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スピード、効率化を追求する農業にストレスはないか。

2017-07-08 10:53:25 | 日記


評論家の内田樹氏の考え方を紹介します。

農業の生産性が低い事は確かにこの国だけでなく、この大陸の大きな問題かもしれない。だが、彼らを都市経済の中に強引に取り込む事が果たして良い事なのだろうか。そんな疑念が彼らの生活を見ているとどうしても涌き起ってくる。
彼らは自分たちでやりくりをし、十分に幸せそうな生活を送っている。貨幣経済に大きく関わると、己の幸福もそれに強く影響を受けることになる。


確かに今は経済がまた戻ってきており、この時機は良いかもしれない。しかし、かつてのハイパーインフレーションが起きたような不安定さがこの国にはいまだ残っている。

経済が傾くと、その一番の被害者は誰か。彼ら自給自足型の農村ではなく、経済に依存している低所得の農家と言われている。そこに自給自足型の農村である彼らを取込む必要はあるのか。格差や貧困というのは実は外側の一方的な解釈ではないのか。外部者である私は一体何を思い、どう行動すれば良いのか。そんな事を思うジンバブエの夜をしばし過ごしている。
この感慨は日本の農業にもあてはまる。

世界史的スケールで見ると、世界は「縮小」プロセスに入っていると私は見ている。「縮小」と言ってもいいし、「定常化」と言ってもいいし、「単純再生産」と言ってもいい。「無限のイノベーションに駆動されて加速度的に変化し成長し続ける世界」というイメージはもう終わりに近づいている。別にそれが「悪いもの」だから終わるのではない。変化が加速し過ぎたせいで、ある時点で、その変化のスピードが生身の人間が耐えることのできる限界を超えてしまったからである。もうこれ以上はこの速さについてゆけないので人々は「ブレーキを踏む」という選択をすることになった。別に誰かが「そうしよう」と決めたわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。相互に無関係なさまざまなプレイヤーが相互に無関係なエリアで同時多発的に同じ行動を取る。今起きているのはそれである。「変化を止めろ。変化の速度を落とせ」というのが全世界で起きているさまざまな現象に通底するメッセージである。
そのメッセージを発信しているのは身体である。脳内幻想は世界各地で、社会集団が異なるごとにさまざまに多様化するが、生身の身体は世界どこでも変わらない。手足は二本、目や耳は一対。筋肉の数も骨の数も決まっている。一日8時間眠り、三度飯を食い、風呂に入り、運動し、酔っ払ったり、遊んだりすることを求める。それを無視し続けて、脳の命令に従わせて休みなく働かせ続けていれば、いずれ身体は壊れる。そして、いま世界中で身体が壊れ始めている。戦争で破壊され、放射性物質で破壊され、ブラック企業で破壊され、学校で破壊され、医療で破壊されている。
速度という点ではグローバル資本主義での経済活動が圧倒的である。今、株の取引は人間ではなくアルゴリズムが行っている。1000分の一秒単位での株の売り買いはもう人間の身体ではそこで何が行われているかを想像的にも追体験することができない。成功した投資家や起業家の中は個人資産が天文学的数字に達している者がいるが、その金額は生身の人間の生理的欲求を満たすレベルをはるかに超える。日替わりで自家用ジェット機を乗り換えても、分刻みで上から下まで服を着替えても、毎食を三つ星シェフたちに作らせても、身体はそれを「愉しい」とはもう感じられない。けれども、彼らは「もう限度を超えて儲け過ぎたから、この辺で手じまいにして、貧者にトリクルダウンしよう」と思ったりはしない。限度というのは、身体にしかない。そして、グローバル資本主義のトッププレイヤーたちはもう身体を持っていない。
こうして経済活動は限度なく加速化してきた。そしていま人々はそれに疲れ始めてきた。しつこいようだが、ことの良し悪しを言っているのではない。疲れたのに良いも悪いもない。そして、「ちょっと足を止めて、一息つかせて欲しい」という気分が全世界的に蔓延してきた。

グローバル農業に舵を切る日本の農業にジンバエムの安息農業はない。生産性の悪いぼっち農業には安息がある。

相反転方式小水力発電機による地産地消プロジェクトは安息を得るためのものでもあります。
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