眉山のふもと

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ダリマ回顧録――第3部⑨

2017-04-19 17:31:28 | 翻訳
  ここにペルジェーの父、ラムジャブ・ジュンダについて書きたいと思います。解放後(共産党により、政治体制が新しくなった)すぐの一九四六年、駅の村で牧民運動が始まりました。
  当時、ラムジャブ・ジュンダはユンロン伯父の死後、その後任者として駅のジャンギに任命されていました。そのために「金持ちの役人になった」とされて、階級闘争の対象になりました。家畜と財産を没収し他の牧民に分割するように厳しく迫られたのです。
  しかし後に、内モンゴル主席のウランフーが、「牧地は耕地と同じで人民を搾取して得たものではない、自らの労働によって豊かになったのである」として、「闘争しない、分割しない、階級を分けない」という政策をだし、この運動は終わりました。

  さらに、国共内戦のころに、ラムジャブ村長は反革命行動をしているとして、逮捕され、連行されそうになりました。
  その時、私の父のシルムが、
「ラムジャブは反革命ではない。革命を信じ、二人の息子を革命軍に行かせた。それに、もともと彼はたいへん貧しく、牛車を一台しか持っていなかった。その頃の労働者は誰だってそうだ。彼はそのたった一台の牛車を引いてエージ湖に行き、塩を採取して行商し、回族の地域や農民の地域に行き売った。そして、少しだけ豊かになったんだ」
と、詳しく説明し、さらに、
「もし、ラムジャブが反革命なら私の首を取れ」
命を懸けて保証し、証明書を書いて渡しました。ラムジャブは連行されず、家に留まることができました。
 
  彼の一家は、この時の私の父の恩を忘れることなく、いつも話題にしていました。そして、父シルムが亡くなった時にペルジェーは「私が伯父さんの遺体の傍で一晩見守る」と一睡もせず通夜をしてくれました。私も、私の子どもたちも、心から感謝したものです。

  父は他人のために命がけの保証をしました。正義を貫いて生きる父の姿に、私は当時の牧民、モンゴル人が先祖から受け継いできた崇高な人格に思いを馳せずにはいられません。その生きた例として、ユンロン伯父や父のことを書きました。我々が祖先から受け継がれてきた思想、すなわち、自分の利益にとらわれず、人々を思いやり、国や民族を思い、大自然や地球を思うという、気高い人格。このことを、私の子ども達に伝え、後の世代の優れた人格を育ててほしいと願っています。



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