足立君江 写真ライフ

ー安曇野・カンボジア撮影記ー

   

プレダク村

2017年03月22日 | カンボジア
 道路をバイクで走っていると、「ジャポ~ン」と呼び止められた。
これで呼び止められたのは2回目だ。
一回は村の小さな市場で、今日はスイカ売りの家族だった。
私が写真を撮って写真集に出した「リンちゃん」のご両親だった。
リンちゃんは2015年に結婚して、女の子が生まれ2歳になる・・・。

 
 


道端でスイカを食べろとわざわざ皮を剝いてくれたので、いただくことにした。
乾いた喉に甘くて甘くて、最高の味だ。
ガイドがそばで、「一切れにしておいた方がいいよ」と言ったが、私は思わず2切れも食べてしまった。
埃になることもあり、そばに浄水器ほどの水があってひねると水が出ていたのがわかった。
村で水の大型ボトルを置くことができると思うと、どんどん改善されてお腹を壊すようなことは無くなっているのか。

うれしかった・・・。

左に行くとリンちゃんの家で、車にスイカが積んであり、小さいのやら大きいのやら、楕円形で不揃いな形だが自分の畑で採れたのだという。
 

右に曲がると一ノ瀬泰造の墓の方になる。
リンちゃんの家によってから右に曲がり、泰造をよく知るナレンさん(69歳)を訪ねることにした。
会えるかどうかとわからなかったが、行ってみると、結婚式に行っているとの事。
もう結婚式は終わり、親戚の人とおしゃべりをしていたところであった。

よく来てくれたと、私のバイクにちょこっと横座りして、私は狭い後ろに両足を広げてまたいで乗ることにして、100メートル先のナレンさんの家まで行くことにした。

結婚式の引き出物のお菓子やちまき、ココナツの入ったもち米の食べ物をいただきながら、泰造の話になった。
25歳のころに、ポルポトによって殺されたという。
モアンさんにあったのは3回目になるが、色々な話が飛び出す。
若いころはフランスの植民地だったから、中学の時にはフランス語を習った。
農家だったから昔からプレダック村に住んでいたが、1973年に村が軍のものになったから(クメールルージュに支配された)、村のはずれの今の場所に移ってきた。
子どもは6人いるが、夫は内戦時代に病気でなくなった。
一番下の子どもが33歳だという。
長男が2歳のころ泰造に抱いてもらったことがあるが、泰造は川のそばに茣蓙を敷いて寝ていた。
周りはまだジャングルで、チョークというオオカミのような野犬がいた。

私も1982年にお母さまが関係者の方々と現地を訪れたことは知っていたし、本や映画も見てきた。
2007年の残されたフィルムによるお母さまの写真展にも拝見してきた。
使用カメラもニコンであったと・・・。
   
 モアンさんの家から1キロあたりを左に曲がり土手の道を行くと泰造の墓がある。

しかし、今は村の人によって建てられたという墓も、観光の収入源になっているかと思うと悔しい気もしてくる。

今はプレダックのはずれまで、「アプサラオーソリティ」によって管理され、暮らしている人のお墓は作れない。
しかし、内戦の時に、ここで亡くなった人の3メートルもの墓塔が立っている。

今生きている人は、全員がお寺の墓地に行くことになっているそうだ。

ここでもそうだったが、カンボジアの人々とお寺との関係は深く、内戦時代から僧侶の関与があり一緒に戦っていたようだ。

聞けば聞くほど、混とんとした戦いの歴史の中で、誰もが実際には誰によって殺されたかはわからなくなる。

1970年以来、ロンノル政権によるクーデター以来、4派が入り乱れて、最終的にはベトナムの「K5プラン」カンボジアの「コープラン」など多くの犠牲者を出した内戦の中で、民間人も病気で亡くなった人も地雷で亡くなった人も、大勢の犠牲者が、すべてポルポトという一人の人物に集約されてきたような気もしてきた。

