BROOCH ブローチ

   ちいさな ことばを  そっと  むねに かざる

しあわせのバケツ

2012-02-20 | Education

「しあわせのバケツ Have You Filled a Bucket Today? 」 キャロル・マックラウド作 デヴィッド・メンシング絵(TOブックス)

3年前に心のなかの幸福のバケツという本について書きましたが、その本の内容を子ども向けにした絵本です。帯には「アメリカでお母さんが選ぶ絵本対象 第一位! ほか、世界で9つの賞を受賞!」とあります。

小さい子にも分かる言葉で書いてあるので、併記されている英語がシンプルでわかりやすいです。うーん、そのわりに、日本語訳が大人向けのように感じます。読みがながふってあるけれど、漢字を多用していて、言い回しも子どもの語彙ではないです。「彼らは」なんて、子どもは言わないです。おとなが読んで、この絵本の内容を語って聞かせるようなイメージでしょうか。

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さくら証書

2012-02-19 | Education

1月の終わりにインフルエンザA型に罹患して1週間寝込みました。それ以来、体調管理不足の自分を反省し、健康で過ごせるように体力づくりにはげんでいます。

熱が高いときは、本を読むことも何かを考えることもつらくてできず、悪寒とふしぶしの痛さで眠れず、苦しみながら時間が過ぎていくのを待つばかり。

そんな時のおともは、ラジオです。今回は深夜まで苦しくて眠れなかったので、「ラジオ深夜便」を聞いてしのぎました。そこで流れていた曲が断片的に記憶に残っていました。卒業に関する曲で、すてきなメロディー。もうろうとしていたので、歌詞の内容も題名も覚えていなかったのですが、さびの部分にある「卒業式まであと5分」というところだけ覚えていました。

 

元気になって、やっとその曲を確かめました。

「さくら証書」 作詞・作曲:八神純子、大江千里 歌:八神純子

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生まれてくるとき 子どもたちはみな

父と母を選ぶのだと いつか教えられた

それが本当なら わたしたちのこと 

選んで生まれてきてくれたことに “ ありがとう。”

桜並木の下から あなたはわたしに手を振り

短すぎる制服の袖を笑う

そんなほほえみを見失わないように生きて

あながたあなたで居るために 戦うこともあるでしょう

卒業式まであと残り5分

おじいちゃんと記念写真

どこか似てる二人

体育館へのスミレの坂道

夢中でボール追いかけた その背中はもうない

そんな小さな奇跡の連続こそが幸せと

過ぎ去った今になってわかる

時に母として 時にはひとりの友として

傷つける言葉を 投げつけたこともある

あなたがいつしか 父親になってゆく時に

すべてが愛だったと わかる日がやがて来る

卒業証書を手にしたあなたに

桜の花びらが舞って わたしの春になった

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巣立つ息子を見送る母のうたでした。親が子どものはなむけに贈る曲としていいのではないかしらと思ったのですが、母と息子に限定してしまっているので、卒業関連の会で歌うのは難しそうです。でも、八神純子さんのすきとおるような声がとてもすてきな曲です。

卒業式まであと約1ヶ月。

今年の6年生を送る会で歌う曲は「この星にうまれて」です。毎朝3年生のこどもたちと歌っていますが、思い出深い曲の一つです。卒業のシーズンは、忘れられない音楽も思い出すときです。

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一枚文集

2012-02-05 | Education

私の国語教師としてのスタートは生活作文である子どもたちの日記を読み、赤ペンで返事を書き、それを毎日一枚文集にして発行するという営みでした。尊敬する先生のうしろ姿を追ってはじめたものでしたが、書くことはいつも学級の中心にありました。

でも、時代が変わり、子どもの赤裸々な文章をのせることが難しくなってきたことや、自己対象化する作文よりも、事実の客観認識に重点を置いた情報作文の指導が求められるようになってきたことや、そして何よりも、学年で歩調を合わせていくためにはあるクラスだけ特別なことはできない学校運営上の制約というものがあり、実施することができなくなってしまいました。

 

でも、今年出会った3年生の子どもたちと一緒にすごすのが、来週の月曜日からあと34日なのだとぼんやり考えていたとき、「学級の人数と同じ日数だな。一人ずつの手書きの題名をはって、一枚文集を34枚書こう。」と、なぜか思い立ちました。

 

