足立君江 写真ライフ

ー安曇野・カンボジア撮影記ー

   

女性教室

2016年08月22日 | 日常
 軌道にのってきた女性だけの写真教室。

6月から6か月のコースで始まった月に2回の授業だ。
6月のオリエンテーションでは、カリキュラム、カメラやレンズの基本操作や、更に撮影実習の意義、撮影場所の選定からはじまった。

初心者歓迎だが、継続的に写真を続けている人もいればデジコンカメラで参加の人もいるので、先ずは撮影中心で、講義も当然はいることになる。

写真は毎日でも、とにかく撮ること、選ぶこと、見せることを繰りかえす過程で自分自身がどんなことに興味があるのかわかってくることがある。
そんななかで写真とはいったいなんだろう・・・。
写真で何を表現したいのかもわかってくる。
この教室は自分が何を撮りたいのか、確認する場でもあるのです。

この写真教室をすることになって、あらためて写真の基礎も振り返らなければならない。

デジタルカメラ中心の時代になり、カメラの難しい操作をしなくても簡単に写真が撮れる。
だからこそ、必要になる「写真でなにを言いたいのか」ということを大事にしたい。
簡単にバシャバシャとシャッターを押すと偶然に面白い写真が撮れることもある。
気に入った写真のデータを確認したり、撮った時の心の動きも、写真をみながら考えてみることも大事なことだ。

私の経験からいうと、美しいものや気分の良い写真は、後で見ると結構つまらかったりすることがある。
でもそんなことに気付くのは、そうとう写真を釣り続けた後の気がする。

先日はオタク文化の花咲く「中野」界隈を歩いた。
生徒の皆さんは初めての場所だったが、それにしても、暑い暑い日だったので、1時間半で場末のスナックコーヒー店に集合。
美味しいビールで喉をうるおして、写真談義に花を咲かせた。

 写真は中野界隈。

  

  
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チリュウ村

2016年08月12日 | カンボジア
 トンレサップに近い田園地帯の村で遠くにプノンクロムの山が小さく見える。

この村に初めて行ったとき(2005年)、リエン君という13歳の少年にあった。
牛追いの仕事をするために、遠くコンポンチャムから住み込みで働きに来た少年だった。

   
2008年に実家に帰ってしまったが、この子を追っかけてカメラを壊してしまった。
赤土の埃の中で、フィルムカメラ、NikonF3とカラー用のF80Sの撮影だったが、F80Sが修理に大金をかけた事があった。

   
遠い親戚に当たるソッさん(70歳)が雇い主で、内戦時代の話を良くしてくれた。

ポルポト時代に「一週間という話で、牛は10頭、米も食料も置いて牛車に乗った。田植えや収穫の度に田んぼを集団で移動をし、内戦が終わり帰ってきたときは何も残っていなかった。0からはじまった生活は大変だった。
その時代を知る人は、チリュウ村には今は自分しかいなくなってしまった。」と話してくれた。

そのチリュウ村も真ん中を町への環状道路が通り、道も広くなり今回は田んぼの真ん中を家具を運ぶ大型トラックが走っていて、どこへ行くのか奇妙な光景で、この先に村はあるのかと思った。

   

この村で生きてきた人が、内戦時代を乗り越えて再び自分の村に帰ることが出来て、米作りを出来ていることが不思議なくらいだ。
今は何と言ってもカンボジアは米どころ、バッタンバンのお米は日本と変わらないくらい美味しくなった。

   
 降り出した雨も少しあがってきた。              珍しい山羊を発見。

   
 新しい農耕機械に振り回されていた少年。          道で出会った子ども。

村の発展途上の出来事を、写真を通して伝えていくことができることを大事にしたいと思う。

晴れ、突然の雨の中の一日でした。   


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子どもたちと

2016年08月02日 | カンボジア
 「2016年、村の子どもたちと」

どこの国でも、子どもはみんな可愛い・・・。
では、子どものどんなところを写真にするのか。何を伝えたいのか・・・。
この国に来て、初めて会った子どもたちは、みんな身体を張ってはたらいていた。

