サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

暑いインドよ今日は!

2014-12-17 00:00:49 | 日記
電子本「サイババが帰って来るよ」Part1~5は以下のポニョ書店からどうぞ

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Sai's Messages for The Golden Ageの文庫本が出来ました。上下の二部に分かれますが小さいのでいつでも何処でもババの御言葉をポケットに入れて持ち運びが出来ますよ</script>"><script type="text/javascript" src="http://bccks.jp/bcck/128820/widget"></script>
また、この本の上下統合版も出来ました。A5版とちょっと大きいですがお得になっています。ポニョ書店からどうぞ



ポニョ:時々、神さんは、どうして人がこの世に何度も生まれ変わらないといけないように作られたのかなって思うことがある。

“生まれたばかりの赤ん坊は泣き声を上げますが、成長した大人は微笑みながらこの世を去るべきです。
どうして赤ん坊が泣くのか知っていますか。
赤ん坊が泣くのは、これから待ち構えている長くて骨の折れる問題だらけの人生、という不幸が目の前に横たわっているからです。
人は誰もが何度も何度も生まれ変わります。
だから赤ん坊は泣くのです。
人生は「私は誰か。{コーハム}」という質問で始まり、一生が終わる前に「私は神である。{ソーハム}」という答えを見つけなければなりません。STPSp249”

ヨシオ:人って何度も生まれ変わって、違う人生を歩んでいろんな行為をするけど、その行為の原因は一体何かなと考えてみると、この世の人や物を好きになったり嫌いになったりすることが行為の原因なんや。そしてその好きや嫌いな思いが生まれて来る理由は、自分以外のものを見て、それらは自分とは違うものやって思うからなんや。そういう周りにあるものと自分とは違って、自分とかけ離れたものであると思う事、自分と自分と違う別のもの、という二元的な考え方、そういう考え方が、神様から自分は離れた存在やと思い込ませてしまい、人を無知の暗闇の中で彷徨わさせてしまうんや。

ポニョ:そうか。自分の周りにあるもの全て、見えるもの全ては、実は神そのものなんやけれど、それがいろんな姿、形、そして名前を持っているから、それらを神さんって見るのが難しいよな。そして、それらを自分の心の中に取り込んで、自分なりの思いをその物や人に投影して、それらを好きやとか嫌いやとか思ってしまい、それを手に入れようとしたり、愛してしまったり、逆にそれらを遠避けたり、憎んだり、怒ったりして、自分の行為として行くんやな。

ヨシオ:自分の外にある物や人を気に入って、それらを愛してしまい、自分のものに出来なくて人生を終わってしまうと、また生まれ変わってそれを手に入れるために、次の生に生まれ変わらないとあかんねん。

ポニョ:欲しかったけれど、高価すぎて手に入れられなかった物や、恋人にしたかったけど振られた人、子供が病で亡くなり、いつまで経っても忘れられないお母さん。そういう執着心が心に深く刻み込まれて、カルマの法則が支配する輪廻の車輪に巻き込まれて、何度も生まれ変わらないといけなくなるんやな。

“世の中のことを考えすぎないようにしなさい。
対人関係や、世間との関係を考えて時間を浪費してはいけません。
それらは全て、束の間の関係なのです。
それらは身体と結びついています。6/1985
ただ一回限り、今世のみを生きなさい。
あまりにこの世の魅力にとらわれてしまって喜びと悲しみから成るこの世に繰り返し生まれ変わるべきではありません。
すこし身を引いて、世間に巻き込まれることなく、この世はすべて神をディレクターとする劇であると気づきなさい。
でないと、あなたはあまりにもこの世間に巻き込まれ、逃れることが出来なくなってしまうでしょう。
この世を犠牲、奉仕、あなたのハートを広げ、心をきれいにする修行の場とみなしなさい。
実はそれこそがこの世の持つ価値なのです。2-62 SIP”