今回の取材で、お年寄りの多くは農民であったため生き残り、今は戦争がないから元気だと腕を持ち上げて見せる村人に、カンボジアに流れる時代を感じている。



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新たな出会い

2017年03月20日 | カンボジア
 カンボジアの女性たちは、いつも元気だ。
きっと病気をしている間もないのだと思う。

   
 市場は仏教行事に使う花であふれていた。

クロバイリエルのリ・ワンさんの家族に会いに行ったとき、結婚した娘夫婦が帰っていて、5年ぶりの再会になった。

リ・ワンさんの旦那さんとも久しぶりに会うことができた。
リ・ワンさんは赤ちゃんが生まれるそうで、10人目の子どもになる。
自分の子どものほかに娘が働き出た間、ずっと孫の面倒も見て育てている。

私と出会ったときに生まれた子は、14歳で年下の孫と一緒に学校に行くことになり、新しい自転車に乗っていた。
少しづつだけど、確実に前に進んでいることがわかる。
自転車は私が周りの皆さんに寄付をお願いして、50ドルを渡したのだが、55ドルで買えたとお母さんが報告して喜んでくれた。

ロングハウン村では、マイムさんは留守でお寺に行っていた。
ご主人のチョームさんは、一時期体調をくずしていたが、元気になって喜んで出迎えてくれた。
やがて娘さんも孫たちも集まり、マイムさんも帰ってきた。
チョームさんは内戦時代どのように生きてきたかを聞いてみた・・・。
私も長いこと家に伺いながら、そんな話は一度も聞いてなかったので、チョームさんの口からはほとばしるように様々な話が飛び出した。
農民であったために遠くの村まで生かされた。
一つの田んぼが終わると、次の田んぼへ集団で移動した話や、民家に逃げ込んだポルポトの民兵をベトナム兵が探して殺しあいが続いた。
マイムさん家族や村の人たちは、戦いが終わるまで防空壕のような洞穴に隠れていたそうです。
 
   
行く先々で、お年寄りに出会い、たくさんの話を聞き、写真も撮らせていただいた。
3月は特に法事や多く、結婚式もあちこちで行われている。
大音響の音楽が村中に流れていて、「あれは何?」葬式だ・・・結婚式だ・・・と言っているが、どうも音楽がちがうらしい・・・。
村での戒律の日の行事は、仏教とヒンドウ教が混ざっていて、両方の信じられることを心の糧にしているようだ。

   
 お祝いをしたあと、車が満員でドアが閉まらなく空いたままで走っていった。 危ない危ない。
 しかし、60歳代の女性はバイクに乗るし、バイクの後ろに横座りが上手いです。

97歳のお婆ちゃんに会った時、そのお婆ちゃんのこれからの健康を願い、60歳以上のお年寄りは、あやかって長生きができるように集まってきていた。
ミエイッチさんと言って、二人の娘が病気になったが、今は玄孫(やしゃご)までいるという。
ご主人は軍人だったので52歳で亡くなったそうです。
「昔のことはところどころ覚えているが・・・」と口ごもる。色んなことがあったのでしょう。
ポルポト時代が終わってから、ここに暮らしていると言っていた。

何事も自然の植物を活かして健康を維持しているようだ。
私たちのように何かあるとすぐ薬に頼ってしまうが、本来人間は薬などなかった時代を生きてきたはず・・・。
カンボジアのお年寄りは、ムルウという葉と石灰の粉をよく使う。
スラーの実も健康には必要な実だという・・・。
沢山の木の実と、薬草を使って無農薬の果物や野菜を食べて生きられる幸せを羨ましいと思った。

また、お会いしたいことを告げて、帰路についた。
帰りの夕日が大きく真っ赤であった。
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踊りの練習場のある村

2017年03月17日 | 日常
 コントローク村は今でも懐かしく思い出す出来事がある。

   
 街の市場から品物を買ってきて、村で売る。 村の市場で野菜を売っていた、笑顔が素敵!