「僕はガイドになりたい・・・日本語学校、30$・・・。」と片言の日本語と英語で話しかけてきた少年は、もう二十歳をすぎているだろう。
その時に会った孤児院の子どもたちも、卒業してそれぞれが働きはじめて、パナー君は私の撮影ツアーの日本語のガイドをしている。

これまで家族のためにと、大人のようにはたらく子どもたちに出会った。
一生懸命、どろんこで遊ぶ子どもたちの姿に、日本の子どもが経験することは少ないだろうと思った。
子どもたちの中に入って事情を聴いてみると、恵まれない家庭環境もあって、懸命な姿に愛おしさを感じてきた。

村を回る中で、1990年以降に生まれた子どもたちの中に、何人かの身体障害児の子どもと出会った。
一番大変な時代を生きてきた母親になる年齢の人たちが、充分な栄養が取れなかった時代だったかもしれません。
2000年以降、私がアンコール小児病院を撮影した時も、ポリオの子どもや命を守る母子がたくさんいた。

今回は母と2人暮らしの障害を持つ子が、母親が死亡してしまった。

   
いままで親子で物乞いをしていたらしいのだが、そのA君の誕生日も年齢がわからない。
でも世話をする人が見つかって、お粥を作って毎日面倒を見ている。
61歳のその女性は、これまで自分の子ども以外に甥や姪をたくさん育ててきたので、みんな同じように面倒を見るのだそうだ。
内戦時代を生きるために必死であっただろうこの人にとって、これは当たり前のことなのか?・・・。
たくましくも素晴らしい人が身近にいたことに感動した。

シェムリアップ周辺の村々では、田んぼを売って家を新築したり、別荘のような家ができて、いつの間にか村の様子が変わったところが出てきた。
町が発展すると、だんだん村も影響されていくのが常套のできごとです。
町を取り巻く環状線(道路)が出来てから、市場までの荷物は簡単に運搬することが出来るようになった。

   
子どもたちも10歳を過ぎれば大事な一家のはたらき手であるし、13歳でバイクを運転したり大きな荷物を運んだり。
バイクの2,3人の相乗りを見ると「だいじょうぶ・・・。」と声をかけたくなる。

   
 大きな農耕機械が入ったが、手におえないほど・・・。     穴の中に手を入れて蟹や蛙を捕る。

   
 近くの川で巻貝を捕ってきた。             母と共に路上で木の実を売る。

   
 藁の山からダイビング、右には木登りの子ども。        乾燥したホテイアオイを運ぶ。

  
 突然の雨に濡れた牛追いの子ども。                晴れ間が見え始めた・・・。

村をバイクで走り回った後の、アンコールビールが美味しかった。

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川沿いの家族

2016年07月23日 | カンボジア
 シェムリアップの街を南北に走るシェムリアップ川は、雨季になると時々氾濫する。
大雨の時は市内のシバタ通りまで水浸しになるので、川はもちろん氾濫する。
   
 雨があがると子どもたちが大好きなダイビングがはじまる。

トンレサップ湖周辺の田畑を潤しながら、アラン村あたりで水草やゴミなども集まり、川幅整備の対象となっていた。
町の上流はすでに多くの家族が立ち退いて、ウエル村に移転したようだ。
以前、アラン村のア・ラーさん一家を訪ねたとき、村の人たちが集まり、移転に反対する話し合いをしていた。
話によると、立ち退き料が600$とのこと・・・。
全てが値上がりしているなかで、到底納得できない金額!・・・。

今回、ア・ラーさんの家族を訪ねると、すでに立ち退きをした後で、跡地やその周辺の土地は韓国が買ったと村の人は話していた。
ア・ラーさん家族はウエル村に移転したが、町まで距離があり田んぼはもちろん野菜を作る畑もなく、ただ区画整理された一角が与えられた。

