋などがあり、ほとんどが路地の奥に点在。「茶處」の看板。

   
 塗りなおしたばかりのお稲荷さんの鳥居の前で、可愛い姉妹に遭遇です。 
 
   
 植物の力はすごいね。電線があぶない! 道路に貼られたビラ、踏まないように自然と避ける。

   
 らくがきの向こう側はラーメン屋さんでした。  昭和の風情が漂う一角。

途中で安くて美味しい魚料理の店で昼食。

今日も2万歩の街歩き、みなさんお疲れ様でした。 
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6月の予定

2016年06月03日 | 日常
 我が家のピンク、青、白の紫陽花が満開になりました。

 
 
パソコンのSSDの容量が少なくなり、このところ振り回されました。

一方的にWIN10のバージョンアップが、立ち上げるたびに入ってくるのですが8G必要とのこと。
ちなみにNECのVALUSTAR(バリュウスター)で、2012年に購入したものでSSDは128G、1Tの内臓デスクですが、写真はすべて外づけハードデスク3台。
クリーンアップして使わないプログラムを削除、ピクチャ、ドキメントの中もほとんど削除したのですがあまり空くことがないです。
NECの121Warに問い合わせしても要領をえず、我が家のパソコンの先生も怒り心頭。
「要領が増やせないパソコンなんてない」と・・・。
実は容量を増やすため、買ってきたのですが企画があわなかったのです。(泣)

予定は自分で作っていくものですが

1日 「東京写真月刊」写真の日 表彰式&レセプション 私は受付を担当。

2日 荻窪撮影

4日 「街歩き」写真の会 「北千住」
 
   2016公募展「視点」展へ。そのまま表彰式&パーティ、東京都美術館

5日 現像作業 写真のセレクト その他

6日 JCII写真展 写真協会へ

7日 旅行写真家協会へあいさつ

8日 2016年「カンボジア撮影ツアー」説明会

9日 ラオフレンズ新事務所 お披露目会。 ポートレートギャラリー写真展

10日 歯科医通い、家の掃除はこの日しかない。

11日 英伸三門下生の写真展準備「とうきょう すとおりー」ポートレートギャラリー

12日 2016年第41回JPS写真展 東京都美術館
  
    そのまま「ネット社会における写真のルールとマナー」 参加

そろそろカンボジア行きの準備をしないと・・・。

14日 女性教室 街歩きと講評

18日 いつもの写真グループの「みずほ」例会、講評。

22日~7月2日までカンボジアへ行ってきます。

午前中からでも午後からでも途中からでも、準備を考えると結構一日、時間がかかりますね。



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東京写真月刊

2016年05月31日 | 日常
 今年も「東京写真月刊」の時期がやってきた。

今年の写真月刊の「テーマ」は「人と鉄路」-心をつなぐみちー
 すでに拝見した写真展は
 宇井眞紀子さんの「眠る線路」 新宿コニカミノルタ 6/3日迄
 矢野直美さんの「人あかりの路」 オリンパスギャラリー東京 6/1迄

日本に写真が伝えられてから何年になるだろう。
1837年くらいだった気がする・・・。

「写真の日」はそんな歴史の一ページを「6月1日」と決めて、その前後にさまざまな行事が行われる。
そして、東京写真月刊、大阪写真月刊と続いていく。

毎年、写真家が表彰され、写真活動のすぐれた団体や著名な文化人も表彰される。

来日して写真展を展開する「アジアの写真家たち」は、今年はモンゴルの写真家たちです。

日本写真協会賞を受賞した写真家の写真展は、
5月27日から6月2日まで 富士フィルムフォトサロンで展示。

1000人の写真展は今年から会場が「ヒルトピア アートスクエア」に変わった。
私も皆さんからの参加作品を20枚ほどボードに張り付けたりしながら、準備に追われています。

 
  昨年の1000人展の様子。

「写真の日記念写真展」も今年は日比谷公園内「みどりのプラザ」に変わりました。
間違えないように気を付けないと。 6月17日~23日まで。

その他、詳しいことは東京写真月刊のパンフレットや案内ハガキを参考にしてくださいね。

昨日は新宿ニコンサロンでモンゴルの写真家4名の展示を拝見してきました。
民主化にむかうモンゴルですが、近年、沢山の優秀な写真家が育っていて、写真界で活躍していることを見てきました。
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カンボジア撮影ツアー

2016年05月23日 | カンボジア
 2016年「カンボジア撮影ツアー」の募集がはじまりました。

最初は私がどうしてカンボジアに通い続けているか、写真仲間に知ってもらいたかったのがきっかけでした。
2007年に初めて2人のカメラ仲間を誘ったのが最初・・・。
と言っても安い17$のゲストハウスの泊り、バイクガイドを3人で回ったのが始まりでした。

