思いつき日記

忘れたくない出来事を思い出に残せるように書きます

久松連山トレイル

2017-05-15 10:35:53 | 日記
久松山を主として、いくつかの山が連なっています。この度、その2/3にあたる部分の山々をトレイルする機会がありました。先導してくださる方の知識の多さで、山歩きと共に鳥取の歴史を深める場ともなりました。
地図上のオレンジ色を歩いてきました。

過去の地図では、


トレイルの始まりは、山の手通りの西の端(丸山)の藪からでした。ここから山の稜線を歩き、平和塔を目指します。現在は平和塔のある山一帯を雁金山と言っていますが、実は、雁金山(愛宕山)・天徳寺山1・天徳寺山2から成り立ち、平和塔のある山を天徳寺山1と教えていただきました。

そこから久松山に続く山の中には、鳥取大火の名残で木の根元が炭に変化した箇所を教えていただきました。

古代は円護寺が町の中心で、その背後にある山に亡くなられた方が葬られていたので、このあたりには古墳が散在しているそうです。

この写真の説明、小高い場所に3個の古墳があります。

ようやく久松山に入っていきます。登山道はありませんが、ルートには細かい間隔でリボンでしるしがありました。
途中に、昭和の時代にあった山頂へのロープウェイの支柱を通ります。



頂上ほど近い場所で、石垣に使われた石の切り出し場所(石切り場)もありました。 
昔は、石を切るのに楔を使っていて、その跡も残っていました。
山頂には、北側から登ってきました。
ここまで歩いてきた道のりの確認です。写真中央の連山の始まりから登り始めました。

山上ノ丸を西側から見たところです。石垣のつくりから、山上ノ丸は石垣が2つ組み合わせれて作られたと考えられるようです。

また、山上に戦時中に作られた防空壕がありました。
本陣山に向かいます。途中にもいろいろと史跡があります。十神砦、炭焼き釜の跡
山全体が、戦いのための仕様となっています。いたるところに陣城があり、豊臣秀長の陣もありました。
そこには、石棺も残されていました。
今回は、太閤ヶ平もくまなく見て回りました。信長がこの地に来るかもしれないので、秀吉がしっかりとした陣城を作ったそうです。太閤ヶ平の下には、現代の遺物の炭焼き釜の跡も見ました。
これは昭和19年頃まで使っていたそうです。昔の武士のように太閤ヶ平を下まで下っていき、舗装道路へ。
帰りは、今まで通った事のない栗谷へ降りる道を歩きました。
左に少し見える道が、栗谷町へつながる道です。またこの道は、福部の栗谷につながった道でもあるそうです。鳥取大火の時は、この道を通り避難する人が、途中で焼け死んだといわれています。

全行程6時間のトレイルでした。久松連山の歴史の多さにびっくりしました。古代の古墳もあり、戦国時代に作られた土塁・土塀・土橋があちらこちらに存在し、戦術に使われ、空想が拡がります。
今回の山々の続きに源太夫山があり、立川町の稲荷神社につながります。いつか行ってみたい山歩きです。
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