都会の人々は、無関心で自己中心的です。たとえ隣家に泥棒が侵入しても、彼らは気にしません。一方、村では、ほんの小さな事件でも村人全員が集まります。そのような種類の一体性と同朋意識が、村にはまだ存在しています。1/1/03
ポニョ:退院おめでとう。正月初日から緊急入院って、大変やったでしょう。
ヨシオ:医者からガン細胞がすごい勢いで増殖しているので、余命はあと二週間、よく持って一ヶ月半やなと宣告されたんや。でも俺はこの前行ったスパーが気に入って、そのプールの半年間のメンバーになったんや。医者はそれを聞いてめちゃ驚いていたな。俺は、俺の生命は神様が預かっているから、あんたが二週間とか、一ヶ月半しか余命が無いとか言っても、俺がいつ死ぬかは神様がお決め下さるので、余命は気にしていないと言ったんや。
その後、ホスピスの入居申込書を書かされて、いつでも容態が急変した時の為に準備をさせられたな。
もう、肝臓にかなり転移しているので、内臓痛になるのは時間の問題やと言われた。でもどういうわけか、鎮痛剤を摂っていないのに痛みは全て消えたので、何にも薬を摂っていないんや。もう抗がん剤治療も免疫療法もやめた。オプジーボも俺にはあまり効いていないみたいやし。
ポニョ:痛みが消えたって、不思議やぜよ。サイババさんが面倒見て下さっているから有難いな。というわけで、昨日は山形にある基督教独立学園を紹介したけれど、島根にも姉妹校があるって言ってたよな。
http://www.aishinhigh.ed.jp/outline/outline00.html
ヨシオ:その学校は愛真高校というんやけれど、俺が日本にいた時にはまだ創立されていなかったな。ここも、やはり内山鑑三の精神にもとずいて設立された学校なんや。
理事長の佐藤全弘さんは次のように言っておられる。
子どもは必ず両親と離れ、その命を自分で歩み出します。遊学したり、就職したり、あるいはもっとつらい体験を通して、子どもは一個の人間になるのです。与えられた、誰のものでもない、大切な、二つとない自分の命を、自分で生きるように、成長するのです。 そのとき、子どもたちを迎え包む環境は、生涯にわたりその子どもたちの生き方に強く影響を及ぼします。
街にひびく地下鉄や車の騒音でなく、四季折々の鳥の声で眠りからさめ、少しの自負と淋しさを内に包んでいる友人たちと共に学び、共に遊び、共に笑い、共に歌い、遠く故郷で自分のことを─とくに夜には─思って下さる方々の瞳を心に眠りにつき、天地万物の創り主である神に、たえず護られ、その神を信じる先生方と共に聖書を学び、素晴らしい自然と人と神に包まれた青春の三年間をすごすことは、今の日本でめったに与えられぬ恵みです。この恵みを受けにきませんか。
ポニョ:なかなか良いことを言っておられるな。やっぱり田舎の学校はええよな。
村と都会を比べてみると、都会の住人より村人たちのほうがずっと病気が少ないのです。
というのは、都市や町に住んでいる人たちは、きれいな空気を吸えず、清浄な水を手に入れられず、食べるべき清浄な食物を得られていないからです。
都市の住人が持つ外見的なイメージは確かに健全なものです。
しかし、実際彼らが摂っている食べ物は、害のある物なのです。
現在広く使われている化学肥料は欠陥だらけです。
その結果、皆さんは数多くの癌の症例や心臓疾患を目にしているのです。8/10/83
ヨシオ:この学校の紹介をしてみようかな。
本校は島根県江津市にある浅利富士の山麓を拓いてつくられた学校です。
情報と騒音のあふれる都会から離れて聖書を真剣に学び、自然と向き合い、労働に汗を流す生活の中から「自分は何のために生まれてきたのか」、「これからいかに生きるべきか」を考えます。 そのための環境を整えるという配慮から、寮内にテレビはなく、漫画・雑誌を学校及び寮に持ち込んではならないことになっています。
ポニョ:ちょっとお兄さん。自然と向き合い、労働に汗を流す生活の中から「自分は何のために生まれてきたのか」、「これからいかに生きるべきか」を考えるのはよいけれど、漫画はダメってキツイやないの。おいらは漫画を母乳代りに育って来たのに。
ヨシオ:どうやって、漫画が母乳代りになれるんや。ここも、山形の学校と同じように労働を奨励しているんや。
「自分たちの生活は自分たちの手で整える」これが愛真での「作業」の基本的な方針です。月曜日と金曜日の午後2時45分より4時20分まで、菜園・園芸・山林水田・養鶏・製パン・リサイクル・保存食品・修繕の生活班などに分かれて生徒全員が作業に取り組みます。
