A:「同等以下の人の苦労・尽力などを慰め、感謝する」
B:「困っている人や病人などに同情の気持ちをもってやさしく接する」
「労る」と「労う」。同じ「労」という漢字を訓読みにしたとき、AとBの2つの意味に分かれます。
では、どっちの意味で、どのような読み方をするのでしょうか?
私たちが辞書を引くとき、ジツはこのようなケースが一番引きにくいんですね。突破口が開けない。訓読みはムズカシイ。
答えは、
「労る」=「困っている人や病人などに同情の気持ちをもってやさしく接する」
「労う」=「同等以下の人の苦労・尽力などを慰め、感謝する」
です。。。
で、読みは?(^^)
「ロウる」や「ローう」じゃ困ります。どちらも、近頃じゃあまり耳にしなくなりましたが、大切な日本の言葉です。
「イタワる」
「ネギラう」
病人をネギラったりしてはいけない(意味が違う)ことは、これからも明白です。(^-^)
「労を労う」という言葉はあります。「労」を二度も使うので、意味の重複のようにも思えますが、「ロウをネギラう」ことは別におかしくありません。もともと「ネギラう」という日本語(大和言葉)があって、後で中国から渡ってきた漢字の「労」を充てただけのことですから。「労(働)」をネギラってもいいわけです。
しからば、「労を労る」はどうか?
「イタワる」対象となる「労」とは何でしょう?・・・我が輩の辞書には(もともと薄い辞書ですが(^^ゞ)そのような言葉は見あたりません。「ロウをロウる」では、まるで、ロールケーキかロールキャベツですね。
一日の仕事が終わって帰る際に、部下が上司に掛ける言葉。
「お疲れさまでした」。
これを、「ご苦労さまでした」と言ってはいけないのはご承知の通りです。こっちは「ネギラい」の言葉です。上司から部下へ掛ける言葉ですから、逆用してはいけません。
じゃあ、そう言葉を掛けられた上司の側からは、何と言葉を返すのが良いのでしょう?
私も毎日の終業時には同じ立場に立たされるのですが、今のところ、同じ言葉をそっくり返しています。
「お疲れさま~」。
最後の「でした」を省くことで、部下の敬礼に敬礼で返しているのです。これも、先に敬礼するのは部下の務め。そして上官が敬礼で返したら、先に上官が降ろすまでは敬礼を止めてはいけない。・・・といったことと同様の作法なのかも知れません。
でも、私は時々は「お疲れさまデシタ」まで言うこともあります。まだ口にしたことがないのは、「お疲れ~」と、さらに省略した言い方です。同僚や気の置けない仲間の場合には、こういうフランクなネギラい方もあっていいと思いますけどね。
台風が接近しているせいか、風が出てきました。雨はまだです。
PS:最近の「お疲れ」だった出来事。
またしても、食堂のバイト対応に呆れました。
入店してすぐに、水を持ってきた店員に「○○○」と注文。メニューも見ずに注文したのですから、最初から食べる品を決めてきたのは明らかなはず。。。
店員、注文を復唱。続けて、「ご注文は以上でヨロシカッタでしょうか?」
まあね、たったひとつの注文じゃ不満かも知れないけど、わたしゃこれくらいしか食べられませんからね。
「ハイ」と返事。
しばらくして、○○○を運んできた店員。またしても、「ご注文は以上でヨロシカッタでしょうか?」
さすがにムッときて言ってしまいました。
「あのね、いくつか注文して全部出そろったときに訊かれるのはわかるけど、たったひとつの注文にいちいち以上でヨロシカッタでしょうか?はないでしょう。そのたんびに客からOKをとる必要はないはず。しつこく同意を求めるのは接客サービスとはいえないよ」
「申し訳ありませんでした」・・・の言葉とは裏腹に、さほど悪びれた様子ではありませんでした。きっと、文句臭いオヤジが来たな~、くらいにしか思わなかったのかも知れません。
こういうやりとりの後は、なんだか○○○もおいしく感じられませんでした。
私が言い過ぎたせいでしょうか。。。
B:「困っている人や病人などに同情の気持ちをもってやさしく接する」
「労る」と「労う」。同じ「労」という漢字を訓読みにしたとき、AとBの2つの意味に分かれます。
では、どっちの意味で、どのような読み方をするのでしょうか?
