あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

モノレール ドリームランド線 6

2008-07-28 18:08:23 | モノレール
私の行く手を阻むものが現れた。

川沿いの歩道で改修工事が行われており
通行禁止の表示と迂回路に廻るよう案内板が出ていた。

柏尾側には多くの工場が立ち並ぶ。
案内板はその巨大工場を迂回するようにとあるのだが
かなりの距離を廻らなければならない。

呆然としながらしばらく考えたが仕方が無い。
迂回路を廻る事にした。

とにかく暑い日だった。
迂回した距離もかなりのものでその途中にも工事が行われていたり
「引き返そうか?」とも思った。

なんとか迂回し川沿いの道に戻った。

「今はどの辺なのだろうか?あとどれ位だろうか?」

様々な不安が襲ってくる。

舗装されていない道を走っていると自転車に乗ったOLのお姉さん達と進む方向が
一緒になった。

シスコンな私はドキドキでした。
でも声なんか掛けられる訳もなく
そんな気持ちを見透かされてか目が合うと微笑んでくれたりしました。

映画「鉄塔武蔵野線」で小学生の伊藤淳史さんと内山眞人さんが冒険の途中
二人組みの女の子(双子?)と逢う場面があります。


声を掛けようか迷うのですが結局は声も掛けられず。

あの場面を見ると甘酸っぱい思い出が甦ります。

お姉さん達は途中の道で曲がってしまい再び一人で自転車を漕ぎます。

なんと工場の敷地があるらしく川沿いに進めず再び迂回。
今回は迂回の道順が無いので難儀した。

「本当にたどり着けるのか?」

陽も落ち始めた頃だった。

赤錆びて朱色に見えるモノレール軌道が見えてきた。
今度こそ橋や水道橋ではない。

紛れも無くモノレールだ。

自転車の速度を上げるとついにそれは姿を現した。


↑写真はそれから2年後に撮影したものです。

つづく

--------------------------------------
その大船駅ではこんな事もありました。
農地法違反に続き二度目の工事中止勧告。






4月27日の新聞広告

先の広告では4月29日開通と記されていたのに「近日開通予定」と
なっている。
開通の認可が遅れた理由って何だったのでしょう?



開通を報じる5月4日の新聞

毎日暑いですね。鉄塔武蔵野線のDVDをもう一度見ようかな。

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俺たちの旅 5 近鉄 日永駅

2008-07-25 22:18:33 | 
この辺りには国内では珍しいナローゲージという幅の路線があるとの事で
近鉄内部線(うつべせん)日永駅に立ち寄りました。
手前の踏切で通過する電車を見ると車両の幅も小さいようです。



日永駅は鉄道模型のレイアウトみたいで「日本の駅~選」に入って欲しい駅でした。

いや~、いいですよこの駅!
駅に感動したのはいつ以来だろう?

列車が来なくても一時間は居られます。
やって来た電車は古くて小さい。
三両編成で真ん中の車両が特に古そうです。


乗ってみたいが車なのでホームから眺めるだけ。

いつかは乗りたい路線です。

駅の近くでちょっと珍しいカレーライスの自販機を見つけました。
残念ながら使われていないようです。

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俺たちの旅 4 東亜航空コンベア240

2008-07-24 14:48:06 | 
翌日
次の目的地に向かう途中の事。
助手席のさまひさんが
「あれ飛行機じゃないですか?」
と言い出した。
何しろ一瞬の事なので言われた時には通り過ぎた後だった。
すぐに進路を変更し過ぎた場所に戻るといきなりレシプロエンジンが!


かなり大きなものでした!

スピナーの形からもかなり旧式なものらしい。
さらに場所を移動するとそこには確かに飛行機が!




機体にコンベア240と書かれていた。

いつ頃の機体なのか分からなかったが
機体にダクトが後付けされているので

レストランか何かに改造され展示された機体なのでは?と想像した。聞き込みをしようにも日曜日なので人の姿がない。
翼もエンジンも外されて末期の状態だが日本にまだこんな飛行機があったとは…
帰宅後に検索するとかつては東亜航空の機体だった事が判りました。
その後は各地を転々とした人生を歩まれたようです。

参考サイト↓
http://ksa.axisz.jp/a4409CV240.htm

誰かレストアしませんか?