ヨシオ:また、合唱にも力を入れていていろんな機会があるごとにクラスで合唱をするんや。
ポニョ:合唱っていいよな。なんか人と人が音符で繋がるって言うか、同じサウンドを共有して同じような気持ちになれるからな。そういやあんたも、一時期グリークラブで合唱をやってたんやろ。河内音頭とか歌って
ヨシオ:河内音頭を合唱で歌えるんか?♬え~んやこらせ~のどっこいせ~、さ~の~良いや~さ~さ~、え~やさては~一座の~の、皆様方へ~、お気に召すよな読めないけれど、長年歌い継がれた河内音頭に乗せまして歌いましょう~。♬合唱でも歌えそうやな。
ポニョ:あのね、いつ終わるのかなって心配したぜよ。あんたの本性が出て来てたで。まるで八尾の浅吉の霊が乗り移ったみたやったぜよ。あゝ恐ろしい。河内音頭って節回しが難しくてみんなで歌われないやろ。それに河内音頭の合唱なんて誰も聞きたくないぜよ。
ヨシオ:ポニョが最初に言い出したんやないか。
音楽の授業が各学年週2時間あり、特に合唱に力を入れています。新入生歓迎会、保護者歓迎会、文化祭、クリスマスなど、機会があるたびにクラス合唱を行います。卒業式前の卒業音楽会では3年間の思い出の曲をクラス合唱するなど、合唱は愛真生活とは切り離せません。他にハンドベルや有志での合唱など、音楽分野での活動は非常に活発です。
。
ヨシオ:クラブ活動も盛んやな。
隔週土曜日の1・2校時には、必修クラブにあたる「全校活動」がおこなわれています。陶芸、美術、茶道など、多種にわたる文化芸術活動を行っています。
特に、陶芸、美術では専用のスペースを設け活動が盛んです。また朝・夕の食事は、食堂で全員が一緒にいただきます。週に1回変更されるグループごとに座席に座り、楽しい食事の時を過ごします。
ヨシオ:俺が面白いと思ったのが妊婦体験や。女の子も男の子もみんな、お腹に三キロの砂袋を付けて一定の期間、毎日そうして過ごすんや。
ポニョ:男子生徒がなんで妊婦の練習をするんや。
ヨシオ:そうすることによって、将来結婚した時に、嫁さんの辛さが分かるやろ。面白いのはほとんどの生徒が自分の膨らんだお腹を撫でるんや。そしてその妊婦体験期間が終わる頃には自分のお腹の砂袋の赤ちゃんに名前を付けているんや。
ポニョ:それって面白いな。そういう体験を教えている学校って無いやろな。
ヨシオ:独立学園のように平和学習にも力を入れているんや。
平和活動をされてきた方を講師に招き、5月に「憲法学習会」、2月に「日本の戦争責任を考える特別授業」を行います。
また、平和学習旅行として1年生では「広島平和学習」、2年生では「呉・大久野島平和学習」、3年生では「沖縄修学旅行」を行います。学習旅行事前には、見学地でこれまで何が起こってきたのかをしらべ当日に臨みます。さらに見学地では、戦跡の見学や実際に戦争を体験した方の証言を聞き、平和について考えます。
ポニョ:三重県にも島根の学校の姉妹校があるって言ってたよな。
http://ainougakuen2010.hamazo.tv
ヨシオ:そこは、愛農会という有機農法をしている組織が、キリスト教をベースにした全寮制の農業学校を設立したんや。愛農学園って言うんや。建学の精神は今まで紹介した他の二校とよく似ているんや。
神を忘れた良心は麻痺し、土を離れた生命は枯死する。本校建学の根本精神は、神を愛し、隣人を愛し、土を愛する人格形成である。聖書の神の言葉に呼びかけられることによって人間の良心は覚醒される。神と良心との不断の対話(祈り)よってのみ、人間は真人間となることができる。
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」との神の言葉を一日一日の生活の中に実践することが人生究極の目的である。農業は隣人の生命の糧を生産する職業である。農業を具体的な隣人愛の実践であると確信し、土を愛し誇りと喜びを持って農業に従事するとともに農業者の英知と力を決集し、農業者自らが主体となって、明るい豊かな農家と農村を建設する愛農救国救人類運動に生涯を献げる若き魂を育成することこそ、本校建学の目的である。
インドから有機農業の専門家を呼んで話を聞いたり、無農薬栽培を教えているんや。
学科は農業科のみで、農場では化学肥料・農薬を用いず、作物・家畜と向き合い、環境にやさしい農業教育に力をいれています。農場は、作物(稲作)、野菜、果樹、酪農、養鶏、養豚の6部門からなり、そこで生産された安全でおいしい食べ物は、生徒たちの食卓に毎日のぼります。