子どもたちと相談して題名も決めました。

「きぼうときずな」

なんだか3年生の子どもたちのすがたと言葉が、ちょっとアンバランスのように思えたのですが、子どもたちが書いた34枚の題名をならべてみていると、しだいにしっくりとなじんできました。「き」つながりがいいですね。「き」にいってます。

 

昨日の研究会で講師の田近旬一先生から『「再」の教育』というお話をうかがいました。

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事実をとらえるとは、何が本当の事実か、感情を交えずに、ほんとうの事実を追究する。自分の感情を入れ込んでいないか、自分の主観の枠の中にはめ込んでいないか、それがほんとうの事実か、対象を自己化していないかを見ている事実の上に問うていく。

更に、書きながら、それでほんとうのことが書けているかを絶えず問う。見えている事実=可視的な、認知可能な現実態としての事実を問い直しつつ、ほんとうの事実、自己の外に存在する(はずの)、他者としてのほんとうの事実を追究する。

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書くことによって自分を問いなおすこと

一枚文集を書くことは、私自身も問いなおすことになると思います。

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花もて語れ

2012-01-28 | Education

『花もて語れ』片山ユキヲ作〈朗読協力・朗読原案 東百道〉(小学館) ビッグ スピリッツ コミックス スペシャル

 

朗読をテーマにしたマンガがあると知り、探しに探してやっと一巻だけ見つけて読みました。主人公はハナちゃんというひっこみ思案な女の子です。小学1年生の学芸会でナレーション役を経験したことが唯一の成功体験。おとなになって会社で特技は「朗読」と言ってしまったことから、宮沢賢治の『やまなし』を朗読することになります。文学教育や宮沢賢治文学教育などを研究なさっている方には、様々な異論があるとは思いますが、『やまなし』の世界のおもしろさも楽しみつつ、朗読の力について考えさせられる構成になっています。

 

学校では、音読を大事にしています。声に出して読むことによって、自分の声を耳で聞いて理解の助けになりますし、聞いている人にわかりやすく読むためにはどう読むかと考えると、内容を理解することが不可欠になります。音読の宿題を繰り返すうちに、教科書の本文を暗唱してしまう子どもも少なくありません。でも、なんか「国語=音読」という図式ができあがっていて、「音読体験=嫌いな国語体験」という若い先生の国語嫌いの体験談を聞くことがありますので、やみくもに音読すればよいというわけではないとも思います。

私自身は、難解な文章を読むときに音読することがよくあります。この頃挑戦している哲学の本は、何度音読してもわかりませんが。。。。。。。 

朗読は音読のずっと先にあり、声に出して読めばよいというものではありません。私のまわりにも、朗読会を開いている方がいらっしゃいますが、作品の深い解釈があるからこそ、聞き手にその「声」は「音」ではなく「物語の世界」として届いているのだと思います。 

このマンガは、理屈抜きでおもしろいです。そして、6年生の物語教材『やまなし』についてや、朗読について興味のある方は、さらに別のおもしろさが味わえると思います。いろいろなメディアでとりあげられたからでしょうか。品薄で2巻・3巻が手に入らないのが困りものです。3月には4巻も出るそうなので、のんびり待とうと思います。

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3年目の梅の花

2012-01-09 | Education

今年も梅の木の盆栽が花をつけました。

一年のほとんどを庭の片隅ですごし、まったく手入れもされず、気にもかけられずにいますが、年の瀬になると小さな小さなつぼみをつけます。昨年からのびた枝のぶんだけ少し青く、その枝についた小さなふくらみははじめはつぼみなのかどうかもわかりません。

12月の終わり、仕事が一段落してはたと思い出し、

「1年間ずっと忘れてたのに、まあ、なんと今年もちゃんとつぼみをつけて、えらい、えらい。」

陽当たりのよい窓辺におきます。小さなつぼみは、ほんとうに確かに、朝見るときより昼にはふくらみ、昼見るときより夕方に大きくなります。

1月7日の朝、今年初めての花が3つ、そっと咲いていました。そして、今日は花が15になりました。

この梅がわがやではじめて花をつけたのは2009年1月でした。

あれから3年。ずいぶん成長しました。

こうして、長い時間軸で見ていくことの大切さ、花から教えられます。

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舟を編む

2012-01-07 | Education

2012年はじめに読む本は決めていました。

『舟を編む』三浦しをん著(光文社)