この村は伝統舞踊の練習場のある村で、今回も撮影ツアーの予約も兼ねながら立ち寄ることにした。
ご主人のオンナルットさんの話によると、156所帯くらいの村で、ほとんどが農家でメイン道路の奥には田んぼが広がっている。
村の中心に小さな市場があって、私はそこに一時間ほど立ち止まって、行き来する人たちの撮影をする。
奥さんのバンチョンさんは踊り子であったが、父親は理由もなく連れていかれて殺された話を良くしてくれた。
伝統舞踊「アプサラ」も1000年もの歴史があって、遺跡のレリーフにも彫られているように、古代の王様の時代に、様々な行事の中で踊り子がその重要な役割を果たしていたのだと思う。
アンコールワット王朝の衰退とともに、一旦は衰退したものの17世紀には再び復活してきた。
その時期に多くの踊り子はタイ国へ渡ったと言われ、同じような踊りがタイでも行われている。
バンチョンさんはタイのアプサラはテンポが非常に早く、カンボジアは発祥の地であり、テンポはゆっくりで優雅であると自負していた。

オンナルットさんは末の息子と庭に車を隠すシートを張っていた。
こう暑くては、中まで火のようになってしまう・・・。
一番の踊り手である娘のソピア・タラちゃんが、今月、13、14日に結婚式だと喜んでいた。
出席したかったが、その頃は日本で仕事が待っている。

2004年ごろ、コントローク村の道路は2メートルの泥道であったが、今は5メートル幅の道になっている。
狭かった道端で4,5歳の子どもたちが、ネズミの子(全長7センチほど)を一匹づつ手にぶら下げて、遊んでいた。
最初の写真集「カンボジア はらたく子どもたち」の中の一ページとなった。

現在は開発が進み、ワッチョー寺というきれいな寺があり、雨に降られたときは雨宿りをした。
僧侶の一番偉い人に挨拶をするのだが、床に膝まづいて頭の上で手を合わせ、床に手をついて礼をすることを3回繰り返して、2000リエルのお金を奉納する。いくらでもよいのだが礼儀のようです。
13歳の坊さんや賄の女性や奉公に来た人たちと話をしたことがあった。

その前に建て替え中の学校があったが、今はきれいな校舎に仕上がっている。

舗装されていない道路はマスクとカメラを覆う簡単なコンビニの袋がないと大変なことになる。

韓国の援助で電信柱は立っているが、各家庭には一部しか電気は引かれていない。
お父さんたちはちょっとした電力はバッテリーで動かしていることがある。

土埃の道をコントローク村からサボイ地区に入り、さらにクロバイリエルの家族に会い、ブレークロングハウン村へと続けていってきた。
ここも、いつも行く家であり、いつも行く村だが、紹介していただきながら、お年寄りから沢山の面白い話を聞くことができた。
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カンボジアの3月

2017年03月15日 | カンボジア
 カンボジアの3月は乾季の最中、温度は連日33度の暑さ。

シェムリアップは観光の街で、世界遺産の遺跡群が多く点在し観光客は多いのはわかっているものの、空港に着くと驚いたのは、中国、韓国からの団体客でごった返し、なかなか前に進むことができない。

遺跡の本当の魅力は、観光客がほとんど来なく村の中にある小さな寺院ではないだろうか。
これらはほとんどが樹木が絡みついて、崩壊寸前のものが多く、やがて忘れ去られる運命にあるのではと思う。

今回の目的は、今までの視点を変えて、元気なお年寄りとの交流にあった。
今までは、多くの子どもたちに会い、子どもたちの境遇を知り、母たちの気持ちに寄り添い、そのことでカンボジアの歴史や、人々の生活を伝えることであった。
バイクで村を回りながら、お年寄りの数がだんだん少なくなり、今どんな気持ちで歴史と生活に向き合っているのか興味があった。
今しかできないことかもしれないと思ったのです。
村に入ると、最高齢のお年寄りや、ポルポト時代を経験して語れる人がたった一人しか残っていない村もあった。

