サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

日本人の純粋な精神

2016-07-13 00:00:13 | 日記
子供の無垢なハートには、より高い理想と目的に対して献身して傾倒するという潜在的能力が秘められています。
この可能性は皆さん大人によって引き出され培われるものです。
子供達は何も知らないとか、子供達を自分の思い通りに変えれると思ってはなりません。
それは誤りです。
子供の素晴らしい可能性に気付きなさい。
子供自身が提案したり、示唆したりする方法を採用しなさい。
子供が神性へと到達し、自らの高邁な運命に気づくよう手助けするのです。
子供のことを、幾分劣った存在であるとか、そのような高みへたどり着けるはずはないなどと考えるのはやめなさい。SSSVol9

ポニョ:さて今日は日本人の精神シリーズの第四話ですが、昨日インチキ選挙だとツイートしたらアカウントが凍結されましたのでちょっと頭に来たので、少し予定を変更して違う記事を少し載せたいと思います。

ヨシオ:もうほっとけや。そのうち真理が出て来て、大騒ぎになるのが目に見えてるやないか。太陽が雲に隠せないのと一緒で必ず真理は出て来るんや。

ポニョ:おいらはそんな悠長に待てないんでヤンス。その大騒ぎのネタを少し紹介しようとしているんでヤンス。凍結された元記事の方も頭に来てこんな詩を書かれているんやぜよ。
http://blog.goo.ne.jp/1shig/e/2571e9a557220d2568520bc2f352c703
愚かな・・

バレないとでも思っているのか

お前が魂を売り渡したルシファーが守ってくれるとでも思っているのか

過去 現在 未来

永遠の時空の中で

お前の魂は

黄泉の世界で

のたうちまわることになることが

今日、決定された

不正に加担したお前

それを命じた人お前

偽りの報道をしたお前

お前にはもう

二度と安心して眠ることはさせない

私はいつもお前を見ている

どこにいても

何をしていても

苦しむがいい

もう、誰も助けてはくれない

それだけのことを

お前はしたのだから

見よ

私はいつもお前を見ている


ヨシオ:これってポニョが書いたんやろ。

ポニョ:違うっちゅうに。

ヨシオ:ポニョが書きそうな詩やないか。

ポニョ:これは今回のインチキ選挙に憤っている人達みんなの気持ちなっんでヤンス。このインチキ選挙のシステムやけれど…

ヨシオ:興味のある方だけ元記事を読んでもらったらええやろ。罪を犯した人の事を知る必要は無いやろ。こちらまでそのレベルになる。真理がこちら側にあるんであれば、キチンとカルマの法則が働いて落とし前つけてくれるから。ギャーギャー騒ぐなって。

ポニョ:それやったらええけど…。でも是非インチキ選挙がどんな仕組みか読んでみてね。国民主権は名ばかりやぜよ。これを読めばインチキ選挙の仕組みがよく分かるぜよ。
http://blog.goo.ne.jp/1shig/e/5a67c5e0e3454134d1acfd00a59053d8
ヨシオ:この前ポニョは、実は選挙もガス抜きで、警察や軍隊などの強権装置を動かしている奴らが権力を握っているって言ってたやないか。でもその上に本当に権力でもなんでも全てを動かしているお方がおられるんやけどな。それに気付くのが霊性なんやけどな。もっと冷静になって霊性を知れや。まあ、ポニョは正義感が人一倍強いからな。

ポニョ:冷静になって霊性を知れか。ええ事を言いますね。おいらも元々は性格はのんびりしてる方やけれど、今回はカリが来てしまったぜよ。さて気を入れ替えて、以前、あんたがどのようにすればいつもニコニコ出来るのかその秘訣を教えて欲しいって言ってたやろ。おいらは人と接触する時に、その人がプッツン来ていたり、興奮してる時には、こちらも同じように興奮したり、怒ったりせずに、一歩退いて相手が鎮まるのを待ち、嵐が通り過ぎてから自分が言いたい事を言うなんて言ってたやろ。おいらはたくさん家族がいる家庭で育ったからそういうスキルが自然に出来るって思っていたけれど、最近子供の頃の事を思い返すと、祖母や丹後の田舎に連れて行ってくれた近所のおじさんから結構昔話を聞かされていたし、テレビで日本昔話もよく見ていたから。良寛さん、白隠さん、宗忠さんなどの逸話をよく覚えているし、そういう人になりたいなって、いつも心の奥底で思っていたから、自然にそういう考え方が出来るようになったんじゃないかなって思ったんや。