最近も平和を考えるために修学旅行で沖縄の辺野古を訪問したな。
ポニョ:修学旅行先が辺野古か?凄い学校やぜよ。そういや駿河台学園や同志社中学も行ったって聞いた事があるぜよ。
ヨシオ:また、愛農学園や独立学園だけではなく、島根の今紹介した愛真高校も過去二十年に渡って修学旅行先として普天間基地で闘っている人たちに会って話を聞きに行ってるんや。一人の学生はこんな感想を言っていた。「沖縄のために大事な海を守りたいという座り込みを続ける行動力に感銘を受け、涙が出た。沖縄での経験を今後どう生かすのか、突き付けられたと思う。来年は選挙権も得られる。責任ある大人になりたい」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-227528-storytopic-1.html
ポニョ:修学旅行でか?それっていいよな。平和の意味を考える素晴らしい子どもになるぜよ。
ヨシオ:俺は日本にいる時に、そこは大阪から近いし、子供をその学校に入れようかなって考えていたんや。近鉄の青山駅から歩いて行けるし。この学校でも寮生活をスムーズにして行くために誓約書に同意しなければいけないんや。
本校では農業者となるための教育を行うと共に、聖書の学びを通して二心のない真実を尊ぶ人間の育成を期しています。 そのため、共同生活をしていく上の約束として以下のことを非常に大切に考えています。もしこれらが破られた場合、共同生活は根底から崩されてしまいます。各自の行動には責任が伴うことを深く自覚し、入学式前に以下の約束を守る決意を表明してもらいます。
1. 生徒の本分である勉学に真剣に取り組む
2. いかなる場合でも、暴力を問題解決の手段としない
3. 特定の一対一の男女交際はしない
4. 人格的なふれあいを大切にし、他の人に対して、精神的・肉体的苦痛を与えるいじめや、暴力、いやがらせ、使役等をしない
5. 酒を飲んだり、タバコを吸ったり、他人の物をとったりしない
6. 自分の品性を高めるために、低俗な娯楽、派手な服装、流行を追うことから離れ、清潔・簡素な生活を目指すよう努力する
また、この学校の教育目標は
①農業・食料を守る
人間が生きる上で最も大切なものが食べ物であり、その食べ物を作る職業が農業です。その大事な農業を守り、食糧生産を担う若者を育てるのが本校の大きな目標です。もちろん将来農業に就けない生徒もいるでしょうが、どんな道を歩むにしても、農業や食べ物を大切にする心を育みたいと願い、学習活動や実習に取り組みます。
②地域を守る
限界集落ということばに象徴されるように、その存続自体が危ぶまれる農村地域が増えています。こうした地域を守る人材を育てることも本校の大きな使命です。
③環境を守る
温暖化に代表される地球環境の危機に対して、本校は有機農業の実践を柱として、環境にやさしいエコロジー教育を実践します。
④平和を守る
聖書に「剣をかえて鎌となす」ということばがありますが、農業はもっとも平和的な産業です。農業を通して外国と交流したり、修学旅行や留学生の受け入れを通して平和教育に力を入れています。
それにその頃は俺たちも菜食じゃなかったので、食事も問題無かったしな。その高校は養豚、養鶏コースもあってそのコースを取っている生徒は、今まで肉ってお店に売っている食べ物と思っていたけれど、ここの学校で出産から、育て上げた生命が人の食べ物になると分かり、生命って一体何なのか、卒業してからもじっくりと考えて行きたいって言ってたな。
牛さんが肉になる日
https://mobile.twitter.com
ポニョ:雛から育てた鶏をしめて殺して、チキンの料理を作らすという事を授業でやっていた大分の高校があったよな。子供達はペットのようになついていた鶏を殺す日には、葬式の日のように落ち込んでいたよな。
ヨシオ:俺も、オーストラリアのテレビで、どのようにして牛肉がショッピングセンターの棚の上に並ぶかを特集した番組を見てから、肉が食べれなくなったんや。昨日と今日と二回に渡って三つの学校を紹介したけれど、三校とも全寮制で自然の中に位置し、自然の恵みに感謝することを通じて神を思い、人生って何かな?生きるって何かな?ということを考えていける人を育てて行こうとしているけど、こういう学校ってなかなか無いよな。
ポニョ:無農薬で化学肥料を使わない給食が良かったぜよ。