   
 ブリキの家が並んでいるところもあるが、村の人は、この場所は韓国のNGOが整備したという。
ア・ラーさんは仕事の手段もなく、また引き返してきたという。
アラン村の近くにボー村があり、その市場の近くに家を借りて住んでいるという風の便りであった。
市場あたりをウロウロしてみたが、その家族に出会うことはなかった・・・。

今回も私はその引っ越し先となっているウエル村に行ってみることにした。
コントローク村を過ぎて、田んぼの中に、新しくできた道を左へ大きく曲がって15分ほど走るとウエル村になる。

   すっかり区画整理され、空き地にはトイレだけがボコボコと立っていた。

今回はバイクの相棒が、ここに知り合いがいると言うので尋ねることに・・・。

  
  その家族は引っ越してきて、古材を使い家をたて、ここに来てから新しく家族が増えて赤ちゃんを囲んで暮らしていた。
父親は何をしているのかと聞いたところ、バイクのガイドだと言うが、英語も日本語もできなく、自国語のクメール語だという。
バイクがあれば町まで出かけることはできる。

町の上流1キロの場所にプーム・トリアン(村)がある。
この地域は政府の土地があり、そこにすでに住みついて、ひとつの長屋のような一角が出来ていた。
ここも川の流域にあたり、家々には赤いスプレーで大きく番号が書かれていて、これは何かとガイドに聞くと、これはすでに立ち退きをするための管理の番号だという。

細い路地で遊ぶ子どもたちを見ると、日本の戦後、路地で遊ぶ子どもを見事に作品にした、土門拳や木村伊兵衛のコマ回しや刀を振り回す子どもたちが脳裏に浮かんだ。

  
橋の上に名前と一か月と10日と書いた紙切れがあり置き去りにされた子どもは、新しい父母に育てられ大きくなっていた。
   

政府の土地に新しく家を造ってしまった家族がいるが、どうなるのだろうと心配だ。

カンボジアはどこにいっても発展途上にある状態で、土地の問題は整理されないままが続いている。
日本のNGOなり企業家がカンボジアで何か事業を起こすにしても、土地はカンボジア人の名義ではないと買うことができない事から、後に考えられないほどの大問題となり、裁判になっている事例もある。

日本の弁護士が関わったという民法も、村人まで定着するにはまだまだ時間がかかりそうだ・・・。
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クロバイリエル村

2016年07月12日 | 日常
 コントローク村を10キロほど行ったところにクロバイリエルがある。

  途中で大きなベットを運ぶ車に会う。

道がだんだん細くなって、あちこちに水たまりが出来ている。
お父さんが地雷の被害者だったが、2007年に亡くなり、その後6人の子どもを連れて越してきたリ・ワンさんの家族がいる。
私が初めて会ったときに生まれたパンニャーは、学校に行くようになった。
昨年は竜巻に家と大事な自転車までどこかに飛ばされてしまったとか・・・。
自転車は少し離れた田んぼに中に落ちていたが、壊れて使い物にならなかった。

今回、行ってみると、パンニャーは学校だったが、弟たち3人と長女の息子1人、リ・ワンさんにとっては孫になるが元気に暮らしていた。

いつも頼みごとをしたことがないお母さんが、今回はじめて私に「自転車がなくて困っている」と言った。
パンニャーは学校までかなりの距離を歩いているという。
相棒のサン君に、値段はどのくらいするものか聞いてみると新品だと50$だという・・・。考えた・・・。

次回に皆に事情を話して、カンパを集めてくることを約束して帰ることにした。

   

四つ辻になっている村の真ん中に市場があって、そこに私立の子ども病院が出来ていた。
30歳代でご夫婦だという医者が開業していた。
これは画期的なことで、今まで保険所のようなものはあっても、病院は無い。
村の人は子どもが病気になると、乗り合いのトラックに乗せたり、誰かのバイクで町まで運んでくる。
道の途中で、点滴を打ちながらバイクで走って町の病院まで行くと言う姿を良く見かけた。
お金がない家族は大事な農耕用の牛を売って運賃にしたり、病院の費用にする。