  只、生きてきた・・・。

仏教が93%というカンボジアで、お年寄りの人たちは60歳を過ぎるとお寺に通うようになる。
プレダック村のヤシ砂糖を作るヨームさんの両親に会った時、「今までさんざん悪いことをしてきたので、天国に行くために」と2人の僧侶を呼び寄せて、お祓いをしてもらっていたことがあった。
今、考えるとお年寄りがお寺に奉公して「死ぬときに自分の魂がくるくると迷わないように」ということが納得できる気がする。
アメリカの後押しによるロンノルの軍事クーデター、ポルポト時代から、その後のベトナム軍の「Kプラン」と言われる作戦のなかで、奔走され続けてきたカンボジアの人々であった。
誰でも、その渦中にいる可能性もあるなか、いまだに誰も赤裸々に語る人はいない。

昨年、村一番のお年寄りに会った。
「ポルポト時代のことは忘れられない」といった。
私は「忘れられないことは、どんなことですか?・・・」
と聞いてみた。
その人はしばらく考えて
「・・・忘れた・・・。」といった。

生きていくために、とてつもない多くの障害を乗り越えてきたことを想像できるような一言であった。

街は変化を遂げ、多少村の様子も変わる中で、今しか聞けないことがあるかもしれない。

さあ、明日から土埃の道をバイクで走り回ろう。
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もう3月

2017年03月01日 | 日常
 月日の経つのは早いですね。

2月には街歩きは、新宿御苑、靖国神社、有楽町と別々のメンバーで撮影。

久しぶりの靖国神社も面白かった・・・。
なぜか、ある団体が国旗をかかげて、神社にお参りするところで、一般の参拝者もびっくりです。
30名ほどいたでしょうか、カーキ色の上下の服に群靴を履いて、闊歩していました。

有楽町は先日の写真を見る会では、女性教室でしたが、皆さん「おもしろい、おもしろい」と感激していました。
さて、どんな被写体にであったのでしょうか・・・。
ようするに街を歩けば、さまざまな出会いがあるということです。

先日、暖かくなったので久しぶりに川沿いを歩きました。
夏みかんが鈴なりで、ほっとしました。
   

それから、カンボジア撮影ツアーもPITの佐々木さんと打ち合わせが終わり、今年も11月に催行をします。
チラシが出来ましたら、掲載したいと思います。

常日頃、ご無沙汰続きの皆様、申し訳ありません。

明日からカンボジアです。

帰ったら更新しますね。
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一足早い春

2017年02月07日 | 日常
 2月のブログを下書きのまま更新するのを忘れていました。

今月のフォトクラブの撮影会は何年振りかで「新宿御苑」へと足を運ぶ。

「早春」をテーマに、3枚組の組み写真を作ることを目指して写真を撮ることにした。
今回は風邪で休みの人や仕事が入った人がいて、参加者は少なく8名となった。
当日の天気は最高で、日差しが強くコントラストも付きやすいので、露出に注意しながら春を探す。
みんなが知っている新宿御苑、しかし、いつもと同じ撮り方ではなくて、地面を狙ってみよう。
そんなテーマを決めながらの撮影会となった。

公園の中に入ると、カンザクラが満開で、梅が面白い影を作っていた。
大きなカメラを持ったカメラマンが沢山いて、みんな桜の花を目がけて上の方を狙っている。
できれば木の根や、メジロや影を狙っても面白いかも・・・。
しかし、「花の人気はとどまるところを知らず」という感じです。

   
 いつもは枝垂れサクラが咲く場所に水仙が早々と満開でした。

   
 梅は木の枝が面白く、ごつごつとした感じが地面に面白い影を作っている。

   
 のんびりとした日だまりの光景です。

さて、私も3枚の組み写真を作らねば・・・。 
こんな感じにしてみましたが、撮り足りないですね。みんなはどうしたでしょう。次回が楽しみです。
 



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あれこれ

2017年02月02日 | 日常
 1月はインフルエンザ香港A型にかかり、なんとなく出足が鈍ってとうとう2月になってしまった。

毎度のことながら「時間を無駄にしている」と反省・・・。
今年はどうにかして写真展をしたいと、2Lの写真を並べて検討すること暫し・・・。

コンセプトにそって、横写真を40枚、盾を40枚選ぶことができた。
ここから、更に同じ内容のものは避けなければならない。
そういう写真も離して展示することで、思いを伝えることができるかもしれない。
更にどんな写真が無駄かを考え、出したりひっこめたりしながら50点を揃えて申し込みをしたい。
毎日、写真をひろげてあれこれ研究していると、最初に選んだ写真とまた違ってくる。
何度かそんなことを繰り返して、また点検する。