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「辞書は、言葉の海を渡る舟だ。」

魂の根幹を吐露する思いで、荒木は告げた。「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」

「海を渡るにふさわしい舟を編む」

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私は、書店をのぞくのが一番の楽しみですが、本を選ぶ指針になっている友人がいます。この方のブックレビューを読んで、ハードカバーの本だけど、買って読もう、と決めていました。ふだんの通勤読書用は、文庫本。どんな時でもすぐ物語の中に入っていける読後感のよいものと決めています。あまりおもしろい本だと、早く続きが読みたくなって、やらなくてはならないことを後回しにして読んでしまうから、そういう本は大事にとっておきます。

昨年の末に、私が少しだけお手伝いした子ども向けの辞書が刊行されました。

言葉のひとつひとつに向き合うきびしさとおもしろさと、つらさと豊かさを、ささやかながら感じていたので、そのときの自分と重ねて読みました。

そんな昨夜、ある研究会で小学生に類語辞典を使って、卒業する6年生ひとりひとりに言葉を贈るという実践をした方からお話をうかがったところでした。辞書や辞典のおもしろさを小学生でも味わう工夫のヒントをいただいて、さらにこの本を思い出していました。

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謹賀新年

2012-01-05 | Education

明けましておめでとうございます。

 

近くの学校のマラソン大会の名残がランニングコースに残っていました。

2011年のゴールがあって、2012年がスタート

今年は希望の年にしたいです。そんな気持ちにぴったりの言葉、山田ズーニーさんのひとつ

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私には希望がある。

2011年は、
希望というよりかは、
「明らめ」の年だった。

(中略)

2011年の終わり、私には希望がある。

ふと、一年をふりかえると、
ふと、胸に手をあてると、

まるで金星のように、
小さくても、温かい、本物の光を放つ希望がある。

次々と明らめてきた一年のさいごに、なぜか、

ただひとつ、確かな希望が胸に輝いていた。

それをおもうだけで、
体中のすみずみからじわじわと
生きる力が湧いてくる。

未来が信じられる。

(中略) 

日々の中で、あなたが自分の想いを言葉にすること、
小さくても勇気ある自分の表現をすること、
そこに希望がある。

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更新もままならないブログですが、時々「読んでますよ」とメッセージをくださるみなさん、ありがとうございます。まずは、自分の想いを言葉にすること、小さくても勇気ある自分の表現をすることができるようにしたいと思います。

本年もよろしくお願いします。

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走ることで自分自身と対話を重ねていく

2011-12-28 | Education

村上春樹さんが初めてCMナレーションを執筆したことがニュースで紹介されていました。その映像は1月2日・3日に放映される箱根駅伝中継の間でしか放送されないそうです。4話からなるこのCMの内容が紹介されているのを見つけました。

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第1話/すっかり日も暮れたグラウンド。ナイター照明を背に走り続ける陸上部の若者達。ただ淡々と、しかし必死に自分達を追い込む彼らの姿を追いました。機械のように正確に動き続ける筋肉。何周しようとも、一糸乱れない集団。走ることで、自分自身と対話を重ねていく彼らの真剣さ、ひたむきさが表れています。



第2話/ピストルの音と共にレーンを走り出す子供達。声援を送る家族や先生。そんな幼稚園の運動会を撮影し、見守られながら懸命に走る子供達の姿を見つめました。そこには、この日に向けた子供達の練習の成果や、成長を優しく見守り続けてきた家族の思いが表現されています。

第3話/フルマラソン、42.195キロのゴールシーンだけを映像として積み重ねていきました。ゴールした喜び。噴き出す身体の痛み。走りきった達成感。一人一人のゴールのドラマを見つめます。ゴールは、長いフルマラソンの中の僅か数秒。しかし、その瞬間には、ランナーの42.195キロのドラマが、そして、ランナーの人生の断片が映し出されています。

第4話/いつものように母親が作る朝食を食べ、ランニングに出かける高校生の男の子のある日の朝の光景をドラマにしました。ランニングの途中、神社でお参りをし、ふと砂浜で海を見つめる。“走る”ということの中に込められた、新しい世界、新しい未来への願いを表現しました。

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私の周りで、日常的に走っている人が増えています。かつて、毎年元旦マラソンというものに参加していました。家族全員で走って、おしるこを食べ、温泉に行って、1月1日をすごす、それが我が家の恒例でした。

でも、数年前に郷里の村おこし行事であったマラソン大会が幕を閉じてしまってから、すっかり走ることのなくなった自分。うーん、これではいけない!!