聞いてみると、この医師夫婦は8年間、医師の勉強をして資格を取ったのだという。
ベットが5つほどあって、そのひとつに熱があるという子どもが寝ていて、点滴を受けていた。

クロバイリエルから小学校がある方へ進むと、ブレークロングハウン村に出る。

   
前回も撮影ツアーで訪れた村だが、チョームさん、マイムさん夫婦を訪ねた。
平均して100家族1000人が暮らす村。
具合が悪かったチョームさんは、少し元気になっていて、10歳の孫が手をそえて支えているので、立ち上がることもできるようになっていた。
マイムさんはちょうど牛を連れて帰ってきたところで、元気な姿を見ることができた。
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コントローク村

2016年07月10日 | カンボジア
 コントローク村の踊りの練習場オンナルットさんご夫妻を訪ね、撮影ツアーの予約を入れてきた。

この村は156所帯の村だが、途中にワッチョー寺というきれいな派手な寺があって、横道に入ると田んぼが多く、人々の暮らしが見える。
村の中心に小さな市場があって、多少ひろくなった道を1キロ行くと別の村になる。

いつもの可愛い息子が真っ先に飛び出してきて、この頃はすっかりお友達になってしまった。

   
奥さんのバン・チョーンさんは年齢も重ねて、すっかり体型も変わってしまったが、昔はきれいな踊り子であった。(失礼)
伝統舞踊を守る芸術学校は、内戦時代に踊り子の大多数が犠牲になり、踊りの文化そのものが否定された。
奥さんの父親は連れて行かれて殺されることになった。
この話をしてくれる時に、今でも涙ぐみながら話す・・・。
声を出して泣けなかった。声を出すととがめられ処刑の対象になったとのこと。
声を殺して毎日泣いた・・・。「なぜ父が連れて行かれなければならなかったか今もわからない」という。

村のお年寄りに内戦時代の事を聞くと、とにかく毎日、仕事仕事で飛び回った。
コントローク村の田んぼの田植えや収穫が終わると、次々と村を変えて移動して、そこが終わるとまた次の村へと集団で移動したという。

あの時代から良く現在まで歳を重ねて、今、踊りの練習場を作ったことは夢のように出来事だったことでしょう。
踊り子の洋服は何もかもチョーンさんの手作り、洗濯も修理も全部やっている。
子どもたちも成長し、ホテルやレストランで踊れるように成長している。
しかし、誰もが忘れられない内戦の傷跡をかかえながら生きているのでしょう。

  
市場の裏で79歳の一人暮らしのお婆ちゃん、Monhoyさんに会った。  村の子ども。
ポルポト時代に夫は亡くなった。6人の子どもがいたが、2人が内戦時代に、2人は病気で亡くなった。
「ただただ生きてきた・・・」
言葉に重みを感じて、私も辛かった・・・。

村に行く楽しさはこんなことばかりではない。
今回は15歳で6年生と言う男の子に会った。ガーチャェットという水草を揃えて市場にもって行く。

   

さらに奥に入るとお酒作りの家でしたが、水牛の頭を料理していた。

   

偶然出会った光景でしたが、焼いてレモングラスと塩で洗い、パパイヤや香草、野菜と一緒にスープにするとのこと。
身体の部分は市場に売りに出したのだそうだ。

まだまだ続く村巡りの楽しさ・・・・。

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ボー村の市場を過ぎて

2016年07月09日 | カンボジア
 ここ数年、雨季を選んでカンボジアの村々を回るようになった。

シェムリアップの街も隣接する村々も、大きく変革の時期をむかえている。
村人は自分の田んぼを売って、お金をつくりある程度裕福な暮らしが戻ってきた家が多くなった。
道路とともに突然、高床の家のそばに別荘のような建物が出来て、村の名前も変わっていた。