1点豪華な素晴らしい写真よりも、どちらかというと被写体が横にはみ出ていても伝わる写真にしたい。見たこともない写真を並べていきたくなる。
前回、子どもたちを中心に何回か写真展をした。
今度は同じタッチで同じような写真展では、また同じことをしていると皆さんがあきれることでしょう。
ではどうするか。

先日、写真教室の講師が集う会議があった。
その中で、先輩の先生方から様々な意見が出た。
「だれでも自分が撮ってきた写真はどうなんだろうか?」という評価を求めている。
「つまらないのか面白いのか。撮った写真のどこがいいのか。どこがいけないのか」
「しゃしんの読み解き方」が出来ていないのでは・・・。

私自身も人の写真は、そこを訓練しなければならない。
今度は自分自身の写真展なので、コンセプトに沿った展示をしなければなるまい・・・。

そういう意味で、写真の見せ方をあれこれ・・・。
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浅草寺へ

2017年01月21日 | 日常
 「フォトクラブみずほ」の、新春街歩き撮影会は今年も浅草へ。

浅草寺、観音堂は関東大震災の時に多くの人が逃げ込んだ場所でもあったし、川のそばの墨田公園も避難した人であふれたらしい。
あの辺一帯はすべて焼けて仲見世通りも焼け方は激しかったらしいが、戦後72年を経て、2017年の新春の混雑はすごいものだ。
私たちは仲見世の裏通りを歩いたが、赤いコンクリートの建物で造られていて、防火も完備された消火栓が整っていた。

   
 その後の戦災の時に、焼けたご神木の銀杏の木は、今でも割れた幹の上部に焦げた跡を残し、歴史の事実を物語っている。
銀杏の木の下に、人々が輪になって座っている姿をみると、そんな事は気付かないだろうと思う。
歴史の流れと、いくつもの偶然が重なり、守ってきた人々の心も繋がってきているのだろう。

混雑のすごさには、毎年驚かされるが、人が多いということは出会いが多いし、面白い光景にもぶつかる。
   
 公会堂の前でみんなと待ち合わせ、その周りをウロウロしていると、芝居を終えたファンの役者を待つ「出待ち」の少女に出会った。
 以前、写真が好きでカメラも持っているとの事。「土門拳さんが好きです」と話してくれた。
  
 温かそうな帽子をがぶった子どもたちとすれ違う。 
 
中心部から少し離れた路地裏の光景もおもしろい・・・。
古い建物の間をぬうように入っていくと、昔懐かしい街並みの間を着物を着た女性たちが通っていく。

   
 ふとみると振袖の下に、一眼レフを下げているカメ女の姿もちらほら・・・。夕方近く。

この賑わいは、これから行われる三社祭りやほうずき市にもつながっていくことだろう。
被写体としてはそれもいいが、もう一歩前に進んで、普段撮っていない方向へ足を延ばすことをお勧めしたい。

   
 建物の1メートル程の隙間に飛び込んできた観覧車と飛行機、偶然の一枚。   馬券売り場近く。2016年撮影。

案外珍しい光景に出会えるかもしれません。
撮り方も変えて、思い切り下から狙ってみたり、ビルの上から覗いてみたらどうだろうか・・・。

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写真展巡り、そして新年会

2017年01月06日 | 日常
 銀座EIZOガレリアの写真展、JPS写真家5人展に行ってきた。
同じカメラ「SIGMA」を使って、5人の写真家がテーマを決めて撮っている。
そう思ってみると、なかなか面白いし見ごたえがある。
 