ヨシオ:また、食うことか…。ポニョは食事時間だけ突然現れる転校生になればええな。
http://ainougakuen2010.hamazo.tv
ログを使った教室で寮生達が、日曜日に集まってイヤリングを作っています
村に出向いて見てごらんなさい。村に入るとすぐに、素朴な村人が尋ねます。「ようこそ! どこから来られましたか? お国はどちらですか?」村人たちは尊敬の念をもって話しかけ、あなたのことを気遣います。
しかし、都会にあっては親子間でさえもそうした気遣いをすることはありません。
人々は非常に機械的な態度で日々の決まった仕事をこなし、お互いを気遣うことはありません。こうした状況を招いた原因は現代の教育にあります。
「教育の目的は人格を培うことにある」といわれます。
今日の人々が高貴な人格を失ってしまったために、尊敬や崇敬の心もまた次第に失われつつあります。
親でさえもこうした状況を生み出す原因の一端となっています。
村の親の中には子どもを都会の学校に送り出す人もいます。
そうした親は子どもに高等教育を受けさせ、学位をとらせたいと願うのです。
親の動機は間違いなく良いものですが、子どもたちは都会で悪い道に入ってしまいます。
村にいたときは年長者を敬い親に従順であった子どもたちも、高等教育を求めて都会に入ったとたんに、故郷で培ってきた尊敬・崇敬・良き人格・謙虚さといったすべての善良な資質を失ってしまうのです。
今、学生は高潔な生活の価値を忘れてしまっています。
親の目の前であってもタバコを吸うことをためらわないのです。
悪い習慣がますますはびこりつつあります。
しかし、村の状況はいささか異なります。
村の子どもたちは年長者や両親の前で自制して行動します。
親の健全なしつけが村ではまだ機能しています。
町中や都会ではそうしたしつけは見られません。
青年は、喫煙し、友人にタバコを差し出し、映画館に行って非常に多くの悪癖に耽るのです。
彼らを自制させ、悪癖から引き離すものは何もありません。
なぜ彼らはこのような振る舞いをするのでしょう?
それは現代の教育が原因なのです。
彼らは年長者・両親・社会に対する尊敬の念をもっていません。
誰かに間違いを指摘されると、「なぜ過ちを犯し罪を作ることを恐れなくてはいけないんだ? 私のタバコを私が吸うのは私の勝手だ」といって議論をし始めるのです。20/11/02
ポニョ:退院おめでとう。正月初日から緊急入院って、大変やったでしょう。
ヨシオ:医者からガン細胞がすごい勢いで増殖しているので、余命はあと二週間、よく持って一ヶ月半やなと宣告されたんや。でも俺はこの前行ったスパーが気に入って、そのプールの半年間のメンバーになったんや。医者はそれを聞いてめちゃ驚いていたな。俺は、俺の生命は神様が預かっているから、あんたが二週間とか、一ヶ月半しか余命が無いとか言っても、俺がいつ死ぬかは神様がお決め下さるので、余命は気にしていないと言ったんや。
その後、ホスピスの入居申込書を書かされて、いつでも容態が急変した時の為に準備をさせられたな。
もう、肝臓にかなり転移しているので、内臓痛になるのは時間の問題やと言われた。でもどういうわけか、鎮痛剤を摂っていないのに痛みは全て消えたので、何にも薬を摂っていないんや。もう抗がん剤治療も免疫療法もやめた。オプジーボも俺にはあまり効いていないみたいやし。
ポニョ:痛みが消えたって、不思議やぜよ。サイババさんが面倒見て下さっているから有難いな。というわけで、昨日は山形にある基督教独立学園を紹介したけれど、島根にも姉妹校があるって言ってたよな。
http://www.aishinhigh.ed.jp/outline/outline00.html
ヨシオ:その学校は愛真高校というんやけれど、俺が日本にいた時にはまだ創立されていなかったな。ここも、やはり内山鑑三の精神にもとずいて設立された学校なんや。
理事長の佐藤全弘さんは次のように言っておられる。
子どもは必ず両親と離れ、その命を自分で歩み出します。遊学したり、就職したり、あるいはもっとつらい体験を通して、子どもは一個の人間になるのです。与えられた、誰のものでもない、大切な、二つとない自分の命を、自分で生きるように、成長するのです。 そのとき、子どもたちを迎え包む環境は、生涯にわたりその子どもたちの生き方に強く影響を及ぼします。