今回も暮らしを中心に、ポルポト時代を生き抜いてきた人々が、今どんな思いで、どんな生活をしているのか聞きたいという思いがあった。
お年寄りの人口が少なくなり、今カンボジアを支えて活躍しているのは40歳代の人たちで、ある村では35歳の村長さんが自分で村の地図を手書きで作っていた。

   

ボー村の市場で、雨季を迎えるためのハスの蕾が5本の束になって、2000リエルで売られていた。
お寺の戒律の日にささげられるこの時期の花もハスの蕾なので、今はトンレサップ方面のハス畑は満開の時期かと期待したが、すでに盛りの時は過ぎて、緑のハスの実の時期になっていた。
いつもより、雨季の雨が早くふりだし、いつもより花も早くなってきたと感じるのは私だけだろうか・・・。

   

アラン村では赤ちゃんの時、30$で買われて親戚をたらい回しにされて、今62歳のお年寄り夫婦によって育てられているアローン君に会うことが出来た。
元気に暮らしていて、4年生になり育ての親のお婆ちゃんにもお会いすることができた。

   真っ黒に日焼けした顔が、振り向いたときには思わず抱きしめたくなった。

先ず「ソク・サバ~イ」元気!と声をかける・・・。
人の人生も運命もお金で変えようとする習慣には、納得できないが、格差が激しくなる中で貧しい人たちの心に土足で入り込み、納得させられる助言が、個人的にできるとは思えない。

アラン村の小学校、中学校、高校と一か所にあったので立ち寄ると、すでに二十歳を過ぎているよな子どもたち、18歳くらいに見える子どもたちもいて、学校教育の遅れを感じている。
そもそも、一年生になったのは12歳とか15歳とかの子どもたちもいるから・・・。

プノンクロム村は韓国のNGOが入り、道がきれいになり申告することによってお米が供給されるということで子どもたちが自転車に積んで走ってくる。
行ってみようと配っているところに行くと、韓国の若者が沢山いて、村の子どもたちと遊んでいた。
この村では、昔から水草でバックを作り、ハンモックを作る文化があって8年前から写真を撮影、手間がかかり、大変な仕事ですが、日本から買いに来る人も増えて、安価で買いたたかれることに不安はあった。

   

   

ハス畑で暮らしている家族に出会い、お母さんが魚と一緒にカエルを焼いていて、傍らで女の子が食器の洗い物をしていた。
美味しそうな魚醤の匂いが、風と共に漂ってくる。
そうだ、これがカンボジアのにおい・・・。

   
 

この日は雲が多いものの晴れ間が多い一日で終わった。
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帰国

2016年07月07日 | 日常
 雨季のカンボジア、いつものように無事に帰国しました。

5月に大雨の情報があり、今年の雨季は波乱万丈かと期待しての旅でしたが、その通りでした。

初日から2日は晴れで暑い太陽に、日焼けしてはと用心して、バイクに乗りましたが、それ以降、毎日曇り、時々大雨・・・。
雨具の装着が間に合わないくらいの土砂降りが2時間ほど続き、日が射してくると蒸し風呂のような状態です。
 
  
途中で修行中の坊さんに。おもわずヘルメットを付けたままシャッターをきる。

それでも、風を切ってバイクで走ると、緑が多く風景が素晴らしいので気持ち良いくらいでした。
それにしても、6月から連日の大雨にカンボジアも地球規模の温暖化の影響を感じないわけにはいきません。

帰って玄関に入るとすぐに、出がけに切ろうと思っていた紫陽花の花がもう終焉の時を過ぎて、かわいそうなくらい。
カラカラな植木にたっぷり水をあげて、「ただいま」と声をかけたが、留守のようだ。
家の鍵を持って行って良かった と、変なところで安心したりしています。
テーブルになにやら書置きがあって、娘は仕事でオリンパスの上野の撮影会、夫君は初台オペラシティでの音楽会・・・。
どおりで空港から「いつのもコール」を入れたが、電源OF、あ~あ お互いに自由でいいなと感謝しつつ、妙な物足りなさを感じてしまった・・・。