ヨシオ:良寛さんは名前を聞いた事があるけれど、あまり逸話は覚えていないな。確か子供とよく遊んだりしてたんやろ。白隠さんや宗忠さんに至っては、恥ずかしながら名前も初めて聞いたな。だれやねんその白隠さんとか宗忠さんって。

ポニョ:白隠慧鶴さんや宗忠さんを知らんのか?情けない。これらの方は日本人の精神的バックボーンやで。白隠さんは静岡の沼津で生まれ臨済宗を復興させ、多くの信者や善男善女から慕われた禅僧や。

ヨシオ:慧鶴って仁鶴の師匠かなと思った。

ポニョ:違うっちゅうに。この白隠さんのエピソードは幾つかあるけれど、おいらが子供の頃から聞かされて、一番面白かったのは次のエピソードや。

ある時、白隠さんがお寺にいると、いきなり街でも有数の大きな商家の旦那が血相を変えて、赤児を胸に抱えてやって来た。旦那は白隠さんを見つけるといきなり「コラ、白隠!お前は天下に名を知られるほどの有名な禅僧なはずなのに、お前がこんなクソ坊主だとは今の今まで知らなかったぞ。ワシの娘がこの赤児を孕んだ時に、どうしても子供が産まれるまで父親の名前を明かさないというので、ずっと我慢していたけれど、この赤児が生まれ、やっとこの子の父親の名前を白状したと思ったら、なんとお前がこの子の父親だと抜かしよった。ワシはびっくり仰天して何度も問いただしたが、お前がワシの娘に悪さをし、子の子を孕んだんじゃ。このクソ坊主。こうなってはお前がこの子の面倒を見ろ。」と言って赤児を置いたまま去って行きました。
白隠さんは何も反論せずに、次の日からその子を背中におって、いつものように街に出て托鉢に行きました。そして赤児を托鉢で頂いた食べ物を食べさせて面倒を見ていました。しばらく時が経ち、いつものように子供を背負って托鉢に出かけました。その日は大きな商家に立ち寄り托鉢をし、家から出て行こうとするところを、その家の娘が奥の部屋から見ておりました。そして白隠さんが家から出て行くや否や、大声で泣き叫び父親の元へ走って行き、「実はあの子は白隠さんとの間で出来た子ではなく、うちの家に奉公に来ていた丁稚との間に出来た子なんです。ごめんなさい。嘘をついて。あの子の父親が白隠さんだと言えば、お父さんは許して下さると思ったんです。すみませんでした。」と言った。お父さんは大慌てで娘の手を引っ張り、白隠さんのお寺に駆け込むといっさいがっさいを説明し、白隠さんに土下座して娘共々謝りました。白隠さんはその時、一言だけこう言ったそうです。
「おお、そうやったんか。ワシはとても不思議に思っておったんじゃ。そうかそうか良かったのお。この子にもお父っつぁんがいてたんや。良かったのお。」と。

すごい人やろ。全てを受け入れる事が出来るぐらい悟った人やったんや。

ヨシオ:本当やな。ここまで感情をコントロール出来たらすごいよな。最後のとぼけがよく効いているよな。でも沼津の人が大阪弁を話すのか。

ポニョ:そこで突っ込まんといてくれますか。ついでに良寛さんの逸話も幾つか紹介しよか。こういう話をあんたも小さい時から聞かせれて育ったらおいらのように品の良い人になれたのにな。

ヨシオ:食料品以外に、一体ポニョのどこに品があるんや。

ポニョ:良寛さんには大好きなものが三つありました。一つはおはじきで、もう一つは手毬、そして子供達でした。
その良寛さんは、子供の純真な心こそが誠の仏の心だと信じて、大好きな子ども達とよく遊んでおられましたが、ある時隠れん坊をしている時に、良寛さんがどこかに隠れたのを見計らうと、子供達は悪いことを考えつき、隠れていなくなった良寛さんを一人残してみんな家に帰ってしまったのでした。そんな事とはつゆ知らず、数時間を過ぎても良寛さんは物陰に隠れていましたが、それを見た近所の人が良寛さんの様子を見て驚き、大きな声で「良寛さん!一体あなたはそんなところで何をしてござる。」と言うと、その大きな声に良寛さんは逆に驚いてこう言いました。
「馬鹿めが。そんなに大きな声でワシの名を呼ぶと鬼に見つかるやないか!」と。