街にひびく地下鉄や車の騒音でなく、四季折々の鳥の声で眠りからさめ、少しの自負と淋しさを内に包んでいる友人たちと共に学び、共に遊び、共に笑い、共に歌い、遠く故郷で自分のことを─とくに夜には─思って下さる方々の瞳を心に眠りにつき、天地万物の創り主である神に、たえず護られ、その神を信じる先生方と共に聖書を学び、素晴らしい自然と人と神に包まれた青春の三年間をすごすことは、今の日本でめったに与えられぬ恵みです。この恵みを受けにきませんか。
海岸のゴミ拾いをする奉仕をしています
ポニョ:なかなか良いことを言っておられるな。やっぱり田舎の学校はええよな。
村と都会を比べてみると、都会の住人より村人たちのほうがずっと病気が少ないのです。
というのは、都市や町に住んでいる人たちは、きれいな空気を吸えず、清浄な水を手に入れられず、食べるべき清浄な食物を得られていないからです。
都市の住人が持つ外見的なイメージは確かに健全なものです。
しかし、実際彼らが摂っている食べ物は、害のある物なのです。
現在広く使われている化学肥料は欠陥だらけです。
その結果、皆さんは数多くの癌の症例や心臓疾患を目にしているのです。8/10/83
ヨシオ:この学校の紹介をしてみようかな。
本校は島根県江津市にある浅利富士の山麓を拓いてつくられた学校です。
情報と騒音のあふれる都会から離れて聖書を真剣に学び、自然と向き合い、労働に汗を流す生活の中から「自分は何のために生まれてきたのか」、「これからいかに生きるべきか」を考えます。 そのための環境を整えるという配慮から、寮内にテレビはなく、漫画・雑誌を学校及び寮に持ち込んではならないことになっています。
ポニョ:ちょっとお兄さん。自然と向き合い、労働に汗を流す生活の中から「自分は何のために生まれてきたのか」、「これからいかに生きるべきか」を考えるのはよいけれど、漫画はダメってキツイやないの。おいらは漫画を母乳代りに育って来たのに。
ヨシオ:どうやって、漫画が母乳代りになれるんや。ここも、山形の学校と同じように労働を奨励しているんや。
「自分たちの生活は自分たちの手で整える」これが愛真での「作業」の基本的な方針です。月曜日と金曜日の午後2時45分より4時20分まで、菜園・園芸・山林水田・養鶏・製パン・リサイクル・保存食品・修繕の生活班などに分かれて生徒全員が作業に取り組みます。
ヨシオ:また、合唱にも力を入れていていろんな機会があるごとにクラスで合唱をするんや。
ポニョ:合唱っていいよな。なんか人と人が音符で繋がるって言うか、同じサウンドを共有して同じような気持ちになれるからな。そういやあんたも、一時期グリークラブで合唱をやってたんやろ。河内音頭とか歌って
ヨシオ:河内音頭を合唱で歌えるんか?♬え~んやこらせ~のどっこいせ~、さ~の~良いや~さ~さ~、え~やさては~一座の~の、皆様方へ~、お気に召すよな読めないけれど、長年歌い継がれた河内音頭に乗せまして歌いましょう~。♬合唱でも歌えそうやな。
ポニョ:あのね、いつ終わるのかなって心配したぜよ。あんたの本性が出て来てたで。まるで八尾の浅吉の霊が乗り移ったみたやったぜよ。あゝ恐ろしい。河内音頭って節回しが難しくてみんなで歌われないやろ。それに河内音頭の合唱なんて誰も聞きたくないぜよ。
山形から、独立学園の人たちが交流にやって来ました
ヨシオ:ポニョが最初に言い出したんやないか。
音楽の授業が各学年週2時間あり、特に合唱に力を入れています。新入生歓迎会、保護者歓迎会、文化祭、クリスマスなど、機会があるたびにクラス合唱を行います。卒業式前の卒業音楽会では3年間の思い出の曲をクラス合唱するなど、合唱は愛真生活とは切り離せません。他にハンドベルや有志での合唱など、音楽分野での活動は非常に活発です。
。
ヨシオ:クラブ活動も盛んやな。
隔週土曜日の1・2校時には、必修クラブにあたる「全校活動」がおこなわれています。陶芸、美術、茶道など、多種にわたる文化芸術活動を行っています。
特に、陶芸、美術では専用のスペースを設け活動が盛んです。また朝・夕の食事は、食堂で全員が一緒にいただきます。週に1回変更されるグループごとに座席に座り、楽しい食事の時を過ごします。
ヨシオ:俺が面白いと思ったのが妊婦体験や。女の子も男の子もみんな、お腹に三キロの砂袋を付けて一定の期間、毎日そうして過ごすんや。
ポニョ:男子生徒がなんで妊婦の練習をするんや。
ヨシオ:そうすることによって、将来結婚した時に、嫁さんの辛さが分かるやろ。面白いのはほとんどの生徒が自分の膨らんだお腹を撫でるんや。そしてその妊婦体験期間が終わる頃には自分のお腹の砂袋の赤ちゃんに名前を付けているんや。