私たちが辞書を引くとき、ジツはこのようなケースが一番引きにくいんですね。突破口が開けない。訓読みはムズカシイ。
答えは、
「労る」=「困っている人や病人などに同情の気持ちをもってやさしく接する」
「労う」=「同等以下の人の苦労・尽力などを慰め、感謝する」
です。。。
で、読みは?(^^)
「ロウる」や「ローう」じゃ困ります。どちらも、近頃じゃあまり耳にしなくなりましたが、大切な日本の言葉です。
「イタワる」
「ネギラう」
病人をネギラったりしてはいけない(意味が違う)ことは、これからも明白です。(^-^)
「労を労う」という言葉はあります。「労」を二度も使うので、意味の重複のようにも思えますが、「ロウをネギラう」ことは別におかしくありません。もともと「ネギラう」という日本語(大和言葉)があって、後で中国から渡ってきた漢字の「労」を充てただけのことですから。「労(働)」をネギラってもいいわけです。
しからば、「労を労る」はどうか?
「イタワる」対象となる「労」とは何でしょう?・・・我が輩の辞書には(もともと薄い辞書ですが(^^ゞ)そのような言葉は見あたりません。「ロウをロウる」では、まるで、ロールケーキかロールキャベツですね。
一日の仕事が終わって帰る際に、部下が上司に掛ける言葉。
「お疲れさまでした」。
これを、「ご苦労さまでした」と言ってはいけないのはご承知の通りです。こっちは「ネギラい」の言葉です。上司から部下へ掛ける言葉ですから、逆用してはいけません。
じゃあ、そう言葉を掛けられた上司の側からは、何と言葉を返すのが良いのでしょう?
私も毎日の終業時には同じ立場に立たされるのですが、今のところ、同じ言葉をそっくり返しています。
「お疲れさま~」。
最後の「でした」を省くことで、部下の敬礼に敬礼で返しているのです。これも、先に敬礼するのは部下の務め。そして上官が敬礼で返したら、先に上官が降ろすまでは敬礼を止めてはいけない。・・・といったことと同様の作法なのかも知れません。
でも、私は時々は「お疲れさまデシタ」まで言うこともあります。まだ口にしたことがないのは、「お疲れ~」と、さらに省略した言い方です。同僚や気の置けない仲間の場合には、こういうフランクなネギラい方もあっていいと思いますけどね。
台風が接近しているせいか、風が出てきました。雨はまだです。
PS:最近の「お疲れ」だった出来事。
またしても、食堂のバイト対応に呆れました。
入店してすぐに、水を持ってきた店員に「○○○」と注文。メニューも見ずに注文したのですから、最初から食べる品を決めてきたのは明らかなはず。。。
店員、注文を復唱。続けて、「ご注文は以上でヨロシカッタでしょうか?」
まあね、たったひとつの注文じゃ不満かも知れないけど、わたしゃこれくらいしか食べられませんからね。
「ハイ」と返事。
しばらくして、○○○を運んできた店員。またしても、「ご注文は以上でヨロシカッタでしょうか?」
さすがにムッときて言ってしまいました。
「あのね、いくつか注文して全部出そろったときに訊かれるのはわかるけど、たったひとつの注文にいちいち以上でヨロシカッタでしょうか?はないでしょう。そのたんびに客からOKをとる必要はないはず。しつこく同意を求めるのは接客サービスとはいえないよ」
「申し訳ありませんでした」・・・の言葉とは裏腹に、さほど悪びれた様子ではありませんでした。きっと、文句臭いオヤジが来たな~、くらいにしか思わなかったのかも知れません。
こういうやりとりの後は、なんだか○○○もおいしく感じられませんでした。
私が言い過ぎたせいでしょうか。。。
国定忠治の子分に、「いたわりのあさたろう」という人物がいましたが、私はてっきり「労りの朝太郎」だと思っていました。
さぞかし気配りの行き届いた御仁であろうと、勝手に想像していたのですが、違いました~。
「板割りの朝太郎」でした。もしかして、空手で板をたたき割ったり出来たんでしょうか。。。
といった具合に、私も、「労る」には騙されたクチです。(^^ゞ
私の場合、こんなふうに記憶してるんですが、回りくどいでしょうか?(^_^;)
食堂の「以上でヨロシカッタでしょうか?」の考察は、また改めて。(^^)
ちょっと気づいたことがあったもので。