先の保線車といい、さまひさんはよく周りが見えています。
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この私が・・・

2008-07-19 22:02:57 | モノレール
昨日、ついに買ってしまいました。

suica

電子マネーに抵抗がある訳ではないんですが
パスモやスイカは「お金を使っている」という感覚なマヒしそうなので
私には向かないかな、と思っていました。

でもあったら便利かなとも思っていたのですが
東京モノレールのスイカはオレンジ色(黄色)と聞いて
欲しくなってしまいました。

緑の通常版とは違うモノレール仕様?というのがいいですし
私はオレンジ色が好きなのです。

カードに誇らしげに書かれた 「モノレール」

の字も購買欲をそそられます(笑
オレンジがとても鮮やかです。

でも羽田空港や浜松町に行かないと買えないのです。
そこに行く用事もないので買えませんでした。

昨日、麻布十番に飲みに行く事となりその時に遠回りをして
浜松町駅に行ってきました。

昭和39年開業の東京モノレール。
駅ビルに開通時の面影を残すものは無いかと見てみましたが
一階の階段位しかそれらしいものはありませんでした。

いつかゆっくりと見学したいものです。


それにしても私がスイカを持つなんてな~。
当分使う事はないでしょうが
うまく改札口を通過出来るか心配です
(先日、スイカを改札機に投入して詰まらせている方を見ました)
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モノレール ドリームランド線 5

2008-07-17 23:24:21 | モノレール
別に親から「大船まで行ってはいけない」
と言われていた訳ではない。
それでも帰宅して『自転車で大船まで行った』
なんて言ったら怒られる事はわかっている。

今でも「図書館から向こう」へ走り始めた時の不安と
『念願のモノレール大船駅』に行けると思った気持ちは忘れない。

地図も無いが川沿いに沿って行けば自然と大船駅に着くのだから
心配ない、と自分に言い聞かせる。

もしもお巡りさんと遭遇し尋問されたらどうしよう。
(その頃は何故か私だけではなく周囲の友人も地元で自転車に乗っていると「盗難車ではないか?」と警察官に尋問されていたのだ。)
住所を言って
「なんでこんな離れた所にいるの?」と自宅に連絡されたらとか
考えてしまう。

しかしすれ違う誰も私に気も留めない。

 駅舎はどんな姿で残っているのだろう?
 もしかしたら車両が留置されているのでは?
 駅までどの位の時間が掛かるのだろう?

 駅舎の中には入れるのだろう?
そんな事を考えながらペダルをこいだ。

途中に川を跨ぐ橋でもないレールのような物が見えた。

あれか!以外と近かったな♪

しかしそれは水道管のようだった。


『川沿いに行けば着く』

しかし世の中はそんなに甘いものではない、という事を思い知るのであった。

つづく

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建設を急いだのか、かなり強引な工事を行ったようです。





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俺たちの旅 3 20系B寝台

2008-07-13 06:06:55 | 
本来の目的は明日に持ち越され名古屋から三重の宿を目指します。

これが今夜のベッドです。




懐かしのブルートレイン20系B寝台。
現在のB寝台は二段ですが昔は三段でベッドの幅も狭い。

ここは三重県亀山市の国民宿舎 関ロッジ

http://www.city.kameyama.mie.jp/seki-lodge/
(関ロッジHP)


現在、20系のオリジナル三段寝台に営業用で寝られるのは国内でここだけではないでしょうか?

私が小学生の頃はブルートレインブームでした。
その頃でも初代ブルートレイン20系を目にしたのは2.3回で見かけると大興奮したものです。
現在は鉄道博物館に保存されている20系が大船の工場外に留置されていた。
debopacerさんから外から見られる場所を案内してもらいその姿を見た時は嬉しかった。