ヨシオ:熊本で、ブラック企業に働いていた青年が、サービス残業を繰り返し、心も身体もズタズタになりそうだったので、お父さんにもう仕事を辞めたいって相談したんや。すると、お父さんは「俺の若い頃は、誰もそんな事ぐらいで音をあげた奴はいなかった。お前は男ではない、しっかり働け。」と言って息子を叱ったんや。しかし、息子さんはそのあと自殺してしまったんや。お父さんは、自分が間違ったアドバイスをした為に息子を殺したと思い込み、息子の遺影に向かって謝り続けていたんやけど、ある日、精神的に耐え切れられなくなり、タクシーを呼んで、泣きながら運ちゃんに「息子のいる天国まで連れて行って下さい」と頼んだんや。運ちゃんは仕方なく警察署まで連れて行ったんやけど、このお父さんは、それ以来毎日のようにタクシーに乗って同じことを繰り返しているんや。

ポニョ:悲しい話やな。おいらは、もう霊的なことを知っているから、食べ物以外、別に何に対しても執着心なんて持っていないけれど、そういうことを知らなかったら、このお父さんのように、死ぬまで後悔してしまうやろな。でも息子がそういう状況で相談に来たら、どういう風に答えたらええやろな。

“人への執着が増せば増すほど、神への執着は減っていきます。
世俗的な快楽の誘惑の誘いに乗れば乗るほど、神への一意専心の集中力は低下します。
あらゆる悲しみの原因はこの二つが原因ですです。
1)世俗的な対象物に惹きつけられる事。
2)人間関係から生じる執着。24/5/95”

ヨシオ:俺やったら、「君の中に神さんがいるから、まずその神さんにどうすれば良いか聞きなさい。今回の件は、君が会社や世俗的なことに囚われて毎日生活しているから苦しんでいるんだ。今回の件は、世俗的なことから目を神さんの方に向ける良い機会だよ。今回の件を通じて、君が神さんの方に向き合えるようになれば良いね。もし会社が不法行為をしているのであれば、離職したり、クビになる事を恐れずに、勇気を持って会社と対峙し、その試練を乗り越えていけることを願っています。もしそれでも君がまだ私のアドバイスが必要としているのであれば、また来なさい。」と言うやろな。

ポニョ:格好ええやないの。突然五人の子供のお父さんになったぜよ。子育てはもう終わったけれど、まだまだ現役で頑張れるで。

ヨシオ:もう十分や。子育ては卒業や。今の人達は、この世に囚われすぎているんや。もっと世界は広いんやから、自由に生きたらええと思うで。

ポニョ:そうや。放射能にまみれて無理してグロエリに尻の毛まで抜かれて生活しなくても、安月給でブラック企業にこき使われて生活しなくても、さっとどこでも行って、新天地で頑張った方が面白い人生が歩めると思うで。

ヨシオ:聞くところによると、プッタパルティの不動産はババがサマディになって以来、三分の一にまで値段が下がっていて、今が底値やから買い得やし、さっとインドに移り住むってのもええやろな。

ポニョ:三分の一ってめちゃバーゲンやんか。ババが帰って来られる事をほとんどの人は信じていないから、帰って来られたら、天井知らずぐらい値段が上がるやろな。それよりインドでは外人は不動産を買うのが難しいって聞いたぜよ。

ヨシオ:いや、182日間住んでいたら買えるんや。でも旅行者のビザは180日までやから、一度インドから近くの国に出国してもう一度入らないといけないんや。でも、そうして不動産を買いその証明書があれば、次からインド入国は簡単になるらしい。

ポニョ:インドは物価も安いし、人件費も安いよな。アシュラムでは一食二百円で美味しいものが食べれるし、ファミリールームでも、一日五百円やったぜよ。引退して住むのにはピッタリやぜよ。動けなくなれば介護の人や身の回りの世話をしてくれる人を雇えばええしな。そうか、不動産が三分の一に下がってるんか。本当に行こうかな?