ポニョ:それって面白いな。そういう体験を教えている学校って無いやろな。
ヨシオ:独立学園のように平和学習にも力を入れているんや。
平和活動をされてきた方を講師に招き、5月に「憲法学習会」、2月に「日本の戦争責任を考える特別授業」を行います。
また、平和学習旅行として1年生では「広島平和学習」、2年生では「呉・大久野島平和学習」、3年生では「沖縄修学旅行」を行います。学習旅行事前には、見学地でこれまで何が起こってきたのかをしらべ当日に臨みます。さらに見学地では、戦跡の見学や実際に戦争を体験した方の証言を聞き、平和について考えます。
ポニョ:三重県にも島根の学校の姉妹校があるって言ってたよな。
http://ainougakuen2010.hamazo.tv
ヨシオ:そこは、愛農会という有機農法をしている組織が、キリスト教をベースにした全寮制の農業学校を設立したんや。愛農学園って言うんや。建学の精神は今まで紹介した他の二校とよく似ているんや。
神を忘れた良心は麻痺し、土を離れた生命は枯死する。本校建学の根本精神は、神を愛し、隣人を愛し、土を愛する人格形成である。聖書の神の言葉に呼びかけられることによって人間の良心は覚醒される。神と良心との不断の対話(祈り)よってのみ、人間は真人間となることができる。
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」との神の言葉を一日一日の生活の中に実践することが人生究極の目的である。農業は隣人の生命の糧を生産する職業である。農業を具体的な隣人愛の実践であると確信し、土を愛し誇りと喜びを持って農業に従事するとともに農業者の英知と力を決集し、農業者自らが主体となって、明るい豊かな農家と農村を建設する愛農救国救人類運動に生涯を献げる若き魂を育成することこそ、本校建学の目的である。
インドから有機農業の専門家を呼んで話を聞いたり、無農薬栽培を教えているんや。
学科は農業科のみで、農場では化学肥料・農薬を用いず、作物・家畜と向き合い、環境にやさしい農業教育に力をいれています。農場は、作物(稲作)、野菜、果樹、酪農、養鶏、養豚の6部門からなり、そこで生産された安全でおいしい食べ物は、生徒たちの食卓に毎日のぼります。
最近も平和を考えるために修学旅行で沖縄の辺野古を訪問したな。
ポニョ:修学旅行先が辺野古か?凄い学校やぜよ。そういや駿河台学園や同志社中学も行ったって聞いた事があるぜよ。
ヨシオ:また、愛農学園や独立学園だけではなく、島根の今紹介した愛真高校も過去二十年に渡って修学旅行先として普天間基地で闘っている人たちに会って話を聞きに行ってるんや。一人の学生はこんな感想を言っていた。「沖縄のために大事な海を守りたいという座り込みを続ける行動力に感銘を受け、涙が出た。沖縄での経験を今後どう生かすのか、突き付けられたと思う。来年は選挙権も得られる。責任ある大人になりたい」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-227528-storytopic-1.html
ポニョ:修学旅行でか?それっていいよな。平和の意味を考える素晴らしい子どもになるぜよ。
ヨシオ:俺は日本にいる時に、そこは大阪から近いし、子供をその学校に入れようかなって考えていたんや。近鉄の青山駅から歩いて行けるし。この学校でも寮生活をスムーズにして行くために誓約書に同意しなければいけないんや。
本校では農業者となるための教育を行うと共に、聖書の学びを通して二心のない真実を尊ぶ人間の育成を期しています。 そのため、共同生活をしていく上の約束として以下のことを非常に大切に考えています。もしこれらが破られた場合、共同生活は根底から崩されてしまいます。各自の行動には責任が伴うことを深く自覚し、入学式前に以下の約束を守る決意を表明してもらいます。
1. 生徒の本分である勉学に真剣に取り組む
2. いかなる場合でも、暴力を問題解決の手段としない
3. 特定の一対一の男女交際はしない
4. 人格的なふれあいを大切にし、他の人に対して、精神的・肉体的苦痛を与えるいじめや、暴力、いやがらせ、使役等をしない
5. 酒を飲んだり、タバコを吸ったり、他人の物をとったりしない
6. 自分の品性を高めるために、低俗な娯楽、派手な服装、流行を追うことから離れ、清潔・簡素な生活を目指すよう努力する