そこで、今日は久しぶりに走りにいきました。。。。。。。つかれました。。。。。。。。

自分自身と対話を重ねる余裕はまったくありませんでした。。。。。。。。。。。でも、このCM見るまでは続けてみようと思います。

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これでいいのだ

2011-12-12 | Education

上善水の如し。お酒の名前として有名ですが、もとはといえば老子のことばです。「老子」に書かれているのは、ひとことでいえば「無為自然」。大いなる自然の摂理である「道=TAO」と息を合わせ、そこから生き方やあり方を見つめ直してみなさいと言っているというのがこの本です。

『バカボンのパパと読む「老子」』ドリアン助川(角川文庫)

読みやすいのですが、一つ一つをじっくり考えると1ページを読むのにとても時間がかかります。いきつもどりつ、何度も読み返しても、まだよくわかりません。

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第八章 なるようになるのだ

善のチャンピオンは水のようなものなのだ。わしらはのどが乾いたら水を飲むのだ。水はあらゆる生き物に恵みを与え、しかも水どうしでは海だ川だとその出身を争ったりしないのだ。それでいて水は、地位で言えばみんなが嫌がる一番低いところにいるのだ。そういうわけだから、水はTAO(道)に近い存在なのだ。

水に学ぶと、わしら人間もまた、立場としては地面のように低いところにいるのが良く、いろいろな考えが浮かんだら一番深いのを、友達と遊ぶときは優しい態度を、言葉は信用できるものを、政治をするならみんながまーるく治まることを、事件が起きたら、そんなものはなるようになるのだという自然任せを、何かするときはグッドタイミングを良しとするのだ。こうしてわしらは人と争わないから、誰からも邪魔されないのだ。これでいいのだ。

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あとがきで、赤塚不二夫さんとの交流についてふれています。

「ハタ坊のおでん」という歌を作って歌っていたところ、「おでんをもっていたのはチビ太なのだ」と気づき、赤塚先生におわびにいくことにしたといいます。確かにおでんをもっているのはチビ太です。赤塚不二夫さんは「手打ちにするのだ。」と満面の笑みを浮かべられ、ハタ坊がおでんをもっているイラストを差し出しておっしゃったそうです。

「これをCDのジャケットに使うのだ。これでいいのだ!」

すてきなエピソード。赤塚さんも水の如し。

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ことばやかたちにあらわすこと

2011-12-11 | Education

クラフト作家の川島葉子さんの作品です。

ゲストティーチャーとして来校くださり、さらにこどもたちと同じ材料を持ち帰って作品を作ってもってきてくださったものです。プロの技はすごいです。お子さんの名前が付けられたほっとできるカフェには、ゆったりしたソファーのそばでハンモックがゆれています。小さな本も、小さなメニューもまるで生きてそこにいるようでした。

先週は展覧会でした。プロのわざにも負けないこどもたちの作品たち。

すてきな、すてきな、夢のような空間が広がりました。

 3年前の展覧会でも、「表現すること」はなんとこども自身が投影されるのかと、深く感じたものでした。3年前は6年生の担任。名画の模写をして、その中に自分が登場しました。どんな大きさで、どんな動きで、全体の構図の中での自分の位置を考えてデジカメで写真を撮影して、大きさを設定して印刷して、絵の中にはりつけたのでした。

この夏、ある美術館で絵を見ていて、そのときの模写の絵の原画に遭遇しました。

「オンフルールの灯台」ジョルジュ・スーラ作

この絵に出会ってすぐに思い出したのは、そのときの作品でした。

この灯台の下の桟橋のはしっぽに座って、遠くを見つめている自分を描いた子もいました。もしかしたら、遠くを見つめながら、これから進学する自分のことも考えていたのかもしれないなあ。

その手前の海岸べりで友達と笑顔で走り回っている自分を描いた子もました。その子は、この絵のように静かに遠くを見つめるような深い思いを抱いていたけれど、屈託のない笑顔あふれる絵に表現していたのだったな。絵の中に一緒にはった写真の友達を、大事にしたいという気持ちがあふれていたな。

どの絵にも、その子らしさがあふれていたなあ、とスーラの本物に出会っているのに、思い出すのはこどもたちのことでした。

 

なんだか手前みそなんですけど、今年の展覧会も、こどもたちらしさがいっぱい、いっぱい、あふれていました。なんだか、その空間にいるだけで、こどもたちと対話しているような気持ちになる、そんな3日間でした。作品の題名からも、思いが伝わってきました。

ことばで名づけること

名づけられたことばから思いを感じること

国語科の大切さもあらためて実感します。

 