ヨシオ:人から聞いた話では、飛行場の近くに二寝室あるユニットが二百万円以下で買えるって聞いたな。

ポニョ:それは安いぜよ。触手が動いて来たぜよ。以前、ババのお若い時の話を連載したけど、大きな岩をセリださせて、五十人ほどの人々を大雨に濡れないように守られた岩のあるところも見たいし、願望成就のタマリンドの木があるところにあると言われている、ババが長い間、籠られた洞窟も探したいし、呪われた村の地面からババが掘り出された、イスラム教の苦行者の小さな手の形をした、聖物も見たいし、そうや、確か近くの人がきれいな箱に入れて保存してるって言ってたよな。楽しみ、楽しみ。

ヨシオ:ポニョは何でそんなものを見てみたいんや。その苦行者の想念の力が詰まっているだけやないか。それは、ポニョはいつも使っているお箸と一緒やないか。腹減った。早く食べたいな。オクラの天ぷらやったら嬉しいな。という想念の力が、ポニョのお箸にいっぱい詰まっているやろな。

ポニョ:ということは、誰かがおいらのお箸を使って食べたら、オクラの天ぷらを食べたくなるんやろか。

ヨシオ:多分そうなるかもしれんな。前に言ったかどうかは忘れたけれど、霊的能力が高い人は、誰かがいつも身に付けているものを持っただけで、その持ち主の事を色々と言い当てることが出来るんや。だって、その物の中にその人の想念がしっかり詰まっているからな。だから、ポニョの箸を使って食べると、それを使った人は、ポニョがいつも行く餓鬼地獄を体験できるんやろな。

ポニョ:餓鬼地獄はないぜよ。いつも、美味しいものを食べたいという欲望があるだけや。

ヨシオ:それを餓鬼地獄って言うんや。

ポニョ:インドで住みたいな。周りは菜食レストランばっかりやし、食べ物には苦労しないやろな。おいらの大好きなオクラもインドでも売っているし。実は、おいらはミルクから作ったカレーに入れて食べたら美味しいパニールも大好物なんや。嫁さんは面倒くさいと言って作ってくれないんやけどな。本当は簡単に作れるんや。豆腐みたいに柔らかいやつと、少し腰があるやつやら色々あって、おいらはどちらかというと、少し歯ごたえがあるやつの方が好きやな。柔らかいやつは、消化には良いけれど、喉に抵抗なく入り過ぎるし、口の中で噛む前に溶けてしまうやつもあるから、やっぱり、少し噛んで舌で味を楽しんでからいに送りたいよな。思い出しただけでよだれが出てきたぜよ。本当にパニールカレーはおいらの大好物なんや。それを毎日、安い値段で食べれるって思っただけで、インドに行った甲斐があるやろな。それに、バンガロールのボンベイアナンダバヴァンホテルの近くにあるベジタリアンレストランが、今まで行った中では最高に美味しかったな。安いし、パニールもいろんな種類のが出て来るんや。エアコンがよく効いていて、清潔やったしな。値段も食べ逃げしたんかと思うぐらい安かったな。

ヨシオ:そうやって飢餓地獄にポニョはいつもいとき。ポニョはどんだけ食いもんの話をしたら気が済むんや。

ポニョ:いや、マジにインドへ行くぜよ。もう何度も行っているところやから、土地勘はあるし今の地所を売ってと言っても大した額にはならないけど、その金でインドで安い不動産を買って、残りの金で悠々自適な老後生活を送れる。さっきあんたが紹介してくれた、二百万円の物件なら手が出るぜよ。ババのアシュラムの近くに住めば、ウエスタンキャンティーンで美味しい食事も出来るし、毎日野菜を切ったり食事の用意や皿洗いなどの奉仕活動も出来る。もう決めた。今日嫁さんと相談して真剣に行く準備をするぜよ。

ヨシオ:でも、先祖代々の墓とか、親戚付き合いとか、友達とか色々と制限があるのと違うんか。そんな急に簡単に決めてもええんか?