   山口さんと。
 
それから久しぶりにコニカミノルタへ。

そのまま、(公)写真家協会、写真協会へ挨拶、新年会へ参加。
2017年が始動した。

明日は担当するフォトクラブの「街歩き」、新春の浅草界隈の撮影会。
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大吉が出た

2017年01月06日 | 日常
 いつものように古いお札をもって近くの白山神社へ初詣する。
行列に少し並んだけど、いつものように神妙に昨年のお礼を言ってから、娘たちを含めて家族全員の無事をお祈りした。

   
なんとなく「おみくじ」を引いたところ、なんと「大吉」がでた。

よく見ると、ふ~んなるほどねと納得したが、一か所だけ妙に引っかかったところがあった。
「心中常に不満を持っている人である」 へ~!自分でも言われなければわからない。
確かにそういうところもある。

今年はなるべく不満を言わないことにした。
周りに迷惑だから・・・。

そして、もうひとつ決意した。
人生もここまできたら、あとは突っ走っていく以外にない。

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2017年は

2017年01月03日 | 日常
 新年明けましておめでとうございます。

 
    カンボジアの伝統舞踊アプサラと共に、民衆の間に伝えられた「魚取り」の踊り。

正月は、普段別々に暮らす家族が集まるので、3日も経つと汚れてくる。掃除をさらっと済ませて料理を並べて・・・。
お年玉も用意しなければならないし、この頃は1万円を小学生の孫が狙っているし・・・。

それより、みんな元気でいるこの時が幸せであるとつくづく思わされる。
そんな時にこともあろうに、一緒に暮らして亡くなったお婆ちゃんを思い出したり、カンボジアの孤児院や村の子どもたちのことをふっと思ったりしている。

今年はどんな年にしていこうか。
流されるのは止めよう。ひとりでも多くの人と知り合い何かを得ていきたいと願っている。
フォトクラブでは組み写真に挑戦していくし、女性教室では継続の人もいるので、熱意に答えられるように写真展も企画している。

3月にはぶらりと乾季のカンボジア取材の予定で、テーマを決めているので、もっと突っ込んだ撮影をしていきたい。

6月には「ラオス撮影ツアー」を個人企画ですが8名程度で予定している。
もちろん添乗員はピ-スインツアーの佐々木さんです。
アンコール小児病院をカンボジア人の手に渡し、今度ラオスに子ども病院を作ったのは、NPO法人、フレンズウイズアウト・ア・ボーダーという団体。
アメリカ在住の写真家、井津建郎さんが中心ですが、カンボジアの取材時には赤尾和美さんにお世話になった。
今 思い起こせばあの頃に何冊もの本を読んで、一番勉強した気がする。
あのややこしいクメール語以外は、村の中に入って話を聞いて、あまりしゃべりたがらない人は過去に何かを抱えていると理解した。
しかし、カンボジアもすでにポルポト時代からその後の内戦時代を経て43年の歳月が流れた。
今は若い人が活躍する時代になり、さらに発展していくだろう。

一時代を見てきた気がしていて、私の写真家としての原点がここにある気がしている。と言うよりきっかけになった。

これから何をするかといえば、写真展、写真集でカンボジアの変化してきた今を伝えていきたいと願っている。
そして、いまだに続く陰に隠れて見逃しそうな恵まれない人々の暮らしにも、子どもや働き者の女性たちに焦点を当てながら伝えていきたい。

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大晦日に

2016年12月31日 | 日常
 大掃除をして、大洗濯をして、お花を活けて、ある程度の料理を作ってホット一息・・・。

ブログを見てくださった皆様、改めてありがとうございました。
私にとって2016年も風のように通り過ぎ、あっという間に終わりました。

フォトクラブの街歩き撮影会も公開講座として、若い会員も増えて益々楽しくなりました。
女性だけの写真教室も月に2回で撮影講評と続いています。

4月に群馬県の高校の創立記念日に講演をしてきました。
高校生と保護者会の皆様、校長先生にいい時間をいただきました。

また6月に雨期のカンボジアを集中的に訪れ、11月の「村を巡る撮影ツアー」は5周年を無事に終了。
参加された皆さんが写真で「カンボジアの村」を伝えることができたか、いやこれからできるかです。
中身の濃い何かをつかんでいただけたらいいなと思います。