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なんだか国語の力がついてきた

2011-11-15 | Education

昨日の夜の事前研究会は、明日行われる研究授業のためのさいごの準備の会でした。

この分科会は若い先生ばかりで、春からずっと悩みつつ迷いつつ、一歩一歩進んできました。

4月の授業者を決めるとき、私がたまたま隣に居た若い先生に、「だいじょうぶ、やってみたら?」なんて軽いノリで薦めて、授業者も世話人も教員になってからまだ数年しか経験がない先生たちでスタートすることになりました。みなさん不安いっぱいだったのだと思います。でも、楽しい国語の授業をつくっていきたいという思いはとっても大きかったのです

やっと決定した指導案や資料を印刷して、いろんな準備を済ませて、さあ、帰ろうとしたとき、授業を先行して進めてきたメンバーの若い先生たちが

「うちのクラスの子たち、この国語の授業楽しかったみたいです。」

「なんだか自分でも読んだり書いたり考えたりする力がついてきていると思うって、子どもたちはいうんです。なんだか国語の力がついてきたなって。」

「私も、子どもたちに国語の力がついてきたなっていうのは実感しますね。」

「そう、ノートがあっという間に1冊終わっちゃって。」

「そう、ノートにすごく愛着があって、大事にしてます。」

 

みんな笑顔で、子どもたちの学びを語っていたんです。

なんてすてき!!!

とっても幸せな気持ちになりました。

 

明日が研究授業です。きっといい授業になると思います。

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インタビュー

2011-11-13 | Education

私の研究テーマは「対話的コミュニケーション」なので、子どもたちのやりとりを記録したり、グループの話し合いの様子をICレコーダーで記録したりして、それを文字おこしして、そこから授業をつくっていくことを常としています。その中でも「インタビュー」という方法は、他の教科の学習でも活用されています。また、私自身がインタビューのデータをもとにして、そこから見えてくるものを考えるという作業もこのところ続けています。

 

ところが、自分自身がインタビューされる立場になりました。

 

インタビュアーは卒業生です。社会科の学習で、自分の興味のある仕事を決め、その仕事に携わる人にインタビューをするという課題が出されたそうです。

「教育」という仕事を調べてみようと思ってくれた、ということが私はうれしく、そして、こんなふうにまた再会できることはとてもうれしいことでした。

 

彼女には、小学校時代の国語の授業についてインタビューさせてもらったことがありました。彼女はすばらしいストーリーテラーで、素敵な創作物語をたくさん書いたのです。彼女にとって物語を創作することとはどういうことだったのか知りたくて、インタビューさせてもらったのでした。

 

彼女の課題は

「自分の興味のある職業が、社会的にどのような役割と意義があるのかを明らかにすること、新聞記事などを引用して考えを述べること」

質問に答えるのは簡単ではなく、うーんと考え、「私にとってこの仕事とは?」「社会的な役割ってなに?」「社会的な意義って?」と自問自答しながら、苦しみながら、楽しい時間を過ごしました。

 

そして昨日の研究会、そこでの私の提案は「インタビュー」でした。

参加者の皆さんの様々なご意見に、まさにブレーンストーミング(脳の中が嵐)でした。「インタビュー」について、もうしばらく考えていこうと思います。

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大幸運食堂

2011-11-06 | Education

明川哲也著 『大幸運食堂』(PHP研究所) 

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ちょうど二年続いた連載『川辺の町の物語』。全二十四話から八話を選び、それぞれが少しずつ絡み合う物語となって再生しました。
川の流れる町の物語です。ボク自身が多摩川べりに住んでいるので、地形図などは調布市をベースにして書きました。
すなわち、すべての物語にモデルがいます。
笑いながら書いたものもあり、潤みながら書いたものもあります。今を生きる人々への、懸命の応援歌でもあります。

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こんな言葉にひかれて購入。

でも、日々忙しくなかなか読めず、やっと通勤本として鞄に入れました。

私は多摩川ではないのものの川べりに住んでいて、川べりの学校に通っています。毎日の通勤は川べりの道をいくバスを利用しています。本数が少ないので、別のルートで地下鉄で通うこともできますし、通勤時間もそうかわらないのですが、川べりルートが好きなのです。四季折々の風景があり、日照時間も太陽の位置も季節によって違うことが実感できて、地下鉄では感じることができないものが、そこにはあるからかもしれません。