悲しい事に鉄道博物館の20系は盗難やイタズラが発生し内部非公開となっているそうな

しかしここなら今でも泊まれ料金も安い。

昭和58年にこの地へやって来たそうです。





ナハネ20という車輌。さすがに痛みが出ているのは仕方ない。



よく見ると・・・



行き先表示の幕が残っています。
大阪の交通科学博物館の20系ナシ20は残っていなかった。




↑大阪の食堂車ナシ20。屋根があるのは素晴らしい事です。



オリジナルのままでは狭いとの事で間の部屋を潰し広く畳みを敷いて5部屋にしています。

それでも一部屋だけオリジナル部屋が残っています。
(一番上の画像)

4人で予約を申し込み客車希望と告げた所
「どんな感じか分かりますか?」
恐らく古いし狭いので苦情が多いのでしょう。
「20系で昔のB寝台だから狭い事は重々承知してます」

「それでも狭いと思うので二部屋ご用意致します」

それなら一部屋はオリジナルの「やまびこ」でお願いします。
ところが実際は空き状況もあるのだろうがなんと3部屋も用意して下さいました♪

「(オリジナルの部屋は)狭いので荷物置き場にでも使って下さい」
と言いながら開けてくれた部屋に一同
『おおっ!』
と感嘆の声を上げる。

「懐かしい!修学旅行はこれだった」安全体操さん

ブルートレインで修学旅行とは羨ましい。

せっかくなら一番上で寝ようというのが人常でしょう。
私も急行銀河で上段に寝た経験があるが三段は初めて。



かなり高いです。
夜中にトイレに行こうと思い降りたが酔っ払らっていたりすると
落ちそうです(笑


そのはしごにも車体番号が付いています。


読書灯も点灯します。

車内探索




この屋根のカーブがいかにも20系


ビンビールを持ってくればよかった!


灰皿も見た事がないタイプです。


さすがに使われていないが冷水器も残っています。



車内の照明の制御スイッチ?

よく見ると・・・



「汽車」という表記も見かけなくなりました。


通路の折りたたみイス



洗面台の鏡

近くにはSLのC50が保存されていました。



国民宿舎なので何より料金が安いです。
鉄道好きな方にお薦めの宿でした。

つづく

コメント (11)
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福島屋旅館の夏

2008-07-12 14:27:59 | 熱海
熱めの風呂から上がり浴衣に着替え
団扇(うちわ)で扇ぎボーっとする。
(部屋にクーラーもあるけどあえて使わず)
梅雨明け前とはいえ夏を感じる。

来宮神社例大祭の第40回・山車コンクールへ向けての
練習が福島屋の車庫で始まった。

19時から熱海の各町内会がそれぞれの地区で練習を始めるので
太鼓と笛のお囃子(はやし)があちこちから聞こえ始める。

私も浴衣姿のまま団扇を持って表に出されたコルトのトランクに
寄りかかり練習風景を見学。

裸電球に照らされた練習の光景はまさに昭和でした。




いい時に来たな、と一人ご満悦♪

21時に練習が終わった。
練習の合間に遊んでいた近所の子供から別れ際に
『明日もいる?』
と聞かれた。
「・・・いや、明日帰るんだ」
『そう・・』

ちょっと切なかった。






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YX80マークⅡタクシー

2008-07-07 22:39:25 | 熱海
昨日、連休があったので熱海に一人旅へ出ました。

先週辺りに「熱海行きたいな~」と思うようになり
最近動かしていないコルトと出掛けました。

みんなで行く旅もいいけれど一人旅もたまにはイイものだ。
何度も訪れている熱海なのでもうネタになるものもないだろう。

ノ~ンビリ福島屋旅館でくつろぐつもりだった。

福島屋旅館に着く前に私は車で熱海駅前を一周する。
理由は前回目撃した80マークⅡタクシーが残っているかを確認するため。

しかし残念ながらマークⅡはいなかった。
4月に見たのが最後だったのだろう。

宿に車を置きカフェKICHIに行く。



梅の紅茶とシラス&桜エビのピザに満足し
もう一軒のKICHI+に行きコーヒーを飲む。

会社へのお土産を買っておこうと商店街で物色していたら
第一ビルにもお土産を扱っているお店があったのを思い出した。

商店街は賑わっているが第一ビルはお世辞にも・・・だったな。

第一ビルまで行き前に買い物をしたお土産屋さんを探す。
あったあった



ここでの商売は大変だろうな~
(大きなお世話)

クッキーのお土産を2個買ったら店のおじさんは嬉しそうでした。
第一ビルは60年代な匂いがムンムンですので
皆さんも熱海でお土産を買い求めの際は第一ビルへ♪

地下道を通らず地上に出て熱海の駅前を歩いて行こうと思い
何気なしにタクシーを見ると・・・


黄色のキングタクシー(小型)の二台目が屋根が低い?