現在のカンボジアはツアー会社が案内するので、何も心配は無くなったのですが、あれから約10年近く立って、2011年から始まったツアーも、今年で6年目に入った。
正式には2012年からの「撮影ツアー」としては5周年目になり、今年はどんな村の暮らしに出会えるのか参加者の皆さんも期待が膨らんでいる。
今は素敵なレストランで昼食、夕食、暑いので昼食後は約1時間の自由時間。
街を歩いても、HOTELで休んでも良しです。

皆様の参加をお待ちしておりま~す。



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5月の安曇野

2016年05月21日 | 安曇野
 そろそろ田植えがはじまる頃・・・。

余りにもすがすがしい陽気に誘われて、あちこちと田園を歩き回ってしまった。
一年で一番好きな季節かもしれない。

   
 燕岳は有明山に隠れていますが、大天井岳がきれいです。 ズッキーニを植えていた農家の人とひとしきり、話をして・・・。

   
 真っ白なツツジのかげに「子どもを守るみんなの家」の看板。子どもたちは「こんにちは」と挨拶を良くする。

   
 畔の道、ハルシオンのピンクの花。      馬頭観音。

   
 タンポポの道はすっかり花の季節は終わっていた。          土壁の土蔵。 

   
 田んぼは田植えを待つばかりになっている。

  
 田んぼの水は近くの穂高川へ合流してゆく。

 3日間の安曇野歩歩記が終了しました。   
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穂高神社の人形祭り

2016年05月21日 | 安曇野
 今年は7年に一度の穂高神社、式年御遷宮祭りの年に当たる。
平成28年5月1日~15日間、穂高の森は人形祭りの人々で賑わう。

神社の入り口、御舟会館の入り口に「午流弘次さん追悼記念展」の看板があり、「遅かったか!」と残念で思わず、立ち寄らずにはいられなかった。93歳でした。
偶然に午流さんの家族の方がいて、思い出話をしながらお話を聞くことが出来た。

他の「一眞会」の小平さんもお元気で、保尊さん率いる「穂高睦友会」もそれぞれが弟子たちによって人形つくりが行われている。
伝統を守り、祭りを盛り上げていくのは大変な事で、だんだんと先細りになっていくのが常で、7年も経つとメンバーも変わってくるのではと思う。

   
 御船会館の中で午流さんの娘さんに説明していただきながら、沢山の賞状と午流さんが作った人形が展示されていた。

   
 この2人の写真は誰が撮ったのか、なぞとなっていて、それぞれの会の人形師がお互いに今年の出し物は内緒で、人形つくりを進めるらしいのです。
でもこのときは、切磋琢磨しながら楽しんでいる様子を私が撮影した一枚でした。

   

   

   

     

 まさに穂高の森は、戦国武将たちの芸術劇場となっていました。

午流さんもきっと喜んでいることと思います。合掌。

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写真展その2

2016年05月15日 | 日常
 5月の連休は瞬く間に終わってしまいました。

「マグナム・ファースト日本展」に行って、60年前のブレッソンやキャパやビジョフなどのオリジナル写真を拝見することができた。

   
マグナムがはじめて開催した写真展の作品が、長い間、行方が分からなかったが、半世紀を経てフランスで発見され、世界各地を回り、日本にもやってきたというものでした。
木箱に入ったまま見つかったので、木箱も展示されていた。

生きている間に、この作品がが見られたこと自体が、私にとっては重要なことで宝となる。

代官山もたまに訪れると、若者でにぎわってツツジがきれいで、風もさわやかだ。

5/2日、連休の合間にペルーの写真家「マルティン・チャンピ写真展」に行く。
ペルーアンデスのチチカカ湖に近いプーノ県コアサ村の出身だというので、私が訪れているかもしれないと・・・。
ペルーにこんなに素晴らしい写真家がいるとは知らなかった・・・。
1891年生まれだが、写真はすべてガラス乾板、見事な粒子だったが一部はインクジェットプリントもあった。

ペルーは2001年に22日間遊んで、夫は4千メートルの登山に行き、私は下の街ワラスでうろうろと写真を撮っていた。インヂィオの人たちの暮らしをもっと撮りたかった。
リマ、チバイ、クスコ、アレキバ、アグアスカリエンティスとまわり、マチュピチュのある街で温泉に入った。
ワイナビチュの山の岩につかまりながら、ようやく登ったことを思い出した。
ブルートレインに乗り、山あいの谷間を走り、クスコに着いたとき、余りにもきれいな夜景に、イスパニッシュの学生たちによって列車内でコーラスがはじまった・・・。素晴らしかった。

写真展の帰りはもちろん恵比寿の街を歩き、目黒まで足をのばしながら撮影してきた。

   

   
 ビルの街で庚申塔を発見、江戸時代の村の名前が書いてある。三鷹や世田谷村、下に人名が彫ってあった。

3日はコニカミノルタで開催されている、井津建朗さんの「ブータン内なる聖地」へ。
1996年「NPO法人 フレンズウイズアウト・ア・ボーダー」を立ち上げ、カンボジアに「アンコール小児病院」を開院した写真家。
私もカンボジアの子どもたちのために、支援しながら写真も撮ってきた経緯がある。
私たちが良く目にする、シルバープリントではなく、プラチナプリントの世界です。
印画紙は紙に自ら薬剤を塗布する方法で、薬剤の種類が違い、塗布の仕方で写真が一枚一枚違ってくると聞いたことがあった。
写真は科学であることが本当に良くわかります。
カメラは大型、乾板だから、じっくりと被写体に向き合い、丁寧に撮影される様子が想像されます。

