A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

【ご案内】Backbone of faith

2018-02-18 23:32:38 | お知らせ
明日より大阪・Oギャラリーeyesにて始まります「Backbone of faith」展にテキストを寄稿させて頂きました。
本展は、信仰を背景に持つ画家3人によるグループ展です。とても奥深いテーマの展覧会ですので、ぜひお出かけください。ちなみに私は無信心者、芸術信奉者です。

Backbone of faith 展
出品作家:寺脇さやか・長谷川直美・三好温人
テキスト:平田剛志(美術批評)
会期:2018年2月19日(月)~3月3日(土)※日曜日・休廊
開催時間:11時~19時(土曜日は11時~17時)
開催場所:Oギャラリーeyes
【大阪府大阪市北区西天満4-10-18石之ビル3F】
TEL/FAX:06-6316-7703
http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/


「悦ばしき芸術―Backbone of faith」
平田剛志

 いま、信仰(faith)は在るだろうか。現代、宗教は世界各地で紛争や事件の原因となり、新たな対立を生んでいる。一方、かつて暮らしの中にあった信仰心は薄れ、人々は経済や欲望に支配された物神崇拝の時代を生きている。いま、信仰は在るだろうか。

 本展「Backbone of faith」は、キリスト教のカトリック、プロテスタントおよび仏教(真言宗)を信仰し制作活動を行う寺脇さやか、長谷川直美、三好温人の3人展である。寺脇は日本画を専攻した後、現在は油彩と顔彩を用いて人知や意図を越えた形象の顕われを探究している。長谷川は、世界各地を旅した経験から得た「平和」な光景を描いてきたが、本展では新たな試みである抽象絵画を描く。三好は、これまで仏教思想をもとにした曼荼羅絵画やインスタレーションを発表したが、本展では金魚を主題とした絵画を通じて、日常に偏在する聖性が表象される。

 以上のように3人の作品は信仰を背景としている。だが、本展は宗教画の展覧会ではない。教化、伝道を目的ともしていないし、信仰、祈りの対象として制作された作品でもない。3人の信仰に至る経緯については詳述する余裕がないが、画家の信仰は作品の背後にあり、画面を見るだけでは見えない。

 だが、かつて絵画の前面に信仰があった。そもそも、芸術は魔術や宗教の礼拝や儀式に用いられることから始まった。その痕跡は現在も教会や寺院などに行けば見ることができる。この時代、芸術はただ在るだけでよかった。だが、近代になると芸術は教会から新たな「神殿」である美術館へと居場所を変え、「在る」ことに意味を求められるようになった。ヴァルター・ベンヤミンが指摘したように、芸術は礼拝的価値から展示的価値へと移行したのだ。

 芸術は宗教から分離し、複製技術時代の芸術作品となった。そして、芸術からアウラが消え、「神」と「絵画」は死を宣告された。哲学者フリードリッヒ・ニーチェは『悦ばしき知識』(1882)で「神は死んだ」と書き、19世紀の写真術発明を受けてフランスの画家ポール・ドラローシュは「今日を最後に絵画は死んだ」と呟いた。その後、世界は「科学」と「技術」が支配的になったことを私たちはよく知っている。

 だが、「神」と「絵画」は死を宣告された後に復活を遂げ今に至る。かつてより信仰と絵画の存在感は薄れてはいるが、どちらも人類の歴史でもあり、容易に死ぬものではなかった。その理由は、信仰も絵画も答えなき、見えない問いに向き合う根源的な営みだからだろう。そこには先人の知恵と技術を学び、対話する超越的な時間と悦びが含まれている。その持続する歴史性こそ、複製技術時代の芸術作品にはないものだ。本展の3作家の作品にも信仰という見えない摂理が流れているだろう。芸術と信仰の邂逅から生まれる絵画とはどのようなヴィジョンなのか。いま、絵画を前に考えたい。 
(ひらたたけし・美術批評)