あ!あれは!!
絶滅したと思っていたマークⅡタクシーじゃないですかぁ!!!!!

まだ生きていたんだね

手前に来たら写真を撮ろう!

いや・・・
タクシーに乗る必要は全く無いが
マークⅡタクシーに乗れるチャンスだ。

距離は近いが宿までこれで帰ろう!

いやいや
直で行ったらあっという間に着いてしまう。
そうだ、熱海サンビーチを通り熱海銀座を抜けて福島屋と廻ってもらおう。

しかし15分程待ってもマークⅡの順番は巡ってこない。
仕事柄(ドアマン)タクシーの順番待ちルールが厳しい事は知っている
ので指名しても周りの運転手さんに悪いだろう。

やっと前のクラウンが出た。


この分だとまだまだ時間が掛かりそうだ・・・

思い切ってマークⅡに歩み寄り
「どうしてもマークⅡに乗りたいんですが」
と切り出してみた。

老練な運転手さんは
「?。いいですよ」
とあっさりOKしてくれました。

前に車を出してもらいオートドアを開けてもらう。

 おお!マークⅡのドアが自動で開いた(実際には手動レバーで開けてんだけどね)
 まるで大仏殿の扉が開いたように神々しい(・・・。)

乗り込むと運転手さんは嬉しそうに
「なんでマークⅡに乗りたかったんですか?」
単純に考えると運転手さんからしてみれば自分の番が早く廻ってきたので
嬉しいのでしょう。
『全国で残っているマークⅡのタクシーはとても珍しいんですよ』
と力説する
『因みに教習車もこれでした(正確にはクレスタだが)』

「そうですか試験車が(笑)」

突然タクシー無線のスピーカーから呼び出しが掛かった。
順番が違うからか?
「マークⅡ指名のお客様の希望で福島屋旅館です♪」
答える運転手さんは本当に嬉しそうでした(笑)

『もうマークⅡは他に残っていないんですか?』
「会社にあと2台あるがエンジンが磨耗したりで動けるのはこれだけです。
この車の部品取りです。」

『失礼ですが車内の写真を撮って宜しいですか?』
「どうぞどうぞ(笑)」









いつ頃まで残るのかを伺うと
すぐに退役する予定は無いし車検は来年の2月まであります。

との答えだった。
因みに年式は平成3年登録だそうです。

ちなみにこのキングタクシー6号車は運転手さん専用との事。
この時期は駅前で待つと暑いので熱海港で客待ちをしているそうです。
で、朝夕だけは熱海駅前で客待ちをされるそうな。

4月に見たマークⅡと車体は違うが運転手さんは同じだった。

車齢17年にしては車内もキレイでした。

お願いした通り海岸通り、銀座を経てタクシーはあっという間に
福島屋旅館に到着。
運転手さん「いや~、遠回りさせて頂いて申し訳ないですね~」
彩「出来ればもっと乗っていたいんですが(笑)
それより順番待ちだったのに早く出てもらって大丈夫ですか?」
運「『指名』ならいいんですよ♪」


皆さんも熱海でタクシーを呼ぶ機会があれば

キングタクシー
熱海
℡:0120820760
又は
℡:0557-82-2211
「マークⅡでお願いします!」
と指名して下さい(笑)






運転手のYさん
ありがとうございました。

因みに伊豆山タクシーにもマークⅡが残っているようで
走る姿を今回2回ほど見掛けました。




コメント (14)
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俺たちの旅 2 東山動物園モノレール