ヨシオ:まだ子どもの心を持っておられたんやな。こういう人が本当に悟った人なんやろな。面白い人やったんや。

ポニョ:この良寛さんのエピソードをあと二つほど紹介しましょう。

良寛さんは子供達とよく遊ばれていて、子ども達が良寛さんが通られるとその後ろから付いて来てこう呼んでよく遊んだ。「良寛さん、一貫!」
すると良寛さんは驚いて後ろに少し反りかえられるのだ。それを見て子ども達が「良寛さん、二貫!」と呼ぶと、もう少し反りかえられ、三貫、四貫と続けて呼ぶ頃には反り返り過ぎて後ろのひっくり返ってしまわれるので、子ども達が大喜びするのです。ある時良寛さんが子供達の親の家に招かれた時に、「あなたの子供達と一貫遊びをすると年寄りにはキツイからやめさせておくれ。」と頼んだので親は、「あなた様がそんなに無理して子ども達とお遊びになるからでしょう。あなた様がお止めになれば良い話ではございませんか。」と答えると良寛さんは、「今までずっと子ども達とこの遊びをして来たので、私から止めようって云いにくんだよ。」と言われたのでした。

ヨシオ:この良寛さんってメチャ優しいねんやろな。愛がいっぱい持っている人って分かるよな。

ポニョ:子どもにこれだけ愛情を注げるんやもんな。さて良寛さんの最後のちょっと痛いエピソードです。

その夜は名月で良寛さんは、月の美しさに惚れて夜の芋畑の中を月を見ながら興に乗って、のんびりと散歩していました。するとその芋畑の持ち主が良寛さんを芋泥棒だと間違えて捕まえロープで縛って木に吊り、「この芋泥棒観念しろ。」と言って棒で叩き始めました。良寛さんは最初は我慢していましたが、あまりの痛さに「ワシじゃ。良寛じゃ。月を見ながら散歩していただけじゃ。畑を荒らしてすまなんだ。」と言ったので、芋畑の持ち主は驚いて許しを乞いました。しかし良寛さんは少しも相手を咎めず笑いながら次のような詩を口ずさみながら去って行きました。

如露亦如電 にょろやくにょでん
応作如是観 おさにょぜかん

(『金剛経』に出る語で、この世のものはすべて露や電光のようにはかないものだから、このように物事を見て生きていきなさいという意味)

ヨシオ:このような平常心って悟った人しか持てないよな。すごいすごい。絶対俺には真似出来ないやろな。昔の俺やったら逆に、そのおっさんを木に縛り付けてバチキ食らわしたるわ。

ポニョ:あのね…(汗)。あんたがこの地球に住んでいる限り、ゴールデンエイジは永遠にやって来ないやろな。

もし、もう一度皆さん全員が子どもになることができれば私はとても幸せです。
子どもは怒り、情欲、嫉妬、うぬ ぼれ、そしてエゴという悪い性質をもつことは決してありません。
イエス キリストはいつも子どもたちの無垢な性質を喜んでいました。
ある時、イエスは群集の中にいた一人の母親のひざから小さなこどもを抱き上げて言いました。
「私はこの小さな子どもが大好きです。
彼女は神のすべての資質をもっています。
純粋でエゴもなく、完全な至福の中にいます」子どもは本質的に神です。
大きくなるにつれ、子どもは過度の欲望、執着、怒り、嫉妬などといった悪い性質を育ててしまいます。
年令を重ねるとともに、悲しみと困難もまた増します。
ですから、人は自分の欲望をコントロールできるよう努力すべきなのです。
それは欲望に上限を設けること(節制)です。
もし、このコントロールを身につけることができれば、あなたは神の力の影響下にあります。
さもなければ、あなたは欲望の力に惑わされ、決して出ることができない渦巻きにはまってしまうことでしょう。
単純で純粋無垢な子どもは、神への道です。
私はあなた方に、少なくとも一日に一分間、子どもになってほしいと思います。
皆さんは子どもの特徴である気高い性質を見習うべきです。
たとえば、あなたが欲望に悩まされているとすれば、欲望はあなたの気高い性質にふさわしくないとみなして追い払いなさい。
そうして初めて、あなたは胸を張って歩けるのです。 28/8/04

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