さて今回のカンボジア撮影記、徐々に更新していきたいと思います。

7月の予定は 

     ① 2016年JPS新入会員写真展

       7/14日(木)~7/20日(水)まで 17-18日休館

       アイデムシリウスフォトギャラリー (新宿御苑前) AM10:00~PM6:00 最終日PM3:00

     ② カンボジア「スナーダイクマエ孤児院の絵画展&カンボジア写真展」
   
       7/14日(木)~7/17日(日) 16日休館 AM10:00~PM5:00

       日本アセアンセンター 地下鉄三田線 御成門駅A4出口

       写真と写真集の販売も予定しております。

     ③ 現代写真研究所 英 伸三先生の門下生の写真展 「とうきょう すとーりー」

       4/21日(木)~27日(水) 無休 AM10:00~PM6:00 最終日PM3:00

       ポートレートギャラリー 四谷 日本写真会館 5F

       私は13点の写真を展示する予定です。

これが終わると安曇野へ出かける予定です。

皆さま、ついでの際に是非、お立ち寄りください。


      
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カンボジアへ

2016年06月15日 | カンボジア
 6月22日からカンボジアへ行ってきます。

今回は7月に行事が立て込んでいるため、7月の初めには帰る予定です。

今回の取材は雨季のカンボジア、もうハス畑は花が満開になっていることでしょう・・・
 
   

この時期の村では、これから迎える雨の季節に備えて、雨が沢山降りますようにとバイサイ(飾りもの)を作ってお祈りする。

   
 バイサイを作る人。    ハスの実を売る姉妹 5個で1$。

長いこと付き合ってきたバイクガイドが、今回はじめて値上げを申請してきた。
そのS君と初めて会ったのは2001年、友達と2人でバイクのガイドを頼んだのですが、当時は一日10$でした。
途中で「ストップ!」と言ってバイクを止めてもらうと、彼は憮然とした表情で「帰りが遅くなる」と言った。
その頃はまだ自分がガイドになる意識がなかったのでしょう。
その後、孤児院の農園で働いていたタービエン村の青年、A君が私の日本語ガイドになった。
独学で日本語を覚えたのだという。

7年後にA君が結婚してカンボジアを離れることになり、再び最初のS君がガイドとして、私の相手をすることになった。
なんと日本語、英語、イタリア語を独学で覚えたという。
「教科書があって、時間があったら、なぜ勉強しないの」が彼の言葉・・・。

現在まで、ずいぶんと長いこと私と付き合ってくれた。
カンボジアの暮らしの事、正月の行事、お坊さんの事、最近では政治の話まで教えてくれる。
私はなぜ写真を撮るのか、そのために注意すること、聞いてほしいことを伝える・・・。
3年前に可愛いお嫁さんを探して、今は一児の父親だ。
個人契約のFreeガイドだが、この頃は仕事があるのだろうか。
時々心配するがどうすることもできないので、多少の値上げも仕方ないのかなと思う。

そんなこともありますが、今回もカンボジアへ行ってきます。
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フレンズの新事務所

2016年06月15日 | 日常
 カンボジアのアンコール小児病院は、カンボジア人の手によって経営まですることになった。

私も写真展を開催の時は、都合が良い日程であればいつもフレンズの赤尾さんが一緒にトークをしてくれた。
「NPO法人 フレンズ・ウイズアウト・ア・ボーダー」で
東京、安曇野、松本と写真展の度に一緒にトークをしながら、私も支援をしてきた。

そのフレンズJAPANが、今度はラオスに小児病院を開院して、すでに救急病棟まで造るという活動をはじめた。
私の写真ライフもそろそろカンボジアからラオスに移って行こうかと計画を練っている。
しかし、すでにラオスの小児病院は、別の写真家の方が、決まって取材を続けている。