23日までなので、まだの方は是非、でかけして見てくださいね。

それから、「国展」へ。
カンボジア毎回、撮影ツアーへご一緒する方が国展に入選したので、お友達とご一緒しました。

ここでは、写真は「アート」という世界です。

現代の表現方法で、大変おもしろく拝見しました。

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二つの写真展

2016年04月30日 | 日常
 安曇野の帰りに、行こうと決めていた写真展に行った。

写真家 英 伸三氏の写真展で、「昭和の記憶、一生懸命の時代」展。 「茅野市美術館」 5月15日まで 火曜日定休日

  上 茅野美術館   上段、机上の写真集
長野県茅野駅から直結している市民会館の中にある大きな美術館。
関連イベントも沢山あったが、最終日の前日5月14日、PM14時からの学芸員によるトークイベントがある。

110点にも及ぶ作品は、私が知ることができなかった1960年~1980年代の高度経済成長期に、日本の農村で起きた出来事や社会の現象が捉えられていた。
減反と米の値段も下がり、現金収入を求めて農家の人は、農業のかたわら電子部品の内職や、都市の建設現場へ出稼ぎに行くようになり、自然と農業の衰退につながっていったという。

日本の農村を中心に一生懸命に生きる人々の姿などが、すべてシルバープリントでの作品群です。
昭和の人々の築き上げた時代の上で、私たちは今を暮らしている。
本当にそんなことを感じながら拝見してきました。

圧巻だったのは、富士山を中心にした写真群の数々。
工事のショベルカーが富士山を掻き出そうとしている写真・・・。養鶏場と富士、北富士演習場の入合地区の人々。出水の石油のタンクと富士等々・・・。

集団就職で沖縄から本土に渡る学生がパスポートを握りしめている。

出稼ぎの農家の人たち、空からの農薬散布・・・。そんな中での村祭り。

農業を中心にしたあの時代を生きた人々の大きなうねりであり記録だと思いました。

会場には取材に使用した圧巻の新聞記事や、雑誌の切り抜きが、何冊も置かれています。
会場入り口で全ての写真集も見ることができます。


もうひとつの写真展、翌日、三島のクレマチスの丘へ

写真家 本橋成一氏の写真展「在り処」 「IZU PHOTO MUSEUM」  7月5日まで

 

話では聞いていたが初めて見る作品展。こちらもシルバープリント200点以上。

テーマ別に1960年代から市井の人々を映画と写真という方法で記録してきたという。

「上野駅」は長女が生まれて子育てに奮闘している時代の上野。
「チェルノブイリ」、「賭場」、炭鉱で働く人々」「藝能東西」は小沢昭一さんとのコラボだという。
その他、沢山の写真群を見ていると、農業中心ではないが、時代を生きる人々の叫びのようなものを感じないわけにはいかなかった。

これから写真家を目指そうと思う人も、アマチュアの皆さんも見逃してはならない写真展です。
自然も市井の人々の写真も、生活と結びついていて、生きることに繋がっている。
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安曇野へ

2016年04月30日 | 安曇野
 久しぶりの安曇野です。
裏庭の山桜が大きく成長し、桜は終わっていたが成長の速さに驚いてしまった。

食べたくなるような若緑の世界でしたが、桜はすでに遅く、ところどころに山桜と八重の桜が咲いていた。
田んぼは田起こしがおわり、水口から滔々と水がはいり、まもなく田植えの時期をむかえる様子。

   
 池田町から陸郷の山に入るると、すでに家主のいなくなったらしい家があり、周りにはヤマブキの黄色い花の群落があった。
車がようやく通れるほどの山の道は、柔らかい緑に覆われながらも、人を寄せ付けないような冬場の状態が想像できる。

   
 じっと見ているニホンカモシカに出会う。     里ではリンゴの花が最盛期をむかえている。

   
 山を下りて夢農場に向かい、遅い山桜と緑の桜花に出会う。

   
 池田町近くまで来ると、不思議な雲が有明山に下りている。やがて陽が沈むと田んぼは赤く染められて・・・。

翌日は穂高神社へ立ち寄る。
7年に一度の「式年御遷宮祭り」の準備中。
 
   
 安曇族は遠く九州から来たと言われ、海と関係が深く御船祭りとして大きな船を飾り付けるのも有名。
人形たちはまだビニールがが撫せられていた。

人形つくりの組が3組ほど活躍しているが、後継者がいないと言われていたのを思い出した。
しかし、このような文化も今の時代にふさわしく、形を少しづつ変えながら、脈々と繋がれてることに感動。

15日まで人形が展示されるので、また出かけてみようと思う。
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