また、この学校の教育目標は
①農業・食料を守る
人間が生きる上で最も大切なものが食べ物であり、その食べ物を作る職業が農業です。その大事な農業を守り、食糧生産を担う若者を育てるのが本校の大きな目標です。もちろん将来農業に就けない生徒もいるでしょうが、どんな道を歩むにしても、農業や食べ物を大切にする心を育みたいと願い、学習活動や実習に取り組みます。
②地域を守る
限界集落ということばに象徴されるように、その存続自体が危ぶまれる農村地域が増えています。こうした地域を守る人材を育てることも本校の大きな使命です。
③環境を守る
温暖化に代表される地球環境の危機に対して、本校は有機農業の実践を柱として、環境にやさしいエコロジー教育を実践します。
④平和を守る
聖書に「剣をかえて鎌となす」ということばがありますが、農業はもっとも平和的な産業です。農業を通して外国と交流したり、修学旅行や留学生の受け入れを通して平和教育に力を入れています。
この学校の男子生徒も助産婦さんの話を聞きますよ
それにその頃は俺たちも菜食じゃなかったので、食事も問題無かったしな。その高校は養豚、養鶏コースもあってそのコースを取っている生徒は、今まで肉ってお店に売っている食べ物と思っていたけれど、ここの学校で出産から、育て上げた生命が人の食べ物になると分かり、生命って一体何なのか、卒業してからもじっくりと考えて行きたいって言ってたな。
牛さんが肉になる日
https://mobile.twitter.com
ポニョ:雛から育てた鶏をしめて殺して、チキンの料理を作らすという事を授業でやっていた大分の高校があったよな。子供達はペットのようになついていた鶏を殺す日には、葬式の日のように落ち込んでいたよな。
僕たちは友達なんだよ
ヨシオ:俺も、オーストラリアのテレビで、どのようにして牛肉がショッピングセンターの棚の上に並ぶかを特集した番組を見てから、肉が食べれなくなったんや。昨日と今日と二回に渡って三つの学校を紹介したけれど、三校とも全寮制で自然の中に位置し、自然の恵みに感謝することを通じて神を思い、人生って何かな?生きるって何かな?ということを考えていける人を育てて行こうとしているけど、こういう学校ってなかなか無いよな。
ポニョ:無農薬で化学肥料を使わない給食が良かったぜよ。
ヨシオ:また、食うことか…。ポニョは食事時間だけ突然現れる転校生になればええな。
http://ainougakuen2010.hamazo.tv
オフィシャルブログです
ログを使った教室で寮生達が、日曜日に集まってイヤリングを作っています
村に出向いて見てごらんなさい。村に入るとすぐに、素朴な村人が尋ねます。「ようこそ! どこから来られましたか? お国はどちらですか?」村人たちは尊敬の念をもって話しかけ、あなたのことを気遣います。
しかし、都会にあっては親子間でさえもそうした気遣いをすることはありません。
人々は非常に機械的な態度で日々の決まった仕事をこなし、お互いを気遣うことはありません。こうした状況を招いた原因は現代の教育にあります。
「教育の目的は人格を培うことにある」といわれます。
今日の人々が高貴な人格を失ってしまったために、尊敬や崇敬の心もまた次第に失われつつあります。
親でさえもこうした状況を生み出す原因の一端となっています。
村の親の中には子どもを都会の学校に送り出す人もいます。
そうした親は子どもに高等教育を受けさせ、学位をとらせたいと願うのです。
親の動機は間違いなく良いものですが、子どもたちは都会で悪い道に入ってしまいます。
村にいたときは年長者を敬い親に従順であった子どもたちも、高等教育を求めて都会に入ったとたんに、故郷で培ってきた尊敬・崇敬・良き人格・謙虚さといったすべての善良な資質を失ってしまうのです。
今、学生は高潔な生活の価値を忘れてしまっています。
親の目の前であってもタバコを吸うことをためらわないのです。
悪い習慣がますますはびこりつつあります。
しかし、村の状況はいささか異なります。
村の子どもたちは年長者や両親の前で自制して行動します。
親の健全なしつけが村ではまだ機能しています。
町中や都会ではそうしたしつけは見られません。
青年は、喫煙し、友人にタバコを差し出し、映画館に行って非常に多くの悪癖に耽るのです。
彼らを自制させ、悪癖から引き離すものは何もありません。
なぜ彼らはこのような振る舞いをするのでしょう?