いつも後手後手に回ってしまいますが、行動力も写真もかなわない・・・。

そして、結局、私は私でしか撮れない目線の写真があることを信じている・・・。

日本橋近くにできたフレンズの新しい事務所のお披露目会が行われた。

    
 久しぶりに会った赤尾さんもラオスのたくさんの報告をかかえてやってきた。

いつも悪条件の中、訪問看護に精を出しながら、医師や看護師の教育もする施設を考えて、実際に行っている。
いつものことながら、雨漏りのアクシデントがあったり、道がくずれて訪問先をふさがれてしまったり・・・。
ラオスの米が主食の人に、どうやって目に見えない栄養の話を伝えられるか。
問題は山積みで、目に見えない現地の人々への支援や教育が必要だと思う。

 
 始まる前に久しぶりに和美さんと。

今回はラオスの訪問ツアーを計画したピースインツアーの佐々木さんも同席しての会で、ボランティアの皆さんも集まり、入りきれないほどの人数に驚くばかりであった。
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北千住へ

2016年06月05日 | 日常
 今日も気持ち良い一日になりましたが、写真クラブの街歩きは「北千住」。

江戸時代には、日光街道の宿場町として栄えた北千住、墨田川と荒川にはさまれた町並みには、昔ながらの商店街や細かい路地が点在している。
最近になり、住みたい街のランキングに人気が上昇中だという。
心の琴線にふれる街並みや出来事に出会えるだろうか・・・。

今回も若い人が常連になりつつある街歩き。
次回は18日(土)が講評会です。

   
 看板を見てふむふむ・・・。      細くちいさな路地がたくさんある。

   
 そういえば昨日は雨でした。      猫の後ろ姿に惹かれました、むふふ・・・。

   
 古い土蔵や店、宿屋などがあり、ほとんどが路地の奥に点在。「茶處」の看板。

   
 塗りなおしたばかりのお稲荷さんの鳥居の前で、可愛い姉妹に遭遇です。 
 
   
 植物の力はすごいね。電線があぶない! 道路に貼られたビラ、踏まないように自然と避ける。

   
 らくがきの向こう側はラーメン屋さんでした。  昭和の風情が漂う一角。

途中で安くて美味しい魚料理の店で昼食。

今日も2万歩の街歩き、みなさんお疲れ様でした。 
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6月の予定

2016年06月03日 | 日常
 我が家のピンク、青、白の紫陽花が満開になりました。

 
 
パソコンのSSDの容量が少なくなり、このところ振り回されました。

一方的にWIN10のバージョンアップが、立ち上げるたびに入ってくるのですが8G必要とのこと。
ちなみにNECのVALUSTAR(バリュウスター)で、2012年に購入したものでSSDは128G、1Tの内臓デスクですが、写真はすべて外づけハードデスク3台。
クリーンアップして使わないプログラムを削除、ピクチャ、ドキメントの中もほとんど削除したのですがあまり空くことがないです。
NECの121Warに問い合わせしても要領をえず、我が家のパソコンの先生も怒り心頭。
「要領が増やせないパソコンなんてない」と・・・。
実は容量を増やすため、買ってきたのですが企画があわなかったのです。(泣)