2008-07-06 10:28:23 | モノレール
続いて向かった先は名古屋の東山動物園。

みんなで動物園へ行きました♪

目的はゾウさんでもキリンさんでもなく
東山モノレールです。


大船から江ノ島までを結ぶ湘南モノレールの元祖です。




モノレールにはおおざっぱに分けて二種類あり羽田の東京モノレールや
ドリーム交通の跨座式。
湘南モノレールや千葉モノレールのようなぶら下がって走る懸垂式があります。
東山動植物園のそれは三菱サフェージュ式の実験線でした。
湘南モノレール初代車両が300型という中途半端な数字から始まったのはフランスのサフェージュや東山モノレールから数えるからという話しを聞いた事があります。

60年代に第三の鉄道として脚光を浴びた当時のモノレールを私は
クラシックモノレールと密かに呼んでいるのですが今回の訪問でそれらを全て見る事が出来ました。
到着時間が閉園間近だった事とあいにくの豪雨で園外からの対面となってしまいました。





遠い地に保存されている同モノレールを目にする機会はなかなかありませんでしたが仲間のお陰で念願がかないました。

園内の植物園駅舎だった所に保存されていますが
ホーム上も非公開となっています。

しかし全国の保存車輌の荒廃を見ると今後も非公開であって欲しいです。




営業時の写真ですが座席には三菱のマークが誇らしげに?付いています。今はどうなっているのでしょう?



それにしても当日はもの凄い雨でした。

次は今夜のお宿へ向かいます。

つづく

----------------------------------------

さてこれから(7月6日)一人旅に出かけます。
ガソリン高騰で走る機会が減ったコルトと一泊旅行です。

またまたあの場所なんですけどね(笑
コメント (10)
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モノレール ドリームランド線 4

2008-07-04 21:40:25 | モノレール
学年が上がるに連れ自転車による行動範囲が広くなると図書館に行くのにもバスではなく自転車で行くようになっていった。
それでも小学5年生の私にはそこが親の許す最大行動圏だった。

当時、戸塚図書館の入口に戸塚区の長さ2メートル位の航空写真と地図が貼られていた。
もちろん探してしまうのはドリーム交通のモノレール。
横浜ドリームランドと大船駅の間には延々とモノレールの軌道が写っていた。
大船駅にはハッキリと駅舎が見えてドリームランド駅も見えた。

行ってみたい
それでも自宅から大船駅へは遙かに遠く思え地図を眺めるだけだった。

そんな小学5年生の夏の日の事。
いつものように図書館に入る前に入り口で地図を見ていたら柏尾川に沿って行けば自然と大船駅にたどり着ける事に改めて気付いた。


(日地出版 横浜/川崎 昭和59年発行より)

どれ位の時間が掛かるのかは分からないが…
事故にでもあったら、とかかなり悩んだ。もちろん親には内緒だった。
それでも大船駅に行く事を決めたのには「夏休みの勢い」があったのだろう。

図書館を出ると川に向かう。
帰る為には左へ曲がる道を初めて右へハンドルを切った。
セミの鳴く夏の暑い日だった。

             つづく


↓昭和41年1月 建設経過を報じる当時の新聞 
田谷の辺りでしょうか?


最後の行「(小雀信号所)将来はここに途中駅を作る」
が興味深い。
コメント (3)
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俺たちの旅 1 桃花台新交通ピーチライナー

2008-07-02 23:06:31 | 
6月21日
いつもの仲間で愛知と三重県に行ってきました。
二回のタイ旅行を除くと熱海より向こうに行くのは初めてです。

出発の前日に職場で同僚にいつもの友達で旅行に行ってくる、と言ったら
「よく友達と旅行に行きますよね。いいなぁ~。
(会社に入ると)友達と一緒に旅行に行く機会は無くなりますよね」

そうだよな~。年齢も仕事も住んでいる所もバラバラなのに
このメンバーと出会えて良かったな~

「で、今回はどこに行くんですか?」

愛知と三重だよ

「へ~、何しに行くんですか?」

え?…(汗
い、いや特にどこへとは…あの

「?」

(職場の人にはとても言えないよ…)

てっちんさんの新レガシィが朝の5時に迎えに来てくれた。さすがに今回コルトは留守番です。
安全体操さん、さまひさんと合流し4人を乗せたレガシィは愛知県の犬山を目指した。
このブログを御覧下さっている方の半分はもう目的地がお分かりかと思います。
あと十数分で目的地に着くという時。