それは現代の教育が原因なのです。
彼らは年長者・両親・社会に対する尊敬の念をもっていません。
誰かに間違いを指摘されると、「なぜ過ちを犯し罪を作ることを恐れなくてはいけないんだ? 私のタバコを私が吸うのは私の勝手だ」といって議論をし始めるのです。20/11/02
ソマイさんは、ババ様・愛・神を、耳を傾けそうな人には語り、伝えようと試みたと思います。私も同じです。しかし神に対しての素直な心、純真な心を持っている人は少ないです。皆それぞれに通ってきた道通りの、神に対する固定観念を持っているからです。
私はこの人なら伝わるのでは、と誠意を込めて何度チャレンジしたかわかりません。その度に「変な宗教に巻き込まないで」みたいな非難をうけます。私から上手な蓄財の仕方や子供を良き学校へいれるためのノウハウは聞こうとするのに。でもこの世は「原因と結果は1つ!」なのです。うまく伝わらなかったのは、きっと私もその昔、真理を悟った魂の人から、自分は真理を悟ったから救われているから他の人をも救いたいという熟した魂の持ち主から親切にも「あのね・・・」と声をかけられ手を差し伸べられたのだと思います。しかし、わたしにまだ準備ができていなかったので浅い考えで、その救いの手を拒絶したのだと思います。相手に伝わらなかったのはそんな訳なんだ~と納得し、自分にも相手にもそれ以上の気持ちを一切もたないようにしています。しかし私はヨシオさんの家のように家族皆で話せます。だからとても恵まれています。
聖ラーマクリシュナも通じる人は10万人に1人いるかいないか、と言っています。それで私は合点が行きましたょ!日本人1億人居るとすれば、言って素直にわかる人はたったの1000人!千人しかいないんです。つまり仙人は千人しかいない、なんちゃって(ポニョさん風ギャクで♪)
ヨシオさんやポニョンさんが開いてくれたブログに、コメント書き込める勇気!?エネルギーがあるだけ私たちは恵まれています。神の恩寵あり!です。神に抱かれているのです。元気出して行こう~♪
ヨシオ:めちゃええな。突然どうしたんや?一年半も何もしないでいたのに。
ポニョ:今までスマホで記事を投稿していたので、実は一度も自分たちのブログをPC版で見た事が無かったんや。それで昨日初めて図書館のパソコンで自分たちのブログを見て何やこれ?えらい殺風景なブログやないかと思ってちょっと色付けしたんや。
ヨシオ:気に入ったな。これを見たら、本当にもうすぐサイババさんが戻って来られるような気がするな。それはそうとコメント欄もお休みか?
ポニョ:いろんな方達がコメント欄を利用して励まして下さって来たけれど、おいらはあんたに言われて気が付いたけれど、時間的に物理的にもう限界やったな。毎日五千字を目標に記事をアップしてるやろ。あんたと記事の内容をこうして話し、あんたから記事が送られてから記事の校正、画像の貼り付け、ババの言葉を探して貼り付け、などの仕事だけでゆうに半日はかかるんや。あんたが忙しい時はおいらが記事を書く時もあるしコメント欄まで手が回らないぜよ。すごく勉強されているみどりくんという読者の方がいろんな霊的な教えや、その人の霊的な師匠、または本や映画をご紹介して下さったけれど、おいらは勉強不足でそういうのを知らない事もあるし、あんたも言ってたけれど自分が知らないのにコメント欄で読者を通じてとはいえ、そのまま皆さんに紹介するのは無責任やなと感じたんや。おいらはコメント欄が読者の交流の場になれば良いなと思っていたんやけれど、みどりくんみたいな人ばっかりやったらええけど、悪意を持った人がかき混ぜに来たら収拾がつかなくなると思ったんや。実際今まで何度もそういうコメントが来ているし。そういうコメントはすぐ削除しているけどな。そういう事をしてお金をもらっている人がいるから嫌な世界やぜよ。しかもその金はおいら達の税金から来てるんや。
ヨシオ:当初、このブログをスタートした時に、俺がコメント欄に返事をしていたら将来時間が無くなるし、世の中にはややこしい人が多いからコメントを受け付けないようにしてたやろ。でもポニョが自分がやるやると言って始めたんや。
ポニョ:あんたは先が読めるからな。でもおかげで、よしだ君やみどりくん、通りすがりのシヴァ神さん、オランダの読者、鳩摩羅さんやソマイさんなどたくさんの読者の方々と知り合えたやんか。
ヨシオ:そうやったな。それは良かったよな。俺も嬉しかった。
ポニョ、ヨシオ:というわけで今までコメントを頂いて有難うございました。これから暫くの間、時間の余裕が出来るまでコメント欄をお休みしますね。