あるきメデス

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武蔵国分寺跡から都立殿ヶ谷庭園へ(東京・国分寺)

2010-12-22 11:26:46 | ウオーキング
 2010年12月19日(日)(午後)

 カタツムリ歩行は13時頃散会となり、参加の皆さんはそれぞれ帰路に向かいます。

 私は、やまさんなど数人と一緒に、周辺を回ってから帰ることにしました。

 まずはゴールの八幡神社から、南側にある武蔵国分寺跡の史跡公園へ。奈良時代
中期、聖武天皇が鎮護国家を祈念して、全国各地に建立させた仏教寺院で、武蔵国
分寺は、その中でも最大級の規模だったようです。

 しかし、鎌倉時代末期の「分倍河原の戦い」で消失し、現在は広い跡地が国史跡と
なり、今年2月から来年3月まで、金堂跡の発掘調査が行われているところです。


 東側の跡地の一角には↓、七重塔の礎石が残っていました。

 続日本書紀(しょくにほんしょき)によれば、ここに立っていた七重塔は承和2年
(835)に、雷火で消失し、10年後に再建したという記録があるようです。

 公園の北側に抜けて、午前中通過した「お鷹の道」に向かいます。


 途中の住宅地の一角にあった、ライトハウスという軽食と喫茶の出来る店は、TV番
組「ちい散歩」で、地井武男さんが最近訪ねてきたようで、写真が飾ってありました。


 お鷹の道を東に抜け、東元町三丁目を北東に進み、野川の不動橋を渡りました。
北側に、「不動明王」と刻まれた石橋供養塔(左)と、庚申塔(右)が並んでいました。

 石橋供養塔は天保3年(1832)、庚申塔は延享2年(1745)の造立とのことです。

 すぐ先の不動橋交差点の東側に、野菜などを販売するエコマーケットがあったので、
立ち寄りました。別棟にはパンも販売する店もあります。


 国分寺駅に向かって坂道を上がり、駅の近くにある都立殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園
に入ります。大正初期に満鉄副総裁の別邸として造られ、後に三菱財閥の5代目、岩
崎彦弥太氏の別邸となったものとのことです。

 ボランティアガイドのNさんが案内してくれることになり、30分余りかけて園内を一周
しながら、ここにある植物のことなどを解説していただきました。


 まだ落葉前のロウバイですが、よく見ると幾つも花が咲き出していました。

 1週間前の佐倉でのロウバイ同様、異常気象で早咲きとなっているのです。

 150本あり、11月下旬には見頃だったというイロハモミジも、いまは、わずかしか
残っていません。


 園内には赤松が多く、いずれも、きれいな幹とりっぱな枝振りです。


 岩崎家の別邸となってから建てられたもの。 


 ケヤキなど広葉樹は、ほとんど葉が落ちていました。


 芝生広場に何本もあった多様松。上に伸びず横にたくさんの枝を広げています。


 趣ある竹のトンネル。


 1本だけ葉の残っていたモミジ。


 東京都名湧水57選に選定され、野川の水源の一部になっているという、国分寺崖線
(がいせん)(通称ハケ)と呼ぶ斜面から出る湧水の横を、別荘に向かって上ります。

 ちなみに、野川の主な水源は、国分寺駅と西国分寺駅の間、JR中央線の北にある
日立中央研究所構内の池だそうです。

 別荘から見下ろす池の周辺。ビルや商店などが林立する駅周辺とは思えぬ園内でも、
ひときわ静かなたたずまい。


 園内にはほかに、樹齢120年というノダフジ、4月上旬に咲くハナモモやキクモモ、
10月から11月に咲く吉祥草、実のついたヤブコウジやマンリョウ、淡緑の花の咲く
富貴草(ふうきそう)、古代紫、消炎剤となるボラギノール、数の多いモッコク、大木
のイチョウやヒマラヤスギ、花を見せていたツワブキなど、5万6千坪という園内には、
豊富な木々や草が満ちあふれていました。

 なお、都立殿ヶ谷戸庭園は、年末年始を除き毎日9時~17時に開園、入園料は
大人150円、65歳以上は70円です。

 殿ヶ谷戸庭園から、JR中央線、西武国分寺線と多摩湖線の国分寺駅までは、1
~2分です。

 



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