「あれが廃線になったピーチライナーですよ」
と、てっちんさんが教えてくれた。
そういえばいつだったか出来て十数年しか経っていない新交通システムが廃止になったと聞いたっけ。
「どうします?駅でも見に行ってみます?」
ん~、新しい鉄道はあまり興味が無いけどせっかくだから駅だけ見に行こうか。あ、そろそろビデオカメラを回したいから車を停めてくれます?
路肩に停車してリアゲートを開けビデオカメラを取り後部座席に戻った時の事だった。

さまひさんが
「あれ?動いてません?」
言われてループ部分を見ると電車らしきものが確かにゆっくりと動いていた。

慌ててカメラの電源を入れる。しかしズームに設定されていたらしく全くピントが合わない。


上もう過ぎてしまった後です・・・


その時車内は大騒ぎでした(笑

黄色かったので恐らく保線車で何らかの作業をしているのだろう。

レガシィは大急ぎで発進し桃花台駅に向かった。



新しい駅なのに駅の入口は封鎖されて廃駅となっていた。

先に進むと遙か前方にあの保線車が走っているのが見えた。
廃線なのに車両が走っている

この感動をどう表現すればよいのか…

どうにかして走行中の姿を目に焼き付けたい

かくしてピーチライナー大追跡が始まった。
なんの目的で保線車が走っているのだろう?

追いかけても追いかけても保線車は先を行く。
では更に先回りして歩道橋の上から待つ事になった。
あの場所なら上から走る姿を収められるとなり車を停めて「緊急降車!」
デジカメとビデオカメラだけを持ち慌てて降りた。
平和な住宅街に大人が4人歩道橋目掛けて猛ダッシュ!

しかし5分経っても10分経っても保線車は現れない。

知らない街の歩道橋でカメラを手にした男4人が電車が来ない廃線の上でひたすら待つ。

ステキな光景ですな。

30分程経過

なかなか来ません

 昼食を取っている説
 電車線を回収しているのだからこれ位掛かるのでは説

適当に考える

50分程経過

他の2人が先を見てくる、と行ってしまった。しばらくするともう1人も。
「今来てしまったらどうしよう?」
急いで降りたので携帯電話は車の中だ。
1時間経過

黄色い保線車が遠くからこちらにやって来た。



みんな戻って来ません。

住宅街で線路に向け1人ビデオカメラを廻す。

タイミング悪く女子中学生3人がやって来る。もの凄く恥ずかしい(涙

保線車は集電レールを回収しながら走っているのが後部の積み荷から判った。


保線車が行った直後に3人が戻ってきた。

「今、行ってしまいました・・・」

『携帯電話で連絡してくれれば!』

「急いで降りたからカメラしか持っていかなかったんよ」

『・・・

またまた大追跡が始まった。
工事箇所に先回りしてやって来る姿を捉える。
動き出すと先の場所へ先回りし各自がやっとカメラに収めた。
この間約4時間。
当初の予定は翌日回しとなった。

まだまだ旅は始まったばかりです。

つづく
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モノレール ドリームランド線 3

2008-07-01 00:01:17 | モノレール
今まで図書館というと学校の図書室か近所で廃バスを利用した小さなものしか知らなかったが
兄が連れて行ってくれたのは家からバスで40分位離れた場所にある横浜市戸塚図書館という大きな図書館だった。

そこには自動車、零式戦、鉄道等の本がたくさんありパラダイスでした。

当然ドリームランド線の資料を探すと記念切符の本があり
初めてモノレールの車輌の姿を知った。

(開通記念切符)
第一印象は「変な形してたんだなぁ」
だった。


解説には「昭和41年5月2日開通。認可が遅れて夕方からの開業となった」
と書いてあった。

他には鉄道誌に大船駅とモノレールを写した現役時代の写真が一枚あったり
郷土資料で下の記述があった位。



『今はその走る姿を見ることはできない』
か・・・。

この頃になると父が話していた
「一度も走らずにそのまま」ではなくて
 
    昭和41年5月2日 開業

    昭和42年9月24日 休止

一年半の間は営業運転をしていた事が判り嬉しかった。

↓当初の開通予定はGWが始まる4月29日を目指していたようだ



つづく

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