予定は自分で作っていくものですが

1日 「東京写真月刊」写真の日 表彰式&レセプション 私は受付を担当。

2日 荻窪撮影

4日 「街歩き」写真の会 「北千住」
 
   2016公募展「視点」展へ。そのまま表彰式&パーティ、東京都美術館

5日 現像作業 写真のセレクト その他

6日 JCII写真展 写真協会へ

7日 旅行写真家協会へあいさつ

8日 2016年「カンボジア撮影ツアー」説明会

9日 ラオフレンズ新事務所 お披露目会。 ポートレートギャラリー写真展

10日 歯科医通い、家の掃除はこの日しかない。

11日 英伸三門下生の写真展準備「とうきょう すとおりー」ポートレートギャラリー

12日 2016年第41回JPS写真展 東京都美術館
  
    そのまま「ネット社会における写真のルールとマナー」 参加

そろそろカンボジア行きの準備をしないと・・・。

14日 女性教室 街歩きと講評

18日 いつもの写真グループの「みずほ」例会、講評。

22日~7月2日までカンボジアへ行ってきます。

午前中からでも午後からでも途中からでも、準備を考えると結構一日、時間がかかりますね。



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東京写真月刊

2016年05月31日 | 日常
 今年も「東京写真月刊」の時期がやってきた。

今年の写真月刊の「テーマ」は「人と鉄路」-心をつなぐみちー
 すでに拝見した写真展は
 宇井眞紀子さんの「眠る線路」 新宿コニカミノルタ 6/3日迄
 矢野直美さんの「人あかりの路」 オリンパスギャラリー東京 6/1迄

日本に写真が伝えられてから何年になるだろう。
1837年くらいだった気がする・・・。

「写真の日」はそんな歴史の一ページを「6月1日」と決めて、その前後にさまざまな行事が行われる。
そして、東京写真月刊、大阪写真月刊と続いていく。

毎年、写真家が表彰され、写真活動のすぐれた団体や著名な文化人も表彰される。

来日して写真展を展開する「アジアの写真家たち」は、今年はモンゴルの写真家たちです。

日本写真協会賞を受賞した写真家の写真展は、
5月27日から6月2日まで 富士フィルムフォトサロンで展示。

1000人の写真展は今年から会場が「ヒルトピア アートスクエア」に変わった。
私も皆さんからの参加作品を20枚ほどボードに張り付けたりしながら、準備に追われています。

 
  昨年の1000人展の様子。

「写真の日記念写真展」も今年は日比谷公園内「みどりのプラザ」に変わりました。
間違えないように気を付けないと。 6月17日~23日まで。

その他、詳しいことは東京写真月刊のパンフレットや案内ハガキを参考にしてくださいね。

昨日は新宿ニコンサロンでモンゴルの写真家4名の展示を拝見してきました。
民主化にむかうモンゴルですが、近年、沢山の優秀な写真家が育っていて、写真界で活躍していることを見てきました。
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カンボジア撮影ツアー

2016年05月23日 | カンボジア
 2016年「カンボジア撮影ツアー」の募集がはじまりました。

最初は私がどうしてカンボジアに通い続けているか、写真仲間に知ってもらいたかったのがきっかけでした。
2007年に初めて2人のカメラ仲間を誘ったのが最初・・・。
と言っても安い17$のゲストハウスの泊り、バイクガイドを3人で回ったのが始まりでした。

現在のカンボジアはツアー会社が案内するので、何も心配は無くなったのですが、あれから約10年近く立って、2011年から始まったツアーも、今年で6年目に入った。
正式には2012年からの「撮影ツアー」としては5周年目になり、今年はどんな村の暮らしに出会えるのか参加者の皆さんも期待が膨らんでいる。
今は素敵なレストランで昼食、夕食、暑いので昼食後は約1時間の自由時間。
街を歩いても、HOTELで休んでも良しです。

皆様の参加をお待ちしておりま~す。



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5月の安曇野

2016年05月21日 | 安曇野
 そろそろ田植えがはじまる頃・・・。

余りにもすがすがしい陽気に誘われて、あちこちと田園を歩き回ってしまった。
一年で一番好きな季節かもしれない。

   
 燕岳は有明山に隠れていますが、大天井岳がきれいです。 ズッキーニを植えていた農家の人とひとしきり、話をして・・・。

   
 真っ白なツツジのかげに「子どもを守るみんなの家」の看板。子どもたちは「こんにちは」と挨拶を良くする。

   
 畔の道、ハルシオンのピンクの花。      馬頭観音。

   
 タンポポの道はすっかり花の季節は終わっていた。          土壁の土蔵。 

   
 田んぼは田植えを待つばかりになっている。

  
 田んぼの水は近くの穂高川へ合流してゆく。

 3日間の安曇野歩歩記が終了しました。   
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