そんな朝の通勤途中のバスの中で、この本を読んでいて、思わず涙が出てしまってこまりました。

たぶんこの本に流れているものは、たくさんの人にわかってもらうことは難しいけれど、自分にとってとっても大事だと思うことをわかちあうことができたときの小さな驚きや、しみじみと感じることのできるほんとうに小さな喜びのようなものなのです。ドラマチックでもなく、感動的でもない。ありきたりで、たわいもない。だけど、深く感じあえる。そんな、とっても小さな幸せです。

この本は、ベストセラーとかには、きっとならないんだろうな。だからこそ、大事にしたい本です。

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おひさま

2011-09-27 | Education

NHKのテレビ小説「おひさま」が、最終週を迎えました。

このところ私の帰宅後の楽しみの一つがこの番組の録画を見ること。大河ドラマと朝のテレビ小説は、なんとなくチェックして、残念な部分を見つけながらフェードアウトする、というのがこのところの視聴スタイルでしたが、この番組ばかりは違っていました。回を重ねるごとにどんどん引き込まれました。終わってしまうのが残念です。

主人公の陽子が小学校の先生だった頃の場面は、いろんな意味で興味深く、なんというか、時代は変わっても変わらない「不易」の部分と、隔世の感がある「流行」の部分とを随所に感じて、しみじみと考えさせられました。

そして、私のこだわりの視点でも見ていました。

こだわりの視点の一つ目は時間割です。

昭和20年代の初め頃の教室風景で、教室の黒板の右側に貼ってある時間割なのですが、いったいどんな教科が何時間あるのか気になって、、画面を静止して時間割を確認したのです。NHKですからちゃんと時代考証も完璧のはず。月・水・木は6時間授業、火・金は5時間授業、土は3時間授業でした。「話し合い」「自由研究」という授業もありました。この頃の学習指導要領について調べていらっしゃる先輩がこの「自由研究」の授業について言及なさっていたのを思い出し、ふむふむ、これか、と思いつつ、現在も小学校の夏休みの宿題と言えば必ずつきものの「自由研究」の源流はこれかと、思い至ったのでした。そして「話し合い」の時間。実態はどんなふうだったのかしら。

こだわりの視点の二つ目は板書です。

主役の井上真央さんは、とても美しい文字をお書きになります。自己紹介で自分の名前を書く、学習の課題を書く、漢詩を書く、そのどの板書も美しくてすてきでした。

身の回りのいろんな人が、この番組のファンだということも知りました。

「おひさま」観てます!

樋口可南子さんのご主人である糸井重里さんもこの番組のファンで、脚本を書かれた岡田さんのラジオ番組に出演なさったときのことが綴られています。 

あと4日で最終回です。

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「ぐずぐず」の理由

2011-09-21 | Education

鷲田清一さんの新刊です。

鷲田さんのことばには、圧倒されてしまって、とてもすらすらとは読めなくて、同じページを何度も何度も読み返して、そしてまたまたうーんとうなってしまう、そんな本です。オノマトペをとりあげています。ことばと身体感覚との深いつながりについて考えるときに、オノマトペはとても重要なのだとわかります。

先日、ある研究会の後の懇親会で隣に座っていた若い先生と話していたら、

「もしかして、オノマトペについてどこかで話していませんでしたか?」

と尋ねられてびっくり。研修会の講師としてお話しした実践の中に、身体で感じたことをオノマトペに表現するという詩の実践があったのです。大きな会場だったので私の顔も名前も記憶になかったようなのですが、ずっとどこかで聞いたことのある声だと思ったとのことでした。ふーん、そうか、やはり、五感の身体感覚で呼び覚まされることのほうが、知識よりずっと大きいのだなあ、と思ったのでした。

あとがきより

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言葉はこころの繊維であるとおもう。言葉がこころの襞をつくる。言葉なくしては、ひとは自分が浸されている感情の何であるかも、たぶん理解できない。

オノマトペ論をもくろみながらも、この書き物のなかで擬声語ではなく擬態語にばかり注目したのは、オノマトペが声ぶりというよりも声によるふるまいとして、喉のみならず身体の他の部分をぐいと巻き込み同調させる、いってみれば身体のうちへと再浸透してゆくものだから、という理由だけによるのではない。擬態語が、起こりつつある事態の描写、あるいはそれについての言述でありながら、促しや叱責、命令や諭し、訴えや懇願、誘惑や排斥、諍いや慰撫、からかいや囃し立て、呆れや突き放しといった、まぎれもない他者へのはたらきかけであるという理由による。

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