夏はかなり忙しかったのですが、これもお世話になった皆さんに感謝でした。

12月に行われた「平成28年度 JPS(公)日本写真家協会会員相互祝賀会」では、「日本写真家協会賞」「名取洋之助写真賞」の表彰式が行われました。
写真家協会賞の印書館の高柳さんは、私の写真集「カンボジア子どもたちの肖像」に携わっていただき、お世話になった方でした。
大抽選会ではラッキーなことに「アサヒカメラ」一年分が当たりました。
1月号が発売と同時に送られてきて、ありがたいことに勉強しなさいと言われているような気がして、隅々まで拝見しています。
賛助会員の写真関係の会社もかなり、たくさんの商品を提供していただいたようで、多種多様の抽選会でした。

これから健康でいられる限り人生に悔いが残らないように、頑張ろうかと改めて決意したところです。

来年はどんな年にしていこうかと考える前に、次々と予定が詰まってきています。

3月には個人でカンボジア取材。
6月はラオス撮影ツアー、その前に個展の準備を進めています。

ではよいお年をお迎えくださいませ。
来年もよろしくお願いいたします。
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雪空の安曇野

2016年12月31日 | 安曇野
 雪が降ることを期待しての安曇野だったが、大雪渓の酒造会社を訪ねて、大町方面まで足を延ばした。

   
 結構大きな酒造会社で、池田町にある。年末と会ってお客も多かったのですが、快く居間へお邪魔して写真を撮らせていただいた。

   
 大町の山沿いは少し降ったらしい雪が模様を作っている。日を置かず真っ白な銀世界になるだろう。

   
 里では収穫されない柿、いや収穫が終わっている柿畑とリンゴ畑。陽に輝いて美味しそうだ・・・。
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石造百体仏像

2016年12月31日 | 安曇野
 12月の安曇野。池田町から大峰山の方向へ車を走らせ、石造百体仏像を見つけに行った。

今回使ったカメラは、「オリンパス OM-D EM1」普段はニコンが中心ですが、手に入れたので時々使っている。
印象としてはAFでかなりシャッタースピートが早い。
12月22日に発売になった新製品、「MarkⅡ」はもっと早いらしい・・・。

それはさておき
百体仏像の住所は「池田町広津北足沼」とあったが、かなり山奥に入って大きな空き家があり、ようやく小さい看板が目についた。
   

す~と通り越しそうなところだが、そこから更に100メートルほど山道を下っていった。
   
 険しい細い道で風倒木があり、誰も入ってこない気がする場所を下っていく。

  モノクロで撮影してみた。

そこは弘法大師の四国八十八か所霊場の代拝碑であった。
弘法大師像や六地蔵、坂東秩父霊場碑など全部で101基が一か所に集められ、ほとんどが砂岩で作られていて風化により傷みがひどく製造年が確認できない。

それにしても誰が・・・。
近隣のかなり広範囲の村々の村民が、山の中で暮らしながら遠くまで行くことができないので仏像を作ったに違いない・・・。
途中で一基だが名前が入った仏像があった。 「北山村 遠藤儀左衛門 寛政…年」とかすかに見えた。

高度は50メートルくらいだったが、かなりの道のりで動物らしい糞も見つけたて、心が穏やかでない場所。




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雨も楽し

2016年12月22日 | 日常
 女性教室の撮影は、今月は「横浜港の見える丘公園」へ。

師走の中華街元町からアメリカ橋公園を通り、上に上がると外人墓地や教会のある洋風の建物が続く。
「港の見える丘公園」まで行くと、曇り空でどんよりしていた天気もついにポチポチと落ちてきた。
霞むレインボーブリッジを撮りながら、ホテルのレストランで夕食・・・。

 

   

雪だと良かったけれど、そう上手くはいかない。
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