ポニョ:いいって事よ。なんとかなるさ。そうや。ババの学校で日本語を教える奉仕活動も悪くないな。

ヨシオ:あのな、ポニョが日本語教えたら、その学校の卒業生は、みんな関西弁になってしまうやないか。

ポニョ:あのね君。おいらは本当はいろんな方言を話せるっちゃ。大丈夫なんだってばよ。心配しなくてもようござんす。おいどんは日本語が大好きなんでごわす。

ヨシオ:もう分かったって。そのへんでやめとけ。それより、ポニョはそろばんが出来るって言ってたよな。今、インドでは英才教育の一環として日本のそろばんが見直されているんやで。そろばん教室もあっちこっちに出来ているんや。

ポニョ:なに~。それは知らんかった。数学は嫌いやけれど、そろばんは任しといてくれますか。足し算引き算だけやけれど。プッタパルティでそろばん教室を開くぜよ。たくさんそろばんを持って行って教えるぜよ。でも、日本では逆にインドの数学教育がもてはやされているぜよ。本も結構売れているし。そろばんで日本文化の逆輸出や。チットラヴァティ川でカヌーも出来るしな。嬉しカルカルになって来たぜよ。

ヨシオ:ポニはめちゃ単純な性格やな。ちょっと俺がプッタパルティの不動産が三分の一になったとか、そろばんがインドで見直されているとか言った途端、もう行く気になっているもんな。まあ、そこがポニョ君のええとこやけどな。食べ物以外、何の執着も無いからな。あんまり前世からのカルマを持ってなかったんやろな。

ポニョ:いや、今日はとても良い情報を教えてもらったと感謝してるんやぜよ。やはり持つべきものは良い友達やね。すぐに今日からいろいろ調べてみるぜよ。寒いくて、特例秘密法案、共謀罪の国、日本よ、さようなら。暑いけれど、首相がサイの帰依者であるインドよ、こんにちは!やな。でも、暑い季節はヒマラヤかブータンかネパールに行けばええもんな。ダーリジンやシッキムにも行きたいな。リシケシュのアシュラムでヨガを習うのも悪くないよな。よし、もう決めた。心はインドのパニールカレーやぜよ。

“永続的な至福は、犠牲すなわち無執着があるときにのみ、経験できるのです。
今日の人間は、犠牲を払う準備ができていません。
それどころか、その欲望は飽くことを知らず、人は人間的な性質を失っています。
心は汚染され、真実はめったに見られなくなりました。
人間は、一歩足を踏み出すごとに、誤った行為にふけっています。
崇高な思いは、人々から離れてしまいました。妬みと憎しみがはびこっています。人間は心(ハート)の声に従い、良心の促しに沿って行動することを学ぶべきです。
良心は宇宙意識につながっているのです。27/9/92”
“世俗の欲望と感覚の快楽を満たしたいと願う心をコントロールするには、欲望を神という気高い概念に置き換えれば良いのです。
心に神を思わせ、徐々に世俗の欲望から引き離せなさい。
しかし今日の人々は、それに成功しません。
失敗して惨めになります。
実際、欲望と執着が心にはびこっているのが現代の特徴です。
知性ですら、心を充分にコントロールすることができません。
このような状態では、世間から離れて独居するか、神聖な団体に入って良いことのみを心に思って、心を滅することのいずれかを実践しなくてはなりません。SIP6-8”
“人は平然と運命の審判に向き合い、何が起こっても落ち着きをもって受け入れなさい。
人は運命のせいで苦しむのではなく、欲望と執着のせいで苦しむのです。
もし、この世のものへの執着があるなら、あなたは必ず喜びと悲しみを交互に体験することになります。
苦楽は二元的な世界の切っても切れない部分なのです。
すべてのものごとは神の意志によって起こります。
神が望むものを、神が望むときに、神は与え、神は取り戻します。
皆さんは気づいていないでしょうが、体がこの世に送られてきたとき、体に返却日が押されます。その日が来れば体は元の場所に戻っていく――それだけです。
このように、生があれば死もあります。
二つが自然な一組を形成しているのです。
ですから、人は死のために悲しみに道をゆずるべきではありません。23/5/2000”


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Unknown (よしだくん少し身をひいて、この世を、犠牲、奉仕、心を清める修行の場としてとらえなさい、か。 毎日毎日勉強になるな。 ポニョさん、よしおさん、ありがとうございます♪)
2014-12-17 13:50:56
少し身をひいて、この世を、犠牲、奉仕、心を清める修行の場としてとらえなさい、か。
毎日毎日勉強になるな。
ポニョさん、よしおさん、ありがとうございます♪
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